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マルコ福音書の研究

  「天から降る人の子」

 全世界を獲得したとしても、自分の生命を失ったとすれば、その人は何の利益を得たことになるのか? 自分の生命の代償として、一体、何を与えることができるのか? この神に背いた罪深い時代にあって、私と私の言葉を恥じる者は、人の子も又、父の栄光の中に、聖なる天使達と共に来る時に、その人を恥じるであろう。
                        マルコ福音書8章36〜38節

 太平洋戦争開始から50年、敗戦から46年が経ちました。戦争から平和へ、飢餓の時代から飽食の時代へ、「持たざる国」から「持てる国」へと、世の中は変わりました。空爆による焼け跡の無一物から、始末に困るほど物が有り余る社会になりました。あの当時の日本人の願望は今日、すべて満たされました。まるで夢のようです。敗戦直後に、46年後の今日の日本と自分の姿を、誰が想像し得たでしょうか? しかしそれで人々は幸福になりましたか? 本当に人生をエンジョイしていますか? 魂に平安があり、隣人同士の間に親切と尊敬がありますか? 不安と恐怖ではなく、感謝と希望をもって、死を迎えられますか?
 「あなたはキリストです」と、ペテロは信仰を告白しました。それを受けてイエスは、「受難する人の子」を予告しました。それは、「栄光のキリスト」を予期していたペテロにとっては意外な言葉でしたので、イエスに反対しましたが、却ってひどく叱られてしまいました。そしてイエスは弟子達に、自分の十字架を負って我に従えと命じ、自分を捧げてイエスに従うならば、本来の自分を見出し、イエスを本当に理解するに至る、と言われました。そして、イエスに対する「然り(アーメン)」は、来るべき審判の時にも有効である、と語られました。ここで現在の進行の在り方と、最後の審判とが結びつけられているのです。
 36〜37節の言葉は、元来、世俗的なユダヤの格言であったようです。人間にとって命より大切なものは何もない。死んでしまったら、財産は何になろうか。「生活を切り詰つめ、強欲に富を蓄える人もいる。だが、どんな報いがあると言うのか。"これで安心だ。自分の財産で食っていけるぞ"と言っても、それがいつまで続くのか知るよしもなく、財産を残して、死んでいく」(シラ書11・18〜19)。これはルカ福音書12章13節以下にある「貪欲の戒め」と同じ種類の教えです。死を視点に据えて人生を見ることは、私たちを無意味な努力から救う、貴重な知恵です。
 その格言をマルコは、「命」という標語のゆえに35節と結びつけました。そしてマルコはその「命」を、永遠の生命と読み替えることによって世俗的な格言を福音的な教えに変えました。たとえ人が奮闘努力して全世界を獲得したとしても、永遠の生命を得られないのなら、結局は空しいことではないか。永遠の生命を贖うために、何を差し出すことができるのか。
 38節は難解です。これはイエスの黙示的な言葉ですが、マルコは「ガル」(何故ならば)という接続詞を使って、36〜37節の言葉とつなぎました。終末になって、神の審判が行われる時には、地上の宝は一切、助けにならない。イエスに従って苦難の道を通り抜けてこそ、人生の究極の目標である神の国に入ることができると言うのです。ここまで来て、31節の「受難する人の子」と、34節の「自己を否定し、自分の十字架を負ってイエスに従う」ことの目標が達せられるのです。
 「この神に背いた罪深い時代」。イエスの時代、パウロの時代、マルコの時代、そして現代も、人間が人間を支配する時代はいつも「神に背いた罪深い時代」なのです。「神に背いた」とは、「姦淫している」という意味の語で、預言者が、真の神ヤハウェを捨てて、異教の偶像に走ったイスラエルの民の罪を責めた時に用いた語です(イザヤ1・21、ホセア9・1)。
 「私と私の言葉を恥じる物」。「恥じる」とは、人々の顔を恐れて、公然と自分がイエスの弟子であることを告白しないことです。やたらにクリスチャン風を吹かせることは嫌味ですが、告白すべき時には、不利益をこうむっても、迫害されても、告白すべきなのです。Q資料では、「人々の前で私を否認する者は、神の天使達の前で否認される」(ルカ12・9、マタイ10・33)となっています。つまりこの場合は、クリスチャン迫害が背景にあって、地上の裁判所で、自分がイエスの弟子であることを否認する者は、天における神の法廷で、人の子イエスによって、否認されるのです。
 「私と私の言葉(福音)」。「私」とは、地上のイエスのことで、「私の言葉」とは、後の時代に、聖書を読み、福音を聞いて、イエスとの出会いを経験するということで、マルコは、イエスの人格と福音の言葉とは一体である、と考えているのです。
 「人の子も又、父の栄光の中に、聖なる天使達と共に来る時」。終末の時の状況がここで語られています。マルコは、地上のイエスを「私」と言って一人称で語り、終末に天から降って来る「人の子」を三人称で語って、両者を別人格のように区別していますが、勿論、地上のイエスは死んで復活し、天に昇って神の右に座し、終末に地を審くために天から降って来る人の子である、と信じているのです。マタイは、イエスと人の子が同一人格であるのは当然であるとして、「人々の前で(傍点始まり)私を(傍点終わり)否認する者は、(傍点始まり)私も(傍点終わり)天の父の前で、その人を否認する」(10・33)と書きました。38節はその前半と後半が比較になっていて、現在のイエスに対する信仰の在り方は、そのまま最後の審判に直結している、と言っているのです。ここで人の子は、神を父と呼んでいますから、人の子は神の子でもあるのです。そして天使達は、人の子の従者なのです。
 「狐には穴があり、空の鳥にはねぐらがある。しかし人の子には枕する所がない」。地上のイエスは、受難し、十字架上に刑死するほど徹底的に低くされましたが、終末に天から降って来る人の子は、栄光に輝く神の子キリストなのです。それで人は、初めから栄光のキリストを求めるのではなく、低くされた人の子イエスを信じ、彼に従って十字架の道を歩くことによって、将来、終末の時に、栄光に輝く神の子キリストによって栄誉を与えられるのです。
                     1991年8月11日 礼拝説教

  「神の国到来の期待」

 また彼は彼らに言われた、「アーメン、私は君達に言う、ここに立っている者の中に、神の国が力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者がいる」
                           マルコ福音書9章1節

 現代に生きる私達は、この世はいつまでも続くと考えているか、もし世の終わりがあるとすれば、天体の衝突か、自然の大変化か、核戦争などによるものかも知れないと考えています。しかし又、私達は、世の終わりが来たような出来事に遭遇することもあります。原子爆弾、敗戦、家族や友人の死、難病や死の宣告などです。
 新約聖書を読む時に心得ておくべきことの一つは、当時の人々はメシアの来臨と世の終末を切実に待望していたということです。「時は満ちた。神の国は近づいた」。洗礼者ヨハネやイエスの宣教の言葉には、終末の切迫感が強く感じられます。そして、ユダヤ教徒の終末待望信仰は原始キリスト教徒に引き継がれ、イエスの再臨、イエスと共に来る神の国、イエスによる最後の審判を期待する再臨信仰となりました。
 今日のテキストも難解です。イエスの前に立っている人々の中の幾人かは、生きているうちに、力強い神の支配が実現するのを見るだろう、とイエスは言われました。その意味は、終末は直ぐには来ないが、しばらくの期間の後に来るということです。イエスが弟子達をガリラヤ伝道に遣わす時に、「アーメン、君達に言っておく。君達がイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る」(マタイ10・23)と言われました。この場合、終末の到来はもっと接近しています。しかしそれとは逆に、イエスが終末の到来の期待を告知するのを拒否している記事もあります。「その日、その時は、誰も知らない。天使達も、子も知らない。父だけが御存知である」(マルコ13・32)。この矛盾をどう理解するか。果たして、イエスの終末予言は外れたのか。これは大問題です。「間近い終末の期待に対してはっきりとした期限を定めているテキストの数は非常に少ない。この事実から、この考えはイエスの宣教の中で重きを置かれていないと結論することは正しい。間近い神の国の来臨に対してはっきりとした期限を定めたこれらの少数のテキストは、神の国の来臨は全く差し迫ってはいるが、何時(いつ)かは解らない。或いは、その時は完全に未定の中に止まるべきであって、イエスでさえも知り得ない、と述べている多数のテキストと著しい対照をなしている。神の国の来臨に対して具体的な時を預言することと、その時を知ることを得ないという宣言との間には、疑いもなく矛盾が存在する」(キンメル)。
 今日のテキストの言葉を、イエスの真正の言葉ではなく、原始教団の言葉であると解釈すると、こうなります。「ここではただこの世代の人々の上に終末の日が来るであろうという宣言が問題なのではなくて、ある人々は主の来臨の時にはまだ生きているという約束が重要なのである。これはしかし次の事を意味する。教団の人々はすでに主の来臨が遅延していることを経験していたのであり、それでもなお人の子の来臨に対する信頼に満ちた希望は、彼らの中に消えはしなかったのである」(ボルンカム)。迫害の中に悩み苦しむ信者達が、「主の来臨の約束はどうしたのか」と問う。すると教団の指導者が、イエスの言葉として、「君達の中のある人々が生きている中に、主の来臨はあるだろう」と語って、希望を持ち続けるように慰め励ます。それより一世代前のパウロも同様な言葉を語っています。「生き長らえて主の来臨の時まで残る私達が、眠った人々より先になることは決してない」(テサロニケ第一書4・15)。パウロも本気で、彼が生きているうちに主の来臨があると信じていたのです。しかしイエスの時代にも、パウロの時代にも、マルコの時代にも、現代まで、主の来臨はありませんでした。
 マルコより十数年後、ルカが福音書を書いた動機の一つに、その課題がありました。歴史家ルカは先ず、イエスを世界史の流れの中に位置づけて(2・1、3・1〜2)、イエスの出来事が世界の「片隅で行われたのではない」(行伝26・26)ことを示しました。次に、そのようにイエスを過去化することによって、終末論的性格を取り除こうと努めました。主の来臨は大変に遅れている。もはや近い将来にそれを期待すべきではない(19・11以下)。終末が間近かに迫っていると言う者は、偽キリストである。「終りは直ぐには来ない」(21・8〜9)。パリサイ人が「神の国はいつ来るのか」と尋ねた時、イエスは、神の国の到来を時間の中に見ようとすることは間違っている。「神の国は、実に君たちの真ん中にあるのだ」(17・20〜21)と答えました。ルカはこうしてイエスの時を過去に置き、イエスに終末の遅延を語らせ、信者は社会的混乱や自然災害などに右往左往することなく、今後長く続く「教会の時」を、醒めた目と落ち着いた心をもって、「(傍点始まり)毎日(傍点終わり)自分の十字架を負って(9・23)イエスに従って生きるように励ましました。ルカにとっても、イエスは今もなお「生きておられる」(24・23)主なのですが、天上にいまして、聖霊によって地上の信者と結ばれておられ、やがて、栄光の御姿で再臨して来られる(行伝1・11)お方なのです。
 ルカよりも更に十数年後、1世紀末頃、ヨハネは福音書を著して、現在的終末論を述べました。「アーメン、アーメン、私は君達に言う、私の言葉を聞き、私を遣わされたお方を信じる者は、永遠の生命をもち、審かれることはない。その人はもはや死から生命へ移っているのだ」(5・24)。イエスが地上に来たことによって、神の国はもうすでに初まっているのであり、キリストの福音を聞いて信じた者はすでに救いに入れられ、信じない者はすでに審かれている(3・16〜18)。信じる者には永遠の生命が与えられ、もはや死は克服され、無力にされている。ヨハネにとっては、人は今、イエスを信じるか否かが、決定的な審判なのです。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3・3)。
 神の国到来の期待は外れましたが、その結果の困難はこのようにして克服され、今もなお、神の国の福音は全世界で、宣べ伝えられているのです。
                      1991年8月18日 礼拝説教

  「山上の変貌」

 それから六日後、イエスはペテロとヤコブとヨハネだけを連れて高い山に行かれた。すると彼は、彼らの目の前で姿が変わり、その衣服は地上のどんな布晒し職人もそれほど白くできないほどに、真っ白に輝き始めた。するとエリヤがモーセと共に彼らの前に現れ、その二人はイエスと共に語り合っていた。そこでペテロは答えてイエスに言った、「先生(ラビ)、私共がここにいるのは素晴らしいことです。私共に幕屋(テント)を三つ作らせて下さい。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのために」。つまり彼は、何と答えてよいか分からなかったのである。彼らは大きな恐れに陥ったからであった。すると雲が来て彼らを覆い、雲の中から声が聞こえた。「これはわが愛する子である。汝ら彼に聞け!」 そして突然、彼らが周りを見回した時、イエスお一人の他は、誰の姿も見えなかった。       マルコ福音書9章2〜8節

 8月19日、ソ連のゴルバチョフ大統領が保守派の巻き返しにより突然失脚したニュースは、全世界を震撼させました。彼の身の安全と、自由と平和と真理のために労し戦う人々のために、祈りましょう。
 山上の変貌物語は、実に不思議な話です。それでその解釈もまちまちです。(a)聖書の記述どおりの出来事が起こったのである。 (b)弟子達の宗教的幻想である。(c)復活物語を生前に移したものである。 (d)再臨を象徴する神学的な作品である。
 9章2〜29節が一つの連続した物語です。山上の変貌(2〜8)、下山途中での「エリヤと人の子」談義(9〜13)、山の下でのてんかんの子の癒し(14〜29)。マルコはここでも一貫して、神の啓示に対する弟子たちの無理解を語っています。
 マルコが変貌物語をこの場所に置いた意図は明らかです。「イエスの変容の聖伝承は実際ペテロの告白と密接な、また実質的な関連をもっている。ペテロの告白はここで神の声によって裁決されている。それ故、変容の物語はイエスの秘密な顕現の主要な証明となっているし、またイエスはすでにガリラヤに於て、隠れた形であるとはいえ、メシアまた神の子として働き、また告白を受けたことに対する証明となっている」(シュミットハルス)。ペテロは、「あなたこそキリストです」と告白しました。それを受けてイエスは、人の子が受難することは神の意志であると語りました。そして、山上の変貌において神がそれに確証を与えたのです。
 「六日後」。これはペテロの告白の六日後とも受け取れますが、マルコはシナイ山上でのモーセの経験を連想しているのかも知れません。「モーセが山に登って行くと雲は山を覆った。主の栄光がシナイ山の上に止まり、雲は六日の間、山を覆っていた」(出エジプト記24・15〜16)。山は、神が顕現する聖なる場所なのです。
 「イエスはペテロとヤコブとヨハネだけを連れて高い山に行かれた」。この三人だけをイエスがえこひいきしていたのではなく、これはイエスとの関係の密度によるのです。いわばこの三人にイエスは免許皆伝を与えたのです。この時の他、この三人の側近は、ヤイロの娘の復活(5・37)の時と、ゲッセマネの園での祈り(14・33)の時のお供を命じられています。「イエスに従う」とは、彼ら三人のようにいつもイエスに密着していることを言うのです。
 イエスは彼らの目の前で「姿が変わり」ます。イエスは、昆虫が変態(メタモルフォーシス)するように、人間の姿から、神的な姿に変貌します。白は、神的世界の色なのです。天使の衣は白(16・5)です。又、信仰を守り通した者は天国で、白い石(黙示録2・17)を与えられ、白い衣(同7・9)を着せられるのです。マルコはやはりモーセを連想しています。「モーセは山から下った時、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。アロンとイスラエルの人々がすべてモーセを見ると、なんと、彼の顔の肌は光を放っていた」(出エジプト記34・29〜30)。神との親密な交わりは、人間に変容を与えます。信者も又、変態(メタモルフォーシス)するのです(ローマ12・2、コリント第二・3・18)。これは復活体の予表です(コリント第一・15・51)。ルカは「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり」(9・29)と書きました。祈りは、人間の最も高貴な姿です。山頂で祈る神の子イエスの姿ほど神々しいものは、この世に存在しないでしょう。
 するとエリヤとモーセが彼らの目の前に現れて、イエスと語り合います。おかしなことですが、この場面は私に大相撲の土俵入りを連想させます。横綱イエス、露払いモーセ、太刀持ちエリヤ。モーセはメシアの原型(申命記18・15)で、エリヤはメシアの先駆者(マラキ4・5)です。モーセは律法の授与者で、エリヤは預言者の代表です。旧約聖書を総括して「モーセと預言者」(ルカ16・29他)と言います。イエスがメシア=キリストであることは、旧約全体が証ししている、と語っているのです。
 5節と6節のペテロの発言は、文脈に違和感を与えます。それである学者は、マルコの挿入であると言っています。このような圧倒的な啓示を目撃していながら、イエスに対して「主よ」と言わずに「先生(ラビ)」と呼びかけているのは少々奇妙ですし、神の啓示を地上に固定しておくための「三つの幕屋(テント)」を作る提案は、崇高な神の啓示を、山岳信仰か原始宗教の類(たぐい)に変質させてしまうものです。それでマルコは、ペテロの無理解と弟子達の恐怖心がそのように語らせたと述べているのです。
 雲が湧き起こってきて、雲の中から神の声が聞こえました。雲は、神の臨在の徴(しるし)です。「これはわが愛する子」。この言葉はバプテスマの時の言葉(1・11)と同じですが、その時は神がイエスに語りかけており、この時は神が弟子達に語りかけているのです。イエスは福音書の初めに、父なる神によって神の子であると証しされ、ここ中央部で、改めて弟子達に対してそのように証しされ、最後に、ローマ軍の百人隊長によって「本当に、この人は神の子であった」(15・39)と証しされます。
 「汝ら彼に聞け!」。この神の声は、山上の弟子達に語りかけているのですが、同時に、今日マルコ福音書を読んでいる私達に語りかけているのです。
                      1991年8月25日 礼拝説教

  「下山途中の会話」

 山から下りて来る時、イエスは弟子達に命じられた、「人の子が死者の中から甦るまでは、君達が見たことを誰にも話してはならない」彼らはその言葉を心に留めて、死者の中から甦るとは一体何だろうか、と論じ合った。そして彼らは彼に尋ねた、「何故、律法学者達は、先ずエリヤが来なければならない、と言っているのですか?」彼は彼らに言われた、「確かにエリヤが先ず来て、すべてのものを回復する。そして人の子については、多くの苦しみを受けて侮辱される、と書いてあるのはどういうことか? しかし君達に言っておく、確かにエリヤは来たのだ。そして彼について書いてあるように、人々はしたい放題のことを彼にしたのだ」
                          マルコ福音書9章9〜13節

 ソ連のクーデターは失敗に終わり、ロシア共和国の人民は、エリツィン大統領の指導の許に勝利を収め、ゴルバチョフ大統領は救出され、共産党は解体されて、74年に亘るソ連邦における共産党の独裁体制は終わりました。しかし政治体制は変化しても、「パンと自由」という本質的な問題は依然として残されています。今後この問題をめぐって、更に厳しい試練を経験するでしょう。この問題はロシア人にとってのみならず、他のすべての人々にとっても中心的な問題です。「汝の隣人を、汝自身の如くに愛せよ」 この真理の御言葉が「パンと自由の」問題を解く唯一の鍵なのです。
 天来の幻は消え去り、現実に戻ると、「もはやそこには誰も見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた」 山上の変貌物語は、このように唐突に終わっています。
 イエスを囲むようにして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子達は、言葉少なに山を下り始めました。するとイエスは厳かに、「人の子が死者の中から甦るまでは、君達が見たことを誰にも話してはいけない」と命じられました。すると弟子達は、その言葉を心に留めましたが、同時に疑問が残りました。「死者の中から甦るとは、どういうことだろうか?」 彼らは直接イエスに問うことをせず、彼らの間で論じ合いました。
 人の子の復活については、もうすでに8章31節で弟子達に語られているのですが、ここ9章9節に至っても弟子達はその意味を理解できないままでいたのです。終わりの日にすべての人が復活する(ヨハネ11・24)ということは当時のユダヤ人には常識になっていましたが、人の子の死と復活については、彼らは全く未知であったのです。イエスの十字架の死と復活を経験するまでは、弟子達は言われていても理解できないでいたことは、当然でした。イエスには分かっていて、弟子達には分からないことが多くありました。これもその一つで、最後まで一緒に行ってみなければ分からない。信じて従うということは、そういうことも含まれているのです。これは決して迷信や盲信ではありません。すっかり理解できてから信じ、従うということでもありません。イエスとの出会いと、人格的な交わりがすべてに先行しているのです。
 「誰にも話してはならない」という沈黙命令は、期限が限定されています。マルコによれば、イエスがメシアであることは弟子達には明かされていますが、人々には秘密にしておかねばならない。しかしその秘密は、イエスが地上におられる時のみであって、復活の後は、イエスがメシアであり、神の子であることを、すべての人に証しすべきである、というのです。
 次に、弟子達はエリヤ到来についてイエスに質問します。人の子の復活については疑問を感じながら質問をせず、エリヤの到来については質問をするというのは奇妙ですが、ある学者は、9〜10節は山上の変貌物語と続いているが、11〜13節はマルコが別の資料でつないでいると述べています。(預言者エリヤについては、旧約聖書の列王記上17章〜列王記下2章に書いてありますから、この際、ぜひ読んで下さい)
 「なぜ、律法学者達は、先ずエリヤが来なければならない、と言っているのですか」現代の聖書学者は、「生活の座」という用語を使います。それは、ある言葉には、その背景として必ず具体的な状況があるに違いない。そしてその具体的な状況の中にその言葉を当てはめて、その意味を解釈しようと試みるのです。この場合、マルコの教団の状況が反映されている、と見るのです。マルコが福音書を書いた頃(65〜70年頃)ユダヤ教団とキリスト教団は激しい競合関係にありました。その両者の論争をこの文脈から想像することができますが、マルコの文章は難渋です。マタイはそこをすっきりと整理して書き直していますので、マタイに沿って考えてみましょう(17・9〜13)。キリスト教団は、イエスこそ待望のメシアであると宣教していましたが、それに反対してユダヤ教団は、「先ずエリヤが来なければならない」と言ったのです、「まだエリヤが来ていないのだから、イエスがメシアであるはずがない」 するとキリスト教団は、「確かに、先ずエリヤが来て、すべてのものを回復する」と、そこまでは同意します。そして、「エリヤはもう来たのだ」とキリスト教団の主張を出します。キリスト教団では、バプテスマのヨハネを再来のエリヤだと同定しているのですが、ユダヤ教団はそれを認めていません。「しかし人々は彼を認めず、したい放題のことを彼にしたのだ」 つまり昔の人々(特に主妃イゼベル)がエリヤを迫害して苦しめたように、今日の人々(特に領主の妻ヘロデア)はバプテスマのヨハネにも同様にして、彼を殺してしまったのだ。又、それと同様に、「人の子も、そのように苦しめられることになる」 神の御意を行なって、エリヤ−ヨハネ−イエスは、同じ十字架の道をたどることになるのです。
 「かくてこれらの文章は、本来の意味が何であったにせよ、マルコにとっては、栄光の神学から十字架の神学に向かう運動を叙述するものとなったのである。これなくしては、イエスの姿が栄光の姿に化したという報知を、人はただ誤解するほかないであろう。つまり9章1節と9章2〜8節に見られる勝利の宣言は、8章31節と9章12節の枠の中に収められ、これによって解釈が与えられたのである」(E・シュヴァイツァー)
                      1991年9月1日 礼拝説教

  「不信仰の信仰」

イエス「こうなってから、どのくらいになるのか?」
父 親「子供の時からです。霊は彼をしばしば火や水の中に突き落として、殺そうとしました。しかし、もしあなたに何かできますならば、私共を助け、私共を憐れんで下さい」
イエス「もしできるならば、と言うのか? 信じる者には何事もできる!」
父 親「私は信じます。不信仰な私をお助け下さい!」
                         マルコ福音書9章21〜24節

 ローマのヴァチカンの絵画館に、ラファエルの名作「キリストの変貌」があります。山頂では、イエスが栄光の雲を背景に、白い衣を着て、両手を広げて空中に浮上し、その両側にモーセとエリヤが左右からイエスを仰ぎ見ており、三人の弟子達が恐れて倒れ伏している。山の下では、てんかんの発作で体をこわばらせた子供とその父親がおり、その回りで弟子達や律法学者達がなす術(すべ)もなく、騒ぎ立っている。山頂での栄光と、山麓での困窮とが、見事に対比されて描かれています。
 イエスと三人の弟子達が山頂にいる間、山麓では残りの弟子達の許に、てんかんの発作に苦しむ子供を連れた父親が来て、その子を癒してくれるように頼んでいました。当時てんかんは悪霊の仕業と考えられていましたから、弟子達はイエスの仕種をまねして悪魔祓いをやってみましたが、発作はひどくなるばかりでした。そこで律法学者は議論を吹きかけ、群衆は騒ぎ立っていました。その最中に、イエスの一行が山から下りて来ました。すると群衆の中からてんかんの子の父親が出て来て、「先生(ラビ)、唖(おし)の霊につかれている息子を、あなたに癒していただくために連れて参りました。霊がその子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒し、この子は泡を吹き、歯ぎしりをし、体をこわばらせてしまいます。それで霊を追い出して下さるようにお弟子達にお願いしましたが、できませんでした」と、イエスに訴えました。それを聞いてイエスは嘆かれました。「不信なる世代よ、いつまで私は君達の許にいようか。いつまで私は君達を忍ぶべきだと言うのか。彼を私の所に連れて来なさい」 イエスの嘆きは神の嘆きであり、モーセやエリヤや預言者達の嘆きでした。「イエスの言葉(エレミヤ5・23、列王上19・14、民数14・27、申命32・5、20)は、彼がこの"不信の時代"に属する者ではなく、これとは根源的に対立し、神の側に立って彼らの不信に苦しんでいるのであり、本来ここに彼の受難の中核があるのだ、ということを示している」(E・シュヴァイツァー)。不信の世代とは、不信仰な現代の人々という意味で、現代の人々が不信仰であるために、悪霊を征服する神の力に信頼せず、悪霊の跳梁を許しているという意味です。この言葉は、直接的には弟子達に向けられていますが、普遍的にも妥当する言葉で、この世の本質を言い当てています。
 父親がその子をイエスの前に連れてくると、悪霊はイエスの力を感じて、その子を引きつけさせ、その子は地面に倒れて、泡を吹きながら転げ回りました。そして冒頭の対話につながります。イエスは発作が始まった時を尋ね、父親がそれに答えてから、「しかし、もしあなたに何かできますならば、私共を助け、私共を憐れんで下さい」と切願しました。父親はイエスを、当時ユダヤ教にいた悪霊祓いをする霊能者の一人だ、と思っているのです。彼らの中には霊験のある人もいたでしょうし、効果のうすい人もいたでしょう。医学の発達している今日の日本でさえ、多くの人々がそういう霊能者達の霊験や予言を求めています。
 「もしできるならば、と言うのか? 信じる者には何事でもできる!」 父親の願いは切実でしたが、できるかできないか分からないが、もし何かできれば、と言うのでは半信半疑です。イエスはその中途半端な信仰を鋭く指摘し、純一の信仰を求められます。「信じる者には何事でもできる」ここで信仰と奇跡の関係が問題になります。「信じる者」とは誰のことか。イエスを信じる者には奇跡的能力が与えられるということか。又は、イエスが神を信じる者だから、イエスにはすべてのことが可能であるということか。この「信じる」とは、奇跡能力に対する信頼を意味しているのではなく、全能の神に対する全幅の信頼を意味しているのでしょう。するとそのような信仰者はイエスの他には居ませんから、「神を信じるこの私には何事でもできる」ということになります。「イエスは、ここでは唯一のそして純粋な信仰者として、また唯一の助け手である」(ローマイヤー) しかしそれは少々おかしい。イエスがそのように御自分の信仰を賞揚することはありそうもないし、ここでは人間の側の不信仰や中途半端な信仰が問題にされているのですから、この「信じる者」とはイエスのことではなく、彼が人々にそうなるべく勧められている在り方です。するとここでは、神の子イエスの権威と、その権威から発せられる力に対する信頼が求められていると思います。イエスを単なる奇跡行者として見るのではなく、全能の神の子と信じ、彼に全幅の信頼を置く者には、イエスは何事でもなさることができるのです。
 「私は信じます。不信仰な私をお助け下さい!」 矛盾した言葉です。逆説的な信仰です。ストレートではなく、屈折した信仰です。しかし真実の信仰です。これこそクリスチャンの信仰の在り方です。私は信じます、と言って自分の不信仰を告白しない者、自分の不信仰を嘆くばかりで、私は信じます、と言うことのできない者。どちらも健全な信仰者とは言えません。「父の叫びは、彼の困窮を示している。そこから答えが生まれたのであるが、これは恐らくは、この問いに対する最も偉大な答えである。"われ信ず"と敢えて言う人は、同時にまた、そう言い得るのはただ、神が常に自分を信仰へと助けて下さることを信ずるからであり、つまりそのような信仰の主体はもはや"私"ではなく、結局のところ神であるということを併せて表明しなければならない。人はただ自分の不信仰を知ることにおいてのみ、信仰という神の賜物を喜び、大胆にこれを告白することができる」(E・シュヴァイツァー)
                       1991年9月8日 礼拝説教

  「受難の予告」

 そして彼らはそこを去り、ガリラヤを通って行った。イエスは、人々がそれを知ることを望まれなかった。それは弟子達にこう言っておられたからである、「人の子は人々の手に引き渡される。そして彼らは彼を殺すであろう、そして殺されて三日の後、彼は甦るであろう」 しかし弟子達はその言葉を理解できなかった。そして彼に問うことを恐れていた。                マルコ福音書9章30〜32節

 この20世紀末は社会体制の崩壊期です。あらゆる価値観が転倒し、人々が拠って生きる基盤が消滅しつつあります。何を信じて生くべきか。誰を頼りに生くべきか。イエスの生きた時代と、福音書が書かれた時代の背景も又、社会体制の崩壊期でした。その中からキリストの福音が生まれ、その中で福音が宣教されたのです。このような時代の中で、私達が福音書の中のキリストに出会い、彼の御言葉を学んで生きる意義は大きいのです。
 マルコ福音書の構成は単純です。第一部「ガリラヤ内外での活動」1章1節〜8章26節。第二部「受難へ向かうイエス」8章27節〜10章52節。第三部「受難するイエス」11章1節〜16章8節。16章9節以下は、後世の付加です。
 第一部の特長は、一般民衆に対する神の国の宣教と病気の治療活動で、奇跡物語が多く記されています。しかしピリポ・カイザリアでのペテロの信仰告白から第二部に入ります。ペテロの信仰告白を転機にして、イエスは一般民衆に対する宣教と治療活動を止め、弟子達の教育に専念します。その教育の場は、パレスチナ北端のピリポ・カイザリアから南下してエルサレムに至る「道」の上です。それで第二部はマルコの「道」シリーズ(8・27、9・33、10・17、32、46、52)で、話題を変える時には必ず地名を記しています。第二部の主題は「受難へ向かうイエス」で、その中に三度の「受難の予告」(8・31〜32、9・31、10・33〜34)があります。そしてその都度、「弟子達の無理解」と、「御後に従う信仰」が繰り返し語られています。
 先週私達が学んだ、てんかんの子の癒しの物語は、8章27節以後に現われる唯一の奇跡物語で、なぜマルコはその話を第一部の奇跡物語集の方に収めず、第一回目の受難予告と第二回目の受難予告の間に入れたのか、が問題とされます。マルコがその物語を通して語りたかったのは、もはやイエスの奇跡の力ではなく、イエスに従う信仰とは何か、を明示する目的であったのです。それが第二部の主題なのです。「8章34節以来要求されているイエスの御後に従うということが、自分自身の敬虔な力によってではなく、ただ神の力によってのみ可能となること、従ってまさに自分の不信仰を知り、全く神に依存している人、つまり祈ることを学んだ人こそ、御後に従うようにと召されているのだということを、宣べ伝えようとしているのである」(E・シュヴァイツァー)。弟子達は、奇跡を行なう力をもつ栄光のキリストではなく、受難する人の子イエスに従うべく、改めて召されているのです。
 さて今日のテキストは、第二回目の受難予告です。イエスの一行はパレスチナ北部を去り、ガリラヤに帰るのではなく、「ガリラヤを通って」行きました。もはやガリラヤは宣教活動の場ではなく、通過地点の一つに過ぎません。「イエスは、人々がそれを知ることを望まれなかった」。これはお忍びの旅でした。地上の生涯では、もう二度と再び見ることのない故郷ガリラヤの風景や人々に秘かに別れを告げて、エルサレムで死ぬために旅を続けておられます。その途中で弟子達に内心を打ち明けます。
 「人の子は人々の手に引き渡される」。(傍点始まり)人の子は人々の手に(傍点終わり)という個所は、意図的な語呂合せになっているかも知れません。
「引き渡す(パラデイドーミ)という動詞がここで初めて用いられています。「人の子の引き渡しは、ただ単に裏切者の行為を指し示すばかりでなく、御父がすべての人の救いのために御子を引き渡すということも、考えられているかも知れない」(アボット)。「引き渡される、という受け身の形は、この出来事において行動するのは神御自身だということを暗示しているが、これを明言していない。従って、人々の行為、たとえば裏切者の仕業にこれを結びつけることも、全く不可能ではない。人の業と神の意志が組み合わさっており、この結合関係は解消されていないのである。かくてこの命題は、人がそれをただ受け入れさえすればよいような一つの定式になっていないが、人を信仰へと招く文章である。死と復活についての言及は、意味を明瞭にするため後から付け加えたものであろう(ルカ9・44参照!)」(E・シュヴァイツァー)。人の子イエスは、ユダに代表されるこの世の勢力によって苦難と死に引き渡されるが、その背後に、神の意志が働いていたというのです。それは人間の理解を超えたことですが、神の導きの御手は、そのようにして人間の経験の中に入ってくるのです。
 「しかし弟子達はその言葉を理解できなかった。そして彼に問うことを恐れていた」。マルコは何故このように弟子達の無理解をくどくどと記しているのでしょうか。第一回目の受難予告の後に、ペテロが反対意見を述べて、ひどく叱責されました。第二回目の後には、十二弟子は誰が一番偉いかを論じ合って、「すべての人に仕える者になりなさい」とたしなめられました。第三回目の後には、ヤコブとヨハネ兄弟が、栄光の座をイエスに求めて、「すべての人の僕(しもべ)になりなさい」と言われてしましました。何故、弟子達はこんなに無理解なのか? 上昇志向、自己拡大は人間の本能なのです。支配欲、所有欲は生まれながらの人間に本来備わっているものです。この世の教育はそれを奨励しますが、福音はそれを「罪」というのです。それで、自然のままの人間は、絶対に「受難する人の子」を受け入れることはできないのです。マルコは弟子達の無理解を語りながら、実はマルコの教会員達と、彼の福音書の読者も又、無理解であると語っているのです。「人は、新たに生まれなければ、神の国(支配)を見ることはできない」(ヨハネ3・3)という言葉は、全くの真理なのです。
                     1991年9月15日 礼拝説教

  「一番偉い者」

 それから彼らはカペナウムに来た。そしてイエスは家におられた時、弟子達にお尋ねになった、「君達は途中で何を論じ合っていたのか?」 彼らは沈黙していた。途中で誰が一番偉いかと、論じ合っていたからである。そこで彼は座わり、十二人を呼び寄せて言われた、「誰でも一番に成りたいと思う者は、みんなの最後に成り、みんなの召使いに成りなさい」 そして彼は一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、自分の腕に抱いて、彼らに言われた、「誰でも私の名のゆえにこのような子供の一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。そして私を受け入れる者は、ただ私を受け入れるだけではなく、私を遣わされたお方をも受け入れるのである」
                         マルコ福音書9章32〜37節

 「ぼくは軍人大好きよ いまに大きく成ったなら 勲章つけて 剣下げて お馬に乗って ハイ ドウドウ」 昔人間の私には、偉い人というと、すぐにこの歌が想い出されます。威儀を正して、高い所から、多くの人々に号令をかける人。それが偉い人のイメージです。世の中が変わり、軍服が背広に変わったとしても、そのイメージは変わりません。人間の性質は変わりません。
 近頃は3Kの仕事が嫌われています。キツイ、キタナイ、クサイ仕事です。スキー場のゲレンデの整備やリフトの点検を、老人達が夜を徹してやっていました。やがて夜が明けると、華やかなスキー・ウエアを着た若い男女がやってきて、スキーを楽しみます。3Kの仕事は老人にやらせろ。老人が足りなければ、外国人にやらせろ。これが日本の社会の風潮です。しかし考えてみると、人間の生活の基本的な仕事はみんな3Kです。主婦の仕事、幼児の世話、農業、製造業、建築業、小売業、清掃業、看護婦や介護人の仕事など。それらは額に汗し、手と体を動かして働く尊い仕事です。
 イエスの一行がカペナウムに来ました。かつてのガリラヤ伝道の本拠地です。そして多分、常宿にしていたペテロの家で、イエスは弟子達に尋ねました、「君たちは道を歩きながら、一体、何をあんなに夢中になって議論していたのか?」 弟子達はやましい心を指摘されて、沈黙していました。実は、弟子達の中で誰が一番偉いかを論じ合っていたのです。群れをつくって生きる動物が序列をつくって群れの秩序を守ろうとするように、人間も又、序列をつくって社会の秩序を保とうとします。確かに人間の社会は、愛と尊敬に基づくゆるい序列は必要ですが、権力による支配が強くなり、それに利益が結びつくと悲劇的になります。自由と平和が犯され、真理と正義が十字架につけられます。イエスの弟子達の中に権力欲、支配欲、名誉心、虚栄心が芽生えています。それらは自由の福音に危機をもたらします。
 第一回目の受難予告(8・31)の後、ペテロが受難する人の子に反対し、栄光のキリストをイエスに求めて、厳しく叱責されました。そして今、第二回目の受難予告の後、十二弟子達が序列を争って、イエスにたしなめられているのです。受難の予告と弟子達の無理解という点でその両者は対応関係にあります。しかし次に来る「弟子の道」の教えに大きな相違があります。第一回目の時は、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、我に従え」と命じられ、迫害と殉教まで考えられています。しかし第二回目は、「誰でも一番に成りたいと思う者は、みんなの最後に成り、みんなの召使いになりなさい」と言われ、権力欲と支配欲が否定されて、愛による奉仕こそ、神の喜び給うものである、と教えられているのです。ここではもはや、第一回目の時のようにイエス当時の、終末を期待する切迫した雰囲気(9・1)は感じられず、マルコの時代の安定した教会の状況が現わされているようです。学者の言うように、先ず35節のイエスの言葉が伝承されていて、マルコが33節と34節の言葉を書いてこのエピソードを作り出したのかも知れません。「"誰でも一番に成りたい者は、最後に成れ、みんなの召使いになれ"は非常に重要である。問題は権力及び奉仕に関するキリスト教団の立場についてである。福音書記者はこの立場に対しての規則をイエスの言葉の中に求めているのである」(ヘンヘン)。そしてヘンヘンは35節を次のように説明しています。「人はイエスの答えを決して次のように解釈してはならない。"地においても、天においても、特別に高い席次を持ちたいと思う者は誰でも、すべての人に喜んで仕えることによって、それを得なければならない"。もしそうならば、喜んで奉仕しようとする心情は、人がそれによって自分に高い地位を偽わり確保するための手段へと堕落してしまうであろう。35節によってイエスが意味する所は次のようである。どんな奉仕にも備えができている愛が、即ち権力や影響力を求めず、また天における特別の高い席をも問題にしない愛が、神の目に正に大なのである。神は支配しようとする意志を喜ばれず、奉仕しようとする意志を喜ばれる」。
 35節はイエスらしいラディカルな言葉です。より大きな権力、支配、所有を求めて止まない世の中の価値観に対して、愛と奉仕と謙虚を最大に評価する神の国の価値観です。それは神から遣わされた「主の僕(しもべ)」が、現実に人の子として受難することによって世の価値観を罪に定めてしまうものです。そして当然、イエスの弟子達は自分の十字架を負って、神の国の価値観に生きて自らをイエスに属する者として証ししなければなりません。しかし二千年に及ぶキリスト教会の歴史は、それに失敗してきたことを証ししています。教会も又、この世の権力と支配と財宝を求めてきたのです。教会の歴史の中でも、イエスは依然として「受難する人の子」なのです。即ち、教会の歴史も又、罪の歴史なのです。その萌芽が、人の子の受難予告がなされるやいなや、もうすでにイエスの直弟子の間に現われていることを、マルコは繰り返し指摘して止まないのです。私達は真に悔い改めて、神の国の価値観に生きる決心をしてイエスに従わなければ、神の国の市民権は得られないのです。
 「生命を与えるものは霊である。肉は何の役にも立たない」(ヨハネ6・63)
                      1991年9月22日 礼拝説教

  「寛容の教え」

 ヨハネはイエスに言った、「先生、私達の仲間ではない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたので、止めさせようとしました。彼は私達に従って来ようとしなかったからです」 しかしイエスは言われた、「止めさせようとしなくてもよい。私の名を使って奇跡を行ないながら、直ぐその後で、私の悪口を言える者は居ないのだから。私達に反対しない者は、私達の味方なのだ」
                         マルコ福音書9章38節〜40節 

 瀬戸内寂聴著「寂庵説法」の中で、寂聴氏がチベットのラサの町で大変な目にあった話をしています。ラサは仏教の聖地で、お寺参りをするのだからと考えて、僧尼の正装である黄色い法衣を着て出かけると、中心街の広場で、たちまち大群衆に取り囲まれてしまった。彼らは口々に何かをわめき、舌をだらりと出して、牛のように頭を突き出してきた。寂聴氏は事情が分からなかったで恐怖の悲鳴を上げてしまったが、やがて、人々は観音菩薩が出現したと思って、加持(真言宗で行なう呪法)を求めてきたのだ、と知らされました。「私はあの時、もし私に本当に仏力を迎える加持力があれば、あの必死に求める人々に対し、仏力は必ず感応するのではないかと思ったことです」と書いています。
 さて、いつもなら弟子団を代表してペテロが発言するのですが、ここでは珍らしくヨハネがイエスに語っています。「先生、私たちの仲間ではない余所者が、あなたの名を使って悪霊祓いを行なっているのを見たので、"君はイエスの弟子ではないのだから、君にそれをする資格はない。直ぐに止めなさい"と言いましたが、彼は聞こうとしませんでした」と訴えました。するとイエスは意外にも、「そのままにしておきなさい。禁じてはいけない。私の名を使って奇跡を行ないながら、急に私の悪口を言う者はいないだろう。私達に逆らわない者は、私達の味方なのだ」と言われました。
 「汝の神、主の名をみだりに唱うべからず」 モーセの十戒は、イスラエルの神の名を、厄除けの呪文として唱えることを禁じています。異教の風習では、神々や偉大な人物の名前には一種の魔力があると考えて、それを魔除けのために使っていました。そしてイエスの名は大変に効き目があるというので、流行のようになって、外部の人までそれを利用して悪霊祓いを行なっていました。そういう状況は果たして、地上のイエスの時代のことでしょうか、又は、原始キリスト教団時代のことでしょうか。もしこの聖書個所の出来事がイエスの時代のことであったなら、この人物はイエスの弟子グループの外の者でした。もしこの出来事が教団時代のことであったなら、この人物はキリスト教団の外の者でした。「イエスの在世中に、弟子でない者までがイエスの名を用いて悪霊を追い出していたという報告は、疑わしい」(クロステルマン)
 「新約聖書において、イエス以外の人に"従う"ことが問題となることは決してないので、ここで"私達に"という言葉が二度も出て来るのは、注目すべきである。ここに述べられているような弟子達の振る舞いは、特にイエスの生前には不可能なことであった。弟子達は、イエスを抜きに独立したグループとして存在したことは殆んどなかったという事情を別にしても、ある人が"彼らに"従わないからとて、それを驚くことはできないはずだ。イエスはすべての人が十二弟子のグループに合流するようになどと、一度も要求されたことはない(5・19)。これらの所見はすべて、イエスの時代ではなく、それ以後の教団の時代を指し示している。そこにおいては、この問題が急を告げていたのである(マタイ7・13〜23)。そこで人々は、"イエスならばどう処理されたであろうか"と問い、それに対してキリストによる一人の預言者が、天に挙げられたイエスの御名によって(黙2・1)、40節の答えを与えたのであった」(E・シュヴァイツァー) ここで彼が「二度も」と言っているのは、38節の「私達の仲間ではない者」の直訳は「私達に従わない者」であるからです。つまり教団に属していない者が、イエスの名を使って悪霊祓いをしているのを見て、それでは君も洗礼を受けて教団に入ったらどうかと勧めたが、彼はそうしようとしなかった。この問題をどうするか、ということだったのでしょう。「ここでヨハネは、仲間の獲得と自分の教会的グループの強化に熱心なため、自分のグループに加わろうとしない周辺の人々に対して心のゆとりを持たぬ人間の、自然な態度を代表している。だが教団は決して、その外的成長に腐心すべきではなく、外に立つ人々に門戸を開いていなければならない」(E・シュバイツァー)
 そのように教団はイエスの権威によって、教団の人々の排他的な狭い心を戒め、外部の人々に対して開かれた寛容な態度を勧めていますが、その背後には教団が置かれていた厳しい外的状況(迫害)があったのかも知れません。「マルコが39節に持ち込んだ孝養を基準にする判断は、われわれが再びマルコの時代の教団の規則と関わり合っていることを明らかにする。そっけない拒絶や排他的限定は勧められず、同調者いや利用者さえも原則的に承認することが勧められている」(シュミットハルス)
 「私達に反対しない者は、私達の味方なのだ」(40節) こうしていろいろ状況を考えてみると、私にはQ資料が伝えている40節と矛盾する言葉、「私に味方しない者は私に敵対し、私と共に集めない者は散らしているのだ」(マタイ12・30、ルカ11・23)の方が、切迫している神の国の来臨を宣教するイエスの状況に相応しいものに思われます。このQ資料の言葉も、悪霊追放問題の論争の時に語られています。イエスが神の子の権威によって悪霊を追放していた時に、パリサイ人達が、「悪霊の頭(かしら)ベルゼブルの力によってやっているのだ」と中傷しました。それに対してイエスは、「では君達の仲間は何の力によって悪霊追放をしているのか?」と切り返して、「私が神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の支配はすでに君達の所に来ているのだ」と言われました。聖書は一貫して、神の側に立つか否かの選択を迫っており、中間的な態度はあり得ないことを示しています。
                      1991年9月29日 礼拝説教

  「小さい信徒」

 君達がキリストに属する者だという名の故に、君達に一杯の水でも飲ませてくれる人は、アーメン、私は君達に言う、決してその報酬を失うことはないであろう。また、これらの小さい信徒の一人を躓かせる者は、ろばの引く石臼をその首に掛けられて海の中に投げ込まれる方が、その人にとってはるかによい。
                         マルコ福音書9章41〜42節

 銀行や証券会社の不正事件が次々に明るみに出されて、バブル経済の実体が暴露されつつありますが、今度は、幸福の科学という名のバブル宗教が社会問題になっています。現代日本は、政治、経済、文化、教育のみか、宗教までがバブル(シャボン玉)です。バブルというのは決して新しい社会現象ではなく、創世記にすでに(傍点始まり)バベル(傍点終わり)が記されています。「さあ、天まで届く塔のある町を建て、我々は有名になろう」(11・4)。バブルはバベルである、というのが私の昨今の感慨です。「大きいことはいいことだ」という世の中の価値観に対して、「小さいことは素晴らしい(スモール イズ ビューティフル)」という価値観を確立したいと願っています。「貴重なものは、小さい包みで来る」のです。
 「人の子は人々の手に引き渡される。そして彼らは彼を殺すであろう」(31節)第二回目の「人の子の受難予告の後、第二回目の「弟子の道」が33〜50節に語られます。その中で33〜35節のエピソードが最も重要です。イエスが受難の道に赴かれるというのに、弟子達の間では誰が一番偉大であるかと、言い争っていたのです。群れの中で大きな存在に成ろうという意志は、すでにバブルへの道なのです。それに対してイエスは、「小さい者に成れ!」と言われました。「誰でも一番に成りたいと思う者は、みんなの最後に成り、みんなの召使いに成りなさい」
 そして「小さい者」の実例として、36〜37節に「一人の子供」が上げられています。「私の名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである」元来33〜34節と35〜37節は別々の伝承であったものをマルコがつなぎ合わせたのだが、それがあまりうまく行っていないと学者は指摘しています。33節にはイエスと弟子達だけがそこに居たはずですが、それならその子供をどこから連れてきたのか。又、35節は弟子達自身が小さく成れ、という教えですが、37節では、弟子達は小さい者を暖かく迎え入れよ、と勧められているのです。
 38〜40節は話題が新しくなっています。ここはマルコの挿入だろうと言われています。実際、マタイはこの部分を省いています(18・5)。37節から41節に直結させると、「小さい者」という主題で、意味がよく通じます。もっともマルコが38〜40節を入れたのは、「私の名」37節、「あなたの名」38節、「キリストに属する者だという名」41節、という具合に、「名」という標語のもとにその伝承をここに置いたのかも知れません。
 41〜50節は、5つの短い説話が集められています。41節、42節、43〜48節、49節、50節。それらはお互いに論理的な結びつきは弱いのですが、むしろそれらは5つのビーズ玉のように、標語というひもで結ばれています。「名」「小さい者」「躓かせる」「地獄」「火」「塩」。それらの標語は、初期のキリスト教団の中で、しばしば語られていた語でしょう。
 「(私の)弟子の名の故に、これらの小さい者の一人に一杯の冷たい水を飲ませる者は、アーメン、私は君達に言う、決してその報酬を失わないであろう」(マタイ10・42) マタイはこの言葉を伝道者心得の中の最後の個所に記しています。ここではイエスの弟子である小さい者とは、幼子のことではなく、巡回伝道者のことです。彼らはイエスに倣って、定住、定職、結婚を放棄して、福音伝道のために献身した者達でした。彼らはパレスチナ内外の町々村々に点在する小さいキリスト教徒の共同体を巡回し、そこで説教をしたり、癒しや悪霊祓いをしたりしていました。そして共同体は彼らを迎え入れ、衣食を提供し、次の町までの旅費を与えていたのです(マタイ10・5〜15)。マタイは、そのような伝道者を暖かく迎え入れるように勧めているのです。
 マルコの場合は状況が異なります。41節の「キリストに属する者」に親切にしなさいという勧めは、巡回伝道者に対してのことではなく、キリスト教徒に対してのものです。キリスト教徒に親切を与える者は、キリストの名において、決してその報酬を失うことはないという約束です。マルコの時代には、キリスト教団は苦境に立たされていたことが推察されます。「この言葉は特に巡回伝道者を想定しているとは思えない。これは迫害下の状況を背景としてつくられたものである。この言葉は、この状態におけるキリスト教徒の保護者か、秘かな同情者を暗示している。39〜40節はこの友人達を怒らせないようにと教会員を戒めているのだが、41節は、当たり前でもなければ、危険がないわけでもない彼らの行為に対して、神の褒美を約束しているのである」(シュミットハルス)
 「また、これらの小さい信徒の一人を躓かせる者は、ろばの引く石臼をその首に掛けられて海の中に投げ込まれる方が、その人にとってはるかによい」という42節は、37節および41節と連結しています。37節と42節には対応する語が見られます。「受け入れる」に対して「躓かせる」、「子供」に対して「小さい者」、「私の名の故に」に対して「信じる者」があります。また、41節と42節の関係は、苦境にあるキリスト教徒に親切を与えてくれる者に対する報酬の約束に対応して、敵対者への激しい裁きの言葉が語られているのです。ここにおける「小さい者」とは、幼子でも巡回伝道者でもなく、弱い立場にあるキリスト教徒を意味しています。
 このように初期のキリスト教徒達は、自らを「小さい者」と呼んでいました。そして主イエスはその「小さい者達の群れ」を愛し、励ましておられます。
 「恐れるな、小さい群れよ。神の国を君たちに賜わることは、父上の喜びとし給うところなのだ」(ルカ12・32)
                     1991年10月6日 礼拝説教

  「罪に誘(いざな)うもの」

 もし君の右手が君を罪に誘うならば、それを切り捨てよ。片手になって生命に入る方が、両手そろって地獄に堕ち、消えない火の中に入るよりもよい。もし君の足が君を罪に誘うならば、これを切り捨てよ。片足で生命に入る方が、両足そろって地獄に投げ入れられるよりもよい。もし君の眼が君を罪に誘うならば、それをえぐり出せ。片眼で神の国に入る方が、両眼そろって地獄に投げ入れられるよりもよい。地獄では蛆が尽きず、火も消えることがない。何故なら、人は皆、火で塩漬けされるであろうから。塩は良い物だ。しかし塩がもし塩気を失えば、君達は何でその味を取り戻すのか。君達自身の中に塩を保ち、互いに平和を保ちなさい。
                         マルコ福音書9章43〜50節

 現代の日本人にとって、地獄は遠い存在です。昔の人は地獄絵を見て、恐れおののきました。「見るも憂(う)し いかにかすべきわが心 かかる報いの 罪やありける」(西行) しかし現代では地獄に堕とされることを恐れて悪いことをしない、という人は殆んどいなくなりました。
 聖書で言う地獄は、人々の身近かにありました。城壁に囲まれたエルサレムの都に出入りするには門を通らねばなりませんが、その門の中の一つに、糞門(ダングゲイト)というおかしな名前の門があります。それはヒンノムの峡谷に通じている門で、昔は廃棄物や死体などがそこから運び出されて、その峡谷に捨てられ、焼却されていました。元来そこにはモレクの神の聖所があり、モレクの神に願をかけるために、人々はその祭壇に子供を捧げました。宗教改革王ヨシアはその悪習を禁じました。「王はベン・ヒンノムの谷にあるトフェト(祭壇)を汚し、だれもモレクのために自分の息子、娘に火の中を通らせることのないようにした」(列王記下23・10) そこは「殺戮の谷」(エレミヤ7・32)と呼ばれて人々に恐れられていました。そのヒンノムの谷はアラム語でゲ・ヒナムと呼ばれ、新約聖書ではギリシャ語で、ゲエナと記されました。イエスの時代にはごみや死体の焼却場になっていて、絶えず火や煙が立ちのぼっていたのでしょう。それが「地獄(ゲエナ)」で、また未来の審判の時の処刑場の象徴的な名前になりました。
 「これらの小さい信徒の一人を躓かせる者は、ろばの引く石臼を首に掛けられて海の中に投げ込まれる方が、その人にとってはるかによい」42節。ギリシャ語のスカンダロンは、鳥や獣を捕らえるためのワナやオトシのことで、その動詞形のスカンダリゾーは、ワナを仕掛けて人を罪に誘う、躓きを与えて背教に導くという意味があります。42節は、迫害や脅迫でキリスト信者を信仰から離れさせる敵に対する呪詛的な言葉です。石臼に二種類あり、小さい臼は女がひき(マタイ24・41)、大きい臼はろばがひきました。ユダヤ人は溺死を殊の外忌み嫌っていたので、これは強烈な印象を与える言葉です。地獄の責め苦にあうよりもその方がましだ、と言う意味です。
 42節と43〜48節の主な相違は、前者の躓きが迫害者のキリスト信徒に対する外からの悪の力であるのに対して、後者の躓きは自分の内心から出る欲望による誘惑なのです。手と足と目の罪。肢体が罪を犯すという見方はユダヤ的な考え方です。「驕り高ぶる目、うそをつく舌、罪もない人の血を流す手、悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足」(箴言6・17〜18) この目と手の誘惑については、山上の説教(マタイ5・27以下)にも語られています。そこでは明らかに性的な躓きが戒められています。「我々はここで強く誇張された戒めの言葉と関わっている。勿論これは言葉通りとるべきではない。なぜなら悪い欲情は肢体から出てくるのではなく、心から出てくるのであるし、また自分の体の一部を切り取ることは人間自身を服従へとは導かないからである。そのような無条件の服従、特に悪の試みと誘惑とに対する妥協することのない抵抗が43〜48節において問題とされているのである。その際に、この言葉はもともと倫理的に考えられているのではなく、来るべき終末の時を望んでの訓戒として考えられているのである。イエスはこの終末の時に直面して徹底的な服従を要求する。神の支配の遂行は何物によっても妨げられてはならない。妨げるものがあれば、それは除去されなければならない。唯一の偉大な善が出現したならば、今まで善であったものも、もはや何一つとして独立の善として留まることはない。すべてのものはこの唯一の目的に従属させられる。誰も二人の主に兼ね仕えることは出来ない。いくつもの決断が問題となるのではなく、唯一つの決断が問題になるのである」(シュミットハルス)
 43、45、47節には並行的な文章が続き、手と足と目という体の部分が来らせる躓きが戒められていますが、写本によっては各々の節の終わりに48節の言葉が繰り返されています。「地獄では蛆が尽きず、火も消えることがない」。しかし多くの写本では43節と45節にはその言葉がないので、聖書協会訳ではカッコに入れられ、新共同訳では省かれています。この威嚇的な言葉は終末の審判を語っているイザヤ書の最後の言葉からの引用です。「外に出る人々は、私に背いた者らの死体を見る。蛆は絶えず、彼らを焼く火は消えることがない。すべての肉なる者にとって彼らは憎悪の的となる」(66・24)。ユダヤ教の伝承によると、地獄の火は普通の火の60倍の熱さがあると言われています。このような恐ろしい言葉によって罪が戒められ、生命に入ること、即ち神との生きた交わりを通して霊的生命を得ることが勧められているのです。
 「人は皆、火で塩漬けされる」49節。この火は、48節の地獄の火とは性質の違う火です。マルコは異なる伝承の言葉を「火」という標語でつないでいるのです。解釈困難な言葉ですが、火も塩も共に腐敗を防ぐ所から、聖霊と解することができるでしょう。「君達自身の中に塩を保ち、互いに平和を保ちなさい」50節。この言葉で「弟子の道」が締め括られています。イエスの弟子たる者は、自ら小さい存在と成り、外側と内側から起こってくる躓きに対して、聖霊の火と塩を内に保って抵抗し、互いに愛し合って信仰の勝利を得よ、と励まされているのです。
                     1991年10月13日 礼拝説教