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マルコ福音書の研究

  「奇跡の再現か、重複か」

イエス「この群衆が可哀想だ。私と一緒に三日間もいて、食べ物がない。空腹のままで家へ帰らせると、途中で行き倒れてしまうだろう。なかには遠方から来た者もいる」
弟子達「こんな荒野の真ん中で、どこからパンを手に入れて、これだけの人々に食べさせることができましょうか?」         マルコ福音書8章2〜4節

 今朝、私たちは大きな問題に取り組みます。この四千人に給食したパンの奇跡は、先の五千人に給食したパンの奇跡の再現か、それとも重複かという問題です。保守的な学者は、聖書に二度書かれているのだから、奇跡の再現である。このような大奇跡といえども、二度あっても少しも不思議ではない。両者には相違点が沢山ある、と言います。それに対して進歩的な学者は、両方の記事を注意深く調べると、共通点が非常に多く見出せる。どう考えてもこれは、一つの出来事が重複して記されているのである。四千人の給食の記事は、五千人の給食の記事のダブルである、と言います。
 先ず相違点から考えて見ましょう。場所は、ガリラヤ湖畔であるというほかは分かりません。時は、先の場合、「人々は緑の草の上に座った」ので、春です。後の場合、「地面の上に座った」とあって、緑の草は出て来ません。ツロ、シドン、デカポリス地方を巡回した後のことですから、両方の間には数ヶ月の差があったかも知れません。群衆が三日間イエスと一緒にいたことは、後の場合だけに出て来ます。また、元のパンの数、残りのパンの量、供食した人数などに相違があります。面白いことは、籠の種類の相違です。先の場合の籠はコフィノスと言って、小枝や柳などを編んで作った固い籠です。後のものはスピュリスと言って、藺草(いぐさ)などで編んだ柔らかい手さげ籠のようなものです。元のパンの数5対7、供食した人数五千対四千、食べ残したパンの量12対7などを比較すると、先の奇跡の規模の方が大きかったことが分かります。
 相違点に劣らず、共通点も多く見出せます。先ず、少しのパンと魚で多くの人を養ったという同じ種類の奇跡です。奇跡の動機がイエスの群衆に対する同情にあったことも共通しています。イエスと弟子達との対話、イエスがパンを用意したこと、食べ残りを集めたことなど、大筋は変わりません。特に「パンは幾つあるか」というイエスの言葉は、そのまま両方に使われています。又、もしこれが奇跡の再現であるならば、パンの欠乏に気付いた時に、弟子達は少しも戸惑う必要がなかったはずですが、彼らはあたかも初めての経験であるかのように戸惑っています。
 私はこう考えます。一つの出来事があって、人々がそれを口で語り伝えるうちに細部に変化が生じて二つの伝承となった。マルコは福音書を編集する時に、その二つの異なる伝承をもっていた。彼はそれが同一事件の重複した伝承であることを百も承知で、それが奇跡の再現であるとして両方の資料を彼の福音書に載せた。マタイは、マルコに倣って二つの奇跡を彼の福音書に載せたが、しかしルカは、後の奇跡を彼の福音書に載せなかった。
 では、マルコがそのようにした目的は何か。学者は、6章34節〜7章37節と、8章1節〜26節とは、明らかに並行している記事の連続である、と指摘しています。五千人の供食(6・34〜44)と四千人の供食(8・1〜9)。湖上の歩行とゲネサレへの渡航(6・45〜56)とダルマヌタへの渡航(8・10)、不浄についてのパリサイ人との論争(7・1〜23)と徴(しるし)についてのパリサイ人との論争(8・11〜12)、異邦人の女の信仰とパンについての話題(7・24〜30)とパンとパン種についての話題(8・13〜21)、聾唖者の癒し(7・31〜37)と盲人の癒し(8・22〜26)。
 マルコはその一連の並行記事を二度繰り返して並べることによって、羊の群れ(民衆)の欠乏に応える大牧者なるイエスの姿を明らかにしつつ、他方、大奇跡が二度も行われたにもかかわらず、弟子達の心は依然として頑なであり、イエスの本質を悟ることのできない彼らの盲目を厳しく批判しているのです(7・18、8・14〜21)。
 マルコはそのようにイエスの物語を構成しつつ、「あなたこそキリストであります!」(8・29)というペテロの信仰告白に読者の心を導いて行きます。そしてその信仰告白を転機に、救済史上の新しい段階が始まるのです。ガリラヤでの神の国の福音宣教の時期が終わって、エルサレムへのイエスの道が、信仰告白の地、パレスチナ北端のピリポ・カイザリアから始まります。「8章27節をもってこの福音書の新しい部分が始まることを読者はすぐには解らない。なぜならば物語は最初には今までの活動区域の北方へ向けての新しい旅をもって継続しているからである。後になって初めて読者は『道(ホドス)』という標語が、10章52節まで、以下の物語の構造を決定している主題であることに気付く(8・27、9・33以下、10・17、32、46、52)。この標語は4章35節〜8章26節における『舟』と対比されるものである。『舟』はもはや現われない」(D・リールマン)。
 この指摘は見事です。現代人である私達の「足」がバスや電車であるように、ガリラヤ湖周辺で活動されていた頃のイエスの「足」は、小さい漁船でした。ガリラヤ湖の舟は、イエスの御業の証人でした。最初の弟子達を招いた時、そこに舟がありました。湖畔の説教の時、舟が講壇になりました。暴風を叱り、荒波を静めた時、舟は弟子達と共に破滅を免れました。パンの大奇跡が行われた時、舟はそれを目撃しました。舟はイエスとその一行を、西岸から東岸へ、北岸から南岸へと運びました。そしてその都度、イエスの新しい御業が展開され、神の栄光が現わされ、人々は驚嘆と賛美の声を上げました。イエス愛用のこの舟は、貧しく小さい漁船でした。飾り立てた遊覧船やレジャー用の釣り船ではありませんでした。実用的な、確りとした造りの、漁民の生活に欠かせない、労働する舟でした。その舟は、人々の注目や称賛を受けることなく、黙々としてその分を果たしました。その真価を知る者は、主イエスと弟子達と注意深い聖書の読者たちだけでした。
                       1991年6月2日 礼拝説教

  「天からの徴(しるし)」

 するとパリサイ人達が出て来て、イエスを試そうとして議論を吹きかけ、天からの徴を彼に求めた。イエスは心中深く嘆息して言った。「なぜ、この時代の人々は徴を求めるのだろうか? アーメン、私は君達に言う。この時代の人々に、徴は絶対に与えられない!」 そして彼らを置き去りにしたまま、イエスは舟に乗って再び向こう岸へ渡って行った。                マルコ福音書8章11〜13節

 「一体、この方は誰だろう?」(4・41)。ただ一言で湖上の突風を静めたイエスの力に驚嘆して、弟子達はお互いにこう問いかけました。マルコは、イエスの言動を語りながら、弟子達や民衆や敵対者達に、この問いを問わせ続けてきました。そして今日、彼の福音書の読者である私たちにも、この同じ問いを問わせています。この問いを問わせつつ、マルコは私たちに、やがてイエスの十字架と復活の出来事を語り、イエスが救い主キリストであり、神の子であると証しするのです。
 四千人の供食の奇跡の後、イエスの一行は舟に乗って西岸のダルマヌタ地方へ行きました。するとパリサイ人達が出て来て、天からの徴をイエスに求めました。彼らはイエスの行動に関心をもって見張ってきました。病人を治療し、悪霊を追放し、様々な奇跡を行ない、民衆が、預言者とか、再来のエリアとか、メシアかも知れないとかと噂をしているイエスに会って、その力量を試してみようと考えていました。どうせ田舎の治療師だろう。大した事ができるはずがない、と高を括っていました。ひとつ難問を吹きかけて、化けの皮をはいでやろう、という魂胆でした。
 「ナザレのイエスよ、天からの徴を私たちに見せて下さい」 イエスはその要求に顔を曇らせ、心中深く溜息をつきました。イエスは地上を歩き回って人々の中に信仰を求めていましたが、彼が見出したのは不信仰ばかりでした。「天からの徴」とは、当時カリスマ的治療師達がやっていた、病気を治したり、悪霊を追放したりというような普通の奇跡ではなく、荒野のサタンが求めたような、石をパンに変えたり、高所から飛び下りたり、稲妻を起こしたりするような、特別の大奇跡を意味していました。神から遣わされた者だと言うのなら、それ位のことはできるはずだ。その証明ができないのなら、にせ預言者であるに違いない。やって見せてくれ、それができたら、お前の言葉を聞いてやろう。これが彼らの言い分でした。
 イエスは心中深く呻き声を上げ、それが怒りの言葉になって出されました。「なぜ、この時代の人々は徴を求めるのだろうか? アーメン、私は君達に言う。この時代の人々に、徴は絶対に与えられない!」 イエスは彼らの要求を拒絶し、そう言い捨てて、彼らを置き去りにしたまま、再び舟に乗って向こう岸へ行ってしまいました。マルコの伝えるイエスは、今日の人々が考えているような、どんな質問にも親切に答え、どんな要求にも優しく応じてくれるような人ではありません。不信仰を見て憤慨し、厚かましい要求を拒絶するお方でした。
 イエスの信仰とパリサイ人の信仰とは、本質的に異なるものでした。神との関わり方の相違によるものです。パリサイ人の信仰とは、神殿の礼拝、律法の順守、民族の特権という、いわゆる宗教心や宗教行事を守ることでした。つまりそれは、目に見える形で価値評価できる類(たぐい)のものでした。それで彼らはイエスに、目に見える形の奇跡を行なって見せてくれと要求したのです。今日でも一般に、宗教とか信仰とか言われているものは、そういう類のものです。イエスはそれを不信仰と言われました。
 イエスの信仰は、神から直接語りかけてくる御声に耳を傾けてこれに聴き従うこと、近きにいます神への愛と信頼に生きることでした。イエスが人々に求めたものは、イエスの言葉の中に神からの呼びかけを聞き取り、彼の行為の中に神の御業を認めて、彼を信じることでした。徴や奇跡に関して言えば、イエスにその霊力が授けられており、イエスが欲すれば徴や奇跡は行なわれることがありますが、それはあくまでイエスの自由意志の中にあるもので、人間が要求するものではありません。「天からの徴」を見たければ、イエス御自身が、最大最高の「徴」(ルカ2・12)なのです。
 マタイ(16・1〜4)は例によって、マルコの記事をマタイ流に変えました。マタイは「パリサイ人達」に「サドカイ人達」を付け加えて、敵対者を増しました。又、例によって、イエスが「心中深く嘆息した」という、イエスの人間的感情を表わす言葉を省きました。更に、Q資料から「夕焼けだから明日は晴だ、朝焼けだから今日は荒れだ」という言葉を借用しました。そしてマルコの「この時代の人々」に、「この悪い、神に背いた時代の人々」という説明的言葉を付加しました。これは、現在の時代は悪魔の勢力の支配する悪い時代で、来るべき時代は、神とメシアの支配する良い時代だという、当時流行した時代の二分法によるものです。最も著しい相違は、マルコのイエスは、パリサイ人達の要求を絶対拒否いたしましたが、マタイのイエスは、「ヨナの徴」を唯一の例外として認めたことでした。これもQ資料から借用した言葉です。マタイはこの同一事件を、Q資料(12・38〜42)とマルコ資料(16・1〜4)の両方から、別個の事件として扱っているのです。言葉が重複しているのはそのためです。「ヨナの徴」とは、残虐非道のアッシリアの首都ニネベの人々ですら、「40日経ったらニネベは滅びる」というヨナの宣教によって悔い改めたのに、今の人々はイエスの宣教によって悔い改めず、「天からの徴」を求めて止まないという意味です。「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいる」Q資料を保持していた教団は、イエスの十字架と復活こそが、イエスが神の子である唯一の徴であると主張しているのです。そしてその信仰告白を、地上のイエスの預言としてこの物語の中に挿入したのです。
 従って、マルコのイエスの絶対的拒否が、最も古い形で、真正のイエスの言葉を伝えていると考えます。徴を求めず、イエスを信じる信仰の道を歩み続けましょう。
                    1991年6月9日 礼拝説教

  「弟子達の盲目」

 そして弟子達はパンを持ってくることを忘れ、舟の中には一つのパンしか無かった。(15節を除く)すると彼らは、パンを持っていないことを互いに論じ合った。するとイエスはそれを知り、言われる、「君達は何を論じているのか、パンを持っていないことをか。君達はまだ分からないのか、悟らないのか。心を頑なにしているのか。目があっても見えず、耳があっても聞えないのか。忘れてしまったのか、私が五つのパンを五千人に裂き与えたことを。君達はその時、幾籠のパン屑を集めたのか」 彼らは言う「十二」 「私が七つのパンを四千人に裂き与えた時、幾籠それを集めたか」 彼らは言う「七つ」 そして彼は言われた、「君達は、まだ悟らないのか」
                          マルコ福音書8章14〜21節

 多くの学者の意見に従って15節を除いてみると、この物語の主題は一つ、パンの徴と弟子達の盲目です。天からの徴を求めるパリサイ人の要求を拒絶して、イエスの一行は舟に乗り込む。弟子達はパンが一つしかないことに気付き、そのことが心配になって、どうしようかと相談している。するとイエスはそれを知って、弟子達の盲目を激しく非難し、過去二度のパンの供食を思い起こさせ、「君達はまだ悟らないのか」と言って、物語を終えている。
 8章全体には一つの流れ(マルコの意図)が見られます。先ず「四千人の供食」によってイエスが超越者であることが啓示されます。その後イエスの一行は舟に乗って対岸に渡ると、パリサイ人が待ち構えていて、天からの徴を要求します。それによって彼らがイエスの本質に対して盲目であることが暴露されます。次にまた舟に乗り込んで対岸に向かいますが、その舟中で弟子達がパンの欠乏に気付いて心配していると、イエスはそれを知って、弟子達の盲目を激しく非難し、二度にわたるパンの大奇跡を思い出させ、不信仰の反省を迫ります。外なるパリサイ人も、内なる弟子達も、イエスの本質に対して盲目、無理解なのです。次に、ベッサイダで盲人を癒しますが、その盲人の「開眼」が次に来る「ペテロの信仰告白」の予表になります。パレスチナの北端の町ピリポ・カイザリアで、ペテロは弟子団を代表して、「あなたはキリストであります」と信仰告白すると、イエスはそれを秘密にしておくようにと命じ、来るべきエルサレムでの苦難と復活を予告されます。するとペテロは「十字架のキリスト」を理解できず、イエスに反対しますが、却ってイエスから激しく叱られます、「サタンよ、引っ込んでいろ!」 そしてイエスは、弟子たる君達も又、十字架を背負って我に従えと命じられ、十字架の道こそが生命に至る栄光の道であることを説き勧められます。
 「そしてイエスは弟子達に厳しく言われた、"注意せよ、パリサイ人のパン種とヘロデのパン種に"」(15節)。冒頭に記したように15節を除いてみると、この個所は弟子達の盲目を戒める単純な物語のように見えますが、余り簡単ではないようです。
 「難解な個所である。15節はイエスの真正な言葉を含んでいると思われるが、この文脈には適していない。ルカは別の文脈で語っている(12・1)。ウエルハウゼンは、14節と16節は、技巧的に15節によって分断されている、と指摘している。もし、1〜9節の記事(四千人の供食)が本当に、6章30節以下の記事(五千人の供食)の重複記事ならば、少くとも、19節以下はマルコの創作である」(H・G・ウッド)
 マルコに伝えられていた伝承(15節)をそこに挿入することによって、マルコは弟子達がイエスの言葉を取り違えたことにして、彼らの盲目を強調しているのです。元来、全然思想を異にするパリサイ人とヘロデを一緒に並べることは不思議な気がしますが、3章6節のイエスに対する彼らの殺意を指摘しているのかも知れません。律法主義者であるパリサイ人と、ヘロデ・アンテパスの政策を支持するヘロデ党は、ユダヤ・ナショナリズムという点でのみ、一致しています。マタイはその所を、「パリサイ人とサドカイ人のパン種に注意せよ」(16・6)と改訂しました。そしてマルコには無い解釈を付け加えました、「イエスはパン種ではなく、パリサイ人とサドカイ人との教えに警戒せよ、と言われたことを弟子達は悟った」(16・12)。「教え」はヘロデにふさわしくないので、マタイは「ヘロデ」を「サドカイ人」に変えました。またルカは、「パリサイのパン種、即ち、彼らの偽善に注意せよ」(12・1)と解釈を加えました。「マタイは教義(ドグマ)化し、ルカは倫理化した」(ローマイマー)
 パン種(イースト)は、発酵した小さなパンの塊で、パンを焼く時に必要なものですが、聖書では多く、悪い意味に用いられています。「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを知らないのか?」(コリント第一書5・6、ガラテヤ5・9、レビ2・11)。発酵は腐敗菌のように、わずかな所からその影響は全体に広がります。信仰に於て、パリサイ人の律法主義と形式主義、サドカイ人の伝統固執主義と利権主義、ヘロデ党の支配欲と権力主義など、信仰者と教会が陥り易いワナです。「人を活かすものは霊(プニューマ)(息、空気、風)であって、肉は何の役にも立たない」(ヨハネ6・63) 主なる神とイエスは、常に父と子の親しい関係の中に生きておられました。イエスは神の霊を呼吸して生きておられたのです。イエスが現在の日本に生きておられたなら、私達に何と警告されるでしょうか? 「日本人のパン種に注意せよ」という言葉の下に、金銭万能主義、快楽追求主義、仕事第一主義、利己主義などの悪の項目が読み取られるでしょう。「アメリカ人のパン種」は、アメリカ至上主義、暴力犯罪、麻薬、エイズ、性的荒廃、家庭の崩壊などでしょう。これらの「パン種」を私達自身と、私達の家庭と教会と社会から取り除こうとすれば、手強い敵に直面することになります。しかしこの強敵を正面に見据えて戦わなければ、人類はやがて滅亡するでしょう。主イエスの御力によって、これら現代の悪霊共を追放していただくように祈りましょう。「しかし、もし私が神の御霊(プニューマ)によって悪霊共を追い出しているならば、神の国(神の支配)は、君たちのところに来ているのだ」(マタイ12・28)
                     1991年6月16日 礼拝説教

  「盲人の開眼」

 彼らはベッサイダに着いた。すると人々が一人の盲人をイエスの許に連れて来て、その人に触って下さるようにと願い出た。イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾を吐きかけ、両手を彼の上に置いて、「何か見えるか?」とお尋ねになった。すると彼は視力を回復されはじめて、言った。「人々が見えます。木々のように見えますが、彼らは歩いています」イエスは再び彼の目の上に手を置かれた。そして彼が目を凝らして見ると、すべてのものが明らかに見えるほど癒されていた。それからイエスは彼を家に送り帰して言われた。「村で、このことを誰にも語ってはならない」                    マルコ福音書8章22〜26節

 このベッサイダの盲人の癒しの物語は、あの聾唖者の癒しの物語(7・31〜37)と対応しています。両者は類似の奇跡物語で、共通点が多く見出せます。イエスが障害者だけを連れ出したこと、癒しが段階的手順を踏んでいること、唾が使われたこと、障害の部分に手で触れたこと、沈黙の命令を与えたことなどです。「マルコがこの二つの記事を文体の上で似通ったものに形成したのか、または伝承の過程で次第に似通ってきたのか、それとも元来ただ一つの物語であったものが、後に二つの違った形に成長したものか、もはや断定することができない」(E・シュヴァイツァー)
 癒しが段階的過程を経て完成されていくということは、その障害が困難なものであり、イエスの御力が偉大なものであったことを示しているのです。外なる人々は「見るには見るが認めず、聞くには聞くが理解できず」(4・12)、内なる弟子達も又、「目があっても見えず、耳があっても聞えない」(8・18)有様でした。目が開(ひら)かれて神の御業を見、耳が開(あ)けられて神の御言葉を聞けるようになるためには、イエスの癒しの御業が必要なのです。そして、あの聾唖者が聞えて話せるようになり、この盲人が見えるようになったという二つの奇跡物語は、「その時、盲人の目は開(ひら)け、聾者の耳は開(あ)くことを得べし」(イザヤ35・5)という終末の預言が、イエスによって成就されていることを示しているのです。
 マルコは意図的にこの盲人の開眼の奇跡物語を、ペテロの信仰告白の記事の直前に置きました。イエスはこの盲人の目を開いた後、ガリラヤ湖畔を去って北上し、ヘルモン山の麓、ピリポ・カイザリア地方へ向かう途中で、弟子達に尋ねました。「人々は私を何者だと言っているか?」 弟子達は、「人々は洗礼者ヨハネの再来とか、終末時に来るエリヤの再来とか、預言者の一人とか、噂しています」と答えました。するとイエスは、「では、君たちは私を何者だと言うか?」と重ねて尋ねました。「あなたはキリストであります」(8・29)と弟子団を代表してペテロが答えました。これがキリスト教史上、最初の信仰告白になりました。イエスと出会い、招かれて弟子となり、一緒に生活し、多くの教えを受け、様々な奇跡を目撃しながら、彼らは盲目であり、悟り鈍いものでありましたが、ようやくここまで来て、「あなたはキリストです」と告白するに至ったのです。
 「私はぶどうの木、君たちはその枝。私に結びついている者には、私もその人に結びついていよう。そうすれば、その人は豊かに実を結ぶに至る」(ヨハネ15・5)。私たちがマルコ福音書を学び始めてから一年半が経ちました。その間、御一緒にイエスの御言葉を学び続け、御業を吟味し続けて参りました。そして私たちの目も又、最初は盲目でしたが、次には「人が木に見える」位にぼんやりと見えるようにされ、次第に明らかに見えるように癒されつつあります。「ローマは一日にして成らず」という諺がありますが、福音書の学びも、関心を集中し、時間をかけ、エネルギーを消耗させ続けてこそ「豊かに実を結ぶに至る」ものだなあ、とつくづく思います。
 「あなたはキリストです」というペテロの信仰告白は、確かに一つの「開眼」でしたが、イエスはその信仰告白をまって、初めてエルサレムでの受難と死と復活を予告され始めます。「十字架と復活のキリスト」は、イエスの秘密でした。イエスはその大切な秘密を打ち明ける時機を待って居られたのです。人と人との交際においても、相手が信頼に足る人であると見極めてから初めて、大切な秘密を打ち明けます。イエスは彼をキリストと告白した親しい弟子たちにだけ、そっと、しかしはっきりと、十字架と復活のキリストを示されました。マルコ福音書の読者にしても、8章30節まで真剣に学び続けた人にとってのみ、十字架と復活のキリストが本当に問題になるのです。イエスにとってもその秘密を弟子達に打ち明けることは、一つの大きな冒険でした。果せるかな、ペテロは躓きました。「栄光のキリスト」をイエスの中に投影してきたペテロに、十字架と復活のキリストは「寝耳に水」でした。「とんでもないことです。そんなことはあり得ません!」とイエスの言葉を否定したペテロに対して、イエスは「サタンよ、引っ込んでいろ!」と一喝しました。十字架なしの「栄光のキリスト」を求めることは、サタンの幻想(マタイ4・1〜10)に過ぎません。いかに多くの社会革命が、その希望と期待が裏切られて、幻滅に終わったかを、人間の歴史が証明しています。この問題は今も尚、世界の各地で進行中です。
 「あなたはキリストです」と信仰を告白したペテロの目は確かに開かれたのですが、十分に開かれていなかったため、「木を人」と見まちがえてしまったのです。「そのことを誰にも話してはいけない」(8・30)と言われたイエスの禁止命令の意味が、ここまで来て、明らかになります。そして更にイエスは、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従って来なさい」と招かれます。十字架の道こそが、栄光と生命に至る道だからです。私達はそれほど、イエスに愛され、恵まれているのです。
 "驚嘆すべき恵み! わたしのような惨めな者をお救いくださるという有難い音信(おとずれ)! 私はかつて失われていたが、 今は見出されている、
 私はかつて盲目であったが 今はよく見えている" (ジョン・ニュートン)
                    1991年6月23日  礼拝説教 

  「あなたはキリストです」

 イエスの弟子達は、ピリポ・カイザリアの村々へと向かったが、その道すがら、彼は弟子達に尋ねられた、「人々は私を誰だと言っているか?」 彼らは言った、「ある人は洗礼者ヨハネ、他の人はエリヤ、また他の人は預言者の一人」 すると彼は彼らに尋ねられた、「では、君たちは私を誰だと言うか?」 するとペテロが彼に答えて言った、「あなたはキリストです」 すると彼は、自分のことを誰にも言ってはならないと、厳しく戒められた。           マルコ福音書8章27〜30節

 マルコ福音書の構成は、大きく3つに分かれています。第一部「ガリラヤ内外での活動」(民衆への教えと奇跡)1章1節〜8章26節。第二部「受難へ向かうイエス」(エルサレムへの道行き)8章27節〜10章52節。第三部「受難するイエス」(エルサレムでの最後の1週間)11章1節〜16章8節。16章9節以下は後世の付加。
 「時は満ちた。神の国は近づいた。君たちは悔い改めて福音を信じなさい」と、ガリラヤ湖畔で福音を宣教し始めてから、席の暖まるひまもないほど忙しく、民衆を教え、治療に励み、奇跡を行なって来られたイエスは、いよいよ懐かしい故郷ガリラヤを離れて北上し、パレスチナの北端、ピリポ・カイザリア地方へ向かいます。そこはヘルモン山の麓、ヨルダン川の水源地で、緑の豊かな地方です。昔、そこにパニアスと呼ばれていた町がありましたが、分封の領主ピリポがその町を改造し、ローマ皇帝ティベリアヌスに奉献して、ピリポが皇帝(カイサル)に献じたものという意味で、ピリポ・カイザリアと名付けました。
「8章27節〜10章52節の部分は福音書の新しい段落を形成している。人はそこに"エルサレムへの途上にあるイエス"と標題をつけるがよかろう。なぜなら福音書記者はそこにちりばめられた場所の覚え書きによって、個々の物語をそのような旅へと組み入れているからである。…イエスは、今からは一般的な教えをもって民衆に向かうようりは、むしろ弟子達の小さなグループに対して彼の人格の秘密、彼が遣わされた秘密、及び彼の運命を啓示し、更に彼らに対して、苦難を通して神の国へと従うことを要求している」(クロステルマン)
 この第二部の中心をなすものは、3回の受難予告です。ペテロの信仰告白と第一の受難予告(8・27〜9・1) 山上の変貌と癒しと第二の受難予告(9・2〜50)イエスに従う道と第三の受難予告(10・1〜52) その間中マルコは「道(ホドス)」という標語を用いてイエスの物語を導いています(8・27、9・33、10・17、32、46、52)。
 さてイエスの一行はベッサイダを離れて異邦人の地、ピリポ・カイザリア地方へ向かう途中、魂の会話を交わします。「人々は私を何者だと言っているか?」と、深い考えに沈んでいたイエスは、ポツリと言いました。「そうですねぇ、ある人はバプテスマのヨハネの甦りだと言い、他の人は世の終末に来るエリヤだと言い、又他の人は昔の預言者の一人と言っています」と、弟子達は答えました。するとイエスは、弟子達の顔をじっと見ながら、「では、君達は私を何者だと言うか?」と尋ねました。弟子達は互いに顔を見合いました。するとペテロは静かに力強く答えました、「あなたはキリストです」。それを聞くとイエスは肯定も否定もせずに、そのことを誰にも言ってはいけない、と厳しく戒めました。
 マルコは「刑事コロンボ」の方法で福音書を書いています。私たち読者は、すでにイエスの秘密を最初から教えられています。「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1・1)。神は天からイエスに「わが愛する息子」(1・11)と呼びかけます。そして神の御霊(みたま)の力に満たされてイエスが語れば、人々は「権威ある教えだ」と言って驚嘆し、イエスが行なえば、病気は全治し、死人は甦り、悪霊は退散し、波風は静まり、パンは増殖しました。しかし不思議なことに、それらの経験を共にしながら、弟子達はイエスの本質を全く理解しないまま、ここまで来たのです。弟子達ばかりでなく、イエスの家族も、民衆も、ユダヤ教の指導者達も、すべては「盲目」のままでいるのです。読者と福音書中の人物たちとの間に置かれているその距離は保たれたまま8章26節まで来たのです。そして、ここまで来て初めて、ペテロが弟子団を代表して「あなたはキリストです」と信仰告白をしたのです。
 ギリシャ語のクリストス(救い主)とは、ヘブライ語でメシア(油を注がれた者)のことです。旧約聖書では、王の任職式に、その頭にオリーブ油が注ぎかけられました。油は神の御霊の象徴でした。その日、王は神の子として誕生し、神の権威を付与されました(詩第二篇)。また、祭司の任職式にも油が注がれました(出エジプト28・41)。また、「主なる神の霊が私に臨んだ。これは主が私に油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えさせ…」(イザヤ61・1)とあるように、預言者も「油を注がれた人」でした。いずれにせよ、神の権威を委託されて、救いの御業を地上に行なう者が、「油を注がれた人」、即ちメシア=キリストと呼ばれました。
 ローマ帝国によって支配されていた紀元1世紀頃のイスラエルでは、理想の王ダビデの末裔からメシア王が生まれて、国を独立させ、ダビデ王国を再建し、正義と公正をもって民衆を治め、その恩恵を周辺諸国にまで及ぼすような新時代の到来を、人々は待望していました。ペテロがイエスに向かって、「あなたはキリストです」と告白した時に、その「キリスト」には地上的、政治的な意味が含まれていたと思われます。
 まだ十字架と復活を見ていないペテロの「キリスト」告白は、不完全なものでしたが、マルコはそれを重要な出来事としてここに記しているのです。「ペテロの答えは考えられ得る限り短い。しかしそれによって意味深長なものになっている。この句からイエスのメシア性を、ペテロが政治的なものと誤解したという結論を読み出すならば、これほどの間違いはあり得ない。ペテロの答はむしろキリスト教の原告白、あるいは基本告白を含んでいる。即ち、イエスは"キリスト"である、あるいは"イエス"はキリストである」(シュミットハルス)
                     1991年6月30日 礼拝説教

  「信仰告白と教会」

イエス「それでは、君たちは私を誰であると言うのか?」
ペテロ「あなたはキリスト、生ける神の子です」
いえす「幸いなるかな君は、シモン・バルヨナ! それを君に啓示したのは血肉(人間)ではなく、天にいます私の父なのだ。それでは私も君に言おう。君はペテロ(岩(ケフア))だ。そしてこの岩(ケフア)の上に、私は私の教会を建てよう。黄泉(よみ)の門もそれに打ち勝つことができない。私は君に天国の鍵を与えよう。君が地上で結ぶものは天でも結ばれ、君が地上で解くものは天でも解かれる」  マタイ福音書16章15〜19節

 先週学びましたマルコ福音書では、ペテロは弟子団を代表して、「あなたはキリストです」と答えました。この最も単純な信仰告白が原型(オリジナル)なのです。これは文脈とよく調和しています。「ある人は洗礼者ヨハネ、他の人はエリヤ、また別な人は預言者の一人、と言っています」 「それでは君たちは?」 「あなたはキリストです」。当時の民衆はメシア(キリスト)の到来を待望していましたから、イエスに従って生活を共にしてきたペテロが、「このお方こそ、イスラエルが待望してきたメシアである」と考えたとしても無理はありません。ルカでは「あなたは神のキリストです」(9・20)、ヨハネでは「あなたは神の聖者です」(6・69)と表現が拡大発展し、マタイでは「あなたはキリスト、生ける神の子です」と、完璧な信仰告白文に仕上がっています。
 マルコとマタイとを比較しますと、マルコでは、ここで初めて弟子達の目が開けて、イエスがキリストであることが告白されたことになりますが、マタイではこれより先に、湖上を歩いて弟子達の舟に乗り込んできたイエスに、弟子達は「本当に、あなたは神の子です」と言って「イエスを礼拝した」(14・33)のです。この時、ペテロは二度もイエスに「主よ」と呼びかけ、イエスの命令によって、結局は失敗したのですが、とにかく重力の法則に逆って何歩かは湖の上を歩くという前代未聞の奇跡を体験したはずです。もうすでにこの時、ペテロのみか他の弟子達までも、イエスを神の子と信じ、彼を礼拝したのですから、ピリポ・カイザリアでの信仰告白は二番煎じで、驚くほどのことはないはずです。この矛盾は、マルコの創作した「枠」に沿ってイエスの物語を進めていながら、マタイは自分の神学によって変更を加えてきたために、現われてきたのかも知れません。そのためか、マルコのペテロのように、ただ「あなたはキリストです」と言うのでは物足らず、「生ける神の子キリストです」という最も重味のある照号に拡大させたとも考えられます。マルコにとってもマタイと同様に、イエスは初めから神の子・キリストなのですが、マルコはそれを「メシアの秘密」としているのに対して、マタイはそれを明白な真実として描いているのです。そのためマルコの弟子達はイエスの本質に関して全くの盲目ですが、マタイの弟子達は、信仰不足ながら、イエスを理解しているのです。そしてこの個所で、ペテロが弟子団の頂点に立たされます。
 マルコのペテロは弟子団の代表として信仰告白をしていますが、マタイのペテロは個人として告白している点が注目されます。彼の告白を聞いてイエスは大変に喜ばれ、彼を祝福します。この17節〜19節はマタイ福音書にだけある言葉です。この個所を根拠にしてローマ・カトリック教会は教皇を中心とする君主的教会組織を構築しました。主イエスは使徒ペテロに教会の首長としての権威を委任して初代教皇とし、それ以後教皇の座は万世一系、連綿として継承されていると主張してきました。
 イエスとの交わりを通して、「あなたはキリスト、生ける神の子です」と言う信仰の告白が、儚い人間的なものに拠るのではなく、神の啓示によるものであるとの認識は、初代教会に周知のことでした(コリント第一書12・3)。17節の言葉は、信仰を告白する信者すべてが受けるはずの祝福ですが、ここではペテロ個人がそれを受けています。そして、更にイエスは、ペテロの告白のお返しとして、「私も君に言おう。君はペテロ(岩(ケファ))だ。そしてこの岩(ケファ)の上に、私は私の教会を建てよう」と言われました。ここではすでに信仰告白の重要性から、告白者ペテロの重要性へと問題が移ってしまいました。おかしなことにバチカンの聖ペテロ大聖堂は、ペテロの墓の上に建っているそうです。「黄泉(よみ)の門も教会に打ち勝つことができない」。黄泉は地獄ではなく、善い者も悪い者も、すべての死者が降って行って、そこで神の審判を待つ場所です。次に「天国の鍵」が出て来ます。天国は家のように考えられていて、出入りするのに鍵が必要であり、その「鍵の権」をペテロが所有しているのです。そしてペテロが地上の教会で禁止するものは天でも禁止され、彼が地上で許可するものは天でも許可されるというのです。
 これは主イエスの真正の言葉でしょうか? 「教会(エクレーシア)」という語はマタイ福音書に3回出て来るだけで(16・16と18・17)、他の3福音書には全く出て来ません。地上のイエスは、世の終末が間近かに迫っているのだから、罪を悔い改めて神に立ち帰るようにという福音を宣べ伝えたのですから、その時点で「教会の時代」が来るという考えは無かったはずです。又、イエスがパリサイ派やサドカイ派の他に、いわばイエス派とも言うべきもう一つの宗教的教団を結成して地上の権力を争う意志を持たなかったことも確かです。教会は、イエスの十字架と復活と聖霊降臨の後に誕生したのです。19節の結んだり解いたりする権威はペテロ一人のものですが、ヨハネ20・23では弟子達すべてにその権威が与えられています。それは又、マタイ自身の言葉(18・18)とも矛盾しています。マタイより先に書かれた書簡では、イエス・キリストのみが岩であり、教会の土台であり、「隅の首石(おやいし)」であると語られています(コリント第一書3・11、エペソ2・20)。1世紀末頃、シリア辺りにあったマタイの教団は、ユダヤ教団との激しい競合関係にあり、その中から教会と教職者の権威の確立を謀っていたものと推測されます。
                     1991年7月7日  礼拝説教

  「受難する人の子」

 そしてイエスは、人の子が多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから拒絶され、殺されて、三日後に再び起こされねばならないことを教え始められた。しかも明白にその言葉を彼は語られた。        マルコ福音書8章31〜32節

 「あなたは、キリストです」。福音書記者マルコは、それまでイエスの本質について「盲目」であった弟子達が、このペテロの信仰告白によって「開眼」したことを示しました。ピリポ・カイザリアでのこの事件は、イエスと弟子達の歴史にとって、一つのエポックでした。「まだ分からないのか。悟らないのか。心が頑になっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか」と言われてその無理解を非難されていた弟子達がようやく、イエスを救い主キリストであると告白するに至ったのです。
 「あなたは、キリストです」。この信仰告白を得て、イエスと弟子達は新しい関係に入ります。マルコが、「神の子イエス・キリストの福音の初め」と1章1節で設定した問題が、ここまで来てようやく正解を得たのです。読者である私たちも、ひと安心いたします。しかしこれで一件落着ではなく、これは初めの終わりにすぎなかったのです。イエスはキリストであると言う。それは正しい。しかしそれでは、どのようなキリストか。この人間の歴史の中で、どのような役割を果たすのか。世に救世主と仰がれる人は数多くいる。征服王、政治家、宗教家、教師、思想家、革命家、医師、発明家…。イエスはどのような形で人類に寄与する救世主になるのか。この点でイエスはすべての人の予想を裏切ることになるのです。「受難するキリスト」。
 イエスは一般民衆にではなく、少数の弟子達に新しい教えを教え始めました。「人の子が多くの苦しみを受ける」ことです。イエスはここで御自分を「人の子」と呼んでいます。「人の子」の解釈は難しい問題ですが、一応3つに分けて考えてみましょう。(1)地上における人の子(現在的用法)。永遠の神に比べて、低く儚い存在である人間という意味です。「人の子はいかなる者なれば、これを御心にとめ給うや」(詩篇8・4)。地上のイエスは私達と同じ存在でした。「狐に穴あり、空の鳥にねぐらあり、されど人の子には枕する所なし」(マタイ8・20)。(2)天から降って来る人の子(未来的用法)。「…人の子も又、父の栄光に輝いて聖なる天使達と共に来る時」(マルコ8・28)。これは黙示文学的な意味の「人の子」で、その起源はダニエル書7章13節です。「見よ、人の子のような者が天の雲に乗り、日の老いたる者(神)の前に出て…」。波立つ大海から4頭の巨大な獣が現われて地上を荒らし廻ります。獅子(バビロン)、熊(メディア)、豹(ペルシャ)、龍(ギリシャ・ローマ)。それらの大帝国の圧政の後、終に神の御許に挙げられた「人の子」が神から遣わされて世を支配するというのです。それは、神の選民たる「人の子」イスラエルが、人間の顔と心とをもって支配し、平和と救済をもたらすというのです。そこではイスラエルが、メシア的役割を果たすことになります。しかし福音書では、その「人の子」は、イエスの自称として書かれています。原始キリスト教団の人々は、天に挙げられ、神の右に座したイエスが、終末の時に、世を審くために降って来られる「人の子」であると信じて、人の子イエスの再臨を待望していました(使徒行伝1・11)。(3)受難する人の子。マルコは今日のテキストで、「(傍点始まり)イエスは、人の子が(傍点終わり)多くの苦しみを受け」と書きました。これを第一回にして、マルコは3度も人の子の受難予告を記します。それはこれまで「メシアの秘密」とされてきたものが、ペテロの信仰告白を契機にして、弟子達に明らかにされることなのです。そしてマルコは、地上の人の子(1)と、天から降って来る人の子(2)とをつなぐ者として、受難する人の子(3)を記しているのです。
 聖書学者は、「人の子」の現在的用法(1)と未来的用法(2)は、マルコ資料とQ資料に共通してあるが、受難する人の子(3)は、Q資料には全く見当らないことに注目しています。「これはQに受難物語が欠落しているためではなく、この観念がQにとって異質であり、受難以前のイエスの言葉の中にこれを置く場がないのである。Qにおける人の子とは、神の代理人として終末に栄光のうちに現われる審判者である。これに対して、マルコは初めて"受難する人の子"という観念を打ち出し、これを伝承に刻み込む。彼はQに代表されるような当時のキリスト観に対して、はっきりと批判を展開する。マルコも終末に期待される人の子をイエスと同定する考えを伝承から受け継いでいるが、その人の子は先ず受難者なのであり、自らを未来的人の子と主張したために処刑されることになる」(総説新約聖書)。もしその通りならば、Qは受難する人の子を語らなかったことによって福音書にはなれず、マルコはそれを語ったことによって、最初の(傍点始まり)福音書(傍点終わり)になったのです。
 マルコは受難する人の子を語り始めることによって、いよいよキリストの福音の本質に迫ろうとしています。イエスの生涯が本当に福音になるためには、偉大なる知恵の教師や、驚くべき奇跡の行為者としてばかりでなく、多くの苦難をこうむり、世の指導者達から排斥され、十字架刑に処せられて後、神によって復活させられる者にならねばならなかったのです。「…ねばならない」(31節)とは、神の必然であり、イエスに定められた使命であって、これを逃がれたならば、イエスの生涯は無為に帰してしまうのです。イエスの生涯は、十字架と復活を経て完成され、神の御業がそこに成り、すべての人にとっての真のメシア、魂のキリストになるのです。
 受難するメシア。これは言葉の矛盾です。人間の思いを超えた真理です。「私たちが聞いたことを、誰が信じ得ようか」(イザヤ書53・1)と「主の僕(しもべ)の苦難」を語り出した預言者が言いました。それから数百年後、「本当にその通りだ」(ローマ書10・16)と、十字架と復活のキリストの使徒パウロは同意しました。私たちもこの福音書を学び通して、「本当にその通りだ」と同意して、神とイエス・キリストの御業を称える者に成りましょう。
                     1991年7月14日 礼拝説教

  「低くされた神の子」

 そしてイエスは、人の子が多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者達から拒絶され、殺されて、三日後に再び起こされねばならないことを教え始められた。しかも明白にその言葉を彼は語られた。するとペテロは、イエスを脇へ引き寄せ、諫め始めた。しかしイエスは振り向き、弟子達を見て、ペテロを非難して言われた、「引き下がれ、サタン! 君は神のことに心を向けず、人間のことに心を向けている」
                         マルコ福音書8章32〜33節

 日本人が初めてキリスト教に触れる時に大変不思議に思うことは、何故、惨たらしく十字架にかけられたイエスが、救い主キリストであるのか、ということです。如来や菩薩の顔は平安と慈悲に満ちていて、拝む者に安らぎを与えます。しかし茨の冠を頭にのせ、苦悩にゆがんだ顔をして、十字架の上で死んでいるイエスの姿は、人を恐怖と不安に陥れます。しかし福音書は、十字架のイエスこそ真の救い主キリストであり、すべての人にとっての福音であると証ししています。「血潮したたる 主の御頭(みかしら)、刺(とげ)にさされし 主の御頭、悩みと恥に やつれし主を、われは畏み 主君(きみ)と仰ぐ」
 ようやくイエスがキリストであると理解したペテロは、同時に誤解していました。彼の頭の中にあったキリストは、ダビデの末裔から生まれ、イスラエルの栄光を回復し、国を独立に導き、民に平和と繁栄を与えるメシア王でした。他の弟子達や民衆も同様のメシアの出現を期待していました。他方、イエスが語り出したものは、人々の予想と期待を全く裏切る「受難するメシア」でした。積極的に行動し、征服し、支配する栄光のキリストではなく、イスラエルの指導者達によって排斥され、殺されてしまう「受難する人の子」、受け身のメシア、マイナス・イメージのキリストでした。これがそれまで隠されていた「メシアの秘密」の開示でした。
 イエスの語る言葉を聞いて、驚いたペテロは、彼を脇へ引き寄せ、小言を言い始めました。「とんでもないことです。そんなことはあるはずがありません!」(マタイ16・22)。理においても情においても、ペテロの言う通りでした。世を救うべきキリストが苦しみを受け、殺されるとしたら、それは矛盾です。敗北です。そんなことは信じ難いことです。まして人一倍、イエスを敬愛しているペテロにとって、イエスが苦しめられて殺されてしまうなんて、あってはならないことでした。
 するとイエスは振り向いて弟子達を見、ペテロを非難して、「引き下がれ、サタン!」と怒鳴りました。サタン呼ばわりされたペテロは死ぬ思いだったでしょうが、一番弟子をそう呼ばざるを得なかったイエスは、もっと辛い思いをされたことでしょう。問題はキリスト観の相違でした。イエスが「受難するメシア」を告げ知らせた時に、ペテロは理解しなかったばかりか、それを否定しようとさえしました。ペテロが理解していたキリストは、かつて荒野においてサタンがイエスを誘惑した時の、サタンのメシアと同じものでした。イエスはペテロの言葉の中にサタンの意図を見抜きました。ペテロは図らずも、サタンと同じ役割を果たそうとしていたのです。「引き下がれ、サタン!」 これは勿論、ペテロを誹謗するために言われたのではなく、彼の中からサタンを追放するための言葉でした。
 イエスは神を親しく「父(アッパ)」と呼び、自らは神の子であるという意識をもっておられました。人間的成長と共にイエスの中に芽生えてきた意識であったでしょうが、バプテスマの時に明確に自覚されたことでしょう。それは、家族には狂気と思われ、律法学者やパリサイ人には悪霊の仕業に見えました。しかしイエスは本気で、この地上にあって御父を代表し、その意志を実行する使命を持っていると自覚しておられました。そして、神の意志を宣べ伝えた昔の預言者達の運命(マタイ23・29以下)を考え、罪なくして苦しみを受けた義人たちの生きた証し(ヨブ、詩篇73篇の詩人、イザヤ書53章の"主の僕"など)を読み、バプテスマのヨハネの殉教の死を思い合わせる時に、御自分の進路がはっきり見えてきたことでしょう。
 「人の子は(傍点始まり)必ず…ねばならない(傍点終わり)」(31節)。ギリシャ語でデイ、英語でマストと言う語ですが、それは、必要である、当然である、必ず〜することに決まっているなどの意味をもっています。イエスが人の子として苦難を受けることは、神の決定であり、必然である、というのです。低くされた神の子。これが「メシアの秘密」でした。
 イエスは神の立場に立って、人間の世界を見ておられるのです。ルカ福音書15章の「放蕩息子の譬」がよい例です。その話の主役は、弟息子でも兄息子でもなく、父親でした。父親は愛のゆえに、悔い改めて帰ってきた弟息子を無条件で赦します。他方、父親の「不公平」をなじる兄息子を、一生懸命になだめながら、兄息子と共に、夜の暗闇の中に立ちつくしているのです。愛のゆえに無力になり、低くなった神。その父親の姿は、イエスの姿でもありました(ルカ15・1〜2)。
 イエスの十字架は、神の必然であり、それは人間の理解を超えた出来事でした。人間は当然、これに躓くのです。ペテロが躓いたように、私たちすべての者が躓くのです。「十字架の言葉(ロゴス)は、滅び行く者にとっては愚かであるが、救いに与る私たちには、神の力である」(コリント第一書1・18)。異邦人に「十字架のキリスト」を宣べ伝えた使徒パウロは、「十字架の躓き」(コリント第一書1・23、ガラテヤ書5・11)と言いました。律法の学徒であった若い頃のパウロも又、栄光のキリストの来臨を待ち望んでいました。それで、十字架のキリストを宣べ伝えていたクリスチャン達を迫害しましたが、復活の主イエスに出会い、地面に倒されて、再び起こされ、彼自身が十字架のキリストの使徒となって、この福音を全世界に宣べ伝える者になりました。
 この世の人は、長寿を全うし、大往生を遂げた釈迦を慕い仰ぐのは当然です。しかし、復活のキリストに出会った者には、十字架の主イエスこそ、救い主なのです。
「主の苦しみは 我が為なり、 我は死ぬべき 罪人(つみびと)なり、
  かかる我が身に 代わりましし、 主の御心は いと畏(かしこ)し」
                     1991年7月21日 礼拝説教

  「師の道・弟子の道」

 それからイエスは弟子達と共に群衆を呼び寄せて言われた、「誰でも私の後に従うことを望むならば、その人は自己を否定し、自分の十字架を負って、私に従って来なさい。なぜならば、自分の生命(プスケー)(魂)を救おうと望む者はそれを失い、私と福音のために、自分の生命(魂)を失う者は、それを救うのだから。そもそも全世界を獲得したとしても、自分の生命(魂)を失ったとすれば、その人は何の利益を得たことになるのか? 自分の生命(魂)の代償として、一体、何を与えることができるのか?」
                         マルコ福音書8章34〜37節

 私達のマルコ福音書の学び方は、一歩一歩、足場を確かめながら登るロック・クライミングに似ていると思います。今朝も御一緒に霊的スリルを味わいながら、恵みの高嶺を目指して、歩みを進めましょう。これは最高の暑気払いになります。
 「あなたはキリストです」と、ペテロが信仰を告白した後、イエスは「メシアの秘密」を明らかにしました。「受難する人の子」です。するとペテロはそれを否定して、イエスを諫めました。イエスはペテロを見据えて、「引き下がれ、サタン! 君は神のことに心を向けず、人間のことに心を向けている」と言い返しました。
 「十字架の道」。これが人の子イエスに決定されている道なのです。これが「神に心を向けている」イエスの道であって、弟子達を含めてすべての人は「人間のことに心を向けて」、サタンの示す滅びの道を歩いているのです。ペテロはイエスに「栄光のキリスト」を期待したのですが、イエスは弟子達に「受難するメシア」を語り出しました。そして弟子達にも、イエスに従って十字架の道を歩むように説き勧めました。
 「弟子達と共に群衆を呼び寄せて」という34節のマルコの編集句は正確ではない、と学者は指摘しています。確かに、その旅にはイエスと弟子達だけしかいなかったはずです。それでマタイは「弟子達に」(16・24)と書いて弟子達だけに限定しました。ルカは「皆に」(9・23)と書き改めて、十字架の道はすべての人に示されるべきだとの彼自身の見解を示しました。マルコは二股をかけたのです。彼は、このイエスの勧告の言葉は弟子達ばかりでなく、すべての人に向けられていると判断して、「群衆」を登場させたのです。編集句としては不味いですが、彼の真意を汲むべきです。
 イエスの後に従う、とはもちろんやじ馬のようについて行くというのではなく、弟子に成るということです。師が歩む同じ道を、弟子達も歩むのです。その道は、自己否定の道です。現代は、自己主張の時代です。自己(エゴー)とは罪の存在ですから、その自己を主張し合ったら、争いになり、滅亡は目に見えています。いま「Noと言える日本」という題の本が書店に出ていますが、これも又、日本はアメリカ政府に対してもっと自己主張をせよ、という主旨のものです。聖書では、自分に対して「Noと言える自分」になれ、という意味です。自己を主張し、自己を拡大し、自己を称揚し、自己を顕示する世の中にあって、イエスの弟子たらんとする者は、その反対に、自己を否定し、卑小にし、謙虚にし、隠れた存在にして歩むことが勧められているのです。
 「自己を否定し」という言葉の後に、「自分の十字架を負って」と言われていますから、これは自己否定の説明の言葉です。十字架刑につく者は、十字架を負わされて刑場に引き立てられて行きました。十字架は他者によって負わされるものです。イエスの十字架も又、ユダヤの権力者達やローマ当局によって負わされたものですが、究極的には、神によって負わされたものです。ここでは「自分の十字架」とありますから、各自の人生に与えられている重い義務、又は、責任ということでしょう。原始教団では、迫害に対する信仰の戦いや、教会の奉仕の業を意味していたかも知れません。口実をもうけてそれから免れようとするのではなく、自分に与えられている十字架を負って、イエスに従うことが勧められているのです。弟子達が家族や職業を捨てて、イエスの招きに応じて従った時に、幾分かは自己否定が行われたのです(マルコ10・28)。そういう態度においてのみ、私たちは神の奥義たるキリストの真理(コロサイ書1・26以下)を知らされるのです。
 しかし、自己主張の世の中にあって、自己否定の道を歩くことは可能でしょうか?いや、それは不可能です。そのようなことに人間は耐えられません。しかしここにたった一つ、不可能を可能にする道が示されています。「私に従って来なさい」と言われた復活の主イエスに出会って、直接、主から命じられることです。そして私たちは今、此処で、生命の主イエスに出会い、主から御言葉を受けているのです。それが礼拝の本質です。これは歴史のイエスの言葉であると同時に、礼拝においてすべての人が聴くべき御言葉=福音なのです。礼拝にて、復活の主イエスに目見え、恵みと愛と力を受けると同時に、戒めと命令をも受けるのです。主イエスが共にいまして、常に肯定を与えて下さらなければ、自己否定の道は、無理と我慢の連続で、やがては疲れ切って、破滅してしまうでしょう。
 「35節によれば、イエスに従うことにおいて、価値の顛倒が起こる。自己主張は損失に至り、自己放棄は"生命"の獲得に至る、というのである。プシケーというギリシャ語は、これに相当するセム語の表現と同じく、"魂"という意味にも"生命"という意味にもなる。従って"自然的"生と"宗教的"生とを、簡単に分離するわけにはゆかない。地上の自然的生命をも含めて本当の生命は、自己を捧げることにおいて初めて見出されるのである。やっきになって生命を保持しようと望む人こそまさに、幸福を与える真の生命の可能性を見失うのであり、創造者なる神が意図された生命は、ただ捧げることにおいてのみ見出されるのである。かくてのみ、解放された、自由な、開かれた生が与えられ、その中に神と隣人とが入って来ることができるのである。そういう生命は、すでに神のものとなっているのであり、死を通過する時も神がその味方となってくださるのであるから、死によっても断絶することはない」(E・シュヴァイツァー)
                      1991年7月28日 礼拝説教

  「魂を救う道」

 誰でも私の後に従うことを望むならば、その人は自己を否定し、自分の十字架を負って、私に従って来なさい。なぜならば、自分の生命(プスケー)(魂)を救おうと望む者はそれを失い、私と福音のために、自分の生命(魂)を失う者は、それを救うのだから。そもそも全世界を獲得したとしても、自分の生命(魂)を失ったとすれば、その人は何の利益を得たことになるのか? 自分の生命(魂)の代償として、一体、何を与えることができるのか?      マルコ福音書8章34〜37節

 夏休みに入って、英語学校が休みになったので、ヘブライ語の独習を再開しました。ヘブライ語の詩篇朗読テープを繰り返し聞いていますと、アドナイ(主)とネフシー(私の魂)という語がよく出て来ます。詩篇はそのように、主と私の魂との対話なのです。発見の一つは、16篇2節の「私は主に言う、"あなたは私の主、あなたの他に私の幸いはない"と」と訳されている言葉です。その最初の部分の直訳は「お前は言う、主に」で、詩人はここで、自分の魂に語りかけているのです。「わが魂よ、お前はいつも、"わが主こそ、私の唯一の幸福である"と言っている」と、自分の魂と対話しているのです。42篇もよい例です。「なぜうなだれるのか、わが魂よ。なぜ呻くのか。神を待ち望め。私は尚、告白しよう。"御顔こそ、わが救い"と。わが神よ。」(12節)。これは自分の魂との対話であると同時に、神に対する祈りの言葉です。
 日本人の間で「魂」のことが問題になりますと、死霊や怨霊のようなオカルト的な話題になるか、死後に霊魂は存在するかというような抽象的な問題になってしまいがちですが、聖書で言う「魂」は、社会的存在である自分の、もう一つ奥に存在する根源的な人格である自分を意味しているのです。
 「鹿が谷川の水を慕いあえぐように、わが魂はあなたを慕いあえぎます、神よ。わが魂は神に渇く、活ける神に」(詩篇42・2)。信仰者の魂は、神の愛を生命の水として飲んで生き、神の恵みを生命の糧(かて)として食べて養われます。炎天下で、渇いた肉体が水を飲んで生き返った思いをするように、渇いた魂は神の言葉を読んで元気を回復し、飢えた肉体がご飯を食べて力を回復するように、飢えた魂はキリストの福音を聞いて聖なる力に満ち溢れます。信仰以前には、魂の飢え渇きなど実感せず、肉体の飢え渇きだけが大問題でした。しかし信仰が自分の中心になると、次第にその関係が逆転して、魂の飢え渇きを満たされることが第一の関心事になります。そうなると老いて肉体が衰えることはあまり気にならなくなりますが、神との関係が正常か否かが、最大の関心事となるのです。
 マルコに戻ると、35節のプスケーというギリシャ語は、外面的、生物学的な生命とも、内面的、精神的な魂とも訳せる語で、旧約聖書で使われているヘブライ語のネフェシも同様です。そう言えば日本語の「魂」も同様で、「魂尽く」と言えば生命が絶えるということで、「魂消る」と言えば、非常に驚くという意味です。又、「魂を入れる」と言えば、精神的な生命を込めるということになります。
 35節の「私と福音のために」という言葉は、イエスの自己主張のようで、私は以前から少し気になっていました。ところが、Q資料であるルカ福音書17章33節には、その言葉がありません。「誰でも自分の生命(魂)を得ようと求める者はそれを失うが、誰でも自分の生命(魂)を失う者はそれを保つであろう」。学者の説では、この逆説的な教えが元来の形で、古い伝承の段階で「私のために」が挿入され、最後にマルコが「福音」を入れて、「私と福音のために」(この形はマルコにだけある)としたのだ、と言っています。イエス・キリスト=福音=御言葉(ホ・ロゴス)は、原始教会では殆んど同意義に使われていました。マタイとルカは、マルコの「私と福音」を重複と考えて、マルコ資料から「福音」を取り去って、「私のため」としたのでしょう。恐らく原始教会は、この言葉を語って、迫害に悩み苦しむ信者達を励ましたのでしょう。8章34節〜9章1節の部分は、マルコが5つの短いイエスの言葉を集めて配列したものです。即ち、34節、35節、36〜37節、38節、9章1節です。マタイとルカはマルコを資料にして殆んどそのまま各自の福音書に採用していますが、例によって各自の思想に合わせて少しづつ訂正を行なっています(マタイ16・24〜27、ルカ9・23〜26)。
 「自分の魂を救おうと望む者はそれを失う」。ルカ福音書12章16〜21節の例え話に出て来る貪欲な金持がよい例です。自分の畑が豊作になった。さてその収穫物をどうしよう。そうだ、こうしよう。古い倉を取りこわして、もっと大きい倉を建て、収穫物を全部しまい込んで、自分の魂にこう言おう、「わが魂よ、お前には長年分の食糧が蓄えてある。さあ安心して、食え、飲め、楽しめ」。すると神が彼に言われる、「馬鹿者めが! お前の魂は今夜中にも取り去られるのだ。そうしたらお前が自分のために苦労して蓄め込んだものは、一体、誰のものになるのだ」。
 「自分の魂を失う者は、それを救う」。イエスがすべての戒めの中で第一のものとしたのは、モーセが教えたシェマーの祈りでした。「聞け、イスラエル! 主なる我らの神は、唯一の主である。汝は心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なる汝の神を愛せよ」。そして第二の戒めは「汝の隣人を、汝自身の如くに愛せよ」でした(マルコ12・29〜31)。魂を尽くして神を愛せよとは、たとえそのために生命を失うことがあっても、神への愛を第一とせよということです。イスラエル宗教の真髄は、このような神への献身(デヴォーション)にありました。石油や石炭は、燃焼する時にエネルギーを放出します。魂もそれと同じです。「一粒の麦、地に落ちて死なずば、一粒にてあらん。死なば、多くの実を結ぶべし」。主イエスは私達のために一粒の麦となられました。「これによって私達は愛(アガペー)を識りました。あのお方が私達のために御自分の生命(魂)を捨てて下さったのです。 それで私達も兄弟のために、私達の生命(魂)を捨てるべきなのです」(ヨハネ第一書3・16)。
                 1991年8月4日 礼拝説教