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マルコ福音書の研究


  「結婚と離婚」

パリサイ人「夫が妻を離縁するのは、律法に適っていますか?」
イ エ ス「モーセは、あなた達に何と命じたか?」
パリサイ人「モーセは、離縁状を書いて妻を去らせることを許しました」
イ エ ス「モーセは、あなた達の心の頑固さに対抗して、この掟を書き与えたのだ。しかし(本来はそうではない)創造の初めから神は人間を男と女とに造られた。それ故、人はその父母を棄て、妻と結びつき、二人は一体となる。彼らは二人ではなく一体である。神が一つ軛(くびき)に繋いだものを、人間が引き離してはならない」
                        マルコ福音書10章2〜9節

 10月14日早朝、大場ちよ姉は天に召されました。享年84歳。葬儀後、大場姉の仲人をしたという老婦人の話をうかがいました。大場姉は一度の見合いで結婚を決め、ひと月後、挙式をされたそうです。結婚資金60円。今から64年も昔の話です。当時結婚は人生の必修課目でしたが、当今は選択科目になりました。自由の度合いは広がりましたが、困難も増加しました。大場姉は57歳で受洗し、それ以来私たちの信仰の友でした。
 10章は、結婚1〜12節、子供13〜16節、所有17〜31節、という三つの主題で「弟子の道」が語られています。そして32節以下に、三回目の人の子の受難が予告されて、新しい段階に入ります。今日のテキストでは、物語の場所を設定している1節と10節が、編集者マルコの文章であると言われています。11〜12節は教会の言葉です。
 例によって、パリサイ人達がイエスに近寄って来て、「夫が妻を離縁するのは、合法的行為ですか?」と質問しました。結婚と離婚の問題はいつの時代でも困難な問題です。マタイはその質問の言葉をより厳密に変えています。「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っていますか?」(19・3) これはユダヤ教徒の間での、申命記24章1〜4節の律法の解釈の問題なのです。「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見出し、気に入らなくなった時は、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせなさい」1節。当時ユダヤ教には律法の二大学派があり、シェンマイ派は保守的で律法を厳密に文字通り適用し、この「恥ずべきこと」とは、姦淫であると解釈しました。他方、ヒレル派は律法を自由に拡大解釈する傾向をもち、この「恥ずべきこと」とは、姦淫ばかりでなく、肉体的欠陥、子が生まれないこと、品行や行儀が悪いこと、果ては「妻よりも美しい女を見いだした時」など離婚の理由になると教えていました。
 古代のユダヤは男性社会でした。妻とは、夫が代価を支払って買い取ってきた、一種の財産でした。モーセの十戒に、「汝、その隣人の家を貪るなかれ、汝の隣人の妻、奴隷、牛、ろば…」とあり、妻は財産の筆頭にリストされています。
 シェンマイ派とヒレル派はそのように申命記24章1節の条文をめぐって論争していましたが、その条文の精神は、弱い立場にある妻を保護するためのものでした。つまり家を出された妻が、離縁状を手渡されることによって夫からの自由が保証され、再婚の機会が得られるためのものでした。4節まで読めば、それは妻の再婚のための掟だということが分かります。しかし律法学者達の論争は、夫のわがままの許容度についてでした。「モーセは、あなた達の心が頑固なので、そのような掟を書いたのだ」5節。このイエスの言葉は、モーセが男達の頑固さに譲歩しているように読めますが、E・シュヴァイツァーは別の意見を出しています。「ここでは"あなた達の心が冷酷なので"となっているのではなく、"あなた達の心の冷酷さに対抗して"となっている。すると5節は諦めた譲歩ではなく、彼らに対する審き、彼らの頑固さを証言する持続的告発ということになる」
 次にイエスは、モーセを超えた根源的な結婚観を打ち出します。論敵がモーセ律法を引用して、どうすれば律法に許された範囲内で自分に都合よく振る舞えるかを問題にしている時に、イエスは創世記の言葉を引用して、神の人間創造の根源までさかのぼり、結婚に対する神の意志を問題にします。「創造の初めから、神は人間を男と女とに造られた」(1・27) 結婚は法律の問題である以前に、神の意志に基づく創造の御業への参与であるのです。神が人間を男と女として造られた意味は、男は成長してその父母を棄て、その妻と結びつき、二人が一体(一つの肉)となるためである。ここでは男と女は、その両親や家から完全に切り離された独立的個人であるのです。
 「神が一つ軛に繋いだものを、人間が引き離してはならない」9節。結婚は善いものですが、享楽のためにあるのでも、自分達の意志を実現するためにあるのでもありません。農夫が二頭の動物を一つの軛に結び合わせて、その畑の耕作に使役するように、神は一人の男と一人の女とを一つの軛に結び合わせて、神の畑(この世)の中で御意(みこころ)を実現させるためにお用いになり、創造の喜びの中に入れて下さるためのものです。当然、一つ軛の下で協同する男と女は平等でなければなりません。男尊女卑の古代社会にあって、イエスはこの点でも真に革命的です。結婚は束縛です。主人に捕まえられて軛に縛りつけられたのですから、主人がこれを解くまで勝手に離れることはできません。離婚は、結婚の本来の意味に対する矛盾なのです。9節は真正のイエスの言葉です。断言的命令法は、イエスの言葉の特長です。イエスの言葉は、常に人間的常識や社会通念を痛烈に打破し、神の国への飛躍を迫る力があります。
 イエスはここで結婚の本質と真髄を語っているのであって、離婚は罪であるという掟を作ったのではありません。離婚せざるを得ない境遇に泣く人に対して、イエスの同情は深いのです。しかし自分の欲望を遂げるために神の言葉を曲解して利用しようとする者に対しては、イエスは厳しい鉄槌を下されます。
 「エペソ書5章21節以下は、キリストにおいて姿をとった神の愛の中に、一夫一婦制の基礎づけを見出している。この愛を基盤にして、結婚は生命を得るのである」
                          (E・シュヴァイツァー)
                   1991年10月27日 礼拝説教

  「子供たちの祝福」

 それから人々は触っていただくために、子供達をイエスの許に連れてきた。しかし弟子達は彼らを叱りつけた。だがそれを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「子供達を私の所に来させなさい。妨げてはならない。神の国はこういう人達のものなのだから。アーメン、私は君達に言う、誰でも子供のように神の国を受けないならば、決してその中に入ることはできない」 そして子供達を腕に抱き、手を彼らの上に置いて祝福された。                  マルコ福音書10章13〜16節

 イエスと子供たち。イエスの短かくて厳しい御生涯の中にこのような風景があったと思うと、心暖まるものがあります。先日「命の記憶・魂に触れる手」というテレビ番組を見ました。高塚光さんという会社員が二年前に不思議な経験をしました。心臓の血管が破裂して重体になり、入院した母親の病床に駆けつけ、思わず母親の胸に手を当てたところ、奇跡的に内出血が止まり、やがて全快したというのです。彼はその経験を検証するためにアメリカへ渡り、触手療法やイメージ療法を行なっている現場へ行って人々と交流したり、アメリカインディアンのナバホ族の伝統的自然療法を体験したり、エイズ患者達の触れ合いによる治療現場を見学したりして、「結局は、愛が奇跡を生み出し、癒しを与えるのだと思う」と語りました。福音書の時代の治療法もそのようなものではなかったかと想像して、納得する点が多くありました。
 ある日、ある所で、人々は子供達を連れてイエスの許にやってきました。「触っていただくため」でした。この場合は病気の治療のためではなく、祝福に与(あずか)るためでした。神の人から祝福を受けることは、子供達の成長に良い影響があるだろうと考えてのことでした。イエスの愛の御手は、治療にも、祝福にも、極めて効果的です。
 しかしそのような和やかな情景に水が差されました。弟子達が、イエスと子供達の間に入ってきて、人々を叱りつけたのです。マルコはその理由を上げていませんが、恐らく、先生をそのような「雑用」から救おうとする彼らの配慮から出た行為でしょう。先生は物事の道理を弁えた大人を教える方(かた)で、訳の分からない子供の相手などなさらない、と判断したのでしょう。それは弟子達の、イエスに対する善意から出た行為でした。ところでそれを見て、イエスは弟子達に対して憤りました。イエスの思いと、弟子達の判断とが、食い違った所から出てきた憤りでした。
 マルコは「イエスの憤り」を記しましたが、マタイとルカはそれを省きました。この場合に限らず、マルコはイエスの人間的な感情表現である喜怒哀楽を記していますが、マタイは意識的にそれらをすべて省きました(マルコ1章41、43節、3章21節、6章6節、8章12節、10章14節、14章33節と、マタイのそれらに相当する個所を比較参照)。このことに関して言えば、16節の「子供達を腕に抱き」という表現も、マタイとルカは省きました。マルコの描くイエス像は人間的な表情が豊かであるのに対して、マタイのイエス像は、丁度ギリシャ正教のイコン(聖画)を見るように、人間的な表情が消され、神的な威厳が前面に現わされています。これは恐らく、マタイの時代になると、神の子イエスに対する崇拝の念が一層強まって、その尊厳を害なうような人間的な表情を抑制したためでしょう。もしそうなら、残念なことです。「言(ロゴス)」は肉と成って、我らの中に宿り給えり」(ヨハネ1・14)。最も神的存在がイエスにおいて、最も人間的な存在と成ったのです。イエスの魅力は、その二つの本質の絶妙な調和にあるのです。人間イエスを強いて神格化する必要はありません。人の子イエスは、そっくりそのまま、神の子キリストなのです。ローマ総督ピラトは、図らずも茨の冠をかぶせられたイエスを指して、「見よ、人間だ!」(ヨハネ19・5)と叫びました。ナザレのイエスは、人間の顔と人間の心をもった、代表的人間です。マルコ福音書はこの点で、地上のイエスの姿を最もよく保存している福音書であると言えるでしょう。
 鉄粉が磁石に引き寄せられるように、子供達はイエスの許に来ようとして弟子達に妨害されましたが、その障害物が除去されて、子供達はイエスの身辺に来ました。するとイエスは一人一人の子供を腕に抱いて、その頭の上に手を置いて、祝福されました。イエスの祝福は、救いを意味します。このようにイエスの救いは無条件的、無差別的です。「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、雨を降らして下さる」(マタイ5・45)。イエスがあまりにも自由で気前がよいので、神の祝福と救いを独占しようとしていた律法学者やパリサイ人は反対し、弟子達やキリスト教会は制限しようといたしました。この「子供達」は、世の中の小さい者、弱い者、貧しい者、低い者の代表です。旧約の神ヤハウェが世の賤民であった者達を集めて、選民イスラエルとしたように、新約のイエスは、罪人、取税人、売笑婦、病人、身心障害者、「地の民」を神の国の祝宴に招待されました。
 「神の国はこういう人達のものなのだ」14節。日本には「女、子供」という軽蔑語がありますが、その「女」に相当する話が1〜12節で、そこでイエスは「女」の価値を重んじられました。そしてこの13〜16節で、「子供」を祝福され、神の国の民の模範とされました。「女、子供」は、この世の小さい者、低い者ですが、イエスによって、大きい者、高い者にされました。
 「アーメン、私は君達に言う、誰でも子供のように神の国を受けないならば、決してその中に入ることはできない」15節。キリストの救いは、単純明快です。イエスは私達に、神の国の福音を差し出されています。私達はそれを子供のよう素直に、「どうも有難う」と言って頂戴し、それを喜び感謝すれば、それでよいのです。ところが大人にはそれが大変困難なのです。それではあまりにも話がうますぎる、気を付けた方がいい。落し穴があるに違いない、と考えるのです。そのような人ほど欲に釣られて他人にだまされるのです。幸いなるかな、子供のように、イエスからの無償の賜物を断わる理由をもたない者は!
 「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3・3)
                     1991年11月3日 礼拝説教

  「富める青年」 (一)

 それからイエスが道に出て行かれると、一人の人が走り寄って来て、彼の前にひざまずき、彼に尋ねた。
青 年「善き師よ、永遠の生命を継ぐために、何をすべきでしょうか?」
イエス「なぜ私を"善き"と言うのか? 神お一人の他に善き者はだれもいない。君は戒めを知っているはずだ。殺すな、姦淫するな、盗むな、奪い取るな、父と母とを敬え」
青 年「師よ、それらはすべて、幼い時から守っています」
 イエスは彼を見つめ、彼をいとおしんで言われた、
イエス「君に欠けているものが一つある。帰って持ち物をみな売り払い、貧しい人々に与えなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、私に従いなさい」
 彼はこの言葉によって顔を曇らせ、悲しみに満ちて立ち去った。多くの財産をもっていたからである。 マルコ福音書10章17〜22節

 イギリスの作家バーナード・ショウが清教徒達を皮肉って言いました、「私は世の中にキリスト教徒は一人もいないと思う。なぜならこのキリストの言葉を実行した人を見たことがないから」。出典は忘れましたが、私はこの言葉を憶えています。とても印象深かったからです。今回、この永年来の私の疑問について皆様と御一緒に学べますことは、大変嬉しいことです。
 マルコ福音書10章1〜31節は、結婚、子供、財産の三つの大きな問題をまとめたものです。この人生の三大問題を通して、「弟子の道」が示されているのです。そしてこの三大問題に関するイエスの意見は、いずれもこの世の社会通念を打ち破るものでした。離婚は男の利己的な都合によってなされてはならない。結婚は神の定め給うところのものであり、女は男と同等の人格であるとして、婦人の地位が高められました。子供は、うるさくてやっかいな存在ではなく、神の国に相応しいものであり、大人は生まれ変わって、子供のように神の国を受け入れるようにならなければ、決してそこに入ることはできないと教えられて、子供が尊重されました。申命記には祝福と呪いが説かれており、主の戒めに聞き従う者は祝福を受け、この世で豊かな生活を保障され、主の戒めに背く者は呪いを受けると記されています(11章)。それで財産は神の祝福の結果であり、金持は「恵まれている者」であり、生活に困窮している者は呪われており、「恵まれない者」だと思われていました。その社会通念に従って、弟子達は金持が真っ先に神の国に入るものと思っていましたから、「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか!」というイエスの言葉を聞いて、驚嘆しました。富は、神の国に入る助けにはならず、却って障害になるというのです。結婚、子供、所有。この三大問題について、イエスは革命的な思想を教えられました。それは、イエスの到来と共に、新しい時代が開始した、この世の中に神の支配が始まったことを表わすしるしなのです。
 さて、イエスの前に走り寄って来た者を、マルコは「一人の人」と言い、ルカは「役人」(18・18)と言い、マタイは「青年」(19・20)だったと言っています。この記事全体から見ると、資産家の若者だったというのが正しいでしょう。しかも彼は真面目な好青年でした。イエスが愛の眼差しをもって彼を見つめたほどでした。彼は走り寄り、イエスの前にひざまづいて、「善き師よ、永遠の生命を継ぐために、私は何をすべきでしょうか?」と質問しました。彼はこの世の富に満足できず、魂の救済を心から求めていました。イエスは、言葉に敏感であり、厳格でありました。「なぜ私を"善き"と言うのか? 神お一人の他に善き者はだれもいない」。この18節は、聖書註解者の十字架の一つです。このイエスの言葉は、「善きもの」と呼ばれるに相応しいものは神御一人のみであって、イエスも「善きもの」ではない、道徳的に完全無欠ではない、と言っているように考えられます。敬虔なユダヤ人ならば、誰でも言いそうな言葉です。イエスは完全なる神の御子であると断固として信じているマタイは、イエスの神性を危うくする危険を敏感に察して、表現を改変しました。青年の言葉から「善き」を省いて、「師よ」と言わせました。そして「永遠の生命を得るためには、どんな善い事をしたらいいでしょうか?」と「善い」を「事」と結びつけました。「師よ、永遠の生命を得るために、私はどんな(傍点始まり)善い事(傍点終わり)をしたらいいでしょうか?」19・16。これは見事な改変です。しかし次のイエスの言葉の方にしわ寄せがきました。「なぜ(傍点始まり)善い事(傍点終わり)について私に尋ねるのか? (傍点始まり)善いお方(傍点終わり)は唯お一人である」。「善い事」と「善いお方」の関係がうまくつながっておりません。マルコも又、イエスを地上に来た神の子と信じていましたが、恐らく彼はマタイほどこの問題について過敏ではなかったのでしょう。それは前講にお話した、イエスの人間的感情表現を書き表した態度と同じものであったでしょう。尚、18節については別の解釈があります。イエスがそう語られたのは、その青年がイエスの本質をまだよく分かっていないのに不用意にも「善き師よ」と呼びかけたことを咎めたのであって、イエスを神の子と信じた後ならば当然イエスはその呼びかけの言葉を入れられたであろう、という解釈です。
 「永遠の生命を継ぐために、何をすべきでしょうか?」と問う青年に、イエスは十戒の実践的条項を指し示します。これはユダヤ人なら誰でもよく知っていることです。青年は不満足だったでしょう。イエスからそんな月並みな答えが返ってきたのです。それで彼は、「師よ、それらはすべて、幼い時から守っています」と答えました。彼にはまだイエスの言葉の深い意味が分かりません。モーセの十戒の前半は、全心全霊を上げて主なる神を愛しなさい、という命令です。そしてその後半は、汝の隣人を、汝自身のごとくに愛しなさい、という命令です。これを真剣に行なおうとすれば、当然、金持にとっては、その資産が問題になるはずです。この青年は今、はじめて、その真理の前に立たされるのです。
                     1991年11月10日 礼拝説教

  「富める青年」 (二)

青 年「善き師よ、永遠の生命を継ぐために私は何をすべきでしょうか?」
イエス「なぜ私を"善き"と言うのか? 神お一人の他にだれも善き者はいない。
君は戒めを知っているはずだ。殺すな、姦淫するな、盗むな、奪い取るな、父と母とを敬え」
青 年「師よ、それらはすべて幼い時から守っています」
イエス「一つのことが君に欠けている。帰って持ち物をみな売り払い、貧しい人々に与えなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、私に従いなさい」                        マルコ福音書10章17〜21節

 資産家の家庭に生まれ育ち、宗教教育も身についている、実に感じのよい青年です。彼はイエスの前に走り寄ってきて、ひざまずき、教えを乞おうとしています。彼はこの世の富にも、ユダヤ教の律法的生活にも満足できず、魂の救済を熱心に求めています。イエスが愛の眼差しを注いだのも、うなずけます。こんな青年こそ、よいクリスチャンになるのではないか、と誰でも思います。しかしこの出会いの結末は、残念ながら、「彼は顔を曇らせ、悲しみに満ちて立ち去った」のです。イエスの十字架と復活の後、彼はイエスの真意が分かって、救われた、と思いたいくらいです。
 「善き師よ、永遠の生命を継ぐために、私は何をすべきでしょうか?」 彼は既製の律法的宗教に飽き足りないものを感じていました。それで、その他にもっと積極的に善行を積んで救われる方法があるのではないかと考えて、イエスの許に来ました。彼はこう問うことによって、イエスの答えを予想したことでしょう。「私の弟子に成り、君の財産をもって、私の伝道を助けよ」、「神学校を建てよ」、「貧民のための病院をつくれ」等々。しかし予想外の答えがイエスから返ってきました。
 「なぜ私を"善き"と言うのか? 神お一人の他に善き者はいない」 あまり深く考えずに使った言葉を咎められました。この言葉はユダヤ教徒には問題ありません。「イエスは自分が人間であることを知っていた。これはイエスを神であるとする正統的キリスト教徒には、極めて都合が悪い言葉である」(モンテフィオーレ) しかしこれは的外れの批評です。マルコは、地上を歩く神の子としてのイエスを描いたのです。マタイは誤解される危険を避けて、マルコの表現を変えました。「なぜ善い事について私に尋ねるのか? 善いお方は唯お一人である」 マタイはこう言っているのです、「君は善い事について私に尋ねているが、君が先ずなすべきことは、唯一の善なるお方に目を向けることである」 マタイは正しく解釈しました。
 「君は戒めを知っているはずだ…」 イエスのお答えは、戒めを守ることの他に善い事などあり得ない、ということです。ここで「よきサマリヤ人」の話が連想されます。律法学者がイエスに問いました、「師よ、永遠の生命を得るために、私は何をすべきでしょうか?」(ルカ10・25) するとイエスは隣人愛の模範として「よきサマリヤ人」の話をして、「あなたも行って同じようにしなさい」と教えました。至上の善とは、隣人に対して悪を行なわず、父母を敬い、身近にいる困窮者に助けの手を差し伸べることである、それが永遠の生命に至る道である、と言われました。
 「師よ、それらはすべて幼い時から守っています」 彼の心にうそ偽わりはなかったでしょう。イエスは彼をじっと見つめます。イエスの凝視は「私に従って来なさい」という無言のサインなのです(マルコ1章16、19、2章14)。それは愛の眼差しでした。静かな恵みが先行しています。しかし彼はそれに気付きません。それで次の瞬間非常に厳しい言葉が語られました。
 「一つのことが君に欠けている…」21節。この命令があまりにも厳しく極端なので、古来人々はこの言葉の解釈に苦慮してきました。先ずマタイは、マルコの言葉から「みな」を削除して緩和を計りました。「この命令は金持の青年に言われたもので、一般化して考えてはならない」と言う学者もあります。カトリック教会は、マタイの「完全になりたければ」(19・21)という言葉に注目して、二重の規準を作りました。完全になる志望をもつ聖職者は、全ての所有物を捨てなければならない。しかし一般信徒はその限りにあらず。その代り、死後聖職者は真直ぐ天国へ行けるが、一般信徒は煉獄で罪を清められてから天国へ行ける、と教えました。
 子供の場合、無条件的、無差別的に祝福を与えたイエスが、この青年に対しては乗り越え難い高い壁を作っているように思えます。それは何故か? その青年の心に原因があります。彼は神に恵まれた金持で、その上、掟の要求を欠けなく果たしています。しかもその上、イエスの教えを受けてそれ以上の善行を積もうとしている。いわば彼は、永遠の生命を自らの手で稼ぎ出そうとしているのです。永遠の生命は神の無償の賜物(フリー・ギフト)として、イエスに従うすべての人に与えられるものですが、大金を払っても、善行を積んでも、贖うことができないものなのです。その青年が「すべて」と言ったのに対応して、イエスは「一つ」と言われました。それはその上に尚一つという意味ではなく、唯一のものという意味です。これを欠いては、たとえ金持が全財産を貧乏人に施したとしても、それで天に宝を積むことはできても、永遠の生命は得られないのです。永遠の生命を得る唯一の道は、イエスに従うことにあるのです。
 21節には二つの命令があります。「君の持ち物を全部売り払って、貧しい人々に与えよ」と、「私に従って来なさい」と。前者は古い戒めですが、後者は新しい戒めなのです。神の国の福音の到来と共に新しい時代が始まり、イエスに従う者はすべて無条件で永遠の生命に入れられるのです。しかしそれには一切の古いものを放棄して、180度の方向転換をしなければならない。「所有物を全て放棄して」とは、産みの苦しみなのです。「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」のです。私達は所有物にしがみついて生きるのでなく、イエスに従って神に全信頼を置いて生きることを示されているのです。
                     1991年11月17日 礼拝説教

  「富める青年」 (三)

 イエスは彼を見つめ、彼を愛して言われた、「君に欠けているものが一つある。帰って持ち物をみな売り払い、貧しい人々に与えなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、私に従いなさい」彼はこの言葉によって顔を曇らせ、悲しみに満ちて立ち去った。多くの財産を持っていたからである。
                         マルコ福音書10章21〜22節

 先日、眼科の医師であられる園田俊吉兄のお勧めにより、献眼者の登録リストに加えていただきました。盲目の暗闇の中にいる人に、光を提供するお手伝いができることは嬉しいことです。献眼、献体、献血、献金など、世の中には沢山の善い事がありますが、それらを超えて唯一の善い事は、私達の生きたからだを神に捧げることです。「諸君のからだを捧げなさい 神に喜ばれる 聖なる 生きているままの供え物として」(ローマ書12章1節 飯島正久訳)
 今、その献身が問題なのです。イエスは私達の一部をではなく、全部を求めておられるのです。それは愛の性質から由来しています。愛は、すべてを与え、すべてを求めます。「君の所有物をみな売り払って、貧しい人々に与えなさい。それから来て、私に従いなさい」 もしこの命令に、愛という要素が無ければ、空しいものになります。「たとい我、わが財産をことごとく施すとも、愛なくば、我に益なし」(コリント一書13・3)です。
 「福音書とユダヤ教」という本が出版されました。これはキリスト教徒とユダヤ教徒が論争のためではなく、相互理解のために、福音書とユダヤ教側の資料とをつき合わせて共同研究をしているものです。幸い、この問題の個所もありました。ユダヤ教も又、シェマァの祈りの中の「あなたの力を尽くして」という語句を「あなたの全財産を用いて」との意味に解釈することができる、と言っています。しかし又、「エルサレム・タルムードは、何人(なんびと)も富の5分の1以上を慈善に用いてはならないという定めがあったことを記録している」と、ユダヤ教の教師(ラビ)M・ヒルトンは指摘しています。この規定は、ユダヤ教のラビ達が知恵をしぼり、議論を重ねた末の賢明な規定であると思います。金持も又、健全な社会生活を営むことが許されており、過分に慈善金を出すことは、その陰に他からの不当な要求があるかも知れず、あるいは自らの不正な動機がないとは言えません。M・ヒルトンは続けて、モノバズという男の話を述べています。「彼は、持ち物すべてを貧しい人々に施してからこう言った、"私は来るべき世界のために財産を蓄えました"と」。これに対して、キリスト教側の代表、カトリックの司祭G・マーシャルは、「マタイ福音書19章21節は、イエスの最もラビ的な面を示している。…どの点から見てもイエスは、ユダヤ教の教えをはっきり否定してはいない。しかし二度にわたって、ユダヤ教の教えを超えようとする意志を示している。それは、敵への愛と、財産の放棄を説いた時である」と言って、この対話を結んでいます。しかしそれが結論であるとすると、イエスは大多数の人間にとって実行不可能な「キリストの十一戒」をつくったことになります。
 イエスと同時代のユダヤ教には三つの大きな宗派がありました。パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派。そのエッセネ派に関わる文書が有名な死海写本で、その中にはクムラン宗団の規則が含まれています。それによると財産の放棄、独身主義、律法と預言書の研究、安息日厳守、頻繁な沐浴、共同の聖餐などがその宗団の特徴として上げられています。その宗団に入るには、三年間の厳しい見習期間が規定されています。
 エッセネ派のクムラン宗団の人々こそ、一層厳しい掟によってユダヤ教の教えを超えようとしたのです。イエスもユダヤ教の教えを超えようとしたことは確かですが、それは自由な愛によってなのです。イエスの教えには、修道院的な閉鎖性は少しもありません。G・マーシャルの見解は明らかに間違いです。
 「君に欠けているものが一つある」 その青年に欠けていた一つのものは、モーセの十戒の上にキリストの十一戒を行なうことではなく、自分のために富を保存するのか、イエスに従って永遠の生命に至る道を歩むのか、選択せよ、ということです。地上の宝の延長線上に永遠の生命を見出そうとすることが間違いで、そこには断絶と飛躍がなくてはならないのです。「肉と血とは神の国を継ぐことはできない。朽ちるものは朽ちないものを継ぐことはできない」(コリント一書15・50)のです。
 10章21節の命令は、この青年にだけ言われた特定のものでありながら、同時に、イエスに従うすべての人に対して命じられている普遍的な真理なのです。これは言わば、信仰の父アブラハムに命じられた「イサクの捧げ物」なのです。「お前の息子、お前の愛する独り子イサクを、燔祭(はんさい)として捧げよ」(創世記22・2) この「燔祭」を捧げることなしに、誰もイエスに従うことはできません。その「燔祭」は、ペテロとアンデレにとっては「網」でした。ヤコブとヨハネにとっては「父と舟」でした。レビにとっては「収税所の机」でした。他の弟子にとっては「別の先生」でした。ナタナエルにとっては「宗教的先入観」でした。そしてパウロにとっては「先祖伝来のパリサイ派の信仰」でした。「財産」の放棄は、クムラン宗団のような掟ではなく、新生の証なのです。バーナード・ショーの皮肉は、見当違いでした。彼は周囲の清教徒達の鼻持ちならぬ偽善性が大嫌いだったのです。その点、アメリカの作家マーク・トゥエインも同様でした。
 「彼はこの言葉によって顔を曇らせ、悲しみに満ちて立ち去った。多くの財産をもっていたからである」 暫く前にこの青年は弾む心と輝く目をもって、イエスの前に躍り出た者でした。そして今、顔を曇らせ、重い心をもって、イエスに背を向けて、とぼとぼと歩き去って行きます。希望と挫折です。友情と結婚、教育と職業、思想と宗教…。至る所に、希望と挫折があります。そしてここに私達は人生最大の希望と挫折を見ています。この青年の悲しみは深かったでしょうが、彼を見送る人の子イエスの悲しみは、更に一層深かったでしょう。
                     1991年11月24日 礼拝説教

  「神の国に入る道」

 するとイエスは周りを見回し、弟子達に言われた、「財産を持っている人が神の国に入るのは何と難しいことであろう!」 すると弟子達は彼の言葉に驚いた。しかしイエスは再び彼らに言われた、「子供達よ、神の国に入るのは何と難しいことか! 金持が神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方が易しい」 すると彼らは更に驚いて互いに語り合った、「それなら誰が救われようか?」 イエスは彼らを見つめて言われた、「人間には不可能だが、神にはそうではない。すべてのことが神には可能なのだ」                    マルコ福音書10章23〜27節

 悲しみの心を抱き、肩を落して歩き去る富める青年の後ろ姿を見送った後、イエスは弟子達を見回して言われた、「財産のある人が神の国に入るのは何と難しいことか!」この言葉には、イエスに従って永遠の生命に至る道を歩むよりも、財産に頼って生きる道を選んだあの富める青年を失ったイエスの失望感がこめられています。しかし又、この言葉は一般的な真理でもあります。富には確かに人の心を奪う魔力があります。原始教団の人々は富に対する警戒心をもっていました。「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲張って金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺し通した。しかし、神の人よ、君はこれらの事を避けなさい。そして、義と敬虔と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい」(テモテ一書6章10〜11節)。現代の日本人は金銭に対する警戒心も、金銭を求める節度や羞恥心も失ってしまいました。そして子供から老人まで泡銭を追い求めて、一度限りの貴重な人生を浪費しています。自分の欲望を最大限に肥大させて、「たとえ全世界を手に入れたとしても、自分の命(プスケー)(魂)を失ったら、それで何を得たことになる」(マルコ8・36)のでしょうか?
 イエスの言葉を聞いて弟子達は驚きました。彼らの常識に反していたからです。当時のユダヤ人は、富は神の恵みの賜物であり、貧しさは神の呪いの結果であると考えていたからです。しかしイエスはもう一度、「子供達よ、神の国に入るのは何と難しいことか!」と言われました。実はこの24節が大問題なのです。素直に読むと、23節の続きとして「財産のある人が」と思うのですが、そう書いていない所から、「一般の人が」とも読めるのです。金持ばかりでなく、すべての人にとっても神の国に入るのは容易ではないという言葉もあります(マタイ7・13、ルカ13・23)。23節が「財産のある人が」で、24節が「一般の人が」という意味で、25節が又「金持が」と書いてあるとすると、これを調和して理解することは困難です。そのために古来、解釈者は苦慮してきました。マタイとルカは24節の言葉を省きました。するとその両者にとっては、金持だけが問題にされたことになります。しかしマルコは、一般人のことも考えているようです。ウェルハウゼンは、25節前半の「金持が神の国に入るよりも」を取り去ると、23節は富める青年との関連で金持に対する警告、24〜26節は、更にその問題を拡大して、すべての人に対する警告となり、弟子達がますます驚いて、「それでは一体、救われる人がいるのだろうか?」と言った時に、「神の国に入れる可能性は、金持にとっても一般人にとっても皆無であるが(ローマ書3・23)、神の恩恵によってのみ可能とされる」(27節)と、イエスが言われたことになり、筋がよく通ると言うのです。ブルトマンは、23〜27節の中で、23節と25節の金持に対する悔い改めの呼びかけの言葉だけが、マルコ以前の原資料に属していて17〜22節に続いていたのであり、24節と26〜27節はマルコが追加して、神の恩恵のみによる救いという思想を与えたのではないか、と考えています。
 最初に戻って、素直な読み方で、24節後半の「子供達よ、神の国に入るのは」に、「金持が」という主語が無くても、前後関係から判断すれば当然「金持が」という意味ではないかとも考えられますが、そうすると27節との調和がとれなくなることと、17〜22節の問題の中心が、全財産の放棄の方に移ってしまします。その個所の中心は明らかに、イエスの御後に従うことにあるのです。
 「金持が神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方が易しい」25節。これはユーモラスなユダヤの諺です。大きな荷物を負った大きな動物であるラクダが、微小な針の穴を通れるわけがありません。それと同様に、自分の全関心を財産に集め、これに執着し、これを失うことを恐れ、これを殖やすことに喜びの中心を置いている者が、神の国に入れないのは確実です。「人を活かすものは霊であって、肉(財産に対する執着はその一つ)は何の役にも立たない」(ヨハネ6・63)とイエスは言われ、「肉と血とは神の国(支配)を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことができない」(コリント一書15・50)とパウロは証言しています。
 「金持は疑いもなく誰よりも、持ち物を集めそれを蓄えることによって、彼の将来を確かなものにすることが出来るという思い違いに負けてしまう危険にさらされている。だから彼にはイエスの呼びかけに自己を開くことが、またその呼びかけを割り引いたり、その意味を変えたりせずに、彼の信頼をただ神の憐みに置くことによって、悔い改めることが、特に困難なのである。しかし、金持の例において明らかにされたことは、ただ彼らに当てはまるだけはでなく、すべての人に当てはまるのである。神の国に入ることは何と難しいことか! 否、不可能なことか!」(ローゼ)
 「人間には不可能だが、神にはそうではない。すべてのことが神には可能なのだ」27節。人間には不可能なことを神が可能にして下さる。神を信じるとは、結局、これを信じることです。人間は絶望的に救われ難い存在である。しかし神は、御子イエス・キリストをこの地上に遣わして、私に罪赦しの福音を聞かせ、聖霊によって救いの保証を与えて下さった。人間の救いは、ひたすら神の恩恵のみによるのである。パウロが伝え、マルコが記し、私達が受けているキリストの福音は、この一語に尽きるのです。                    1991年12月1日 待降節礼拝

  「報酬の約束」

ペテロ「ごらん下さい。私達は一切を捨てて、あなたに従って参りました」
イエス「アーメン、私は君達に言う。誰でも私のため、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける。即ち、今この時代では、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害と共に受け、来るべき世では、永遠の生命を受ける。しかし、多くの最初の者は最後になり、最後の者は最初になるであろう」
                      マルコ福音書10章28〜31節

 富める青年は選択を誤って、イエスの許を去りました。日本という名の「富める青年」はどうでしょうか。新しい世界秩序が模索されている現代において、正しい選択をする能力があるでしょうか。「君に欠けているものが一つある…」という10章21節の言葉は、「自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従って来なさい」という8章34節の命令と同じ精神です。このイエスの招きに応じて十字架の道を歩まない限り、その富をもって「天に宝を積むこと」も、永遠の生命を得ることもないでしょう。
 「ごらん下さい。私達は一切を捨てて、あなたに従って参りました」28節。このペテロの言葉は、1章18節の「直ぐ網を捨てて従った」を踏まえており、10章21節の「持ち物をみな売り払って」に対応しています。富める青年が所有物を保ってイエスの許から去ったのに対して、ペテロや他の弟子達は、一切を捨ててイエスに従って来ました。「それで私達は何を頂けるのでしょうか」(マタイ19・27) この精神は、愛の故の献身(ガラテヤ2・20)に比べると程度の低いものです。しかしイエスの十字架と復活を見る前の弟子達に、無償の献身を望むことは無理であるかも知れません。
 報酬を期待するペテロの言葉に対して、イエスは報酬を約束します。29〜30節のイエスの言葉は、マルコが古い資料に手を加えて、マルコの時代のキリスト教団の人々に向けて書いているのです。「私のため、また福音のために」は、マルコ好みの言葉(8・35、8・38)です。マルコは、現在教会が宣べ伝えている福音の中にイエスは生きておられる、という信仰をもっているのです。ここではイエスと福音とが、同意義になっています。「家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者は」。マルコの時代はキリスト教徒が迫害されている時代でした。キリストの福音を信じて生きようとする者は、家族を失い、財産を失いました。「家」は抱括的な概念を表現している語で、その中に「兄弟、姉妹、母、父、子」が含まれており、「畑」はその家の生産手段でした。「妻」が上げられていないのは、2〜12節の言葉を前提にしているからです。
 キリスト信仰をもつと、そのように肉親を失うが、「必ずその百倍を受ける」。それは教会という名の新しい家族です。「即ち、今この時代では、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害と共に受ける」。この報酬のリストに「父」が無くなっているのは、「地上に誰をも父と呼んではならない。君達の父は唯一人、天にいます父である」(マタイ23・9)という教会の戒めがあったためかも知れません。それは又、イエスの経験にその起源を見出せます。「私の母、私の兄弟とは誰のことか。見よ。ここに私の母、私の兄弟がいる。神の御意(みこころ)を行なう者は誰でも、私の兄弟、姉妹、母なのである」(マルコ3・34)。
 29節に関連するQ資料の言葉をマタイとルカは記しています。「私よりも父母を愛する者(フイレオー)は、私に相応しくない。私よりも、息子や娘を愛する者は、私に相応しくない」(マタイ10・37)。これは実に激しい言葉です。ルカの言葉は更に激しい。「誰でも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、その上自分の命(プスケー)(魂)までも憎んで私の許に来るのでなければ、私の弟子になることは出来ない」(14・26)。この二つの個所は、Q資料の言葉をマタイ的、あるいはルカ的に書き改められたものです。「これは終末論的な心情に充たされた徹底した言葉である。この言葉は、神の国に入るためには、所有の放棄のみではなく、(家族の者達が弟子の道を共に行かない限り)伝統的な家族の絆を断ち切ることをも要求する。この言葉は、この世の子等と選ばれた者達との間の危機を高める」(シュミットハルス) 「火事場の馬鹿力」という諺がありますが、聖書の言葉の中のあるものは、切迫している終末という危機意識の中で語られたものですから、世間的な常識を規準にして判断すると、「到底ついて行けない」ということになります。これを平時にそのまま実行することは狂気ですが、しかしこれは臨終の言葉のように、真実を直截に語っているものです。このQ資料の言葉の激しさは、神の国の到来と、切迫している終末に直面して、個人の信仰的決断を促すところから出ているのです。
 しかしマルコが語りかけている人々の状況は、それとは異なります。彼らは迫害の中にあるのです。キリストを信じ、福音を受け入れたために、家族から離れ、生活の根拠を失っています。しかし彼らはこの世の中で生きて行かねばならない。そのような社会的条件の下では、個人としては生きられず、新しい共同体をつくり、その交わりの中で活路を切り開いて行かなければならないのです。「今この時代では、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害と共に受ける」のです。外に吹きすさぶ迫害の嵐の中で、教会が確りと立ち、しかも福音を伝道してゆくためには、絶えず復活の主イエスの励ましの御声を聞き、信仰によって結ばれた「家族」の愛の交わりが必要なのです。マルコはその新しい家族を「百倍」と言っていますが、マタイとルカはもっと控え目に「数倍」と改訂しています。
 「来るべき世では、永遠の生命を受ける」。これは10章17節の「善き師よ、永遠の生命を継ぐために、私は何をすべきでしょうか?」に対応しています。永遠の生命を継ぐということは、神の国に入るということと同じで、救いを得るということです。ここまで読み進めて来ますと、あの富める青年の甘さがよく理解されます。
 この闇の世に光を投ずるために来られた主イエスの御生誕は、容易ならぬ「敵前上陸」であったと思います。そして尚、「光は闇の中に輝いている」のです。
                   1991年12月8日 待降節礼拝説教

  「先立ち進むイエス」

 さて一行はエルサレムへ上る途上にあった。そしてイエスは彼らに先立ち進まれたので、彼らは驚いた。そして御後に従う人々は恐れた。すると彼は再び12弟子を御許に呼び寄せ、御自身に起ころうとしていることを、彼らに語り始められた。「見よ、我々はエルサレムに上って行く。そして人の子は大祭司達や律法学者達に引き渡されるであろう。そして彼らは彼に死刑を宣告し、彼を異邦人に引き渡すであろう。そして異邦人は彼を嘲弄し、唾を吐きかけ、鞭で打ち叩いて、殺すであろう。そして3日後に、彼は甦るであろう」             マルコ福音書10章32〜34節

 私達がマルコ福音書を学び始めてから3年目に入ります。その間、世界は驚くほど変化いたしました。しかし感謝すべきことに、私達の主、イエス・キリストは変わりません(ヘブル書13・8)。ですから私達は安心して福音書の学びを進めて行くことができます。世の中の一切のものが変化してゆく中で、不変の真理に目を止めて生きることが許されている私達は、幸せです。

 さて、今日のテキストは第3回目の受難予告です。第1回目は8章31〜33節で、パレスチナの最北端、ピリポ・カイザリアでのペテロの信仰告白の直後に語られまし
た。第2回目は9章30〜32節で、イエスの一行がエルサレムを目指して旅の途上にあり、ガリラヤ地方を通過中に語られました。今回の第3回目は、ペレア地方からヨルダン川を西へ渡り、エリコの町に向かう途上の出来事とされています。
 「受難の開始に先立つこの最後の断片に、マルコは強く手を加えている。ここは"途上にある"という言葉で始まっているが、52節の最後もこの言葉で終わっており、この道は受難の地に向かう道である。そしてこの2つの個所には、共に"御後に従う"という標語が見える。するとイエスが"先立ち進む"という言葉も14章28節と16章7節に引き続き現れているので、これもマルコにとって大きな意味を持つ言葉なのかも知れない。受難の予告は以前より詳しく、礼拝または宗教教育の場で用いられたかも知れぬような、受難史の短く要約された形に似たものとなっている。このような要約は、もちろんイエスの復活以後行われたものである」(E・シュヴァイツァー)。
 「彼らはエルサレムへ上る道の中にあった」32節。9章と10章はマルコの「道」シリーズです。マルコは地名を記すごとに主題を変えています。この前は10章1節「ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側」で、この次は10章46節「エリコの町」です。イエスの一行は今、ヨルダン川を西へ渡り、なつめやしの木が生い茂るエリコの町に向かって歩いています。エリコからエルサレムまでは約27キロ、徒歩で6時間ほどの上り道になります。目的地エルサレムが近づいています。イエスはいつになく緊張して、無言で、さっさと一行の先頭に立って歩いています。そのただならぬ様子を見て、ある者は驚き、他の者は恐れました。イエスの一行には2種類の人々がいるようにマルコは書いています。12弟子と他の人々と。「彼らは驚き、御後に従う人々は恐れた」。「彼ら」は12弟子で、「御後に従う人々」はその他の人々であると読む学者が多くいます。それとは逆に、E・シュヴァイツァーは、「御後に従う人々」は、10章28節の「この通り私達は一切を捨てて、あなたの後に従って参りました」と言った人々を指す、と説明しています。すると「彼ら」が一般の人々で、「御後に従う人々」が12弟子です。第3の意見は、「彼ら」と「御後に従う人々」は、マルコがただ表現を変えて書いただけで、同一の人々である、というものです。マタイ(20・17)とルカ(18・31)は、そういう誤解がないように、マルコの記事を書き改めました。
 第1の受難予告では、「人の子は多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者達から拒絶され、殺されて、3日後に起こされねばならないことを教え始められた」とあり、その特長は、神の「ねばならない」が語られている点にあります。イエスが苦難を受けて殺されることは神の意志であり、イエスは神の子としてその意志に従わねばならないというのです。第2の受難予告では「人の子は人々の手に引き渡される…」という言葉が出て来ています。「人の子の引き渡し(パラデイドーミ)は、ただ単に裏切者の行為を指し示すばかりでなく、御父がすべての人の救いのために御子を引き渡すということも、考えられているかも知れない」(アボット)。受難においては、イエスはあくまで受け身であり、人々のイエスに対する行為を通して、神が御意(みこころ)を実現させておられるのです。つまりイエスの受難において、現実の世界の出来事と超越の世界の出来事が交差しているのです。聖書の記事はすべて、人間の世界に対する神の介入の出来事を語っていますが、イエスの十字架と復活において、そのことが最も顕著に現されているのです。
 第3回目の受難予告が最も詳しく、具体的に語られています。ここではユダヤの権力者達がイエスに死刑を宣告し、異邦人=ローマの役人に引き渡すこと、そしてローマ人が彼を嘲弄し、唾を吐きかけ、鞭で打ち叩いて、殺すことが語られています。ここでは第二イザヤが描く「主の僕(しもべ)」の受難とイメージが重なります。「彼は打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。彼は顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」(イザヤ書50・6)。つまりここに「主の僕(しもべ)」の受難が預言されており、その預言を実現する者として、「受難する人の子」が3度予告され、その十数日後、その預言と予告通りのことが起こるのです。「ある者は、イエスに唾を吐きかけ…こぶしで殴り…平手で打った」(マルコ14・65)。第3回目の受難予告は、11章以下の主題「受難するイエス」を予告しており、14章と15章の受難記事の内容とよく対応しています。歴史のイエスが未来の出来事をこのように具体的に語ることはあり得ないので、現代の聖書学者はこれを「事後預言」と見なしております。
 人は、新年に様々な願いをもって祈ります。イエスは、神の御意(みこころ)を行なうために、十字架を目指して、弟子達に先立ち進まれました。私達も又、主の後に従って進んで参りましょう。
1992年1月5日 新年礼拝説教 

  「栄光の座を求める者」

 さて、ゼベダイの子ヤコブとヨハネとがイエスの許に来て言った、「先生、私達がお願いすることを是非、叶えていただきたいのです」 彼は彼らに言った、「何をして欲しいのか?」 彼らは言った、「あなたの栄光の中で、私達の一人をあなたの右に、一人を左に座れるようにして下さい」 するとイエスは彼らに言った「君達は自分が何を願っているのか分かっていない。君達は私が飲む杯を飲み、私が受けるバプテスマを受けることができるか?」 彼らは彼に言った、「私達はできます」 だがイエスは彼らに言った、「私が飲む杯を君達は飲み、私が受けるバプテスマを君達は受けるであろう。しかし、私の右や左に席を与えることは私が決めることではなく、ただ備えられている人々に与えられるのである」   マルコ福音書10章35〜40節

 支配欲、名誉欲、所有欲は、生まれながらの人間の属性です。キリストを信じて生まれ変わるということは、それらのものを空しいもの、虚偽なるものと達観して、真に求むべき価値あるもの(神の国=永遠の生命)を求める者に成ることを言うのです。しかしそれがなかなか難しい。その困難さをマルコは、イエスの3度の受難予告後の、3度の「弟子達の無理解」を記して、読者に語り聞かせているのです。
 一度目はペテロの無理解が露見して、イエスから叱責されました(8・33)。二度目は、弟子達が自分達の中で誰が一番偉いのかを議論したことがイエスに知られて、たしなめられました(9・35)。そして今日のテキストは三度目で、ヤコブとヨハネが本性を現してしまいました。しかしマルコのこの個所をマタイは、「ゼベダイの子らの母がその子らを連れてイエスの所に来て…」(20・20)と改変しました。マタイには何かヤコブとヨハネの不名誉を庇う理由があったのでしょうか、ペテロの無理解はそのままに記しておきながら? 教育ママが幼い子を連れるようにしてイエスの所に来たなんて、みっともない話です。しかも22節以下をマタイはマルコに合わせて、イエスがその母にではなく、ヤコブとヨハネに答えを与えておられるのですから、これは明らかにマタイの不手際です。
 当時の人々は間もなくメシアが来て世を終らせ、審きの座について人々を審くと考えていました。そして弟子達は、イエスこそそのメシアであると信じていました。それでヤコブとヨハネは、メシアの国での上席を自分達に指定して下さいと願い出たのでした。その心は8章32節のペテロや、9章34節の12弟子達の心と同じです。即ち彼らの求めているのは、「栄光のキリスト」でした。それに対してイエスは、38〜39節で「苦難のキリスト」を提示します。「私が飲む杯」とはイエスの苦難(14・36)を、「私が受けるバプテスマ」とは彼の死(ルカ12・50)を意味しています。即ちイエスはここで、君達は私と一緒に苦難を味わい、私と一緒に殉教の死を遂げることができるか、と問うておられるのです。彼らは「できます」と答えました。ヤコブは紀元44年に、ヘロデ・アグリッパ1世の迫害により殉教しました(使徒行伝12・2)が、ヨハネは長寿を全うしたと伝説は伝えております。そのためにマタイは「バプテスマ」の方を省いたのかも知れません(20・22)。
 そのようにイエスは彼らの決意を聞いても、彼らに神の国での指定席を与えることを拒みました。しかしそれは不合理です。試験問題を出して、正しい解答を受け取った上で、不合格と言うようなものです。38〜39節と40節は衝突している、と学者は指摘しています。元来は35〜37節から直接40節に結びついていたのではないか。それなら指定席の請願に対して、「ノウ」と回答したことになります。しかしそれだけではヤコブとヨハネが考えている「栄光のキリスト」をイエスが否定したことにはならないので、マルコが38〜39節を挿入して、「苦難のキリスト」を指し示したのではないか、と考えるのです。それによってマルコは、栄光の座に着く者は、必ず苦難の道を歩まなければならない、と言っているのです。
 「私の右や左に席を与えることは私が決めることではなく、ただ備えられている人々に与えられるのである」40節。これによるとイエスはメシアとして栄光の座に着くことになるのだが、ヤコブとヨハネに高い位を約束する立場にはなく、それをするのは御父である、と言われたのです。しかしこのマルコ資料の言葉と矛盾するQ資料の言葉があります。「アーメン、私は言う、新しい世界になり、人の子が栄光の座に着く時、私に従って来た君達も12の座に着いて、イスラエルの12部族を支配することになる」(マタイ19・28)。これによると弟子達はイエスに従ったという理由だけで、もうすでに12の王座が約束されているのです。この見地に立てば、イエスに近い座席が欲しいと言うヤコブとヨハネの願望は子供じみたものになってしまいます。更にルカが用いたQ資料の言葉によると、弟子達に与える王座の指定権までイエスは御父から任されているのです(22・28〜30)。この考えでは、キリストの王座があって、その回りに12弟子の12の王座があり、彼らがイスラエル12部族を支配するのです。他方マルコ資料にはその考えはなく、栄光に輝いて出現するのは人の子たるイエスだけで、12弟子にも、ヤコブとヨハネにも言及されることは全くありません(8・38、13・24〜27、14・62)。
 この矛盾を調和させることは不可能です。ここで明らかなことは、新約聖書を生み出した原始キリスト教団は、一枚岩ではなかったということです。マルコ資料を保持していたマルコ教団と、Q資料を保持していたQ教団とでは、キリスト論の相違がありました。Q教団によると、イエスは間もなくメシアとして栄光の姿に変身し、弟子達もイエスに従ったという理由のために、栄光の王座に着くのです。Q資料には受難物語が完全に欠落しているのです。それに対してマルコは、受難物語を克明に記録しています。「受難する人の子」を強調したマルコの神学は、使徒パウロの「十字架のキリストの福音」(コリント第一書1・18以下)の間近かに立っているのです。
                      1992年1月12日 礼拝説教

  「逆転の思想」

 そして他の十人がこれを聞いた時、ヤコブとヨハネのことで憤慨し始めた。するとイエスは彼らを呼び寄せて言われた、「君達が知っているように、異邦人の支配者と見られる人達はその民を支配し、偉い人達はその民の上に権力を行使している。しかし君達の間ではそうあってはならない。君達の間で偉く成りたいと思う者は、皆に仕える者に成りなさい。一番に成りたいと思う者は、皆の奴隷に成りなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人の贖い金としてその命を与えるためである。           マルコ福音書10章41〜45節

 ガンバッテネ、ガンバリマス、という言葉をよく耳にします。日本語を学び始めた外国人は便利な挨拶語としてこれを覚えて使います。広辞苑を引くと、「頑張る」(1)我意を張通す(2)どこまでも忍耐して努める、とあります。その言葉には、ガンバッテ社会のハシゴを上へ上へ昇ろうとする語感があります。その結果、ごく一部の者が成功してトップの座を占め、支配者、権力者、所有者に成り、多くの者は下積みとして徒労と失望を味わうことになります。ガンバリズムは自己中心的なこの世の人間の生き方ですが、イエスは弟子達にそれとは正反対の生き方を指し示されます。
 35〜45節は、「ヤコブとヨハネの野心とイエスの教え」を語っている一連の物語のように読めますが、マルコは、2つの異なる話を41節の編集句によって巧妙につないでいるのです。その前半は「栄光(神の国)の中での偉大なる者」、後半は「キリスト教団の中での偉大なる者」が話の内容として語られております。
 「そして他の十人がこれを聞いた時、ヤコブとヨハネのことで憤慨し始めた」41節。わずか12人の弟子グループの中でさえ、他の者達を出し抜いてトップの座を占めようとする野心家がいたのです。その2人、つまりヤコブとヨハネですが、彼らのことを伝え聞いた時に、他の10人の弟子達は「けしからぬ」と、その2人に対して憤慨しました。これで見ると、他の10人も同じ穴のムジナであることが分かります。「聖書の中には聖人君子は一人もいない」と山本七平先生は言われましたが、全くその通りで、イエスがこれぞと選ばれた12人ですら、この有様です。「二人だけではなくすべての弟子達との対話がここに接続するが、イエスの道が根源的にすべての規範となる、ということの倫理的(42〜44節)ならびに教義的(45節)意味が、その中で展開される」(E・シュヴァイツァー)
 「するとイエスは彼らを呼び寄せて言われた」42節a。大切な教えを語ろうとする時にイエスが弟子達を呼び寄せる、というのはマルコが与えた情景です(3・23、8・34、10・32)。これによって12弟子達がイエスの前に勢揃いすることになります。
 42節b〜45節a。この部分は、マルコとは全然違う文脈の中でルカが記しています。それは最後の晩餐の直後のことです。「それから、自分達の中で誰が一番偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に起った。そこでイエスがいわれた、"異邦の王達はその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者達は恩人と呼ばれる。しかし、君達はそうであってはならない。却って、君達の中で一番偉い者は一番若い者のように、指導する者は仕える者のようになるべきである。食卓に着く者と給仕する者と、どちらが偉いか。食卓に着く者の方ではないか。しかし私は君達の中で、給仕する者のようにしている"」(22・24〜27)。このルカの言葉の方が簡潔であり、また、「人の子」、「贖い金」という教義的な用語がないので、元来のイエスの言葉に近い、と学者は指摘しています。
 この世の中では、上に立つ者が下にいる者達を支配し、仕えさせる。しかし、イエスの群の中ではそのルールが逆転し、上に立つ者が下にいる者達を助け、仕える。権威ある物が若い者のように働き、指導する者が奉仕する者のように仕える。これこそ民主主義の精神なのですが、生きたイエスの御姿を見失うと、この世の原理に逆戻りしてしまいます。議員や公務員は市民の「公僕(こうぼく)」であるという心が、日本では全く失われてしまいました。
 この逆転の思想は、キリストの福音から出発しています。イエスが来られたことによって、この世の中に新しい時代(アイオーン)が到来し、神の支配(国)がすでに始まっているのです。依然として古い時代に生きている人々はこの世の指導原理によって生きるが、イエスによって呼び集められた人々の群(教会)は、既に神の国の指導原理によって生きる新しい時代の、新しい人々なのです。イエスがその模範を示されました。最後の晩餐の席で、イエスは上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻き、たらいに水を汲んできて、弟子達の前に身をかがめ、その足を洗い、それを丁寧にぬぐわれました(ヨハネ13章)。食事の時に客の足を洗うのは奴隷の仕事でした。「君達は私を先生、また主と呼んでいる…主であり、また先生である私が、君達の足を洗ったのだから、君達も又、互いに足を洗い合いなさい」。キリスト教会はこのイエスの精神をもって生きる信者の群れであるはずですが、それが歴史的に見てうまく実行されておりません。イエスの直弟子達ですら、イエスの目の前でこの醜態をさらけ出したのですから、これがいかに難しいことかが分かります。そして更にこれが原始キリスト教団の現実でもあったのです。「確かにこの思想はイエスに固有の判断に相応しているに違いないけれども、私達がここで聞くのはやはり歴史のイエスの声ではないのである。私達はここで復活節後のキリスト教団の問題を見ることになる。その教団はすでに大きくなっており、その中には影響力を得るためと、支配者と認められるための争いが発生していた。その時期はおそらく使徒時代の終わり頃、しかし66〜70年の大戦争以前の頃であろうが、この問題は教団の中に不和と緊張とを生じさせたのである。この問題とは、以前から人が推測していたように、ペテロと主の兄弟ヤコブとの間の張り合いである」(ヘンヘン)
 このヘンヘンの推論はともかくとして、私達は主イエスの愛を受けて、互いに仕え合う生き方を実行すべきであります。
                     1992年1月19日 礼拝説教