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マルコ福音書の研究

  「復活をめぐる論争」

 すると、復活はないと主張しているサドカイ人達がイエスの許に来て尋ねた。「先生、モーセは私達のためにこう書きました。"ある人が妻を残して死に、子がない場合、その弟が兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない"さて、7人の兄弟がいました。長男は妻をめとり、子がなくて死に、次男がその女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同じくし、こうして7人とも子を残さずに死に、最後にその女も死にました。復活の時、彼らが甦ると、その女は誰の妻になるのでしょうか?7人共、その女を妻にしたのです」
 イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのだ。彼らが死人の中から甦る時には、めとることも嫁ぐこともなく、天にいる天使のようになるのだ。死人の復活については、あなた達はモーセの柴の篇で、神がモーセに言われた言葉を読んだことがないのか。"わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である"と書いてある。神は死人の神ではなく、生きている者の神である。あなた達は大間違いをしている」     マルコ福音書12章18〜27節

 今度はサドカイ人の登場です。このように、同じ日に次々と異なるユダヤ教の派閥の論敵が現われてイエスと議論を闘わしたというのは、歴史的事実でしょうか、それともマルコの編集によるものでしょうか。史実を核にしてマルコが手際よく編集したのでしょう。神の支配は皇帝(カイサル)の支配に勝ると語った後、マルコは、神の力は死の力を超えることを証しするために復活問題をここに置いたのでしょう。復活問題ならば、論敵としては復活を肯定しているパリサイ人ではなく、それを否定しているサドカイ人でなくてはなりません。ヨセフスは「ユダヤ古代誌」の中で、当時のユダヤ教の3大派閥(パリサイ、サドカイ、エッセネ)について説明し、サドカイ派についてこう記しています。「サドカイ人は、霊魂は肉体と共に消滅するという教義を信奉している。彼らは、書かれた律法以外の何ものにも従うことを認めない…」 サドカイ派は、神殿を中心に活動した祭司階級や富裕の地主階級から成る党派で、政治的には常に権力者寄りの政策をもった保守党でした。教義的には、モーセ五書のみを唯一の権威として信奉し、預言書を2級の書物と考えていました。又、人間の自由意志と責任を重んじ、運命や予定説を否定しました。更に、天使の存在、霊への信仰、復活と最後の審判、メシアの来臨などを信じませんでした。彼らは、神の啓示はモーセ五書の中に完璧に示されていると信じていたので、預言やメシアの出現という、歴史の経過の中で新しく生起する神の啓示を一切認めなかったのです。つまり彼らは、昔モーセが作った缶詰を完全食品と信じ、それを朝昼番と食べていれば、それが至福の生活だと考えていたのです。それに対し一般民衆は、パリサイ派の教えを支持し、サドカイ派が否定したすべてを信じていました。
 サドカイ人は、復活信仰の矛盾を暴く論理を申命記25章5〜10節のレビラト婚(義兄弟結婚)の規定から導き出していました。この規定は、男子の子孫をもうけて家系を継続させるために作られた制度でした。サドカイ人がイエスの許に持ってきた問題は、7人の兄弟とその妻になった1人の女の運命についての話です。この話は元来、サドカイ人対パリサイ人の間で論じられていたものでしょう。パリサイ人は解答をもっていました。復活の時には、その女は最初の夫の妻とされると彼らは結論を出していました。それは常識に適ったものでした。しかし同じ問題をイエスに試した時に、彼らは厳しく叱られてしまいました。「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのだ!」 サドカイ人とパリサイ人は両者共、この世の人間的な常識をそのまま復活という霊的な問題に当てはめて考えている点が指摘されたのです。「復活の生命をこの世の規準で量る者は愚か者である。彼は根本的に間違っている。なぜならば彼は、神の力が限られた地上の可能性の中に閉じ込められていると思っているから。イエスは、希望の対象を地上の情況から導き出し、それをユートピアとするような復活の概念を拒絶する」(シュミットハルス)
 「死人の中から復活する時には、めとることも嫁ぐこともなく、天にいる天使のようになるのだ」 肉の人間は、結婚し、子孫を残し、そして死ぬ。しかし神の力は、肉の人間に復活の生命を与える。それは神の新しい創造であり、結婚−子孫−死亡という束縛から人間を解放する。即ち、「天使のようになり、神の子になるのだから、死ぬこともなくなる」(ルカ20・36)これが、復活した人間はどうなるのかと問う、パリサイ人に対するイエスのお答えです。
 しかし、そもそも復活はあるのか、と問うサドカイ人に対して、イエスは出エジプト記3章6節を引用して答えておられます。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」 神はモーセに対して、モーセの時代にはすでに過去の人物であった3人の族長の名を呼んで、彼らの神である、と現在形で言っておられるのです。彼らは死んだが、神は復活の生命を彼らに与えて、彼らを生かされたがゆえに、彼らは今も尚、生きているのである、というのです。「神は死人の神ではなく、生きている者の神である」 この思想が大前提なのです。旧約聖書によると、神は死者とは関係をもたれない。神は生きている者だけの神である。死が恐怖なのは、神との交わりが断たれるからである。この考えは、詩篇6・5、30・9、88・11、115・17イザヤ書38章18〜19節に示されています。「パリサイ派の律法学者ガマリエルは、復活についてのサドカイ人の懐疑に対して、申命記11章9節を援用して、説得力ある議論を行っている。神はカナンの地をアブラハム、イサク、ヤコブに与えると約束されたのだが、この約束は彼らの死後何百年もたってから初めて実現したのだから、神は彼らを生命に甦らせたに違いない、というのである」(E・シュヴァイツァー) これはイエスの復活信仰に至る前提です。
「もし死人の復活がないならば、キリストも甦らなかったであろう」
                      (コリント第一書15章13節)
                     1992年4月12日棕梠聖日礼拝

  「復活の主との出会い」

 さて、キリストは死人の中から甦った、と宣べ伝えられているのに、君達の中のある者が、死人の復活などはないと言っているのはどうしたことか? もし、死人の復活がないのなら、キリストも甦らなかったであろう。またもし、キリストが甦らなかったなら、私たちの宣教は空しく、君たちの信仰も空しい。
                     コリント第一書15章12〜14節

 今日は復活節です。復活をどう考えるか、が今日の問題です。人間の死は心臓の鼓動の停止によって決まるのか、脳の働きの停止によって決まるのかは、今日的な問題ですが、そういうレベルで人間の生と死を考えるならば、死人の復活はありません。「血と肉とは、神の国を継ぐことができない」(コリント第一書15章50節)
 「復活はないと主張しているサドカイ人」については、先週学びました。確かに彼らの言う通り、旧約聖書の古い文書には、人間が死後に生き続けるという考えはありません(詩篇6・5、30・9、88・11、115・17、イザヤ書38・18) 「あなたの慈愛は墓の中に、あなたの真実は滅びの中に宣べ伝えらえるでしょうか?」 これは重病の床にある者の嘆きの詩です。彼は一所懸命に癒しを求めます。死は、生命の神から彼を引き離してしまうゆえに、恐怖なのです。一回限りの人生に執着しています。ここにはインド仏教的な輪廻転生(りんねてんせい)という考えはありません。生まれ変わり死に変わって転生してゆくのなら、死の恐怖感は深刻ではありません。ギリシャ哲学の中にも、万物流転(バンタ・レイ)という思想があります。自然的、植物的、円環的な「復活」が考えられています。しかし古代ヘブライ人は、人生は1回限り、神は生ける者の神であり、死者とは関係をもたれない、と考えました。死後の世界での慰めや報酬などを一切求めないという、壮烈な信仰を彼らはもっていました。
 ところが、旧約聖書の新しい文書には、復活の思想が現れてきます。(イザヤ書26・19、ダニエル書12・1〜3、ヨブ記19・25、詩篇73・24)「あなたの死者が生命を得、私の屍が立ち上がりますように…」 サドカイ派は、旧約聖書の古い文書に論拠を置いて復活を否定し、パリサイ派は、その新しい文書に論拠を置いて復活を肯定しているのです。換言すれば、サドカイ派は、神の啓示はモーセ五書の中に完璧に示されていて、これを修正することは間違いであると主張しているのに対して、パリサイ派は、歴史の過程の中にも神の啓示が新しく与えられると信じて、預言やメシアの来臨や復活や週末における審判などを大切に考えているのです。イエスの当時の民衆は、パリサイ派の思想を共有していました。「終わりの日の復活の時には、兄ラザロが甦ることを私は知っています」(ヨハネ11・24)とマルタはイエスに言いました。
 サドカイ派の思想とパリサイ派の思想の間の「溝」を埋めるものがいくつか考えられます。(1) 神の真実(ヨブ記) なぜ義人は苦しむのか? 悪人が栄え、義人が苦しむ。それでは神の義が立たないではないか? 義人が苦難の中に沈んでしまうのを神が見過しにされるはずがない。「義人の復活」の信仰の根拠は、神の真実の中に見出せます。(2) 歴史の教訓(エゼキエル書37章) 「主は君達を国々に散らすであろう…」(申命記4・27) 「歴史の全過程を見ても、このような奇妙な事が預言されたことは、他のいかなる民族にも、いかなる宗教にもなかった。またイスラエルの民に対してなされた、このモーセ五書の中の預言ほど文字通りに現実となった預言は他にない」(ウェルネル・ケラー) 紀元前587年、バビロン軍がエルサレムを陥落させ、町を焼き払い、神殿を破壊し、国民の重立った者をバビロンに連行した時に、国家と民族は死を経験しました。しかし捕囚地バビロンで預言者エゼキエルは、民族の復活を預言したのです。そして、その預言は現実となり、国家としてではなく、宗教教団としてユダヤは生まれ変わりました。この場合は、古い形に戻ったのではなく、新しい形が創造されたのです。(3) 生ける神の信仰。これについては先週ご一緒に学びました。神は生ける者の神であるゆえに、神との交わりをもつ者は、たとえ死んでも、復活の生命を与えられるという信仰です。
 パウロの伝道によって生まれたコリントの教会の中にも、「死人の復活などはない」と言う人がいました。実はパウロ自身も以前には、呪いの木(十字架)にかけられて死んだイエスが復活するはずはないと信じて、キリスト教徒を迫害した者でした。しかし彼が逃亡するキリスト教徒を追跡して、シリアのダマスコの町の郊外まで来た時に、復活のキリストに出会って、キリスト教徒の迫害者が、復活の福音の伝道者にされてしまったのです。パウロの回心については福音史家ルカが使徒行伝9章に劇的に描いていますが、パウロ本人はもっと控え目に語っています。「御子を私の内に啓示して下さった時」(ガラテヤ書1・16)「啓示」とは、覆いを取り去って正体を現すという意味で、それまでキリストの復活がミステリーであったが、突然、光が照射されて、復活の真意が明らかにされたという内的経験を彼は語っているのです。「私は自由人ではないか。使徒ではないか。私たちの主イエスを見たではないか」(コリント第一書9・1) パウロは自分が、復活のイエスに出会った復活の証人であり、自由人であると主張しているのです。
 原始キリスト教団の最古の信仰告白が、コリント第一書15章3〜8節に記されています。それによると、復活のキリストがペテロ、12弟子、五百人以上の信者、ヤコブ、すべての使徒、パウロに、次々に現われたというのです。「現われた」とは「見られた」という意味の語です。その前提になるものが「キリストが私達の罪のために死んだこと、葬られたこと、そして3日目に甦ったこと」です。これはキリストとの神秘的な一体感の経験です。キリストが私の罪のために死んだ=私が死んだ。キリストが死人の中から復活した=私が生まれ変わって、新しい人間に甦った。この内的経験によって、ペテロもヨハネもパウロも生まれ変わって、キリストの復活の証人とされました。そして彼らの上に起こったと同じ出来事=復活の主との出会いが、今日、この教会においても起こりつつあるのです。
                     1992年4月19日 復活節礼拝

  「最も大切な戒め」 (1)

 一人の律法学者がイエスに近寄って来て尋ねた、「どの戒めがすべての中で第一ですか?」 イエスは答えられた、「第一はこれです。"聞け(シェマァ)、イスラエル! 我らの主なる神は、唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なるあなたの神を愛しなさい" 第二はこれです。"あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい" これらよりも大きい戒めは他にない」 するとその律法学者が言った、「先生、あなたは真理に従って見事に語られました。"神は唯一であり、他に神はない" そして"心を尽くし、理性を尽くし、力を尽くして神を愛し" そして"隣人を自分自身のように愛する"ことは、あらゆる燔祭や犠牲に勝ります」 イエスは彼を見て、彼が賢明に答えたことを認めて言われた、「あなたは神の国から遠くない」そしてもはやこれ以上敢えてイエスに尋ねる者はいなかった。
                     マルコ福音書12章28〜34節

 イエス・キリストの教えをひと言で言えば何かと問われれば、全身全霊を上げて神を愛することと、隣人を自分自身のように愛することです、と答えます。単純明快な教えですが、広さ、深さ、高さ、大きさにおいてこれに勝る教えはありません。戒めはルールですが、定規のことをルーラーと言います。定規なしに線を引こうとすると、曲がってしまって、真直ぐには引けません。定規に従って線を引けば、真直ぐにきれいな線が引けます。私たちの人生も同様です。今日、自分の欲望のままに無軌道に生きている人々が多くいます。彼らにはルールを教えてくれる人がいなかったのです。私たちは幸いにもこのような最高の戒めが与えられています。これを学び、大切に守って生命に至る道を歩んで参りましょう。
 さて、今度は律法学者の登場です。この人のイエスに対する態度は、真面目(まじめ)で丁寧です。その点、権威について詰問したユダヤの当局者たちや、納税について質問したパリサイ人とヘロデ党員や、復活について愚問をもってきたサドカイ人などとは違います。それで、イエスの答え方も素直です。ここには真の対話が成り立っています。
 「どの戒めがすべての中で第一ですか?」 当時、モーセの律法を生活全般の規範としていたユダヤ教徒には、365条の禁止法と248条の命令法がありました。合計613条です。そんなにも多くの掟に従って生活するのは容易なことではありません。すると当然、様々な意見が出てきます。掟の文字の一点一画をもおろそかにしてはならないと杓子定規に考える超パリサイ的な人が最右翼とすれば、その日暮しで生活に追われている人はそんな煩瑣な掟を守ることはできず、従って掟の外で生きざるを得ない「地の民」たちは最左翼です。その両者の間で、ある掟は重要だが、他の掟は軽微であるという掟の軽重を問う問題が出てきたり、そもそも掟の精神は何かと問う人も現れたりいたしました。ユダヤの小話があります。ある人が有名なラビ・シャンマイの所に行って、片足で立っている間に全律法の精神を説明して下さいと頼んだところ、厳格なラビは彼を物差しで叩き出した。次に、その男はラビ・ヒレルの所に行って同じ要請をすると、穏健なラビは「自分がして欲しくないことを隣人にするな。これが全律法である」と教えたという話です。ラビ・ヒレルの言葉を裏返した形で、イエスの言葉として伝えられているのがマタイ福音書7章12節です。「何事でも人々からして欲しいと望むことを、人々にも行なえ。これが律法であり預言者である」
 最も大切な戒めは何ですか、と問われたイエスは、申命記6章4〜5節の「シェマァの祈り」をもって答えました。この祈りはモーセの十戒の全体を包括している祈りとして、ユダヤ教徒は特別にこれを愛し、朝に晩に唱え、礼拝で唱え、死ぬ時に唱えていました。この祈りにおいて彼らは神と出会うのです。「全身全霊を尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」と唱えながら、多くのユダヤ人達はアウシュヴィッツのガス室の中に入って行きました。シェマァの祈りこそは、ユダヤ人の魂なのです。イエスは、「第一はこれです」と言った後、一瞬、息を整えて、おもむろに口を開き大声で、
「シェマァ(聞け) イスラエール(イスラエルよ) アドナーイ(主は) エロヘイヌー(われらの神) アドナーイ(主は) エーハッド(唯一)…」と唱えられたに違いありません。
 「確かにモーセは天才的な組織者であった。しかし、彼がつくった組織は、人を機械の如く扱う組織ではなく、彼がそれらの基本に置いたのは"神への愛"であった。人の法から積極的に神を愛するという発想、これは恐らく人類史における最も大きな一転回であった。"神"という概念はすでに多くの民族がもっていたが、それは恐れの対象か、恩恵を下してくれる対象であっても、自分の方から全身の全力を尽くして愛する対象ではなかった。民に別れの言葉を述べる時、彼は有名な"イスラエルよ、聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛さなければならない。今日、私があなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教えよ"と命じたのである。この言葉は実に、旧新約聖書を貫く人間の基本的原則であり、共に一つの神を信ずるがゆえに相互の信頼が成り立つと同じように、共に一つの神を全身全霊を上げて愛するがゆえに"その如くその隣人を愛すること"ができるのである」(山本七平)
 紀元135年、第二次ユダヤ反乱の戦いに敗れ、ローマ軍の捕虜になった者の中に年老いたラビ・アキバがいました。彼は焼けた鉄を体に押し当てられるという拷問にかけられていた時に、シェマァの祈りを唱える時刻になりました。彼は「シェマァ、イスラエール…」と叫び、にこやかに笑いました。驚いたローマ兵がその理由を問うと、ラビ・アキバは「私は一生このシェマァの祈りを唱えてきた。…しかしどうやったら自分の命を尽くして神を愛することになるのか確信がもてなかった。今、私はここに自分の命を神のために捧げる一方、期せずしてシェマァの祈りを唱える機会に恵まれ、神への信仰を全うできているのを自ら確認できた。だからこんな嬉しいことはない。どうして笑わずにおれようか」と答えて息を引き取った、と伝えられています。
                      1992年4月26日 礼拝説教

  「最も大切な戒め」 (2)

 パリサイ人達は、イエスがサドカイ人達を沈黙させたと聞いた時、一緒に集まった。そして彼らの中の一人の律法学者がイエスを試そうとして質問した、「先生、律法の中で、どの戒めが最大ですか?」 イエスは言われた、「"心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛しなさい"これが最大で第一の戒めである。第二の戒めもそれと同様である。"あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい"この2つの戒めに、律法全体と預言者とが掛かっている」
                      マタイ福音書22章34〜40節

 ここで語られている愛は、命令としての愛です。好きなものを愛し、嫌いなものを愛さないという、一時的な感情に左右されるような種類の愛ではありません。上からの命令に絶対服従するという、恒久的、意志的な愛です。ユダヤ教の場合は、神がエジプトで奴隷であった人々を憐れみ、シナイの荒野に脱出させて、そこで養い育て、シナイ山で契約を結んで特選の民とされた。そのように神が圧倒的な愛をもってイスラエルを救い、導いて今日をあらしめて下さったのだから、民は何よりも先ず神の愛に応えて神を愛すべし、と建国の父モーセが命じたのです。同様にキリストの福音の場合は、ローマ書5章6節以下にあるように、私達がまだ罪人であった時に、キリストが私達のために十字架上で死んで下さったことによって神の愛が示されたのだから、御子をも惜しまず与え給うたその神の愛に応えて、何よりも先ず第一に神を愛すべし、と戒められているのです。旧約でも新約でも、アガペーの愛は一貫して、命令としての、戒めとしての、愛なのです。
 先週はマルコ福音書をテキストにして学びましたが、今日はマタイ福音書の並行記事をテキストにして、比較して考えてみましょう。その両者の相違は、その背後にあるキリスト教団とユダヤ教団の関係に影響されています。マルコの教団とユダヤ教団の関係は、マタイの教団とユダヤ教団の関係ほど険悪になっていないことを示すいくつかの徴候が見られます。
 マルコ福音書のイエスと律法学者との関係は友好的です。真の対話が成立しています。学者は真剣に問いかけ、イエスは率直に答えています。そして学者はイエスの答えに満足して、敬意をこめて「先生」と呼びかけ、学者らしく自分の言葉で反復して同意を示します。イエスは学者の言葉を喜んで、「あなたは神の国から遠くない」と答えます。ここでは、シェマァの祈りを中心に、ユダヤ教とキリスト教が対話をしているのです。教会(チャーチ)と会堂(シナゴグ)が、姉妹として並び立っているのです。この友好的な関係が、マタイ福音書ではすでに崩壊しています。
 マタイは、マルコの記事を大幅に変更しました。イエスの前に現れた律法学者は、ここでは、イエスの失脚を狙う論敵の一人としてパターン化されています。彼はパリサイ派の代表選手で、サドカイ人達が一本取られたのを見て、イエスに勝負を挑んできたのです。彼は先ず「先生」と呼びかけますが、その言葉には尊敬のひびきは全然ありません。ガリラヤの田舎教師のお手並拝見という気持です。「先生、律法の中で、どの戒めが最大ですか?」
 マタイはイエスの答えの言葉から、「唯一の神」の宣言を省きました。「聞け(シェマァ) イスラエル、主は われらの神、主は 唯一」 イエスの公生涯のどこかで、この質問がなされた時、彼がこの宣言を省いたとは考えられません。ユダヤ教徒の子供が言葉を覚え始める時に、親は先ずシェマァの祈りを教えます。「三つ児の魂 百までも」です。その後、朝に晩にこの祈りを唱えるのですから、これを省くことは、キリスト教徒が「主の祈り」を唱える時に、「天にまします我らの父よ」を省くようなものです。主なる唯一の神の宣言こそは、ユダヤ教とキリスト教の共通の基盤なのです。マタイがこれを省いたのは、質問に対する答えとしては不要と考えたためでしょう。
 「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」(申命記6章5節)愛の3項目です。マルコはこれに「思いを尽くして」を加えて4項目にしました。「思い」は、理性や理解を意味する語です。恐らくギリシャ世界に進出したユダヤ教か、もはやシェマァの祈りを唱えなくなった原始キリスト教団がこの1項目を付け加えたのでしょう。マタイは、マルコの4項目を3項目に訂正しましたが、「力を」を省いて「思い」を残しました。このような変化は、ギリシャ思想の影響によるものかも知れません。要するに、全心、全霊、全力、あなたの持てるすべてを尽くして、主なるあなたの神を愛しなさい、ということです。
 「第2の戒めもそれと同じである。"あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい"」 イエスは、比類なき最高の戒め、申命記6章のシェマァの祈りに、特に目立たない、レビ記19章18節の隣人への愛の戒めを結び合わせました。第2の戒めは第1の戒めより劣っているのではありません。車の両輪のように同等なのです。第2の戒めなしには、第一の戒めは抽象化されてしまうのです。「神への愛は、隣人への愛においてのみ十分な実現を見る。神の礼拝は、社会的な義務の中にある。隣人への愛は、神への愛に根ざしていなければならない」(H・G・ウッド) こういう所に、歴史のイエスの大胆な独創的思想と実践とが見られるのです。隣人への愛を教えても、レビ記の場合は、同胞ユダヤ人に限られていました。イエスは、ユダヤ人と異邦人の間の「隔ての中垣」を取り去ったのです。
 「神を愛せよまた隣人を愛せよとの両方の掟は、隣人愛がそのまま神の愛であるというように同一なのではない。この誤解は、隣人愛を人間愛の意味に理解し、人間に自己価値や神的なるものを見る場合にのみ現れる。この時人間は本当に神への関係を失い、それを人への関係で代用したのである。やはり神を愛することはできない。だから人を愛せよ。まさしくそこにおいてこそ神を愛していることになる、というのだ。否。むしろ最高の律法はこれである。神を愛せよ。我意を神意に従順に服せしめよ。そしてこの第1の掟が第2の掟の意味を規定する。即ち私が隣人に対してとる態度は、私が神に対してとる態度によって規定される、というようにである…」
                            (R・ブルトマン)
              1992年5月3日 礼拝説教

  「隣人への愛」

律法学者「先生、永遠の生命を受け継ぐために、私は何をすべきでしょうか?」
イエス「律法には何と書かれてあるか? あなたは何と読むか?」
律法学者「"全心、全霊、全力、全知を尽くして主なるあなたの神を愛せよ" そしてまた、"あなたの隣人を自分自身のように愛せよ"とあります」
イエス「あなたの答は正しい。その通りに行いなさい。そうるれば生命が得られる」
律法学者「私の隣人とは一体、誰のことですか?」
イエス「ある人がエルサレムからエリコに下る途中、強盗に襲われた。強盗共は彼の着物をはぎ取り、打ち叩き、半死半生にして逃げ去った。偶然、一人の祭司がその道を下りて来たが、その人を見ると向こう側を通って行った。レビ人もその場に来て彼を見ると、向こう側を通って行った。ところが、旅行中の一人のサマリヤ人が彼のそばまで来ると、彼を見て気の毒に思い、近寄って、傷にオリブ油とぶどう酒をかけて包帯をしてやり、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱した。翌日彼は2デナリを出して宿の主人に与えて言った。"この人の世話をして下さい。費用が余計にかかったら、私が帰って来た時に払います" さて、この3人の中、誰が強盗にあった人の隣人になったとあなたは思うか?」
律法学者「その人に親切な行ないをした人です」
イエス「あなたも行って、同じように行ないなさい」 ルカ福音書10章25〜37節

 先日、ロサンゼルスで、ロドニー・キング事件の裁判の評決が人種差別的であったとして、黒人達が暴動を起こし、焼き打ち、略奪、銃撃、殺人が行われ、ブッシュ大統領は治安維持のために連邦軍などを派遣しました。白人対黒人、黒人対韓国人の人種的対立が際立った事件でした。
 ルカは、マルコとは別の資料を使っているようです。律法学者の質問は、もはや律法論議ではなくて、永遠の生命を得る方法についてでした。ルカの読者は、律法問題に深い関心をもつユダヤ人ではなく、ギリシャ・ローマ世界に生きる人々であったことが、その変化の原因だったと思います。イエスは、聖書には何と書いてあるか、と反問し、学者は、マルコではイエスが答えた言葉を、自分の聖書理解として答えました。イエスはそれを正解とし、その通りに行えば生命が得られる、と答えます。すると学者は、いかにも学者らしく、隣人の定義を尋ねました。誰が隣人であり、誰がそうではないのか。誰が愛の対象であり、誰が赤の他人で、無関心でいることが許されるのか。レビ記19章18節の「隣人愛の戒め」では、隣人とは同胞のユダヤ人に限られていました。
 「あなたはサマリヤ人で、悪霊にとりつかれている」(ヨハネ8・48) イエスの論敵のユダヤ人はこのような差別的な言葉を投げかけました。イエスの時代にも人種的な対立は激しいものでした。ユダヤ人対ローマ人、ユダヤ人対ギリシャ人、中でもユダヤ人にとってサマリヤ人との抗争は、体中のトゲのようなものでした。それには長い歴史的背景がありました。ソロモン王の死後、統一王国は南北に分裂し、北王国は国名をイスラエルとし、主都をサマリヤに定め、聖所をゲリジム山に設けて、南王国ユダとその主都エルサレムに対抗しました。その後、百数十年間に両王国は幾度か戦火を交え、憎悪を増大して行きました。紀元前722年、北王国はアッシリヤに滅ぼされました。その時イスラエル人の多数が他国へ連行され、代わりに、他の人種がサマリヤに移住させられて来ました。マカバイ時代にユダヤ人は、ゲリジム山のサマリヤ人の聖所を破壊しました。このようにユダヤ人とサマリヤ人は長年来、政治的、宗教的、人種的な抗争と怨恨を積み重ねてきました。
 隣人とは誰か? イエスは「良きサマリヤ人」の話をしてその質問に答えました。エルサレムからエリコに下る荒野の道で、強盗に襲われたのはユダヤ人でした。そこに祭司が通りかかりましたが、彼は傷を負った同胞を助けませんでした。次にレビ人(下級聖職者)が通りかかりましたが、彼も見ぬ振りをして行ってしまいました。3人目にサマリヤ人が通りかかり、意外にも、彼は倒れているユダヤ人に同情し、最後まで彼の面倒を見た、という物語です。この話の重要性は、サマリヤ人にあります。もしイエスが、困難の中にある隣人への愛を語るだけでしたら、3人のユダヤ人を用いて、1人目の人も2人目の人も助けなかったが、3人目の人が親切にも彼を助けた、と言うだけで十分でした。もし聖職者の偽善を批判するのなら、祭司とレビ人は助けなかったが、普通のユダヤ人が助けたと語れたはずでした。またもしイエスが、敵を愛する愛を教えようとしたのなら、難儀にあったサマリヤ人を、ユダヤ人が助けて上げたと語れたはずでした。しかしそうは語らず、自らユダヤ人であるイエスが、ユダヤ人である聴衆に対して、隣人愛を行なったのはサマリヤ人だったと語ったのです。ここに人種差別意識に対するイエスの痛烈な批判と挑戦が見られます。神への愛の戒めと同等に大切な隣人への愛の模範として、長年来の仇敵サマリヤ人を登場させた所に、歴史のイエスの迫力があるのです。それによって大逆転が起こります。良い人間(聖職者)が悪い人間になり、悪い人間(サマリヤ人)が良い人間になりました。
 イエスはこのように逆転の思想を語り、私達の社会通念と固定観念を粉砕し、私達をこの世の水準から引き上げ、絶対の真理の前に立たせます。イエスは、深い差別意識をもつユダヤ人に対して、神の愛の中にはいかなる差別も存在しないという真理を語り、彼らに挑戦し、悔い改めを求めました。しかしその結果が、十字架でした。
 この物語を読み終えた時に、他の人物はすべて背後に消え去り、サマリヤ人だけが読者の前に立っています。そして彼は命じます。「あなたも行って、同じように行いなさい」 この「サマリヤ人イエス」が私達を愛されたように、私達も困難の中にある隣人を助けるべきなのです。
                     1992年5月10日 礼拝説教

  「ダビデとキリスト」

 イエスは神殿で教えていた時、こう言われた、「どうして律法学者達は、キリストはダビデの子であるというのか? ダビデ自身が聖霊によって言った、"主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足許に置く時まで、わたしの右に座せよ"と。ダビデ自身が彼を主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか?」 大勢の群衆は彼の言葉を喜んで聞いていた。
                      マルコ福音書12章35〜37節

 共産主義社会の崩壊によって、東西の冷戦構造という世界的な規模の対立と緊張の関係は無くなりましたが、その代わりに世界の各地で民族的、人種的、宗教的な対立と抗争が表面化してきました。「分かれ争う家は立ち行かず」という教えの通り、全人類の将来は決して明かるいものではありません。「良きサマリヤ人」の隣人愛こそが世界を救いに導く唯一の精神であると私は思います。
 神殿の庭におけるイエスとユダヤ教の代表者達との4つの問答(権威、税金、復活、掟)を記した後、マルコは「それから後は、イエスに敢えて問う者はなかった」(12・34)と結びの言葉を書いて、一連の論争がイエスの勝利に終わったことを示しましたが、マタイはこの言葉を次に続く、「ダビデの子についての問答」の後に移しました。(22・46) その両者の相違は、マルコが第5番目の問答をイエスの自問自答の形式をとって別扱いにしたのに対して、マタイはイエスとパリサイ派の人々との対話形式で書いたためでしょう。
 「どうして律法学者達は、キリストはダビデの子であると言うのか?」 キリストとは、ヘブライ語でメシアと言います。共に「油を注がれた者」という意味の語で、救い主のことです。昔、イスラエルでは、王や祭司や指導者の任職の時に、神の霊の象徴としてオリブ油をその頭に注いだ事蹟から由来している語です。キリストは、神の意志の代行者なのです。ダビデの子孫からキリストが出現するということは、1世紀のユダヤ教で広く信じられていたことです。マルコはそのことに異議を申し立てているらしいのです。
 「主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠る時、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする…」(サムエル記下7・12) これは預言者ナタンがダビデ王に告げた主の言葉です。紀元前1004年にダビデが王位に就き、それまでの12部族連合制から王制に移行し、世襲制が確立しました。それによってそれまでの宗教的共同体から世俗的な政治形態に成ったので、宗教的是認が求められ、それまでの「シナイ契約」が改変されて、「ダビデ契約」が結ばれたのです。それは、神がダビデとその子孫を選び、その王朝を永久に存続させることを約束したものです。それと並行して神の聖所も、遊牧民の移動式天幕から、王国に相応しい恒久的な神殿に変わりました。
 しかし紀元前587年にバビロンによってエルサレム神殿が破壊され、ダビデ王朝が断絶してしまいました。「主よ、真実をもってダビデに誓われた あなたの始めからの慈しみは どこへ行ってしまったのでしょうか?」(詩篇89・50)と詩人は訴え、ダビデ契約の終焉を嘆きました。けれども神の約束の言葉は歴史の限界を超えて、世界を統治する理想的なメシア王の到来を期待する信仰として存続しました。キリストがダビデの子孫から出現するという信仰は、イエスの時代にも強固なものでした。しかしユダヤ人達が考えていたキリストは、あくまで人間のメシア王でした。
 「主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足許に置くまで、わたしの右に座せよ」 これは詩篇110篇からの引用で、この詩は元来、王の即位式に詠まれたものです。その場合、「主」は神を指し、「わが主」は新任の王を指しています。神によって立てられた王は、神の御業の代行者なのです。王の戦いは神の戦いであり、王の敵は神の敵でした。王は神より権威を賜ると共に、知恵や力をも賜るのです。
 イエスの十字架と復活を見て、イエスこそ待望の救い主キリストであると信じた原始キリスト教団の人々は、この詩をメシア預言の詩として解釈し、イエスの出来事に当てはめました(使徒行伝2・34以下、コリント第一書15・25、ヘブル1・13、10・12、マタイ26・64、マルコ14・62、ルカ22・69) そしてこのように読み換えたのです。その詩の題は「ダビデの歌」であるから、ダビデが詠んだものである。それで、最初にくる「主」は、主なる神を指すが、次に来る「わが主」は、ダビデが霊感を受けて、到来するキリストなるイエスを予見して、イエスに対して「わが主」と言ったのである。それ故に、ダビデが「わが主」と呼びかけて尊敬したキリストが、どうしてダビデと同等の、「ダビデの子」であろうか、という論旨なのです。つまりマルコは、イエスはダビデ以上の存在であると言いたいのです。マルコはイエスの称号として、キリスト、神の子、人の子をしばしば用いていますが、「ダビデの子」という伝承は、「エリコの盲人の癒し」の物語(10章46〜52節)に一度用いただけでした。その点マルコよりも新しい文書であるマタイとルカは、イエスの誕生物語や系図を記して、イエスの家系がダビデ王家につながるものであることを主張しています。
 「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人の中からの復活をもって、力ある神の子と定められた。即ち、私たちの主なるイエス・キリストである」(ローマ書1章3〜4節) これが使徒パウロのキリスト論であり、原始キリスト教団が一致を見た信仰告白でした。
 ガリラヤの田舎町ナザレに育ったイエスが、神の国の到来を宣べ伝えて権力と衝突し、三十数歳で十字架上に刑死した。その後、復活のイエスに出会ったと証言する弟子達が現われ、イエスはキリストであると信じてその福音を宣べ伝えていく過程において、ユダヤ教の律法学者達との「キリスト論」論争がありましたが、今日学んだテキストはその一断面を示しています。私達が今日受けている福音の恵みの陰に、先人たちの多くの苦労があったのです。
                      1992年5月17日 礼拝説教

  「律法学者と寡婦」

 イエスは教えの中で言われた、「律法学者に気を付けなさい。彼らは長い衣を着て歩くことや広場で挨拶されること、また会堂の上席、宴会の上座を好んでいる。また、やもめの家を食い尽くし、見せかけの長い祈りをする。彼らは一層厳しい裁きを受けることになろう。             マルコ福音書12章38〜40節

 エルサレムでの最後の週間の3日目、ニサンの月の12日(火)が終わろうとしています。この日、ユダヤ教の指導者達は入れ替わり立ち替わり、難問奇問をもってイエスに波状攻撃を仕掛けてきました。祭司長、律法学者、長老、パリサイ人、サドカイ人、ヘロデ党員などが、権威、納税、復活、戒めについて、イエスに問い糾すためにやってきました。イエスは驚くべき知恵をもって彼らを撃退させました。「それから後は、イエスに敢えて問う者は無かった」(12・34)とマルコは書きとめて、その一連の論争がイエスの勝利に終わったことを示しています。そして自問自答の形で、律法学者のキリスト観を批判しました。「ダビデ自身がキリストを"わが主"と呼んでいるのに、律法学者達はどうしてキリストはダビデの子だと言うのか?」 これでイエスとユダヤ教指導者達との間の論争は終了しました。「大勢の群衆は、喜んでイエスの教えに耳を傾けていた」(37節)
 冒頭のテキストでは、イエスの方から反撃に出て、律法学者の偽善的な生き様を批判しています。マルコは、ユダヤ教の指導者達の代表として律法学者を上げているのです。マタイは、律法学者にパリサイ人を加えて、はるかに激しいイエスの言葉を記しています(23章1〜36節) イエスの敵対者であるユダヤ教の指導者達は、この世の権力の座を占め、人々の敬意を受けているにも拘らず、その内実は偽善者であって、やがて神の裁きの鉄槌が彼らの上に下されるであろう、とイエスは語ります(40節)次にマルコは、「やもめの家を食い尽くす」偽善的な律法学者と対照して、「持ち物すべてを捧げる」貧しいやもめの美しい物語を語って、神を愛する信仰の模範を示して、12章を締め括ります。
 イエスは賽銭箱に向かって座り、群衆がそれに金を投げ入れる様子を見守っておられた。多くの金持ちは、沢山の金を投げ入れた。すると一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨2枚(ローマの貨幣価値では1コドラント)を投げ入れた。イエスは弟子達を呼び寄せて言われた、「アーメン、私は君達に言う、このやもめは、あの賽銭箱に投げ入れている人達の中で、誰よりも多くを捧げたのだ。皆の者はあり余る中から投げ入れたのだが、この婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、即ち生活費の全部を捧げたのである」(12章41〜44節)
 場所は神殿の庭です。そこには13個のラッパ状の賽銭箱が置いてありました。多くの参詣者が金を投げ入れている中で、一人の貧しいやもめが、そっとレプトン銅貨2枚を投げ入れました。マルコはその金額をローマの貨幣価値に換算して、彼の福音書を読むローマ人に分かるように配慮しています。この場合「2枚」という点が大切なのです。この婦人は1枚を献金して、あとの1枚を生活費として残しておくことができたはずですが、彼女は2枚とも捧げてしまったのです。マルコは、「あらゆる持ち物、生活費の全部」と書いて、それを強調しています。
 生活費のすべてを献金した貧しいやもめの行為については、いろいろ疑問が生じます。どうしてイエスにそれがレプトン銅貨で、その2枚が彼女の全財産だと分かったのか? すべてを献金してしまったなら、明日からの生活費をどうするのか? そのような無分別は、結局は周囲の人に迷惑をかけることにならないか? 全財産を捧げよという教えは、信仰宗教と変わらないではないか?
 財産のすべてを捧げよとは、多くの宗教家が説くところです。そしてその殆んどすべては欺瞞です。寺院、会堂、教会の壮大豪華な建築に比べて、貧弱な信者の家屋をよく見かけます。民衆の信仰心を煽り立てて、その陰で宗教家が王侯貴族のような贅沢をしています。人集めと金集めの上手な宗教家を世間も教団も崇めます。
 イエスも又、神にすべてを捧げよ、と教えました。しかし同時に彼は、「やもめの家を食い尽くす」律法学者を激しく非難しました。宗教家が「神」を看板にして宗教的ビジネスに熱中することを批判しているのです。マルコの描くイエスは、お忍びの姿で人間世界を歩む神の子なのです。それでイエスにはすべてがお見通しなのです。やもめの手にある2枚のレプトン銅貨も、それが彼女の持てるすべてであることも、彼女の心にある純粋な信仰も、律法学者の偽善的な長い祈りも。宗教の専門家が神に仕えていると言いながら、その実、神を利用しているのとは正反対に、貧しいやもめが、恵みの神への感謝と信仰の喜びに満ち溢れて、持ち物すべてを捧げて、自らのすべてを神の御手に委ねている姿が、イエスには明らかに見えるのです。「幸いなるかな、霊において貧しき者、天の国はその人のものなり」(マタイ5・3)
 「先ず神の国(神の支配)と神の義とを求めよ、さらばすべてこれらの物は、汝らに加えらるべし」(マタイ6・33) これがイエスの人生哲学なのです。先ずなによりも第一に神との関係を正しく保つこと。神の愛に満たされ、神への愛に生きること。そして生活上の思い煩いから解放されて、「空の鳥」や「野の花」のように自由に生きること。このイエスの人生哲学を学んで生きる者が、クリスチャンなのです。
 マルコは11章で、無花果の木を呪い、神殿を粛清するイエスを描き、11〜12章で、ユダヤ教の指導者達と論争するイエスを描き、次に、律法学者を非難し、貧しいやもめを称賛するイエスを描き、最後に、13章1〜2節で、神殿の徹底的崩壊を預言するイエスを描きました。イエスはこうして、制度的な宗教指導者と神殿の権威に対して真っ向から大胆に挑戦しているのです。生ける神は、もはや神殿の中にはいまさず、神の子イエスの中にいまして御業を行っておられるのである、とマルコは証ししているのです。
                     1992年5月24日 礼拝説教

  「神殿崩壊の預言」

 そしてイエスが神殿から出て行かれる時、弟子の一人が彼に言った。
弟 子「先生、ごらん下さい。なんと見事な石、なんと立派な建物でしょう!」
イエス「君はこれらの巨大な建物を見ているのか? やがて一つの石も他の石の上に、破壊されることなく残るものは無くなるであろう」
                       マルコ福音書13章1〜2節

 先見の明のある人ならば、目に見える社会的現象を兆候(サイン)と見て、目に見えないその病根を診断することができるでしょう。多くの人は、5年前には、世界の超大国の1つであったソ連邦が消滅するとは夢にも思わなかったでしょうが、見る目をもった人には予感できたことでしょう。同様に、残る超大国アメリカも現在、瀕死の重体です。また経済大国日本も、そして世界全体も、終末的な形相を帯びてきました。
 「戦い済んで日が暮れて」 最後の週間の第3日目は、イエスにとって激戦の日でした。マルコは、イエスと神殿の権力者達との論戦を、誕生したばかりのキリスト教団と長い伝統を誇るユダヤ教団との間の、生存を賭けた血みどろの戦いと重ね合わせて書いています。福音書記者マルコの意図は、ただ歴史のイエスを文書の上に忠実に再現しようとしたのではなく、同時代の人々に、キリストの福音を伝えることでした。マルコは歴史学者ではなく、福音の伝道者でした。「先ず福音はすべての民に宣べ伝えられねばならない」(13・10) しかし今日の読者である私達の関心の一つは、マルコの意図を差し引いて、歴史のイエスの生(なま)の姿と言葉に迫ってみることです。なぜならば4福音書の記者は、各々異なったイエス像を記しており、また、イエスのレベルと福音書記者のレベルの間には相当のギャップがあると思われるからです。
 「そしてイエスが神殿から出て行かれる時」 夕方になり、神殿を去って、エルサレムでの定宿としていたベタニア(11・11)へ戻ろうとした時、ということですが、マルコはその表現によって、イエスと神殿の決定的断絶を象徴させているのです。その断絶は「ガリラヤの春」の時期にすでに始まっていました(3・6) そして次第にその亀裂は深まり、ピリポ・カイザリアでのイエスの受難予告に至ります。「イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」(8・31) イエスとユダヤの最高法院(サンヘドリン)との対決が避けられない状況になり、イエスはそれを神の御意志として受け入れ、十字架への道を歩み出されるのです。と同時に、イエスの決意と弟子達の思惑との間に大きなズレが生じました(8・32以下) ピリポ・カイザリアからエルサレムへの道は、十字架への道でした。その途上で、受難予告が三度なされます。ヴィア・ドロロサは、すでにこの時期に始まっているのです。そしてエルサレムに入城した直後、無花果の木を呪って枯らし、神殿を粛清されます。すると神殿の権力者達が反発して、イエスに論戦を挑みます。民衆は一貫してイエスを支持しています(11・8、18、32、12・12、37) イエスは神殿に巣くう特権階級の者達を、ぶどう畑を横領した「悪しき農夫達」になぞらえて語ります。そして5回に渡る論戦の総まとめとして律法学者を非難し、彼らに対する神の裁きの言葉で締め括ります。「彼らは一層厳しい裁きを受けることになる」(12・40) そしてマルコは、「やもめの家を食い倒す律法学者」と対比させて、「生活費の全部を奉献したやもめ」の信仰を描きます。それによって、神を信じて生きるということは、偉い律法学者のようにではなく、貧しいやもめのように生きることだと語っています。そして「イエスは神殿を」去るのです。
 「ヘロデの神殿をまだ見ぬ者は、麗しきものを見たとは言えぬ」と言いふらされていたように、ヘロデ大王は権力と財力を上げて神殿を大改造いたしました。弟子が驚嘆の声を上げたのも無理はありません。人間はこの弟子のように、目に見えるものに弱いのです。それが権力欲の権化であったヘロデの狙いでした。しかし流石(さすが)はイエスです。イエスの目から見れば、その神殿は「張り子の虎」でした。「君はこれらの巨大な建築物を見てビックリしているのか? そんなものはやがて跡形もなく崩壊してしまうよ」 イエスの預言通りに、その時から約40年後の紀元70年に、エルサレム神殿はティトス将軍の率いるローマ軍によって焼き払われ、破壊されてしまいました。
 現代の聖書学者は13章2節の言葉を基準にして、マルコ福音書の成立年代を判断しようとしています。つまりマルコは、70年の神殿の崩壊を見る前に福音書を書いたのか、それともそれを見た後に書いたのかという問題です。学者の意見は分かれていますが、私はそれをいわゆる「事後預言」とする必要はないと考えます。旧約の預言者達もソロモン神殿の崩壊を預言し、それが現実となりました(ミカ3・12、エレミヤ7・14) イエスも又、神殿の消滅を洞察しておられたと思います。彼にとって神殿は「白く塗った墓」(マタイ23・27)でした。イエスはその「古い神殿」を見限って、「新しい神殿」を御自身の復活体の上に打ち建てようとされました。
 「私達はこの人が"わたしは手で造ったこの神殿を打ちこわし、三日の後に手で造られない別の神殿を建てるのだ"と言うのを聞きました」(マルコ14・58) これはイエスの裁判の時の敵側の証言ですが、歴史のイエスは恐らくこの言葉を語られたことでしょう。ヨハネも、神殿粛清の直後に語られたイエスの言葉として記録しています(2・19) そして更にヨハネは、「イエスは自分の体である神殿のことを言われたのである」と註釈しています。神の御霊(みたま)は、人間の手で造ったエルサレムの神殿には臨在し給わず、ナザレのイエスの中にいまして活発に働いておられる、と初代のクリスチャン達は信じておりました。
 「銀や金を私は持っていない。しかし私が持っているものを君に上げよう。ナザレのイエス・キリストの名において、歩きなさい」(使徒行伝3章6節) 神の国や永遠の生命は、目に見えない価値なのです。信仰は、目に見えない価値を見る視力を与える神の霊的賜物なのです。
                      1992年5月31日 礼拝説教

  「黙示について」

 それからイエスがオリブ山で、神殿に向かって座っておられると、ペテロとヤコブとヨハネとアンデレが、秘かに尋ねた、「私達にお話し下さい、何時それらのことが起こるのでしょうか? そしてそれらのすべてのことが完成する時の前兆は何でしょうか?」                   マルコ福音書13章3〜4節

 宗教の型を大別すると、神道は自然宗教で、仏教は戒律宗教です。そしてユダヤ教とキリスト教は啓示宗教です。天地の創造主にして唯一の超越神が、その御意を人間に啓(ひら)き示して下さるのです。そしてそのチャンネルが、(1)天然自然、(2)律法、(3)預言と黙示、(4)イエス・キリストです。その他、歴史や文学も含まれます。
 今日の問題はその3ですが、預言は明らかに語られる神の言葉であるのに対して、黙示は秘かに語られる神の言葉であるのです。開放的で、言論の自由のある時代には、預言者によって預言が語られ、征服者や圧政者によって言論の自由が奪われていた時代には、黙示家が黙示の言葉を語りました。しかしまた、預言と黙示は時代的にもある程度区分が可能です。「大きな苦しみがイスラエルに起こった。それは預言者が彼らに現われなくなって以来、起こったことのないような苦しみであった」(マカバイ記9・27) 「今は義人は無く、預言者たちは眠り…」(シリア語バルク黙示録85・3) そういう時代に黙示家が現われ、黙示文書を書きました。BC2世紀頃からAD2世紀頃にかけて、旧約聖書ではダニエル書、経外典ではエノク第一書、シリア語バルク黙示録、エズラ第四書、新約聖書ではヨハネ黙示録、共観福音書の中の「小黙示録」(マルコ13章、マタイ24章、ルカ21章)パウロの手紙では、テサロニケ第一書4・5以下、同第二書2・1以下、コリント第一書15・51以下などが書かれました。
 「イエスがオリブ山で、神殿に向かって座っておられると」 神殿の庭でのユダヤ教の指導者達との一連の論争を終えたイエスが、そこを去ろうとした時に神殿の崩壊を預言し(1〜2節)、ケデロンの谷を越えてオリブ山に登りました。マルコは、場所を変えることによって情景に変化を与え、主題を次へ移します。オリブ山は神殿の丘よりも高く、それに向かい合って立つ位置にあるので、啓示の言葉を語るのに相応しい場所でした。「その日、主は御足をもって、エルサレムの東にあるオリブ山の上に立たれる」(ゼカリヤ書14・4) ゼカリヤは、主の日の到来を預言しました。大いなる苦難の日を経て、主の日が来るのですが、それは恐ろしい審判の日であると同時に、聖徒達にとっては、喜ばしい救いの日でもあるのです。マルコは、ゼカリヤの預言の言葉とイエスの行動とを重ね合わせることによって、イエスが審判の権威をもつメシアであることを暗示しています。
 「ペテロとヤコブとヨハネとアンデレが、秘かに尋ねた」 教師(ラビ)が座ると、弟子達がその許に来て教えを受けるのが、当時、一般的に行われていた所作でした(マタイ5・1) 特にこの場合は、最初に召命を受けた側近者たちでした。これから重大な奥義が語られるのです。彼らが「秘かに」質問した問題に対して、イエスは黙示、即ち終末の出来事について語り出されます。黙示(アポカリプシス)とは、神が御心の奥深く秘められたものを、特定の人に秘かに告げ知らせる奥義なのです。12弟子の中で、この4人は特別の地位を与えられていました。
 「私達にお話し下さい、何時それらのことは起こるのでしょうか? そしてそれらのすべてのことが完成する時の前兆は何でしょうか?」 彼らは2つのことを質問しています。一つは、1〜2節からの続きで、神殿の崩壊の出来事はいつ起こるのか、ということです。二つ目は、世の終末の出来事についてです。それを「完成」というのは、神が天地を創造され、歴史を支配しておられるのであるから、世の終末とは、神が御業を完成なさる時、なのです。
 「13章は、導入部(1〜2節と3〜4節) 警告(5〜6節) 前兆(7〜13節) ユダヤにおける出来事(14〜20節) 警告(21〜23節) 人の子の来臨(24〜27節) 締め括りの譬え話(28〜37節)という構成をもっている」(E・シュヴァイツァー)14章と15章がイエスの受難と死についての物語ですから、13章は、死に先立って語られる別れの言葉、即ち遺言に相当します。その内容は、世の終わりの出来事です。
 13章は非常に複雑で難解です。一読して理解できるものではありません。黙示だからというだけではなく、資料が入り交じっているからです。「マルコ13章が、イエスの言葉と共に、初代キリスト教、あるいはユダヤ黙示文学の断片から成ることは、今では広く認められている。特に7〜8、14〜20、24〜27節などが黙示文学的であることは明らかで、"小黙示録"とも呼ばれている。ここに初代教会の事情や思想を認めると共に、イエスの終末思想をも学び得るであろう」(高柳伊三郎) つまり13章は1枚の毛布のようなものではなく、キルトのように継ぎはぎ細工なのです。初期キリスト教はユダヤ教から終末思想を受け継ぎました。そしてその一部をキリスト教的に変更させました。それは、終末時に出現する「人の子」(ダニエル7・13)は、再臨のイエスであるという理解です。その点を踏まえて13章を吟味してみましょう。「7〜8、12、14〜22、24〜27節はユダヤ教黙示文学的である」(ブルトマン) その部分はキリスト教がユダヤ教の黙示文書から借用したもの、というのです。そのつもりで読むと、その部分はイエス抜きでも理解が可能です。次にキリスト教徒が加工した個所(5〜6、9〜11、13、23、28〜29、32b、33〜37節など)を読むと、「気を付けなさい、目を覚ましていなさい、私の名、私の名のために(クリスチャンであるために)、福音がすべての国民に宣べ伝えられる、天使達も(傍点始まり)子(傍点終わり)も知らない、(傍点始まり)父(傍点終わり)だけがご存知である」など、キリスト教の思想と用語が見出されます。また、当時のキリスト教団の人々が直面していた困難と迫害と終末期待を読み取ることができます。
 終末思想は、信仰にとっての劇薬です。これを注意深く扱い、健全な信仰のために役立てることが大切です。さもないと、容易に迷信的な信仰に陥ってしまいます。
                     1992年6月14日 礼拝説教

  「終末の前兆」

 イエスは話し始められた。「誰も君達を惑わさぬように気をつけよ。多くの者が私の名によって来て、"わたしである(エゴー・エイミー)"と言って、多くの者を惑わすであろう。また君達は戦争や戦争のうわさを聞いても、動揺するな。それは起こらねばならないことだが、まだ終わりではない。民は民に、国は国に逆らい立つであろう。あちこちに地震が起き、飢饉もあるであろう。これらのことは陣痛の始まりである。」
                        マルコ福音書13章5〜8節

 先日、街でビラを手渡されました。「世紀末! 何かが起ころうとしている。これが4大預言書だ!」 結局、本の宣伝と、「大災害回避」のためにどこかの寺院で法事を行なうという告知でした。世紀末、PKO、地球サミット。人々は世界の終末を予感して怯え、宗教の宣伝家達はこの機に乗じて、人々の不安を煽り立てて教勢を伸ばそうとしています。油断も隙もならない世の中です。
 「何時それらのことが起こるのでしょうか? その前兆は何ですか?」と4人の弟子達がイエスに尋ねました。この問いは、マルコ福音書の読者の問いでもあるのです。マルコはイエスの口を借りて、惑わされぬように気をつけよ、と警告しています。先ず、多くの偽キリストが出現します。「私の名によって」とは、イエスの名を名乗ってということではなく、マタイが解釈しているように「私こそ救世主だ」(24・5)と、キリストの名を僣称する、というのです。その言葉は、旧約では神顕現の定式です(出エジプト3・14他) 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と自己紹介されました。超越・絶対の神は、「わたしである」としか御自身を言い表わすことができないお方なのです。新約では、ヨハネ福音書がこれをイエスの言葉として用いています(4・26、8・24、28、58、13・19) マルコ福音書では只一回、湖上を歩くイエスを見て、幽霊が彼らを滅ぼしに来たと感じて、怯え騒ぐ弟子達に対して、イエスが「わたしである(エゴー・エイミー)。元気を出せ。恐れるな」(6・50)と言われた箇所に出てくる言葉です。これは原始キリスト教団の信仰告白なのです。これによって、ナザレのイエスは、唯一の神の子が人の子として世に現れたキリストである、と主張しているのです。
 そのように神とイエス・キリストのみが用いることのできる権威ある言葉を、大小の偽キリスト達が臆面もなく僭称して、「わたしである」と言い、多くの者達を誘惑しているのです。傲慢であり、神を畏れぬ行為です。そのような偽キリストに気をつけよ、とマルコは警告しているのです。
 「また君達は戦争や戦争のうわさを聞いても、動揺するな」 「戦争」は身近かに起こる戦争で、「戦争のうわさ」は遠方で起きる戦争のことです。マルコが福音書を書いたのはAD70年前後で、第1次ユダヤ戦争の最中か直後のことでした。14節に「ユダヤ」の地名が出てきます。ローマの支配に対してユダヤ人が大反乱を起こし、ローマ軍に攻められている様子がうかがえます。黙示家達は、世の終末の前兆として世界的な大戦争が起こることを予告していました。ユダヤ戦争を経験している人達が世の終末は近しと感じて慌てふためき、恐れ戦くのも無理はありません。マルコのイエスは、しかし「恐れるな!」と言っています。
 「それは起こらねばならないことだが、まだ終わりではない」 大戦争は現実にある。多くの人が傷つき、苦しみ、死ぬ。しかし恐れるな。戦争も又、神の「ねばならぬ」(8・31)の中にあるのだ。偽キリスト達は戦争を指摘して、「世の終末が来た」と言い、人々の不安と恐怖を煽って、彼らの道に誘惑しているが、本当は「まだ終わりではない」のだから、神を信頼して、静かに健全な生活を続けなさい、とマルコは言っているのです。
 「あちこちに地震があり、飢饉もあるであろう。これらのことは陣痛の始まりである」 人間が戦争を起こし、社会が混乱するだけでなく、自然も又、その秩序を失う。各地に地震が起こり、天候が不順になって凶作が続き、飢饉が続出する。戦争と地震と飢饉、それに疫病(ルカ21・11) 大災害のすべてが終末の時に「揃踏(そろいぶみ)」してやってくる、と黙示文学は記しています。8節の「陣痛の始まりである」は、7節の「まだ終わりではない」に対応しています。マルコは、終末の速やかな到来を宣伝して人心を不安に陥れている熱狂主義者に対して、反対の意見を述べているのです。マルコよりも約20年前に、パウロも又、同様な忠告をテサロニケの教会に書き送りました。
「主の日が既に来ている、とふれまわる者があっても、動揺したり、慌てふためいたりしてはいけない」(第二書2・2)
 マルコのキリスト論は、十字架上に死んだ後、復活し、昇天したナザレのイエスが唯一のキリストであり、彼は世の終わりの時に人の子として天から下り、最後の審判を行ない、地上に君臨するお方である、というものです。マルコは、人の子なるイエス・キリストは、超越的な存在者であって、現世的、政治的なレベルでのメシアでは決してないと主張して、メシアを自称する偽キリスト達や、政治的、軍事的メシアを待望している人々と決定的に対決しているのです。「ただイエスの御声に耳を傾けなさい。偽キリストの宣伝に惑わされてはならない」とマルコは忠告しています。
 「偽りの教えはキリスト論の見地からその仮面をはがされる。偽りの教えとは、歴史的な出来事と形態とが終末の直接的な顕示として認められ、従って人はイエスの再臨を歴史的現象の形式で期待するという主張にほかならない。実際には、イエスの再臨は超自然的な侵入として演じられる。それゆえ、通常の世界過程の内部に出現する僣称者は、彼が歴史的な人間としてそこにいるという事実によって、その仮面をはがされてしまう」(コンツェルマン)
 ある人が、一所懸命に畑を耕している農夫に尋ねました、「明日、世の終わりが来ると言われたら、君はどうするかね?」 農夫はしばらく考えてから答えました、「今日、私はこの畑を耕してしまうだろうよ」(マタイ福音書6章34節)
                       1992年6月21日 礼拝説教