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マルコ福音書の研究

    「聖なる狂気」

 それからイエスは家の中に入られた。すると再ぴ大勢の人が集まって来たので、彼らはパンを食べることすらできぬほどであった。そしてイエスの身内の者達はこれを聞いた時、彼を取り押さえるために出て来た。というのは、「彼は気が狂った」と思ったからである。…それからイエスの母と兄弟達がやって来て外に立ち、彼を呼ぶために人をやった。すると大勢の人が彼の周りに座っており、彼に言った、「ごらんなさい、あなたの母とあなたの兄弟達とあなたの姉妹達が、外であなたのことを尋ねておられます」。すると彼は彼らに答えて言われた、「誰が私の母、私の兄弟達なのか」。それから彼は、自分の周りを取り巻いて座っている人々を見回して言われた、「見よ、私の母、私の兄弟達はここにいる。神の御心を行なう者は誰でも、私の兄弟、私の姉妹、私の母である」。
                 マルコ福音書3章20〜21節、31〜35節

 ここの聖書個所は、二つの話がサンドイッチ状に重なっています一つは律法学者の盲目で、中身の部分(22〜30節)です。他はイエスの家族の盲目で、上下のバンの部分に当たります。今朝はそのバンの部分について御一緒に学びましょう。
 これはマルコの構成です。21節のイエスの家族の盲目に対して、31〜35節で「神の家族」が対比されており、節の律法学者か盲目に対して、28〜29節の「赦されざる罪」が対比されています。そしてその二組の盲目とイエスの応答の間に、イエスの最初のたとえ話(23〜27節)が入っています。
 ルカ福音書2章に、12歳の時のイエスのエピソードがありますが、それ以後、「父」ヨセフの消息はありません。きっと大工ヨセフは早いうちに亡くなり、長男イエスが大工職を継いで一家の柱として生計を立てていたのでしょう。その生活が三十歳位まで続きます。その間、イエスが結婚していた様子はありません。当時としては珍らしいことでした。とにかく、大工仕事をして日銭を稼ぎ、母や弟妹たちを養い、ユダヤ教徒として平穏な生活を送っていたことでしょう。そのようなある日、一人のヨルダン川からパプテスマのヨハネの叫び声が聞えてきました。するとイエスは本能が目覚めたかのように、家族を捨て、職業を投げ打ち、故郷を離れて、洗礼者ヨハネの許に走り、ヨルダン川で洗礼を受け、ユダの荒野に入って瞑想し、ガリラヤの各地を巡回して、神の国の到来を語り、病人を癒し、悪震を追い出し、弟子を集めたりして、家族から見ればイエスは全く別人になってしまいました。 「イエスは気が狂ってしまった」と思ったのも無理はありません。まともな社会生活の軌道から極端にはずれてしまったのです。また「イエスの取り巻きはどうも評判のよくない連中で、当局はイエスに疑惑の目を向け始めている」などといううわさを耳にしては、もうこれ以上放っておくわけにはゆかないと考えて、ナザレからカペナウムの「家」まで出て来ました。 考えてみれば家族の心配も分かります。また、世間の常識はイエスの家族に同情を寄せるでしょう。とにかく仕事を放り出し、家族を捨てて家出をしてしまったのです。常識的人間にとっては、家族と職業は絶対的なものです。それから離れることは社会的な死を恵味します。それを敢えてイエスにさせたものは何か? 狂気か? 神の呼び声か? 
 聖書中の人物について思いを巡らせば、神は人を狂わせる、とも言えます。ノア、アブラハム、モーセ、預言者達、イエス、パウロ…。それからアシジのフラソシスコ・やA・シュヴァイツァーなど。そしてそれらの「聖なる狂人たち」の妻になったり、協力者になったりして献身的に働いた女達。彼女達もまた、世間的な幸福よりも神に従う喜びを選択したのです。
 しかし世には迷信邪教の悪霊に惑わされて家族を捨てる若者も多くいます。赤軍派、神霊協会=原理運動、オーム真理教などの若者達。それとこれとの相違は何か?「愛する者達よ、すベての霊を信じることをせずに、その霊が神から出たものかどうかを、よく吟味しなさい。多くのにせ預言者が世に出てきたからである。…イエスを告白しない霊は、すベて神から出ているものではない…」(ヨハネ第1・4・1以下)。純粋な心で神とイエス・キリストを信じて従うのではなく、偽キリストに身を任せて、あたら人生を誤ってしまう人は多いのです。
 イエスの家族の者達は「彼は気が狂った」と思って取り押さえるためにやってきました。それは律法学者達が「彼はベルゼブルに取りつかれている」(羽節)と言った言葉と対応しています。ここではイエスの家族は律法学者達と同列に置かれているのです。マタイとルカは、そこまでマルコにつき合い切れないと思って、この話を全く別の文脈の中に、大幅に調子を和らげて移し変えました。マタイ(12・46以下、ルカ8・19以下)。マタイとルカは、イエスの家族、特に母マリヤの評価を落したくなかったのかも知れません。またその両者は「彼は気が狂った」という言葉も省きました。そのため、家族が遠路はるばる面会を求めてやってきたのに、イエスはつれなくもそれを拒絶したという形になってしまいました。この省略の理由は、マタイとルカの属していた教団では、神の子キリストのイメージを傷つけたくないという思惑があったのかも知れません。しかしそのために、人の子イエスのイメージが制限を受けました。人の子イエスに対する親愛と、神の子キリストに対する崇敬の念がパランスよく保たれている時に、私たちの信仰は健全なのです。
 「誰が私の母、私の兄弟達なのか」。この言葉を語った時、イエスは身を切られるょうな深い痛みを感じているはずです。「汝と肉は神の国を継ぐことができない」(コリント第一・15・50)と言われる時、私たちはまだキリストに結びついていない肉親のことを思い、心を痛めます。この世に在る間に、肉の関係を霊の関係に転換したいと、心から願い祈ります。 「見よ、私の母、私の兄弟達はここにいる」。イエスは親愛の情をこめて周囲にいる者達を、新しい神の家族として見つめています。 「神の御心を行なう者は誰でも、私の兄弟、私の姉妹、私の母なのである」。
                       一九九O年九月ニ八日 礼拝説教

  「赦されざる罪」

 アーメン、私は君たちに言う。人の子らには、その犯すすベての罪も、(神を)冒涜する言葉も、赦される。しかし聖霊を冒涜する者は、永遠に赦されず永遠の罪の責めを負うことになる。           マルコ福音書3章28〜29節

 先週はサンドイッチのパンの部分を味ねいましたが、今朝はその中身の部分を覚味いたしましょう。ここにイエスに対する二つの盲目があります。イエスの家族の盲目と律法学者の盲目です。マルコは厳しくこの二つの盲目を同列に関連づけていますが、その両者には重大な相逢点もあります。即ち、善意の誤解と悪意の中傷です。明らかにイエスの家族の者達は彼の身の上を心配してやって来たのですが、律法学者達は彼を告発する意図をもってエルサレムから下ってきました。 「イエスはベルゼブルにとりつかれている」、 「彼は悪霊たちの頭(かしら)によって悪霊祓いをしている」。律法学者はイエスの力ある業(わざ)を見てこう言いました。マルコはその中傷の原因を記していませんが、マタイととルカはQ資料にエって、その原因はイエスが、悪霊に取りつかれて口が利(き)けず目が見えない人を癒したためである、としています(マタイ12・22以下、ルカ11・14以下)。その時居合わせた群衆は皆、あっ気にとられて、 「もしかしたらこの人はダピデの子ではなかろうか?」と言いました。「ダピデの子」とは、終末の時に出現するメシア王のことです。「わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それはわが僕(しもべ)ダビデである。ぼは彼らを養い、その牧者となる。また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる」(エゼキエル34・23)。その群衆の驚きの声を聞いて、律法学者、パリサイ人が「悪霊共の頭ベルゼブルを使わなければ、この人に悪霊を追い出せるわけがない」と言いました。
 ベルゼブルとは、バアル・ゼブブ(列王下1・2)の誤形で、ハエの神という名のペリシテ人の神です。これはハエのような害虫を追い払って伝染病を防いでくれる神ということかも知れません。又は、バアル・ゼブルの誤形で、家(神殿)の主人という意味かも知れません。とにかく異教の偶惨は悪魔である、というわけです。それでベルゼブルは、悪霊共の頭、サタンと同意義語にされていました。
 口の利けない盲人を癒したというイエスの行為は、果たしてダビデの子の業か、ベルゼブルの仕業か。一つの事実に対する二つの正反対の見解が表わされました。その奇跡はどのようにして行なわ汁なのかという、現代人の疑閉は意味がありません。奇跡は超自然的な力の現われなのです。神の御業は奇跡によって人間に知らされるのです。しかしサタンも又、奇跡を行なう力をもっています(テウロニケ第二2・9)。「イエスはベルゼブルに取りつかれている魔術師で、呪術にょって奇跡を行ない、民衆に悪い影響を与えている」、と律法学者・パリサイ人達は考えもした。
 イエスはたとえをもって反論しました。彼はこのような論争の名人でした。 「サタンがどうしてサタゾを追小出せるのか? もし国に内乱が起これば、その国は滋びてしまう。もし家の中で内輪げんかがあれば、家は立ちゆかない。だからサタンが同士打ちすれば、彼は滅びてしまうではないか」。マタイとルカにはもう一つの追及の言葉が加わっています。「私がベルゼブルを使って悪霊祓いをしていると言うのなら、君たちの仲間は、一体、何によって悪霊祓いをしているのか? この問題を彼らに判断させてみなさい」。カリスマ的な力による悪霊祓いは、パレスチナばかりでなく、広くギリシャ・ローマ・世界でも行なわれていた宗教的医療行為の一つでした。
 「しかし、もし私が神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、それこそ神の困はもう君たちのところに来ているのだ」(マタイ12・28)。イエスの奇跡の業は、神の支配が力をもって君たちのところへやってきた証拠である、というのです。口の利けない盲人がいました。現代ならば、科学的、医学的にその原因を説明しょうとします。古代では、そのような現象は悪霊の仕業である、と考えられていました。それでイエスは、悪霊よりも力強い聖霊にょってその悪霊を追放し、その病人を浴してしまいました。神の霊はパブテスマの時にイエスに降って、彼の中に宿っています。活ける神の霊は、エルサレム神殿の至聖所に鎖座ましますのではなく、人々の社会の中にイエスと共にいまして、活発に働いておられる。それでイエスの力の及ぶ範囲に、神の支酪圏が確立しつつあるのです。
 「アーメン、私は君たちに言う。人の子らには、その犯すすべての罪も、神を冒涜する言葉も、赦される。しかし聖霊を冒涜する者は、永遠に赦されず、永遠の罪を負うことになる」。ここでは驚くペき神の寛容が示されています。いかなる罪も赦される。神を冒とくる罪さえも赦される。それは無知のために行なうものだからである。次に非常に厳しい言葉が来ます。堅霧を冒獲する者は、永還に赦されない。堅震の力に満ちたイエスの奇跡の業を見て、そこに驚くペき力が働いていることを知りながら、その力がどこから来ているのかそ真剣に尋ねることなく、宗派心や党派心から、それを悪魔から出たものと断定する態度がここで審かれているのです。 「こう言われたのは、彼らが"あれは汚れた霊につかれている"と言ったからである」(30節)とマルコはコメントしています。聖霊の行為を目撃しながら、それを悪魔の仕業だと強弁することは、赦されざる罪である、というのです。マタイとルカはQ資料から違った表現を用いています。 「人の子(イエス)を冒涜する者ですら赦されるが、聖霊を冒涜する者は、この世でも来るべき世でも赦されない」。ここでは地上の人の子イエスと、復活後の霊のイエス(聖霊)とがはっきり区別されています。人聞の犯すすべての罪も、地上のイエスを誤解して犯す罪も、赦される。しかし聖霊のイエス、真理の霊として来られる主イエスを冒遵する罪は、決して赦されない。ここにはすでに、原始キリスト教会の信仰告白が述べられているのです。
                   一九九〇年九月二三日 礼拝説教

    「種を蒔く人」

 イエスは多くのことをたとえで教え、その中でこう言われた。「聞け! 見よ、種を蒔く人が、種を蒔きに出て行った。蒔いているあいだある種は道に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は土の多くない石地に落ち、深く根を下ろす余地がなかったので、すぐ芽を出した。そして太陽が昇った時、陽に焼かれ、根がなかったので枯れた。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいでしまったので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い地に落ちて芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった」。そして彼は言われた、「聞く耳のある者は、聞けー」
                          マルコ福音書4章2節〜9節

 「どんな人でもこの世から何かを持ち去り、何かを残して逝く」と誰かが言いました。東京神学大学学長左近淑氏於9月7日に召天されたことを知りました。59歳。左近氏とは唯一度の出会いでした。四年前の春、「モーセの足跡を訪ねる旅」に参加した時、彼はその団長でした。スイス−エジプト−シナイ−ヨルダン−イスラエルと見学した17日間の旅行でしたが、特に、聖カテリーナ修道院からシナイ山頂を目指して登った時には、左近氏ご夫妻と一緒に語り合れながら頂上に着き、昇る朝日を背景に記念写真を撮った想い出は、私の胸に焼き付いています。彼は稀に見る深い信仰と善を残して、主の御許に召されました。
 「福音の伝道者は農夫に学ペ」と、主イエスはこのたとえ話を通して教えています。「イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた」。イエスはたとえ話(パラブル)の名人でした。誰でもよく知っている日常生活の出来事をたとえに使って、神の国の深い真理を教えました。神と神の国については、直接的な言葉で語るしとはできず、たとえ話でのみ人に伝えることができるのです。そしてイエスがたとえ話の名人であったのは当然です。彼御自身がパラブルそのものなのです。「肉と成った言(ことば)、人の子にして神の子、「われを見し者は父を見しなり」。イエスの十字架は、神の愛の矛盾ではなく、そのパラブルなのです(ヨハネ3・16)。
 ガリラヤ湖畔に群がる人々に向かって、潮上に小舟を浮かべ、その中に座って、イエスは、「聞け(シュマア)!」と語り出しました。これは了度モーセが、「聞け、イスラエル」(申命記6・4)と語り出して、今も尚すべてのユダヤ人の心に鳴り響く不滅の言薬を残した事跡の再現のようです。種を蒔く人のたとえ話は、クリスチャンの胸に永還に生き続ける生命の言葉です。「聞け!」。イエスの言葉に心の耳を傾けて真剣に聴く者は、そこで神の国と出会うのです。そしてその出会いを経験した者は、それによって動かされ、導かれて行くのです。
 画家ミレーは「落ち穂拾い」を描いて、私たちに「ルツの物語」を思い起こさせてくれましたが、彼は又、「種を蒔く人」を残して、私たちに主イエスのたとえ話を連想させてくれました。パレスチナから地中海沿岸づたいに、シリア−トルコ−ギリシャ−イタリア−フランス−スペインに至るまで、ぶどうとオリーブの木の育つ所は、石灰岩質のやせた土地です。地味の食かな.日本とは、その農法が違うのは当然です。雨一滴降らない灼熱の夏の後、農夫は一見、石ころと枯れた茨しかないどうな乾燥した土地に、麦の種を蒔くのです。種は様々な条件の土地の上に落ちます。人はこの仕事を徒労としか見ないかも知れないが、農夫は望みをもって種を蒔いて行きます。彼は、多くの無駐は出るけれども、収穫はそれ以上に多いことをよく知っています。やがて秋の雨が降り、土地を柔らかにすると、彼は鍬を入れ、土で種を覆います。
 イエスは蒔かれた種の運命について語ります。道端に落ちて、鳥に食ペられてしまうの。石地に落ちて、芽は出したが、やがて枯れてしまうもの。茨の中に落ちて、芽生え、育ったが、茨の勢いがより強くて、それを覆いふさいでしまったので、突をつけられなかったもの。そして良い地に落ちた種は芽生え、育ち、花を咲かせ、実をつけて、豊かな収穫を農夫にもたらせた。このたとえ話には確かにイエス御自身の農作業の経験の裏打ちがあります。彼は厳しい労働と農夫の期待にも拘わらず、多くの種が実る結ばなかった挫折について詳しく語ります。そして良い地に落ちた種については、突にあっさりと語っています。良い地に落ちた種の数の方が、それ以外の地に落ちた種の数よりも多かたとか、蒔いた種の量よりも吹穫物の量の方が寺かったとかという効率主義は少しも見られません。イエスはただ、種を蒔く人のたとえ話を語って、努力や挫折に拘わらず、収穫は素晴らしいものであったと語っています。
 神は必ずその目標を達せられる。神の国の祝福と、栄光の終末の日を待ち望みつつ労する者は、豊かな報酬を期待することができると、イエスは約束されています。そして結びの言葉は、積頭の言葉と同じく、「聞け!」と言っています。正しい聞き方をする者は、すでに神の賜物を受けているのです。主イエスの言葉を、全心全霊をもって聴き、これを真剣に受け止め、そのように実行することがここで求められています。
 "涙をもって種蒔く者は、喜びの声をもって刈り取る。
  種を携え、涙を流して出て行く者は、東を携え、喜びの声を上げて帰って来るで
  あろう"
 「パプテスマのヨハネの時から今に至るまで、(詩篇一二六篇)天国は激しく襲われている。そして襲う者はそれを奪い取ろうとしている」(マタイ11・12)神の国はそこに来ている。しかしそれに対して人々は暴力をふるい、踏みにじっている。「侮い改めよ」という呼び声は、ヨハネの時から現在に至るまで絶えることなく叫び続けられている。しかし人々は侮い改めようとはしない。福音の伝道は失敗したように見える。しかし失望することはない。人の目には失敗のように見えるが、落胆せずに御言葉の種を蒔き続けなければならない。最後の時、収穫の時になってみれば、神の国の畑に黄金の穂波が波打っているのが見えるであろう。主イススはこのたとえ話を語って、福音の労働者を慰め、励ましておられるのです。
                      一九九O年九月三O日 礼拝説教

    「種を蒔く人」の解釈

 種を蒔く人は、御言葉(ホ・ロゴス)を蒔くのである。道端のものとは、こいう人達である。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサメンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。石地に蒔かれた種そは、こういう人達である。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。また、ほかの人達は茨の中に蒔かれるものである。この人達は御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込む、御言葉を覆いふさいで実らない。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人達であり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。                マルコ福音書4章14〜20節

 紀元28〜30年頃、イエスという強烈な個性が現われて、ユダヤの社会に大きな波紋を投げかけました。その後、イエスの十字架の死−複活−昇天−聖霊の降臨を経て、当時のローマ世界の各地にキリストの教会が生まれました。マルコが、イエスに関する体験談や口伝、文書化されてい在伝承などを集めて編集し、マルコ福音書を作製したのは、65年頃のこそでした。イエスと最初の福音書の間の時間的距離は、約35年です。その間、各地の原始キリスト教会では、説教や伝道が続けられていたのです。
 先週学んだ「種を蒔く人」(3〜9節)のたとえ話は、真正のイエスの言葉です。しかし今日学ぶ、そのたとえ話の解釈(14〜20節)は、原始キリスト教会でなされた説教です。その両者の間には、徴妙で大きな隔たりが多ります。
 イエスが「種を蒔く人」のたとえ話を語った後、弟子達が来てその話の解釈を求めました。するとイエスは、「君たちには神の国の秘密を打ち明けるが、外の人々には、たとえで語る。それは…彼らが立ち帰って、赦されることがないだめでをる」(11〜12節)と言いました。これは不可解な言葉です。この章には二つの異なった精神が読み取れます。イエスは舟の中から岸辺にいる群衆に向かって、 「たとえでいろいろ教えて」(2節)いました。「ィエスは、人々の聞ー力に応人牝、このょ5に多くのたとえで御言葉を語られた」(33節)。イエスは民衆に対して公刷の説教をしています。たとえ話は、民衆の理解を助けるための手段として用いられています。ここでは御許に来るすべての人々が神の国の福音へと招かれているのです。 「ともし火を持って来るのは、井の下や寝台の下に置くためだろうか。濁台の上に置くためではないか」(21節)。ここには明るい健全な精神が見られます。これが本来のイエスの御姿であると私は思うのです。しかしそれとは反対の、屈折した精神も見られます。先に述べた11〜12節と、「たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子達には秘かにすべてを説明された」(34節)。つまりここでは、弟子達と外の人々(民衆)とが区別されていて、イエスが民衆にたとえで語るのは、彼らに謎をかけてその理解を妨げ、救われないようにするためであるが、弟子達には親切にも、内密に秘密の解き明かしをされた、というのです。
 紀元50年頃のパレスチナのユダヤ教社会におけるキリスト教会のことを考えてみましょう。そこではクリスチャン達は少数派です。彼らはキリストを信じるゆえに、周囲の人々とは逢った生活態度をとり始めています。ユダヤ教の会堂に行っていた者がキリスト教の集会に行き始める。土曜日の安息日を守っていた者か日曜日の「主の日」を守るようになる。すると少数派のクリスチャン達は多数派から「困難と迫害」(17節)を受けそす。彼らを慰め励ましてくれるのは教会の説教です。そのような状況の下で「種を蒔く人」の解釈がなされ、弟子達と外の人々との区別が生じるのは、.当然のことです。教会の人々は、イエスにょって見る目、聞く耳、理解する心が与えられているから、神の国の秘密がよく分かるのだが、外の人々にはその真理が隠されているのだ、と考上るのは無理もありません。
 「種を蒔く人」(3〜9節)の話はイエスの典型的ながたむ釘です。パラブルでは一つの中心的なメッセージが語られます。イエスの寛教と来るペき神の国です。そしてそれの拒杏と受容とがあっさりと語られています。言葉は美しく、よく調和が保たれています。反対や抵抗や挫折はいたるところであるだろうが、神の国は今すでに来ているのだ。聞く耳のある者は、その抵抗や反対の中に、神の働きを見出すのだ。そういう人こそ、十字架を負ってイエりスに従っている人なのだ。しかし時が来れば、その収穫は豊かに与えられるのだ。そこには悲観主義はつゆほどもありません。そのたとえ話の解釈(14〜20節)は、たとえ話(パラブル)を寓話(アレゴリー)に変えてしまいました。寓話には一つ一つの語に秘められた意味があって、解説が必要なのです。四種類の土地とは四種類の人々のことである。鳥はサタンである。石地とは石のように固い心の持ち主のことである…。これは非常に人々の心に受け入れ易い教えで、これを私たちは自らに当てはめて悩んだり、他人(ひと)に適用して裁いたりしがちです。これから一歩進むとやがて悪い鳥は殺され、茨は焼き払われるのだ、ということになります。しかしイエスは、パラブルを語りましたが、アレゴリーは語々ませんでした。イエスのパラブルでは、鳥も岩も茨も、決して悪者扱いされることなく、極めて自然に語られているだけです。イエスが詩で語ったものを、教会が散文に変えてしまいました。
 14〜20節のたとえ話の解釈の中に「御言葉(ホ・ロゴス)」という語が8回も出て来ます。英語では、ザ ワードです。これは原始キリスト教会の用語で、福音とか説教ということでキリストの十字架ー複活ノ高挙ー宣教がその中にセットされているのです。 「時は満ちた。神の国は近づいた。君たちは悔い改めて福音を信じなさい」(1・15)と、あの時、ガリラヤ湖畔で語られたイエスの福音は、今、ここで、御言葉(ホ・ロゴス)として語り織がれている、という意味です。それ故、私たちはイエスのたとえ話と共に、その解釈をも、深い注意を払いながら、受け入れましょう。
                     一九九O年1O月七日 礼拝説教

   「成長する種」の話

 そしてイエスは言われた、「神の国はこのようなものだ。人が地に種を蒔いて、夜眠り、朝起きることを繰り返しているうち、種は芽生えて成長するが、彼はそれの原因を知らない。地は自然に実を結ぶのであって、はじめは緑の茎、次に穂、それから穂の中に穀物満ちる。そして実りの時期になると、彼は直ちに鎌を入れる。収穫の時がすでに来ているからである」。                 マルコ福音書4章26〜29節

 先日、倉吉市に住む林達也兄から「さすらい人の神」を読んでの感想が寄せられました。 「十戒の、愛と戒めの関係についての学びの中で、これほど"隣人を愛することを信仰的に説いて下さった文章を私は知りません。つまり、隣人のために先ず何かをして上げるということではなく、隣人に対して悪を行わないということ、又、一つの共同体の中にいる仲間として、永くつき合って行こうとすれば、否定的な愛ほど有難いものはないことが分かります」。三年程前にこの教会で結実したひと粒の種が、神の御手によって遠方に住む兄弟の心に蒔かれ、その発芽を見たのです。このお便りを頂いて、福音の種を蒔くということはこういうことであったのだ、と改めて教えられました。福音の伝道というものは、否定的な愛と同じ様に、ラウドスピーカーで聖句を読んで聞かせたり、大伝道集会を開いて鐘や太鼓で人を集めてみたり、アンケートを取ったり、決心者カードを集めたりすることではなく、ロングフェローの詩「矢と歌」のように、空へ向かって放った矢の行方を知らず、空へ向かって歌った歌の行方を知らずにいた人が、ずっと歳月を経た後に、計らずも、矢は樫の木に、歌は友の心の中に再び見出して喜び感謝するようなものです。 「語らず言わず、その声きこえざるに、その響きは全地にあまねく、その言葉は地の果てにまで及ぶ」(詩窟19)。これが神様の伝道法です。
 今朝は「依長する種」の話から、主イエスの伝道法について学びます。実は、多くの教会で行われている伝道法、つまり、求道者を集めて教育したり、信者を釧練して訪問伝道をさせたりというようなものは全然なく、主イエスはただ福音の種を蒔いて、その結果を父なる神の御手にゆだねて、吹穫の時を静かに待たれたのです。私も主にならって、皆さんの私生活に関心をもったり、世話をやきすぎたり、規則を作ってこれを守らせたり、教会奉仕に駆り立てたりしないで、福音を語ることに全力を尽くして、あとはどうぞ御自由にという在り方で進みたいと思っております。
 この「成長する種」のたとえ話はマルコの特種ですが、確かにイエスの真正の言葉です。身近かで日常的な事柄を例に上げて、単純明快に神の国の深い真理を教えています。その言葉拒調べがあ々、気品があり、独特の高い香りがあります。一度聞いたら、そのまま心の奥底にズーンと入って、いつまでも忘れられないような力強いリズムがあります。学者の難解さがありません。宗教家の臭味や、大衆伝道師の押しつけがましさがありません。正しい者と悪い者、朽の者と外の者、救われる者と滋びる者というような二分法がありません。このたとえ話には道徳的な教訓がありません。美しいガリラヤ潮の風景の中で、このような美しい言葉が語られたのです。これは、「御言葉の奇跡」です。
 神の国は、種蒔きにたとえられます。イエスは福音の宣教によって、神の国の種を蒔きます。そしてこの農夫は、夜に寝て、朝に径きるという毎日を繰り返しています。その間に彼は、耕し、鍬きならし、雑草を取り、肥料を与え、いろいろ世話をするはずですが、そのことには何も言及されず、あたかも農夫は何もせずに、吹穫の時までのんびりした態度で時を過ごしているかのように語られています。農夫が寝たヅ起きたりしている間に、種は、それ自身の内に宿っている法則と生命力で、ひとりでに成長します。はじめに芽を出し、茎を伸ばし、花を咲かせ、穂を出し、穂の中に実を充満させると、刈り入れ時になります。「鎌を入れよ、刈り入れ時は熟した」(ヨエル4・13)。刈り入れ時は、旧約では恐ろしい主の裁きの日を意味しますが、イエスのたとえ話では、喜ばしい救いの日、神の国の完成の時を意味します。
 イエスは福音を語ることによって、この世界に神の国の種を蒔きます。しかしこの種の成長は、イエスの意志や努力によりません。種を成長させ、吹穫をもたらすお方は神御自身です。イエスは、この種を蒔く人のように、結果のすべてを神の御手にゆだねて、安心して福音の種蒔きを続けます。神の国の種はイエスによって蒔かれ、もうすでに信仰というかたちで私たちのうちに発芽しているのです。 「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また、見よ、ここにある、あそこにある、などとも言えない。神の国は実に君たちの報耶にあるのだー」(ルカ17・21)。使徒パウロも福音の伝道に関して同じことを語っています。「私は植え、アポロは水を狂いだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから植える者も水を狂ぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神である」(コリント第一書3・6)。
 主イエスはこのたとえ話で私たちに、神の国の種はすでに蒔かれた。状穫は必ず来る。疑いや思い煩いに陥らないように気を付けなさい。焦らずに、安心して神の時を待ちなさい、と教えておられるのです。イエスの時代にも待てない人々がいました。熱心党は暴力にょる反ローマの革命を起こすことによって、神の国の到来を促進させようとしました。パリサイ派は律法を厳守することによって、神の国を引き寄せようとしました。黙示思想家は聖書にある数字をひねくって、終末の正確な年月日も算出しょうといたしました。そのいずれの試みも失敗に終わりました。桃栗3年柿8年、柚(ゆず)は遅くて11年、梅は酸い酸い13年。自然界に個性と時があるように、人間の魂にも個性と時があります。私たちは主イエスの弟子として、福音の種を蒔き、その結果を恵みの神の御手にゆだね、安心してその成熟を待ちましょう。 「主の救いを静かに待ち望むことは、良いことである」(哀歌3・26節)。
                     一九九O年一O月一四日 礼拝説教

   「芥子(からし)種」の話

 イエスは言われた、「神の国を何に比ペようか。いかなるたとえで語ろうか。神の国は芥子種のようなものだ。これが地に蒔かれる時は、地上のどんな種よりも小さいが、これが蒔かれると、芽を出して成長し、どんな野菜よりも大きくなり、大きな校を張るので、その陰に空の鳥が巣を作ることができるほどになる」。 マルコ福音書4章30〜32節

 数年前、山本七平先生が聖地旅行に行かれた時に、れい子奥様が私に一粒の好子種を持ってきて下さいました。これがその種です。来春にこれを蒔いてみょうと思っています。うまく育てば、このたとえ話の様子を見ることができるでしょう。
 日本では小さいらのの代名謁として「けし粒」や「山淑の実」が上げられますが、イスラエルでは「芥子種」です。 「もし君たちに芥子種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、"あそこへ移れ"と命じても、その通りになるだろう」(マタイ17・20)。イエスは信仰の話をユーモアをもって生き生きと語ります。マジメな信者はこの言葉を文字通りに受け取って、自分の信仰の無さを悩み悲しみますが、もちろんこれは修辞的な誇張で、信仰の力強さをたとえているものです。使徒パウロも「山を移すほどの大いなる信仰」(コリント第一書13・2)と言っていますから、「山を移す」とは「力強い信仰」の枕詞のように使われていたのかも知れません。
 芥子は用途の広い野薬です。その辛味のある葉は野薬として、また漬け物として食ペられます。その種は、野薬を漬ける時に香辛料として入れたり、これをしぼって食用油にしたり、粉にしてカラシ粉を作ったりします。その茎と穀は、家畜の飼料になります。芥子種は非常に小さい穫ですが、これが地に蒔かれると、見る見るうちに大きく成長し、1・5メートルほどの高さになります。ガリラヤ潮沿岸地帯では3メートルにも達するものがあるそうです。朽子菜は一年草ですから、木ではありません。マタイとルカは「木になって」と言っていますが、それは土地の人がその大きさから「木」だと言っていたのかも知れません。その点マルコは正確に記しています。それにしても「空の鳥が来て、その枝陰に巣を作るようになる」は、誇張法でしょう。あるいは、小さな木が大きく成長して、葉が美しく茂り、実は豊かに実って、人々を養い、その木陰には野の獣が宿り、その枝には空の鳥が来て巣を作る、という旧約的なモチーフ.(エゼキエル17・22、31・3、ダニエル4・9)がここに利用されているのかも知れません。
 「芥子種のたとえ話において注目すべきことは、神の国の始まりとその完成の間の著しい相違である」(H・G・ウッド)。有るか無いか分からぬほどの小さな発端が、人間的な計画や努力によることなしに、イエスは絶対の信頼を父なる神に寄せて、やがて予期せぬほどの大きな結果になる。福音の小さな種蒔きの御業に励んでおられました。小さな現実と大きな抱負。私たちの人生も職業も家庭も教会も、そのようにあるべきです。大切な事はこの世的に成功しているかどうかではなく、その中に芥子種のような生命(いのち)あるかどうかです。その生命とは、活ける主イエス、われらの朽にいます壁霊です。聖霊の風に吹かれて活かされ、清められ、強められ、励まされるのでなければ、すペては空しく終わるのです。 「恐れるな、小さき群よ! 御国を賜わることは、君たちの父の御心なのだ」(ルカ12・32)。イエスが集められた群は小さかった。数が少ないばかりか、質においても劣っていた。ナザレ村の大工がガリラヤの漁師たちを弟子にしていたのです。その周辺には、 「地の民(アム・ハ・アレツ)」と言って蔑まれていた貧乏人、賤業にたずさわる人、病人、精神病者、身体障害者などがいました。そのような現実の中でイエスは、失望落胆するどころか、勇気少んりんとしているのです。イエスの中に神の墾霊が静かに燃えています。その堅霊が、やがて十字架−復活−昇天の後に、弟予たち一人一人の中に移植されるのです。そして弟子たちを通して、ガリラヤ湖畔で語られたこの神の国の福音は、全世界に宣イ伝えられるのです。 「神の国の福音が全世界の人々ヘ」という伝道精神が、マルコ福音書の中心事項でした(11・17、13・10、15・39)。
 イエスのたとえ話の第一は「種を蒔く人」でした。そこでは、現在の失敗や挫折と見えることの中に、すでに神の支配が現わされつつあることが語られています。第二の「成長する種」の話では、神の驚くペき御業が、人間の努力と関係なしに、隠されつつも着々と行われている、と言われています。そして第三の「芥子種」の話では、初めに徴小と見えるものが、それとは対照的に、その終わりは偉大なものになる、という話です。イエスはこのように神の国の真理をたとえ話で教えて、日常の経験から当り前のこととして深く考えられていない事柄の中に、いかに驚異的な奇跡の御業が行われているかを見よ、と私たちに語られています。空を飛ぶ鳥、野に咲く花、風にそよぐ葦、朝焼けと夕焼けの空、銀貨を失くした女、家出息子の帰宅を待つ父親、不正な管理人、親切なサマリヤ人。イエスにとって自然界の出来事や人間社会の二ュースのすべてが、神の国の有様と深く関わりをもつものなのです。そして私たちも、そのように神の御業に対して開かれた心をもつように、と教えられました。
 マルコはこの芥子種のたとえ話を単独のものとして記していますが、マタイとルカは、「好子種」の話と一対のものとして、「パン種」の話を記しています。 「神の国を何にたとえようか。パン種のようだ。女がそれを三サトン(一回パンを焼く分量)の粉の中に混ぜたところ、ついに全体が発酵した」(マタイ13・31、ルカ13・18)。この相違を聖書学者は次のように分析しています。「元々Q資料(イエス語録)では、この二つの話は一対のものであった。マルコは別の資料を使っている。マタイとルカの記事の相違については、ルカの形が元来のQ資料で、マタイはQ資料の記事の一部を、マルコ資料を用いて修正している」。私たちの中に神の国のパン種(イースト)が仕込まれて私たちを内側から変質させつつあるかどうか。
                       一九九O年一O月一ニ日 礼拝説教

     「宝と真珠」の話

 天の国は、畑に隠されている宝に似ている。農夫がそれを見つけると、隠しておいて、喜んで立ち去り、持ち物をみな売り払って、その畑を買う。
 また天の国は、良い真珠を探している商人に似ている。高価な真珠を一つ見つけると、持ち物をみな売り払って、その真珠を買う。    マタイ福音書13章44〜46節

 この10年来、私たちの仲間であった高根礼子姉が、約1年間の闘病生活の後、10月17日に天に召され、19日に母教金の桜本教会で告別式が行われました。享年49歳。
 "あなたは死の秘密を知りたいと言う。しかし、どのようにしてそれを見出せまし
 ょう。もし生命の中心(ハート)にそれを求めないのなら。夜目の効くフクロウは日中は 盲目(めしい)。
 光の神秘を顕わにはできません。もしあなたがまことに死の真意を見たいのなら、
 あなたの心を生命のに向けて広く開きなさい。なぜなら、生と死とは一つのもの。
 了度、川と海とが一つであるように"        カリール ジブラン
 神の国のたとえ話の意味も、ジブランの詩と同じです。私たちは神の国のたとえ話を三つ学びました。イエスは神の国の具体的描写を決して語りません。イスラム教のコーランは、天国は水が豊富で、おいしい食べ物があって、美しい女の人が沢山いる所だ、と教えています。しかしそれは、人聞的な欲望の延長でしかありません。イエスは私たちの目をごく身近かな経験に向けさせて、たとえで語ります。 「種がいかにして育つかを見よ。その中に神の国はあるのだ」と。
 「宝と真珠」のたとえ話は、マタイの特種です。マタイの教会はユダヤ的な色彩の濃い教会でしたので、「神」という語の使用をはばかって、「天」という語を代用しました。それでマタイは「神の国」と言わず、「天の国」と言いました。
 ここに二つのたとえ話が一対(ペアー)になっています。イエスは聴衆の理解を助けるために、一つの真理を二つの対照的な方向から語ります。 「君たちは地の塩です君たちは世の光です」と言うように。
 最初のは農夫の話です。この人は畑の持ち主ではなく、貧しい日い労働者でした。ある日、せっせと畑に鍬を入れていると、カチンと当るものがありました。何だろうと思ってよく見ると、それは壺(つぼ)で、その中には金銀宝石がザクザク、しめたぞ!彼は内心の喜びをひたすら隠して、そこを埋め戻し、宙を飛ぶような気持ちで家に帰り、持ち物を全部売り払って、その畑を買い、その宝を自分の所有にしました。
 ここで道徳論を持ち出すことはお門違いです。主人の畑で宝を発見しながら、これを主人に告げずにそっと隠しておいて、何喰わぬ顔をしてその畑を買い取ることは、詐欺的行為ではないか、と。そういう固いアタマではイエスの話は決して分かりません。天の国の発見の喜びは、そのようなゾクゾクした喜びに似ているのだ、と言っておられるのです。説教者としての私は、毎週礼拝に出席される人を手ぶらで帰らせたくありません。福音を聞いて、 「金貨」を一枚ずつイエス様から頂戴したような気持ちで帰って欲しいと思います。 「知恵と知識は救いの富、主を畏れることはその宝」(イザヤ33・6)

 二番目のは真珠商人の話です。彼は多分、真珠の蒐集家だったのでしょう。彼は特別な真珠を深し求めて、真珠の名産地であった紅海、ペルシャ湾、インド洋沿岸の各地を旅行したことでしょう。そしてある時、ある所で、比類なき輝きをもった一つの完壁な真珠を発見し、大喜びで家に帰り、全財産を処分して金をつくり、お目当ての真珠を購入しました。この話にも道徳的教訓はありません。真珠商人の大きな喜びが中心です。天の国の発見の買びは、そのようなものだ、と語られています。
 農夫の揚合は、宝の発見は偶然的な幸運でした。商人の場合は、高価な真珠を探し求めた結果の発見でしたが、発見できたことは、幸運でした。そのように天の国は、タナポタ式に与えられても、努力の末に得られても、それは神の恵みによるのです。神がすでにそれをそこに備えておいて下さったので、発見することができたのです。福音の発見も又、これと同様です。イエス・キリストの降誕−生涯−十字架−復活−高挙−聖霊降臨という一連の神の御業がすでになされていたので、タナポタ式にしろ、求道生活の結果にしろ、いま、私たちは神の恵みを得て喜んでいるのです。
 農夫と商人は、その素暗らしい発見物をどのようにして自分の所有にしたかを教えてくれます。即ち全財産を投げ打って自分の手に入れたのです。つまりこのような高価なものは、ほんの一部分を犠牲にするだけでは得られない、ということです。天の国の発見の喜びはそれ程の値打ちがあるのです。死の克服−復活の信仰−永遠の生命−神の子の自由−御国の世嗣。その栄光を得ているので自分の全部を引き渡すのです。これは本当に有利な取引きです。
 釈迦は、すべてを捨てて悟りを得よ、と教えました。彼は悟りを褐た時に、菩提樹の下で、びたりと座ったまま、7日間、解脱(自由の境地)を楽しみ味わった、と言われています。しかし先ず、捨ててから、得るのです。その点、パプテスマのヨハネも同じです。到来しつつある神の国に入りたいのなら、祈りと断食の禁欲的生活をしてその日に備えよ、と教えました。原始キリスト教団も又、黙示的な終末思想にょって、先ずすペてを放棄して神の国を求める之うに語りました。この場合、神の国は未来にあるのです。いわゆる後生の救いのために現在を放察するのです。しかしイエス自身は、神の国の中にある喜びに滋れて生き、語り、行ないました。一輪の野の花の中にソロモンの栄華に優る栄光を見、一羽の雀の中に神の深い配慮を認めて、神の愛と配慮は君たちの上に注がれているのだ、と教えました。即ちイエスは神心殊殆の中に生きており、その神の現在の喜びの中に私たちを招いておられるのです。その宝を発見した者は、すべてを売ることができるのです。神の国を発見した者は、地上の宝を放棄ずることができるのです。
 「私たちは、この宝を土の器(うつわ)の中に持っている」(コリント第二書4・7)。                    一九九O年一O月二<日 礼拝説教

      「嵐を静める主」

 すると強い山おろしが吹き寄せ、彼が舟の中に打ち込んできたので、舟はたちまち水でいっばいになった。そしてイエスは船尾の方にいて、枕をして眠っておられた。そこで弟子連は彼を起こし、「先生私たちが滅びるのを、気になさらないのですかサ」と言った。すると彼は立ち上がり、風を吹りつけ、海に向かって言われた、「黙れ、静まれ!」すると風は静まり、海は大凪(おおなぎ)になった。マルコ福音書4章37〜39節

 北部パレスキナに位置するガリラヤ潮は、旧約聖書ではキンキレテの海、新約聖書ではガリラヤの海、ゲキサレ潮、テベリヤの海、ヨセフスではゲネサル潮、アラビア語ではパハレト・タバリーエと呼ばれています。この潮は南北21キロ、東西12キロの洋梨型の小さい潮で、水面が地中海よりも二O八メートルも低く、周囲に山があるので、時々危険な「山おろし」が突然に吹き荒れます。この奇跡物語は、ガリラヤ地方の特殊性と深く結びついています。
 マルコの編集は、たとえ話集を終えて、奇跡物語集(4・35〜6・56)に入ります。それまでイエスの活動は潮の北西倒でしたが、ここから舞台が東側に移ります。少々不思議な点は、夕方に向こう岸へ行こうとしたことです。その渡航には2、3時聞はかかるだろうし、対岸に到着する頃にはすっかり夜になっているはずです。しかし上陸直後の出来事は、明らかに昼間行われています(5ォ1以下)。マルコはそこまで詳細に検討しなかったのでしょうか。あるいは、夜通し漁をしたのかも知れない。それなら、イエスが枕して眠っていたことの説明がつきます。
 イエスは舟の中から岸辺にいる群衆に語りかけていましたが、夕方になり、「対岸ヘ渡ろう」と言われました。ほかの舟も一緒でした。その航海の途中で、不運にも激しい突風作襲われ、舟は木の葉のように翻雰され、難破の危険にさらされて、船朽は大騒ぎになりました。イエスはその綴ぎをよそに、船尾でぐっすりと眠っていました。そこで弟子達は彼をゆり起こし、「先生、私たちが顔れ死んでも平気なんですか?」と非難めいた言葉を語って詰め寄りました。するとイエスは立ち上がり、風を班り、海に命じて、「黙れ、静まれ!」と言うと、風は急に静まり、海は大凪になりました。そしてイエスは弟子達に向かって言いました、「何故そんなに恐れるのか? 君達には信仰がないのか?」。すると弟子達は詐常な恐れに襲われて、「一体この人は誰だろう、風も海も、このお方の命令に従うとは?」と言い合いました。
 嵐にあって弟子達が恐れたのは、激しい自然現象にあったからだけではありません。彼らは、暴風のような荒々しい危険な出来事は悪震の仕業であると信じていました。悪霊が彼らの肉体ばかりでなく魂をも滋滑す、と息っていました。それで、 「先生、私達は滅びます」と叫びました。するとイエスは、汚れた霊を班りつけて悪霊を退散させた時(1・25)と同様に、象風を吹りつけると、風は浴まり、海は静かになりました。驚くペき奇跡、畏るペき権威です。この奇跡物語には、マルコの主題の一つ、「神の子イエスに対する弟子達の無理解」ということが語られています。
 マタイとルカもこの物語を記していますから、これはマルコが原資料です。ルカは殆んどマルコと同じですが、マルコの記事の長たらしさを整理してすっきりとした形に直しています。マルコはアラム語を話すユダヤ人でしだので、そのギリシヤ語は素朴で荒削りなのです。ルカはギリシャ語を母語として育ったギリシャ人で、名文家でした。ルカは、教師が生徒の作文を添削するように、マルコの文章を書き改めています。又、多少の変更も行ないました。 「先生、私たちが滅んでも平気なのですか?」(マルコ4・38)。「先生、先生、私たちは滅びます」(ルカ8・24)。ルカは弟子たちの非難めいた泣を言を省きました。彼はマルコの「神の子イエスに対する弟子たちの無理解」という考えに、賛成ではなかったのでしょう。「先生、先生」という呼びかけを重ねることで、彼らの狼狽ぶりのみが語られています。
 マタイはマルコに沿って物語を進めながら、マタイ流に改変しています。 「主よ、お助け下さい。私たちは激びます」(マタイ8・25)。マルコとルヵの記す弟子たちが、尊敬する人間の教師忙対して「先生」と呼びかけたのに対して、マタイの記す弟子たちは、復活した神の子キリストに対する信仰を告白するかのように、「主よ」と呼びかけています。この言葉はすでに、神に対して助けを求めるクリスチャンの祈りです。この改変にょってマタイは、ガリラヤ糊上の弟子達の経験という枠をはるかに超えて、迫害と因難に悩む教会の姿を表わしています。ここでのマタイの主題は、「イエスに従う」です。その前の記事で、「まず、父の埋葬に行かせて下さい」と願う弟子にイエスは、「まず、わたしに従いなさい」(8・22)と語ります。そして、「それからイエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った」(8・23)とマタイは記しました。ここに彼の意図が見られます。弟子たちはイエスに従って小舟に乗り、航海に出ます。すると暴風が吹き寄せ、命の危険にさらされます。「主よ、お助け下さい。私たちは験びます!」。「小舟」は教会なのです。教会は今、暴風の中にある。教会は今、因難と迫害の真中にある。四方入方からの圧迫にょって危険にさらされている。そこで教会は復活の主、生命の主に祈り求めます、「主よ、お助け下さい。私たちは滋びます」と。するとイエスは、マルコの記述の源序を逆にして、彼らの祈りに応えて、「何故そんなに恐れるのか、信仰の小さい者たちよ!」と言います。教会は不信仰のゆえではなく、不十分な信仰のゆえに吹責されます。しかしイエスが同じ舟に乗っておられ、彼らの祈りに応えておられることの中に、すでに救いがあります。イエスは起き上がって風と海とを吹りつけると大瓜になりました。「人々は驚いた」。ここで驚いているのは「弟子達」ではなく、「人々」なのです。キリストの福音によってこの物語に出会うすペての「人々」なのです。
 「主が共にいます」(マタイ1・23)、これがマタイの信仰です。
                    一九九O年一一月四日 礼拝説教

     「レギオンの救い」

  イエスとその一行はガリラヤの対岸、デカポリスの地、ゲラサ人の地域に上陸。
  墓地を住み処としている汚れた霊に取りつかれた狂暴な裸の男がやってくる。
その男 「いと高き神の子イエスよ、私にかまわないでください。お願いですから、私   を苦しめないでください!」
イエス 「お前の名は何と言うのか?」
その男 「私の名はレギオン。大勢ですから。私たちをこの地から追放しないでくださ   い。あそこに豚の大群が草を食ペています。どうぞ私たちを、あの豚の中に乗り移ら  せてください」
イエス 「そうしてよい」
   悪霊たちが豚に乗り移ると、二千匹ほどの豚の群れは険しい坂をどっと潮へなだれ  込み、溺れ死んだ。豚飼い連は逃げ出して、町や部落へ行って報告する。人々が出   て来て見ると、以前、一軍団(レギオン)の悪霊に取りつかれていた男が服を着て、正  気に返って座っている。彼らは恐ろしくなり、イエスに向かって言う。
人々  「どうぞこの土地から出て行ってください」
  イエスが舟に乗り込もうとした時、悪霊につかれていた男が願い出て言う。
その男 「イエス様、どうぞ私をお弟子の端に加えてください」
イエス「自分の家にお帰りなさい。そして親しい人々に、主があなたを憐れみ、あなたにして下された素晴らしい出来事を告げ知らせなさい」
その男は立ち去り、イエスがして下さった驚くべき出来事をデガポリスの地方に言い広めた。人々は皆、驚嘆した。          マルコ福音書5章1〜20節

 マルコはイエスが自然界の嵐を静めた奇跡に次いで、精神界の嵐を鎮める奇跡を語ります。実に奇妙な話です。これは典型的な民間説話で、人々がイエスの悪霊祓いの話を語り継いでいるうちに、いろいろな要素が付け加えられてこのような形になったと思われます。
 今日、ヨルダンの首都アンマンからシリアのダマスカス市へ向かう途中に、ジュラシュの大遺跡があります。古代デカポリス(ギリシャ・ローマ的な十都市)の一つ、ゲラサの遺跡ですその異教的な都市の中にキリスト教会があったことが確認されています。しかしゲラサはヤボク川の上流で、ガリラヤ湖から東南に50キロも離れています。それでは余りにも遠すぎます。そこでマタイは「ガダラ人の地」と修正しました。しかし尚、ガダラは湖から10キロも離れています。それで古代の聖書学者オリゲネスは、湖の東岸でそれらしい坂のある「ゲルゲサ人の地」であると言いました。人々が話を語り継いでいくうちに、無名のゲルゲサから、有名な大都市ゲラサに変えられて行ったのかも知れません。
 古代人は悪霊の存在を信じていました。悪霊は黄泉(よみ)の国から吹き出して空中に充満しており、人々の体の中に入り込んで身体的な病気や精神的な障害を起こす原因になると考えられていました。悪霊を防ぐための守護天使もいました。「彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父の御顔をいつも仰いでいる」(マタイ18・10)。悪霊は墓地や荒野に好んで住みつきました。
 この男は狂暴性の精神病者でした。人々の社会から隔絶されて墓地に住んでいました。鎖で縛られたり、手枷足枷でつながれたりしましたが、それらを引きちぎって暴れ回るほど力が強く、昼も夜も墓場や山で大声で叫んだり、自分の体を石で打ち叩いて傷つけたりしていました。人々はその異常な馬鹿力に驚いて、彼を「レギオン」と呼んでいたのでしょう。レギオンとは、ローマの一軍団(約六千人)のことです。その男の狂暴性が、ローマの軍団になぞらえられていたのです。
 「いと高き神の子イエスよ」。この男の中の悪霊の告白です。悪霊は人間以上にイエスの正体と実力を知っています。しかし救い主としてではなく、手強(てごわ)い敵として。悪霊がひれ伏したのは尊敬の意味ではなく、降参の意味でした。悪霊はイエスの質問に答えてその名を明かし、ギリシャ・ローマ的なその土地にとどまりたいと願い出ます。面白いことに悪霊には寄(よ)り代(しろ)が必要なのです(マタイ12・43)。そこで近くで草を食べている豚の群れに入ることを願い出て、許されます。ユダヤ人は豚を不浄の動物と考えていたので決して食べません。しかしギリシャ人やローマ人は好んで食べました。ユダヤ人から見れば、汚れた霊が汚れた動物である豚の中に入ることは相応(ふさわ)しいことだったのかも知れません。悪霊が豚に乗り移ると、豚は狂暴になり、険しい坂を転げ落ちて、湖の中で溺死してしまいました。豚飼い達はその目撃者になり、町や部落の人々に報告すると、人々が出て来てその事実を認かめ、損害に驚き、イエスに敵意を持って、その地方から立ち去るように要求しました。それでイエスが舟に乗り込もうとした時、その悪霊から解放された男がイエスを慕い、弟子の端に加えて下さいと願い出ました。イエスは彼の願いを聞き入れず、自分の故郷に帰って、親しい人々に主の憐れみと御業とを証しするようにと告げました。その男は立ち去り、イエスの権威と奇跡とを故郷の親しい人々ばかりでなく、デカポリス地方全体に宣べ伝え、それを聞いた人々は皆、驚嘆しました。
 この物語の聖書的な意味は、昔ヨシュアがヨルダン川を渡ってカナンの土地で主の聖戦を行なったように、イエスはガリラヤ湖を渡って異教の地に入り、ローマの一軍団ほどの悪霊を滅ぼすことによって、異邦人の救い主でもあられることを証しし、異邦人の地に神の国の福音を伝えたところにあります。
 「レギオンの救い」の女性版は、「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリヤ」(ルカ8・2、マルコ16・9)です。「七」は完全数ですから、彼女も又、救われ難い絶望的な状態にありましたが、神の子イエスに出会い、その御力によって救い出されたのです。「わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでに君たちのところにきているのだ」(ルカ11・20)。悪霊追放の物語を、自らの内に起こった出来事として読み、感謝できる人は幸いです。
                     1990年11月11日 礼拝説教

  「タリタ・クーム」

 会堂責任者の一人でヤイロという名の人がイエスの許にやってきて、ひれ伏し、懇願して言った、「私の小さい娘が死にそうです。癒されて生きるために、来て、娘の上に御手を置いて下さい」。そこでイエスはヤイロと一緒に行かれたが、多くの群衆がついて行った。(途中、難病の女を癒す)…ヤイロの家から人々が来て言った、「あなたの娘は死にました。もう先生を煩わす必要は無くなりました」。イエスはヤイロに言われた、「恐れるな、ただ信ぜよ」。イエスはペテロとヤコブとヨハネだけを同行させた。ヤイロの家に着くと、悲しみ泣き叫んでいる人々を見て言われた。「何を泣き騒いでいるのか? 子供は死んだのではない。眠っているのだ」。人々は彼を嘲笑した。イエスはすべての人々を追い出し、子供の父親と母親と3人の弟子達を連れて、子供のいる場所に入った。そして子供の手を取って言われた。「タリタ・クーム(娘よ、起きなさい)」。すると直ちに少女は起き上がって歩き廻った。彼女は12歳だった。人々は驚愕した。イエスは誰にも知らすな、と厳しく命じ、娘に食べ物を与えるようにと言われた。            マルコ福音書5章21〜24、35〜43節

 11月12日、天皇が高御座(たかみくら)に着く即位の大礼が行なわれました。まるで中世の絵巻物を見るような豪華な式典でした。海部(かいふ)首相は国民を代表して、「天皇陛下万歳!」と叫びました。その言葉は50年昔の記憶を呼び覚ましました。「海行かば、水漬(みず)く屍(かばね)、山行かば、草むす屍、大君の辺(へ)にこそ死なめ、返り見はせじ」。大陸で、太平洋で、戦死者は全員、「天皇陛下万歳!」と叫んで死んで行った、と教えられました。
 聖書を学び続けると、複眼で物事を見る知力が生まれます。日本人は「忘却の民」ですが、聖書を生み出したヘブライ人は「記憶の民」でした。聖書を学ぶ者は、現在の反映の中に過去の廃墟を見、いのちの輝きの中に死の影を見逃がしません。
 「娘が死にそうだ、近頃評判の霊能者、ナザレのイエスにお願いしよう」。ユダヤ教会堂(シナゴーグ)の管理責任者ヤイロは、恥も外聞もかなぐり捨てて、巡回聖(ひじり)イエスの前にひれ伏し、懇願しました。12歳の少女は、成長盛りの若木です。それが突然に枯れ死(じに)してしまうという不条理な現実が人生に起こります。死の壁を打ち破ることは誰にも出来ない。娘が生きているうちに何とかしてイエスをお連れしようと焦るヤイロの心を知らないかのようにイエスは群衆に押されながら歩を進めました。そして途中で難病に悩む女を癒したり、言葉を交わしたりして手間どってしまいました。そのうちにヤイロの家から使いの者が来て、「娘さんは亡くなりました。もう先生に来てもらう必要はなくなりました」と告げました。イエスはその言葉を聞き流し、信頼を持続するようにヤイロを励ましました。ヤイロの家に着いて見ると、葬儀の準備中で、笛吹きが葬送曲を奏(かな)で、泣き女が嘆きの声を張り上げていました。「君たちは何を泣き騒いでいるのか? 子供は死んだのではない。眠っているのだ」とイエスは言いました。彼は死の事実を直っ向から否定しました。「死は眠りである。眠っているなら、起こせばよいではないか」。すべての人間が冷酷な死の壁の前で無力を嘆き悲しんでいる時に、イエスは神の眼をもって、死の向こうに復活を見ています。イエスにとっても死は現実でしたが、復活はそれ以上に確かな現実でした。イエスは子供の両親と3人の弟子達をつれて子供の部屋に入り、少女の手を取って、「タリタ・クーム」と言うと、彼女は目を覚まし、起き上がって歩き始めました。人々はびっくり仰天しました。
 マルコの記事をマタイは改作しました。「私の娘がただ今死にました。しかしおいでになって、御手をその子の上に置いてやって下さい。そうすればあの子は生き返ります」(9・18)。マタイの描くヤイロは最初から「イエスは死人を甦らせる権威あるお方である」と信じていました。マタイは、病気の癒しのみを求めて、イエスの能力(ちから)に限界をおいているマルコの描くヤイロに不満でした。弱さと限界を持たない力強い神の子キリスト。これがマタイの神学でした。そのため「タリタ・クーム」という、恐らくイエスが語ったそのままの言葉をマタイは省きました。魔術的と思われる言葉の力を借りる必要は全くなく、ただ手を取りさえすれば子供は復活するのです。また「誰にも知らせるな」という禁止命令も省きました。マルコのイエスは「お忍びのメシア」でしたから秘密が必要だったのですが、マタイのイエスは正々堂々たる神の子キリストでしたから秘密は不要でした。しかしマルコとマタイが共通して語っていることは、肉の体が甦って以前と同じ地上の生に戻ることが大切なのではなく、イエスとの生きた交わりを通して、全く新しい生命に活かされ、神の平安の中に入れられることにありました。
 新約聖書にある復活観は多重的です。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望」(行伝24・5)。終末の日に神はすべての人間を甦らせるというのは、パリサイ人と民衆とが共通してもっていた希望でした。その希望に証明を与えたのが、「イエス自身に起こった死人の復活」(行伝4・2)だったというのが使徒達の論法でした。しかしこれは復活の教義を受け入れるというだけで、本当の生きた信仰ではありません。「"わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神"。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」(マルコ12・27)。今も生き、信じる者に生命を与え給う神の信仰のみが、復活の確信へと人々を導くのです。兄弟ラザロの死に会って、「終わりの日の復活を信じます」と言って悲しむマルタに対してイエスは、「わたしが復活であり、生命であるのだ。わたしを信じる者は死ぬとも生きる(復活)。生きてわたしを信じる者は決して死なない(生命)。あなたはこれを信じるか?」(ヨハネ11・25)と言われました。遠い未来に復活を求めるのではなく、今、目の前に出会っているイエスの中に私たちの復活も永遠の生命も実存しているのです。使徒パウロはその真理を得ていましたから、彼はキリストを信じる者の復活のみを語っているのです(コリント第一書15・21〜23)。
                     1990年11月18日 礼拝説教