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マルコ福音書の研究

  「初め と 終わり」

 神の子イエス・キリストの福音の初め。マルコ福音書1章1節
 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により生命(いのち)を受けるためである。ヨハネ福音書20章31節

 「一書をもって絶海の孤島に生きるとすれば、あなたの一書は何か?」と問われた場合、最も多くの人は、聖書を選ぶと言われています。同じように、「歴史上で唯一人の人物をあなたの一生のテーマとして選ぶとすれば、誰を選ぶか?」と問われた場合、イエス・キリストを選ぶ人が最も多いのではないか、と私は予想します。例えば夏目漱石を一生の研究テーマに選ぶ人があっても、漱石と心中しようと思う人は殆んどいないでしょう。美空ひばりが人気があっても、ひばり研究のために一生を捧げようとする人はいないのではないかと思います。しかし、イエス・キリストを生涯のテーマとし、イエス・キリストのために身命を捧げて生きた人、また現在もそのように生きている人は、無数におります。
 私たちは過去3年4ヵ月かかって、モーセとヨシュアとルツの学びを進めてきました。その前は、アブラハムについても学びました。広く言えば古代オリエント、狭い意味で古代イスラエルの旅をしてきた、と言えます。しかしそれらは登山で言えば訓練の期間であって、本命は、イエス・キリストなのです。私たちはこれから、世界の最高峰に向かいます。「征服してやろう」という不遜な登山者のような気持ちではなく、斉戒沐浴して登る巡礼者のような心で向かいたいと思います。
 私はルツ記を講じながら、福音書についての研究書をいろいろ読みました。それはとても進歩していて、興味深いものです。その感想を申し上げますと、牧師の仕事と聖書学者の研究の関係は、丁度、開業医の仕事と医療専門家の研究の関係とよく似ていると思います。医療研究者は、いろいろ実験をして、可能なことは何でもやろうとして、倫理の領域を踏み越えてしまうことがあります。「手術は立派に成功したが、患者は死んでしまった」とか、「患者は生きのびたが、そのからだは切り刻まれ、苦しみは増加した」という話を聞きます。同様に、聖書学者は研究テーマを追いかけているうちに、キリストの奇跡や復活を嘲笑し、お祈りもできなくなり、信仰も失ってしまった、ということにもなりかねない危険性があります。開業医は、専門家の研究成果を追いかけますが、それを直ちに自分の患者に適用することはいたしません。彼は生身の人間を相手にしているのです。牧師も、同様です。
 ここに八木誠一氏の「イエスと現代」(NHKブックス)があります。NHKラジオで連続講義をした記録ですが、その最終回に小川国夫氏と対談しています。その203頁にこう言っています。「イエス・キリストの復活、復活したイエスが弟子たちに現われたという、その復活のキリストとは、私の理解ではこれは人間を超えたある働きといいますか、イエスをしてあのようにあらしめ、あのように語らしめた働きが弟子たちの身にも及んできて、そこからして弟子たちはイエスが復活した、イエスの力が自分たちに働いているんだということを確信するに至って…」。八木氏はキリストが復活した、と単純明快に言いたくないために多弁になっているのです。
 ニ年程前に佐竹明氏をリーダーとする「パウロの世界を訪ねる旅」に参加した時、ダマスカスのホテルで佐竹氏に質問しました。「先生の御著書『使徒パウロ』(NHKブックス)の中で、幻視体験ということばを使って、パウロの復活のキリストとの出会いを説明しておられますが、夢も幻も、はかないものの代名詞になっています。夜みるものが夢で、白昼みるものが幻です。すると、イエスの幻を見た、というぐらいで、パウロがあれほどの変身を遂げた、と考えられますか? やはり、復活のキリストに出会った、と言うべきではないでしょうか?」 佐竹氏は答えました。「あれは一般の人を対象にして説明したもので、他の場所ではちゃんと、キリストに出会った、と書きました」。聖書学者はともすると、「イエス・キリストの復活」、「復活のキリスト」とはっきり表現することを恥じる傾向にあると思います。
 「神の子イエス・キリストの福音の初め」と、福音書記者マルコは書き始めています。ギリシャ語では、アルケー トゥ エヴァンゲリウー イエスー クリストゥ フィウー セウー です。「初め」が最初の語です。これは、「初めに神は天と地とを創造された」という創世記と、「初めに言(ロゴス)があった」と書き始めているヨハネ福音書と、同じ精神でマルコ福音書を書き出していることが分かります。まず第一に、何よりもはじめに、イエスは神の子、キリストである。それを宣べ伝えるのが、よろこびの音信(おとずれ)、即ち、福音である、というのです。福音書記者マルコの目的は、イエスの伝記を年代順に書こうとしたのでもなければ、歴史書を客観的な態度で書こうとしたのでもありません。彼の目的は、読者に、ナザレのイエスが、神から遣わされた神の子であり、世の救い主キリストであることを知らしめることにありました。文学の種類はいろいろありますが、旧約、新約聖書のすべては、信仰の証言集なのです。簡単に言えば、飯島正久先生の「牧歌」や、私の講話集のようなものです。あるいは、礼拝説教のようなものです。そういえば、エウアンゲリオン(福音)には、エウアンゲリゾー(よいニュースをもたらす、宣べ伝える、福音する)という動詞形があります。これが記者マルコが福音書を書き始めた動機であり、私たちがこの書を学ぶ動機なのです。
 冒頭の、ヨハネ福音書20章31節の言葉を読んで下さい。これはヨハネのみならず、マルコ、マタイ、ルカの福音書や、パウロの手紙などが書かれた目的なのです。また私たちがこうして聖書を学んでいる目的なのです。イエスがなぜ神の子なのか、どのようにしてキリストなのか、と問いつつ、上よりの知恵(聖霊)によって、本当にそうです、アーメン、と言って、永遠の生命を受け、救いに入ることを目指して御一緒に学びを進めて参りましょう。
1990年1月7日 新年礼拝説教

  「荒野に叫ぶ声」

 預言者イザヤの書にこう書いてある。
 「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。
 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋を真直ぐにせよ』」
マルコ福音書1章2節〜3節

 去年の暮、銀座通りを歩いていると、「神の審判(さばき)の日が近づいているから、罪を悔い改めてイエス・キリストを信じなさい」と叫ぶスピーカーからの声が聞えてきました。見ると、街角に、聖書の言葉を書いたプラカードをもって、寒そうな様子をしたみすぼらしい人たちが立っていました。人々は皆、所用や買物や楽しみのために歩いていました。耳を傾けたり、振り返ったりする人は一人もいませんでした。全く手応えがありません。水と油のようです。スピーカーの声だけが空しく騒音をつくっていました。それは丁度、数寄屋橋ぎわでやっている右翼の運動家の宣伝カーから流れてくる「君が代」のうたと好一対をなしていました。両者共、まじめだが、何か狂信的で、うさん臭く、信用できないものを感じさせていました。
 では反対に、社会に迎合して、大勢の人の注目を集めればそれでよいのか、というとそうでもありません。一時期、会社の研修などで、座禅が流行ったことがありました。禅寺のお坊さんたちは、「商売繁昌」で大喜びでした。その時、禅研究の世界的大家、鈴木大拙は、「禅会増々盛んにして、禅道日々に衰う」と[カッ]破しました。
 今朝の学びは、1章2節と3節です。洗礼者ヨハネが出て来て、「罪の赦しに至る悔い改めの洗礼を宣べ伝えて」いました。彼の服装は、らくだの毛衣を着て、腰に革の帯を締めていました。食べ物は、いなごと野蜜でした。彼の立場は、都市的文明文化から遠く離れた、「荒野」でした。「幼な子(洗礼者ヨハネ)は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現われるまで荒野にいた」(ルカ福音書1・80)。彼は荒野で生き、荒野で育ち、荒野で学び、荒野で神の啓示を受けました。「…神の言葉が荒野でザカリアの子ヨハネに降った」(ルカ福音書3・2)。
 都市的文明文化は、人間が協力して、知恵と力を出し合って築き上げたものです。都市的生活者はともすると、人間の知恵を誇り、力を頼みとして、神の姿を見失いがちです。今や人間は全知全能になった。知恵が十分に発達していなかった我らの先祖は神を信じ、神に頼って生きなければならなかったが、文化が進み、文明が開けた今日では、すべてが人間の知恵と力とで解決することができるようになって、あてにならない神を頼る必要がなくなった。法律を整備し、教育を向上させ、科学を進歩させ、経済を発展させれば、人間はこの世に天国をつくることができる。宗教は過去の遺物であって、迷信深い人々が信じているだけのものだ。神を葬れ、現代人に宗教は必要ではなくなった。
 神の支配にかわる人間の支配はどうですか? 王や独裁者は人々を幸福にしましたか? 法の支配はうまくいっていますか? イデオロギーの支配はどうですか? 共産主義の支配は崩壊しつつありますが、民主主義の国々の政治は、民衆を幸福にしていますか? 経済の支配はどうですか? 少数の人の贅沢のために、多数の人を犠牲にしてはいませんか?
 洗礼者ヨハネの姿を見て、人々は何を感じたでしょうか? 彼は、荒野の生活者でした。彼の存在はユダヤの人々とエルサレムの住民に、大ショックを与えました。荒野は、イスラエルが生まれ育った魂の古里でした。人々はヨハネの姿を見て、モーセと共にシナイの荒野を放浪した日々を思い起こしました。あの時は、贅沢なもの、便利なものは何も無かったが、我々には神とモーセがいた。我らが飢えた時には命のパンが、渇いた時には命の水が与えられた。着物もくつも、何とかまかなうことができた。足も丈夫になり、はれ上がることもなかった。人間が生きて行くに足るだけのものはすべて、主なる神様が供給していて下さった。あの時我らはいかに幸福だったことだろう! 主は語って下さった、「それゆえ、わたしは彼女を誘(いざな)って荒野に導き、その心に語りかけよう。その所で、わたしはぶどう園を与え、アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える。そこで、彼女はわたしに応える。乙女であった時、エジプトの地から上ってきた日のように」(ホセア書2・16〜17)。あの時は生活は貧しく、物は乏しかったが、神が近くにおられ、神の人が我らを導き、我らのうちには正義と愛が十分にあった! それが彼らの「荒野」でした。
 「預言者イザヤの書にこう書いてある」と、マルコは書き始めましたが、2節と3節の引用文は、正確に言うと、旧約聖書の三個所から引かれています。
 「見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる」(出エジプト記23・20)。イスラエルの荒野の行進を導く者は、主の名によって遣わされた御使(みつか)いであったのです。
 「呼びかける声がする。主のために、荒野に道を備え、私たちの神のために、荒地に広い道を通せ」(イザヤ書40・3)。バビロンの捕囚地から帰還するユダヤ人の行列は、広大なシリヤ砂漠を通りました。きっとその時の帰還の民たちは、この預言者の言葉に励まされ、これを歌にして唱和しながら、荒野の道を行進したのでしょう。彼らはエルサレムで、主の栄光を仰ぐ希望に胸を躍らせていました。
 「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたが待望している主は、突如、その聖所に来られる」(マラキ書3・1)。この旧約最後の預言者の言葉は、終末論的です。主の日は近づいた。主は世の罪を裁くために、主の使者を遣わそうとしている。その日は、審判と清めの日である。「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす」(同3・23)。
 荒野に立つ洗礼者ヨハネの姿と叫び声は、旧約全体の精神を、見える形で、聞える声で、表わしているのです。彼の声は、人々の心を確り捕えました。人々はぞくぞくと荒野に出て来ました。
1990年1月14日 礼拝説教

  「バプテスマのヨハネ」

 洗礼者ヨハネが、罪の赦しに至らしめる悔い改めのバプテスマを宣べ伝える者として、荒野に登場した。するとユダヤ全国の人々やエルサレムの全住民が彼の許に赴き、自分の罪を告白して、ヨルダン川の中で彼からバプテスマを受けた。マルコ福音書1章4節〜5節

 1月21日の夜、NHKテレビ番組「チャウシェスク政権の崩壊」を見ました。ルーマニアの市民と救国戦線のメンバーが、広場で、街頭で、地下鉄の構内で、占拠した共産党の本部で、叫び、戦い、闘論する現場を映していました。いまソ連をはじめ東欧諸国はこのように流動的な状態にあり、人々は命を張り、生活を賭けて明日の自由のために戦っています。
 「神の言葉が荒野で、ザカリヤの子ヨハネに降った」ときの時代背景も又、物情が騒然としていました。私たちが新約聖書を読む時に考えねばならないことは、飽食した人が安楽椅子に座って、気晴らしや金儲けを求めているような、現在の日本のような安定した社会に身を置くのではなく、明治維新前夜のような、敗戦直後の日本の社会のような激動的状況に身を置いて読まなければならないということです。「明日のことを思い煩うな」という主イエスの言葉は、永年分の食糧を蓄えて、「さあ安心して食え、飲め、楽しめ」と言っている馬鹿な金持(ルカ福音書12・18)とは何の関係もなく、明日のパンにありつけるかどうか分からず、明日の命も知れないような状況の中にある人に対して語られている救いと慰めの言葉なのです。神の言葉は「荒野」で聞かれるのです。私たちは実際上、都市生活者ですが、少くとも心の中に「荒野」をもっていなければなりません。都会の喧騒の中では神の言葉は聞えません。荒野の静けさの中でこそ、「悔い改めて、あなたの神に会う備えをせよ」と叫ぶ預言者の声が聞えてくるのです。
 「皇帝テベリオ在位の第15年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督…アンナスとカヤパとが大祭司であった時」(ルカ福音書3・1)。ユダヤの民の上に三重の支配層がありました。まずローマ皇帝ティベリウス。彼が最高の権力者でした。次はローマ皇帝によって派遣されたポンテオ・ピラト総督。彼がユダヤ地方の直接の支配者でした。そしてサドカイ派の大祭司アンナとカヤパ。彼らは70人から成るエルサレム議会の議長で、ローマの官憲から許された範囲内の権力をもってその地方を治めていました。ユダヤの民衆は、三重の圧力の下で呻吟(しんぎん)していたのです。
 「主よ、我らをいま救い給え。主よ、我らをいま栄えしめ給え」(詩篇118)とユダヤの民衆は祈りつつ、自由と解放を求めていました。彼らは終末論的世界観の中に生きていたのです。神がやがて人間の歴史を終わらせ、神御自身か、御使か、メシアが来て最後の審判を行ない、人々の行ないに応じてある者を滅ぼし、ある者を救いに入れる、というものでした。いま東欧の人々が「自由と民主主義」を求めているように、当時のユダヤの民衆は「神の国=神の支配」をひたすら求めていました。
 洗礼者ヨハネは、民衆の心に燻っていたものに火をつける役割を演じたのです。それで、ヨハネの叫び声に応じて、ユダヤ全国から、エルサレムから、人々がぞくぞくとやってきて、ヨハネの説教に耳を傾けました。彼の説教の内容は、単純明快でした。間もなくメシアが来て人々を裁き、神の国を打ち建てる。諸君は罪を告白して罪のゆるしのバプテスマを受け、神の国を待ち望む共同体の一員となって、全く新しい生活に入りなさい。悪や不正を止め、善と正義を求めてメシアに会う準備をしなさい、というものでした。新しい共同体のメンバーになったしるしとしてのバプテスマでした。
 ヨハネは、神の国運動のシンボル・マークとしてバプテスマを行ないました。これは古来、ユダヤ教徒が行なっていた沐浴の風習を受け継ぎながら、その中に新しい内容を与えたものでした。バプテスマ=身体を水の中に浸すことは、人々にとって珍奇なものではありませんでした。人々は美容上、衛生上、身体を洗いましたが、特に祭儀上重要な意味がありました。聖なる神の前に立つ者は、まず水で身体を洗わねばなりませんでした(レビ記14章、15章)。死海西北部のエッセネ派クムラン宗団の遺跡には、祭儀的水浴のための多くの貯水槽や浴場が発見されています。ヨハネはおそらく、ある一時期、クムラン宗団にいた可能性が考えられます。しかしクムラン宗団の人々がひたすら世俗的、政治的世界から離れて、聖書研究と禁欲生活の中に閉じこもり、己が身を洗い清めてメシアを待っていたのに反して、ヨハネは広く民衆に呼びかけ、語りかけて、人々を神の救いに招き入れようと努めました。
 ヨハネは、閉鎖的な薄暗い僧院の中の水槽ではなく、青天白日の下のヨルダン川で人々にバプテスマいたしました。福音書記者ヨハネは、同名の先達が、バプテスマのために注意深く選定した場所を、正確に記しました。「これは、ヨハネがバプテスマしていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった」(1・28)。それはヨルダン川の東側、エリコの町の対岸でした。ヨハネの時代より約千二百年昔、あのモーセがヨルダン川を渡ることを許されず、[ハル]かに対岸の約束の地を見渡して死んだ後、彼の後継者ヨシュアが、イスラエル12部族を率いて渡河したあの渡し場の辺りでした。ヨシュア記の記者は、その記念すべき歴史的出来事をイスラエルの子らの魂に刻印すべく、これを奇跡として語り伝えました。「全地の主であるヤハウェの箱を担ぐ祭司たちがヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう」(3・13)。洗礼者ヨハネの信仰思想によれば、イスラエルの民はヨルダン川を渡った時にパブテスマされ、洗い清められて、約束の地に入るに相応しい聖なる民とされたのでした。洗礼は、神の奇跡的御業です。
 ヨハネは今、彼の説教に耳を傾け、心を新たにしてヨルダン川でバプテスマされる人々の中に、天来のメシアを待ち望む、新しい主の民を見ていました。
 「神から遣わされた人がいた。その名はヨハネ」(ヨハネ福音書1・6)。
1990年1月28日 礼拝説教

  「悔い改めの洗礼」

 まむしの末よ、だれが君たちに、来るべき怒りから逃がれることを教えたのか? だから、悔い改めにふさわしい実を結べ。そして、君たちの間で、私たちはアブラハムを父にもっている、などと言い出してはならない。君たちに言っておくが、神はこの石ころからでも、アブラハムの子らを呼び起こすことができるのだ。しかし、斧もまた、すでに木の根元に置かれている。今や、よい実を結ばない木はみな、切られて火に投げ込まれる。ルカ福音書3章7節〜9節

 また今年もバレンタイン デイが近づいてきて、チョコレートの話題などが出てきました。クリスマスにしてもそうですが、日本の社会では、キリスト教を季節の風物詩の中に組み入れてしまってそれで足れりとしています。そう言えば、日本在来の宗教である神道も仏教も、宗教的行事はすべて、初詣から除夜の鐘に至るまで、済ませ事になっています。不思議なことに神官も僧侶もそれで満足している様子で、そういう状況に対して批判の声が出て来ません。キリスト教の日本土着化と言って、キリスト教形式の結婚式や葬式が増えたからと言って牧師や宣教師が喜んでいるようでは、寒心の至りです。
 ユダの荒野に独り立って叫ぶ洗礼者ヨハネの許に、人々がぞくぞくと出て来て彼の説教に耳を傾け、彼の招きに応じて洗礼を受けていました。ヨハネは、恐ろしい神の審判の日が間近かに迫っているから、罪を悔い改めてバプテスマを受け、正しい生活をしてその日に備えよ、と説教しました。「罪(ハマルテイア)」とは、的はずれという意味です。
「悔い改め(メタノイア)」とは、全人的な方向転換をいうのです。それで「罪の悔改め」とは、自分の欲望にひかれて見当違いな方向に進んでいた者が、救いの道を示されて、方向を転換して、新しい生命の道を歩き出すことを言います。
 ヨハネは、彼から洗礼を受けようとする大群衆を見て、「わが伝道は大成功」と言って喜びませんでした。彼らに安易な救いを保証しないで、却って、「まむしの末よ」と厳しく言いました。農夫が畑を焼く時に、火を恐れてぞろぞろ出てくるまむしのように、神の裁きの火を恐れて、ヨハネのバプテスマに難を避けて逃げてきても、それは駄目だぞ、と言うのです。また君たちは、アブラハムの子孫だから当然、アブラハムの祝福が受けられるものと期待しても、それは厳しい神の裁きの前に有効ではないのだ、と言いました。そんな特権意識は何の役にも立たない。神はこの辺にころがっている石ころからでも、アブラハムの子孫を生み出すことができるのだ、と言いました。今日、大教団に所属しているから安心だ、有名な牧師先生から洗礼を授けていただいたから大丈夫だという空しい誇りや特権意識を捨てよ、というわけです。
 「悔い改めにふさわしい実を結べ」。ヨハネが人々に求めたのは、口先だけの言葉や上辺だけの行為ではなく、真剣な悔い改めの心と、それにともなう行為でした。
「では預言者よ、私たちはどうすればよいのですか?」と人々は尋ねました。ヨハネの答えは具体的なものでした。荒野の夜は寒い。寒さに備えて下着を二枚着こんでいる者がいる。しかし又、下着がなく外衣だけで寒さにふるえている者もいる。二枚の下着を着ている人は、一枚をぬいで、着ていない人に与えよ。荒野は町や村から遠い。それで食べ物をたっぷり持参している者がいる。しかし、食べ物を持たないで空腹をかかえている者もいる。さあ、持つ者は持たない者に食べ物を分けて上げなさい。君たちは神の言葉を聞いた。それを今、実践せよ。君たちが悔い改めたと言うのなら、愛の戒めを思い起こし、今必要としている隣人にそれを行なえ。それこそ神の求め給う義なのだ。取税人は私腹を肥やすことを求めず、「決められたもの以上を取り立ててはいけない」。人々の恨みの声は天に達し、君たちは裁きを受けることになる。ユダヤに駐屯するローマ軍の兵士(外国人傭兵が多かった)は、人々を脅迫したり、強奪したりしてはいけない。「自分の給料で満足せよ」。隣人愛の戒めを実践し、正しい生活をして、神の審判の日に備えよ、とヨハネは人々に教えました。
 ヨハネは「悔い改めの実(み)」と言って、実(じつ)のある行為を人々に求めました。それに比べて日本人の宗教意識はどうですか。伝統的な宗教から新興宗教に至るまで、すべて虚(きょ)ですね。おはらい、おみくじ、占い、おふだ、おまもり、魔除け、祈[トウ]、法事、何とか供養…。それをやらないと気が済まない。それさえやれば事足れり。しかしそれをやっても実生活には何の変化ももたらさない。宗教家も「善男善女」も、そんな宗教的なお遊びゴッコに熱中しているのが、日本社会における宗教事情です。日本のキリスト教がそのお仲間入りをして、日本の宗教の一つに成り下がったら大変です。
「たとい全世界をもうけても、その魂を失ったら何の得になるか?」です。大教団の内部がいかに腐敗しているかは、衆知のところです。
 「わたしは君たちに水で洗礼をするが、わたしよりも力ある方が来られる。わたしはその方の靴のひもを解く値打ちもない。彼は君たちを聖霊と火で洗礼されるだろう。彼は手に箕(み)をもち、打ち場でふるい分け、麦を倉に収められる。だが、もみがらを消えぬ火で焼かれるだろう」。ヨハネはメシアの先駆者でした。彼はメシアに対して、「ぞうり取り」の値打ちもない者と自覚していました。ヨハネとメシアの関係がそのまま、水の洗礼と聖霊と火の洗礼の関係になっています。「聖霊(プニユーマ)」は風(プニユーマ)ですから、麦ともみがらとを吹き分けるものです。そして実(じつ)のある麦は神の倉に収められ、虚(きょ)であるもみがらは火で焼かれます。ヨハネが預言した「聖霊と火による洗礼」は、イエス・キリストの十字架の死と復活を通して、聖霊降臨の日(使徒行伝2章)に実現しました。その日、迫害を恐れていた主の弟子たちは、全く新しく生まれ変わって、全世界にキリストの福音を広めるために遣わされる使徒となりました。
 「主は近い」(ピリピ書4・5)。今日私たちは、裁きの日を恐れるためではなく、近くにおられる主の愛のゆえに、信仰生活に励むのです。
1990年2月4日 礼拝説教

  「イエスの洗礼」

 その頃、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けられた。水の中から上がると直ぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。マルコ福音書1章9節〜11節

 私は探偵もののテレビ番組を好んで見ます。ホームズやポアロのファンですが、一番面白いのは、刑事コロンボです。イタリア系のアメリカ人で、ポンコツ車を運転し、よれよれのレインコートを着た風釆の上がらない警部が、高慢な上流階級の殺人犯人をつきとめる痛快な物語です。この番組の手口の面白さは、ホームズやポアロの場合と違って、視聴者にまず犯人を知らせておいて、コロンボ警部が苦心惨憺の末、終に犯人をつきとめるところにあります。
 実は福音書の書き方もコロンボ方式なのです。イエスが神の子キリストであるということは、本当は、イエスの生涯の最後、即ち十字架と復活まで見て、はじめて「成程!」と納得するはずのものですが、四つの福音書ともその解答を最初に与えております。それで読者の側からすれば、つい、イエスは神の子なのだから素晴らしいお話をしても不思議ではないし、奇跡を行なっても当り前だし、復活しても当然のことだ、と言う調子で読んでしまいます。しかしそれでは少しも面白くない。「コロンボ」で言えば、私たちは犯人を予め知らされている視聴者の立場で見るのと同時に、事件に取り組むコロンボ警部の立場に身を置いて考えてみなくてはならないのです。
 ティベリウス帝が第二代ローマ皇帝に即位したのが、紀元14年8月19日でしたから、「皇帝テベリオ在位第15年」は、紀元28年頃のことですが、「その頃」、洗礼者ヨハネはユダの荒野で預言をし、ヨルダン川で人々に洗礼を授けていました。「人々はヨハネの説教を聞いて大いに動かされ、その周囲に群がった。そこでヘロデ王は、人々に対する彼のこの大きな影響力が何らかの騒乱をひき起こすのではないか、と警戒した」(ヨセフス)。それほどヨハネのバプテスマ運動は当時の社会に衝撃的でした。
 ガリラヤの寒村ナザレで大工の業を営んでいたイエスは、ヨハネのうわさを耳にし、「悔い改めよ、天国は近づいた」という声に共鳴を感じ、聖なる衝動にかられて、家族と家業を捨て、見えざる神の御手に導かれて、ヨハネの許に走りました。ナザレを南下し、スキトポリス、アエノン、サリムを通り、ヨルダン川を東へ渡り、ペレア地方を川沿いに南下して、エリコの対岸のベト・アラバ辺りにいたヨハネを見つけました。30歳を少し越したばかりの二人の若者の出会いは、後世から見ると、歴史的、宗教的な重大事件ですが、実際は、ごく自然なものだったと想像されます。イエスは群衆の中にいてヨハネを見、彼の説教を聴き、静かに決心して川の中に入って行き、バプテスマを受けたことでしょう。
 釈迦は生まれ出ると直ぐに自分の足で七歩あるき、四方を見渡して手を上げ、「天上天下唯我独尊」と言ったそうです。実際には、そういうことは起きなかったでしょう。しかしその話はウソではありません。その話の中には尊い真実があります。生老病死という人生の根本問題に突き当たり、その解決を求めて、王子としての地位を捨て、愛する妻子を捨てて無一物の沙門になり、難行苦行の末、ようやく見い出した悟りの光を人々に説いた真理の教師、釈尊にふさわしい誕生物語です。つまりこの場合、釈迦の生涯の最後を見て感動した人が、釈迦の生涯の最初を解釈しているのです。
 「神の子イエス」の物語についても同様です。「神の子イエス」の物語は、彼の復活から始まったのです。義人イエスが十字架につけられて、無惨にも殺されてしまった。彼はわれらの希望の星だったが、ユダヤの権力者の策謀とローマの官憲の手によって殺されてしまった。希望は消えた。神は沈黙した。人生は無意味だ。そのように絶望していたイエスの弟子たちに復活のイエスが出会い、十字架を通して神の御意が行われた、彼らがイエスに従ったことは間違いではなかった、人生には意味があるのだ、と告げられたのです。
 「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの(傍点始まり)復活によって力ある神の子と定められた(傍点終わり)のです。この方が、私たちの主イエス・キリストです」(ローマ書1・3)。十字架にかかって殺された死刑囚が死人の中から復活して、自己の正当性を主張したと信じて、人心を惑わしている輩(やから)は撲滅せよ、と主張してキリスト教徒を迫害していたパリサイ派の青年サウロが、ダマスコ郊外で復活の主イエスに出会って回心し、異邦人の使徒パウロとされました。彼の福音は「キリストの十字架と復活」でした。初期のキリスト教徒が人間イエスの生涯に興味を持ち始めたのは、後のことでした。年代的に見ても、パウロの手紙が先に書かれ、その数十年後に、福音書が書かれました。
 荘厳なイエス受洗の聖書記事を合理的に解釈しようとして聖書学者シュトラウスは「天が開けたというのは雲が切れたか、稲妻が光ったのだろう。鳩の形をしたというのは本物の鳩が舞いおりたのだろう。天よりの声があったというのは雷鳴であろう」と書きました。そういうことが同時に起こったという方が、ありそうもない話です。
 これは旧約の伝統に根ざした表現なのです。「…そのとき天が開かれ、私は神の顕現に接した」(エゼキエル書1・1)。「…その上に主の霊がとどまる」(イザヤ書11・2)。「見よ、わたしの僕(しもべ)、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を」(同書42・1)。「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしを捉えた」(同書61・1)。「あなたはわたしの子、今日、わたしはあなたを生んだ」(詩篇2・7)。これらの聖書の言葉は、主の僕や祭司や預言者や王などが任職する時の定形的表現なのです。その時、天にて神は喜ばれ、御言葉を与えて祝福し、御霊(みたま)を降して力を与えられたのです。イエスは受洗において神との関係を確立し、神の子の意識に自覚め、神の僕としての道を歩まん、と決意されたことでしょう。
1990年2月11日 礼拝説教

  「聖霊による洗礼」

 ヨハネ「わたしは水であなた達に洗礼をしたが、その方は聖霊で洗礼をなさいます」マルコ福音書1章8節
 イエス「真実にかけてあなたに言う。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれた者は肉であり、霊から生まれた者は霊である」ヨハネ福音書3章5節

 「中曾根氏 洗礼を受ける」という新聞の見出しを読んでみましたら、リクルート疑惑の中曾根康弘元首相が、2月18日の衆議院議員総選挙で当選したことにより、国民の審判にパスした、ということでした。そういう意味で、先頃では「みそぎ」という神道用語が使われていましたが、近頃では「洗礼」というキリスト教用語がよく使われるようになりました。しかし「洗礼」によって中曾根氏が心を改めたとは、だれも信じておりません。「クシュ人はその皮膚の色を、豹はそのまだらの皮を変えることができるか? もしできれば、悪に染まった君たちも、正しい者となりえよう」 (エレミヤ書13・23)。私たちは選挙のたびに深い失望を味わわされます。それは政治家に対する失望だけではなく、日本人の国民性に対する失望でもあります。しかし考えてみれば当然のことです。あの原子爆弾と敗戦の「洗礼」によっても心を新たにしなかったのですから、総選挙ぐらいで心が変えられるはずはありません。
 2月18日に私たちは信仰の友、ウイリアムズ氏ご夫妻の送別礼拝をいたしました。約3年ほどの短かい交わりでしたが、私たちはトムさんとベティさんの謙虚で率直な人柄に魅了されました。それは深く内に秘めた主キリストへの愛と、教育者としての長年の経験から滲み出たものであることを私たちは知っています。私たちは「水と霊とによって生まれた者」のよい見本を見る機会に恵まれたのです。
 水の洗礼と聖霊の洗礼。聖書は二種類の洗礼があると言っています。今日私たちがクリスチャンになることを希望して牧師から受ける洗礼は、水の洗礼です。その起源は、ヨルダン川でのヨハネの洗礼運動です。しかし水の洗礼だけでは不十分であり、不完全であると聖書は言っています。私たちの一番の関心は、罪が赦されて、神の国に入れられるという確証(あかし)を得たいことです。お金を貯めてみても、健康法を試してみても、宗教団体に入ってみても、これで大安心ということはありません。いつも心の奥底に「愁いの雲」が重くのしかかっていて、ユウウツの原因になっています。天の一角から聖霊の風が吹いてきて、愁いの雲を吹き飛ばして、明るく澄み渡った霊的な快晴(ヘヴンリー・サンシャイン)の日を私たちは望んでいるのです。
 ヨハネによる洗礼運動は、当時のユダヤ人社会に一大衝撃を与えましたが、どうやら一時的な流行に終わったようです。大勢の者はヨハネの許を去りました。少数の者が残って、ヨハネ教団になりました。彼らは「ヨハネの弟子たち」(マルコ福音書2・18、ルカ福音書5・33)と呼ばれていました。ヨハネとイエスの関係は、微妙です。ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けたイエスは、ヨハネの許を去りました。ヨハネは荒野で、神の怒りと審きと悔い改めを説き、断食と祈りを教えましたが、イエスは人々が住む町や村を巡回して、神の恵みの福音を説き、人々を慰め励まし、病気の人をいやしました。しかしヨハネとイエスは、深いところで固く結びついていました。
「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」。
イエスはヨハネを高く評価していました。
 しかし弟子たちは、彼らの師ほど偉くはありませんでした。ヨハネの弟子たちは、ヨハネからイエスヘ、水の洗礼から聖霊の洗礼へという(傍点始まり)救いの連続(傍点終わり)の関係が理解できず、「ヨハネ止まり」のままでした。その時から約20年後、小アジアのエペソにも 「ヨハネの洗礼しか知らない人達」(使徒行伝18・25、19・1〜7)がいました。今日でもマンダ教徒というごく少数の人達がイランにいて、ヨハネに好意的な伝承をもち、ユダヤ教やキリスト教に敵意をもっているとのことです。つまり、ヨハネの許から多くの者が去って「モトノモクアミ」になり、少数の者が残って「化石」になりました。今日、看板は「キリスト教」でも、水の洗礼止まりでは、いずれ「化石」になって、いわゆるこの世の宗教の一つに堕落してしまうでしょう。
 「聖霊で洗礼を授ける」ことになるイエスはまず、御自身が、ヨハネからではなく、父なる神から聖霊の洗礼を授けられました。その時、「天が裂けた」とありますが、イエスが十字架上で息を引きとった時、「神殿の幕が上から下まで真二つに(傍点始まり)裂けた(傍点終わり)」(マルコ15・38)という言葉につながります。エルサレム神殿の至聖所は、神が臨在する聖なる空間でした。大祭司は年に一度、贖罪の動物の血を携えて至聖所に入ることが許されていました。その神と人間との隔離の幕が「上から下まで裂けた」ということは、神と人間との間の「ベルリンの壁」が神の側から壊されて、自由な交流が可能にされたことを意味しています。また、「聖霊が鳩のように降った」とありますが「霊」とはヘブライ語でルーアッハと言い、本来生命を与える息を意味するものです。自然界では、微風から嵐に至るまでの動く風として現われます。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に生命の息(ルーアッハ)を吹き入れられた」(創世記2・7)。土の塵とは肉なるもののことです。本来、朽ち去るべき肉なる人間の中に、神の恵みの賜物として、生命を与える神の息が吹き入れられたのです。「最初の人アダムは生きたものとなり、最後のアダム(イエス)は生命を与える霊となった」(1コリント15・45)。「天から声があった『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』」。この時、イエスは神の子の意識に目覚め、神の愛に満たされ、この世で果たすべき使命を明確に悟られたことでしょう。イエスに与えられた聖霊が旧約の預言者や祭司や王という特別な人々だけではなく、普通の人間、男や女や老人や若者に与えられた、という事件が起こりました。使徒行伝2章の「聖霊降臨」です。私たちはそれを目指して、学びを続けましょう。1990年2月25日 礼拝説教

  「聖霊の風」

 それから、"霊"がイエスを荒野に追いやった。マルコ福音書1章12節

 どうも私たち日本人が聖書を読んでいて、一番いらいらする感じをもつのは、「霊」という語が出てくる時です。「霊」という日本語は、心霊、幽霊、怨霊、死霊という語と結びついていて、暗くて、陰湿で、おどろおどろしい語感をもっています。しかし聖書のいう「霊」は、それとは全然違うのです。いわば、気が滅入るような御詠歌と、歓喜に満ちた讃美歌ほどの相違があります。聖書のこの辺りは「聖霊による洗礼」、「霊が鳩のように降る」、「霊がイエスを荒野に追いやる」と、霊の働きが大切な役割を果たしているので、今日は「聖書的"霊"の研究」をいたしましょう。
 ヘブライ語で「霊」は、ルーアッハと言い、発音してみるといかにも息を吹きかけている感じの語ですが、その通り、ルーアッハとは、本来、生命を与える息や、自然現象では、そよ風から嵐までの、風を意味します。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に生命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者になった」(創世記2・7)。神のルーアッハが土塊なる人間を生かしたのです。それで、「その息が出ていけば、彼は土に帰る」(詩篇146・4)のです。そして、深い悩みをもつ者の霊は、活力を失います。「わが霊は衰えます」(詩篇143・7)。
 霊は、息との関連で考えると理解し易いと思います。英語でインスパイアとは、息を吹き込むこと、感動を与え、元気づけることを意味します。アスパイアとは、それに向かって息をすること、即ち、熱望すること。コンスパイアとは、一緒に息をすること、即ち、共謀をたくらむこと。エクスパイアとは、息を吐き出すこと、息が絶えて死ぬことを意味します。それでルカ福音書では、「イエスは聖霊に満ちて」(4・1)ヨルダン川から帰り、ユダの荒野に入ってサタンと対決した、と劇的に記しています。また、「荒野の決闘」で勝利した後、「霊の力に満ちてガリラヤに帰られた」(4・14)のです。洗礼を契機に、イエスは神の生命力に満たされて公生涯に入り、悪霊を追放し、病気を癒し、福音を伝道し、政治的、宗教的権力に挑戦いたしました。
 今日は「霊の働き」の関連で、預言者エゼキエルのお話をいたします。旧約の歴史の中で、イスラエル民族が受けた最も悲惨な経験は、バビロン軍によるエルサレムの破壊とバビロン捕囚でした。北イスラエル王国はすでに紀元前721年にアッシリヤ帝国によって滅ぼされていましたが、それから約120年後、今度は、南ユダ王国が新バビロニヤ帝国の侵略をうけ、紀元前598年に首都エルサレムが陥落し、王を初め、国の上層階級の人々が数千人、バビロンへ捕虜として連行されました。第一回バビロン捕囚です。その中に若き祭司エゼキエルがいました。彼らはケバル川の辺、テルアビブにある捕囚民居住地に収容されましたが、捕囚第五年目にエゼキエルは預言者として召命を受けました。「そのとき天が開かれ、私は神の顕現に接した。…主の言葉が祭司ブジの子エゼキエルに臨み、また、主の手が彼の上に臨んだ」。その時彼は30歳位でした。捕囚民の待遇はよかったようです。彼らは家を建て、畑を耕し、羊を飼い、自由な礼拝も認められていました。彼らはそこで陶器の製作や金属の細工を学びました。商業、貿易、金融機関などにも進出しました。エゼキエルも家を建て、畑を作り、ユダの女性と結婚しました。しかしやはりユダヤ人にとって魂の古里はエルサレムでした。「われらバビロンの川の辺にすわり、シオンを思い出して涙を流した」(詩篇137)と詠い出す「柳の詩(うた)」は、望郷の念に満ちています。彼らにとって唯一の望みは、捕囚から解放されて聖都へ帰ることでした。そういう人々の思いに乗ずるかのように偽預言者たちは盛んに楽観論を吹聴して人気を集めていました。
「われらの王エホヤキンは丁重に扱かわれてバビロン王の食卓に招かれた。エルサレムの都も神殿も健在だ。きっと捕囚は速やかに終了し、われらは帰還できるだろう」。しかし主がエゼキエルに「語れ」と命じた言葉は、「反逆の家」イスラエルに対する「悲しみと、嘆きと、災いの言葉」でした。
 不吉な予感が現突となりました。捕囚第9年10月10日、「バビロン王はエルサレムの攻城」を始めました。バビロンのかいらい王ゼデキヤが、エジプトと通じ、バビロンに反逆したことが原因でした。エゼキエルは主の命により、肉と骨を大釜に入れて火にかけ、黒焦げになるまで焼きました。さし追ったエルサレム崩壊の運命をそのようにして示したのです。その頃最愛の妻が突然、死にました。「人の子よ、わたしはお前の目の喜びを、一撃をもって取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。声を上げずに悲しめ…」。その日から預言者は沈黙しました。最愛の妻の死は、最愛のエルサレムの死のしるしでした。やがてエルサレムから逃れてきた者が、「都は陥落した」と伝えました。絶望に嘆く捕囚の民に向かって預言者は再び語り始めました。「お前たちの罪から離れよ。さもないと悪がお前たちを滅ぼす。罪を悔い改めて、恵みの主に立ち帰り、新しい心と新しい霊とを得よ」。紀元前587年、エルサレムは陥落し、多数の民衆は虐殺され、都は焼かれ、神殿は破壊され、王家の人々は処刑され、上層の人々は捕囚となりました。第二回バビロン捕囚です。アブの月(7月〜8月)9日は、今日でもユダヤ人が喪に服す日とされました。その数年後、第三回捕囚がありました。「われらの骨は枯れ、望みは尽きた。われらは滅び去る」と彼らは嘆きました。
 ある日、預言者は主の霊に導かれて谷間に下って行きました。そこは枯れた骨でいっぱいでした。主は命じました、「これらの骨に向かって言え、枯れた骨よ、私はお前たちの中に息を吹き込む。するとお前たちは生き返る。…息に預言せよ、息に預言して言え。息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。こうして預言者はイスラエルの復活を預言し、その預言は紀元前538年に現実となりました。神の息=風=霊は、人を生かすものです。「人を生かすものは霊である。肉はなんの役にも立たない」。
1990年3月4日 礼拝説教

  「荒野の試練」

 そして直ちに御霊(みたま)はイエスを荒野へ追いやる。そして彼はサタンに試みられながら40日間、荒野にいた。彼は野獣たちと共におり、天使たちが彼に仕えていた。マルコ福音書1章12節〜13節

 共観福音書(マタイ、マルコ、ルカの三福音書)を比べると、マルコの記事が一番短い。以前にはマルコはマタイの要約であると考えられていたが、最近ではマルコが最古の福音書であるというのが聖書学界の定説になっている。イエスが神の子キリストであると証しするために、福音書という文学的形式を創作したのがマルコである。マタイとルカは、マルコを資料として、マルコの筋書きに沿って物語を進め、それにQ資料と呼ばれている「イエスの言葉集」で肉付けし、更に独自の伝承を付け加えているのである。例えばこの荒野の試練の物語では、マタイが11節、ルカが13節を用いているのに比べて、マルコではたったの2節でしかない。マタイとルカはQ資料を用いて、イエスとサタンとの論争を詳しく記しているが、マルコには全然それがない。マタイとルカは荒野における40日間の断食について語っているが、マルコにはそれがない。却って、「天使たちが彼に仕えていた」。この「仕える(デイアコネオー)」という動詞は、食事の世話をするという意味があって、天使たちは荒野で長期間、継続的にイエスに食物を提供していたのである。
 文体を変えます。私たちはまず、マルコについて学びます。洗礼の時に御霊(みたま)がイエスに降りました。御霊がイエスの全身を浸し、イエスの中に力が満ちあふれると、御霊は大急ぎでイエスを荒野へ追い立てました。御父の愛の言葉(11節)を受けて、御父との交わりがあまりにも慕わしかったので、そのまま御父の許にとどまっていたいというイエスの気持に反して、御霊はイエスに果たすべきことを果たさせるために、彼を追い立てました。
 荒野には、サタンと野獣と天使がいました。イエスは荒野を放浪し、不毛の峰を越え、深い涸川(ワジ)を渡り、洞穴で眠ったことでしょう。その間、サタンが日夜つきまとい、神との交わりを妨げ、この世の富や快楽や名誉を見せて、イエスを神の道から外らそうと努めていました。神の創造そのままの雄大な荒野では、神を身近に感じます。人間の努力によって「自分が生きている」のではなく、神の恵みによって「生かされている」と実感できる恩寵の場所が荒野なのです。しかし又、荒野にはサタンがいて、この世の富や快楽や名誉という虚像を見せて誘惑し、虚像を追い求めて止まない「麻薬中毒患者」に仕立てて廃人にしようとつけ狙っています。人工的なものが何も無い荒野では、人間の基本的な生き力の問題が極めてはっきりと見えるのです。
 マルコは、荒野のイエスを、楽園のアダムと対比させています。神の息を吹き入れられて生きる者とされたアダムは、エデンの園に連れて行かれました。そこで彼はサタンの誘惑に負けて、神の戒めに背き、罪に堕ちて楽園から追放されてしまいました。彼は「食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましい」と思われる人間の文化を、神の言葉に勝るものと考えて、それを選び取りました。「それなら、わたしの許から離れて、自分の力でやって行きなさい」というのが神の言い分でした。楽園から去った人間に、労働の苦労と産みの苦痛が生じました。人間の社会に、支配と隷属の構造ができました。略奪と戦争と殺戮と性的荒廃が蔓延しました。人間の罪が、動物や植物までも汚染する結果になりました。動物の種(しゅ)の絶滅や、自然の破壊が今日、世界的な規模で問題になっています。
 聖霊に満たされたイエスは荒野へ追い立てられて行って、そこでサタンの試練を受け、それに打ち勝って、楽園を回復した者になりました。イエスの力の及ぶ所、その名が唱えられる所、そこに神の支配が現存するようになりました。「時は満ちた。神の国は近づいた。君たちは悔い改めて、福音を信じなさい」(15節)。
 ユダヤ教の伝説によれば、アダムが神に背く前は、楽園で野獣を治めていて、天使たちがアダムのために肉を焼き、ぶどう酒を酌む務めを果たしていたが、楽園追放とともに野獣との戦いが始まった、と言われています。
 「最初の人アダムは生きた者となった。しかし最後のアダム(イエス・キリスト)は生命を与える霊となった」(コリント第一書15・45)。イエスにおいて新しいアダムが出現しました。イエスが「荒野の決闘」でサタンに勝って、神と人間との間の間違った関係を正常に戻し、天と地を再び和解させ、天が再び人間に開かれました。その時から神の霊は再び地上で活動し始めました。「わたしが神の霊によって悪霊を追い出したなら、神の支配はすでに君たちのところに来ているのだ」(マタイ福音書12・28)。イエスにおいて神の平和が訪ずれました。イエスとの交わりの中で人間は、開かれた天をもち、天使の守護を受け、野獣の友となり、サタンの攻撃に打ち勝つ力が与えられているのです。
 マルコは「野獣」という語によって、メシア到来の預言の成就を示しています。
「浪は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。…乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては 何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように 大地は主を知る知識で満たされる」(イザヤ書11・6〜9)。
 メシア=イエスの到来により、神の支配が打ち建てられ、神と人間とが和解し、人間はお互に正義と愛とによって結ばれ、人間は動物の友となり、人間と自然との調和が回復し始めたのです。神の御意がこの世に行われると、この世は全く新しく生まれ変わるのです。聖書的救済の目標は、そのように宇宙大のものです。キリストを信じるということは、その人自身がキリストに連帯して、神の救済の御業に参与する者にされるということです。神がイエスにおいて、新しい人間を創造されたのです。
「もし誰でも、キリストの中にあるならば、その人は新しい創造なのです。古いものは過ぎ去った。見よ、それらは新しくなっている」(2コリント5・17)
1990年3月11日 礼拝説教

  「いのちの糧」

 さて、イエスは悪魔に試みられるために、御霊(みたま)によって荒野に導き入れられた。そして40日40夜、断食した後、飢えた。すると誘惑者が進み寄って来て、言った。
サタン「お前が神の子なら、これらの石がパンになるように言ってごらん」
イエス「人間が生きるのは、パンによってではなく、神の口から出てくる一つ一つのの御言葉によるのだ」マタイ福音書4章1節〜4節

 マタイの文章を現代風に書き換えてみました。「さて、日本人は悪魔に試みられるために、御霊によって焼け跡に導き入れられた。そして数年間、食糧不足で飢えに苦しんだ。すると誘惑者が進み寄ってきて、言った。"お前が自由と生命を得たいのなら、これらの焼け跡から、経済的繁栄をつくり出してごらん"。日本人は誘惑者の忠告どおりに45年間働き続けて、世界一の金持になりました。そして日本人は、狭い部屋の中に電化製品を並べて、お腹がいっぱいで、心が空っぽな人間になりました。そして、自由と生命のことは、すっかり忘れ去ってしまいました」。
 サタンとイエスの問答は、マルコにはなくて、マタイとルカにあります。マタイとルカは、マルコの筋書きに沿って物語を進めながら、内容を大幅に変えました。そのため荒野のイエスのイメージは、大変違っています。マルコのイエスは断食をせず、天使たちが給仕をしていたので、活発にユダの荒野を歩きまわっていたことでしょう。マタイとルカのイエスは、長期間断食をしていたので、じっと座って、祈りと瞑想に余念がなかったことでしょう。マルコは、荒野のイエスと楽園のアダムとを暗示的に対比させています。マタイとルカは、Q資料(イエスの言葉集)によって、荒野のイエスの背後に、荒野のモーセを見ています。
 イエスは荒野で、モーセの指導のもとに起った、イスラエル民族の荒野の旅の試練を追体験しているのです。エジプト脱出後、シナイ山でヤハウェと契約を結び、十戒を授与されて、神の民として新しく出発したイスラエルの民が、ヤハウェへの不信と不従順のために約束の地への道が閉ざされ、40年間も荒野を放浪し、その間、旧い世代が荒野で死に絶え、モーセ自身も約束の地を目前にしてモアブの荒野で死にました。イエスの洗礼とそれに続く荒野の試練は、イスラエルの歴史的経験を踏み直しているのです。イエスの洗礼は、シナイ山でのヤハウェとの契約と律法授与に当ります。そこで神の霊を受け、神の声を聞いて、神との新しい関係に入り、新しい使命を帯びて生きる者にされました。イエスの中に「新しいイスラエル」の自覚があります。その自覚は、「イエスの言葉集」(Q資料)を保持していた原始キリスト教団の自覚でもあったことでしょう。
 荒野の真っ直中で食べ物がなくて空腹になった。さあ、どうやって生きる? 先ず最も必要なものは何か? サタンは、パンが無くては生きられまい、と言う。しかしイエスは、パンが無くても生きられるが、神の言葉なしには生きられない、と言う。サタンの言い分は誰でもそのまま理解できるが、イエスの言い分は旧約聖書の知識なしには正解することができない。日本の知識人がよく言うように、「人間が人間らしく生きるためにはパンだけでは足りない。教養という心の糧も必要だ」との見当違いの解釈になってしまいます。また教会でも、「これはパンを否定しているのではなく、パンと並んで神の言葉である聖書が必要だということです。パンで体を養い、聖書の言葉で心を満たす必要があるのです」という類の説明も多く聞かされます。
 サタンの誘いに対するこのイエスの言葉は、申命記8章3節の、モーセの言葉からの引用なのです。危機の時に、直ぐに聖書の言葉を的確に引用して、その言葉を力にして危機を乗り越えるほど、イエスは神の言葉を食べて生きていたのです。モーセはそこで、遺言を与える父親の心境で、荒野の40年の経験を回顧させ、イスラエルが生きる道を教え諭しているのです。シナイの荒野に入ったイスラエルは食べ物を得られなかった。そのとき主は、人の手で作り出したパンではなく、主からの賜物として天然のマナを与えてイスラエルを養ってくださった。食べ物ばかりでなく、「着物は破れず、靴は古びず、足は腫れなかった」。それは、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」。
 ここに信仰生活にとって基本的な問題があるのです。荒野の中で食糧が無くなるような絶体絶命の状態に置かれた場合、どうするか? まず何を求めるか? 食べ物が一番大切で、食べ物が無くては死んでしまう、と言ったらサタンの思うつぼです。イエスは「まずパンだろう」と言うサタンの誘惑を否定して、「まず神の言葉だ」と言われました。その根拠が申命記のモーセの言葉だったのです。まず神に信頼せよ。神を愛し、神の戒めに従がえ。そうして死なねばならないのなら、死ぬべし。サタンに従って生きるよりは、神を愛して死ぬ方を選べ。それが生命に至る道である。そのように神を愛する者を神が見捨てるはずがない。「だから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか、と言って思い悩むな。それは皆、異邦人(信仰のない人)が切に求めているものだ。君たちの天の父は、これらのものが皆、君たちに必要なことをご存知である。だから何よりもまず、神の国(神の支配)と神の義(神との正しい関係)とを求めなさい。そうすれば、これらのもの(食べ物、着物などの生活必需品)はみな添えて与えられる」(マタイ福音書6・31以下)。イスラエルの民はシナイの荒野の40年の旅で、この信仰を学んだのです。それがイスラエルの宗教の基礎になりました。その信仰的土壌から大きく花開いたのが、キリストの福音であるのです。
 「神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」とは、蚕が桑の葉を食べて体の中で消化し、やがて美しい絹糸を吐き出すように、主の民たちも、神の言葉を食べて、神の霊的な力に全身が満たされて生きるということです。御言葉の学びは、生きる力になるのです。1990年3月18日 礼拝説教

  「主を試みる罪」

 悪魔はイエスを聖なる都(エルサレム)に連れて行き、神殿の屋根の上に立たせて、言った。
悪 魔「あなたが神の御子ならば、ここから飛び下りてごらんなさい。"神はあなたのために天使たちに命じると、彼らはあなたの足が石に当たらないように、あなたを支えるだろう"と聖書に書いてありますよ」
イエス「"あなたの神、主を試みてはならない"とも聖書には書いてある」
マタイ福音書4章5節〜7節

 モスクワ市にマクドナルドのハンバーガー店が開店した時に、モスクワっ子がどっと押し寄せました。現在、ソ連の人々のパラダイスは、パンと自由が豊富にあるアメリカなのです。ところが皮肉なことに、アメリカの人々にはパラダイスはありません。確かにアメリカにはパンと自由が豊かにあります。アメリカの建国の精神は「自由」でした。しかしその自由を「悪を行なう口実」(ペテロ第一書2・16)として用いてしまったアメリカ人に、真の自由は失われました。「すべて罪を犯す者は罪の奴隷である」(ヨハネ福音書8・34)。麻薬と犯罪、性的荒廃によるエイズ、離婚と家庭の崩壊、子供の誘拐と虐待、ホームレスの人々の激増…。ソ連の人々は「若者の幻想」を抱き、アメリカの人々は「老人の悲哀」を感じています。日本人は確実に「アメリカ人の道」を歩いています。現代においても人間の中心的問題は、パンと自由の問題にあるのです。
 悪魔の第二の誘惑は、基本的には第一の問題と同じです。若いイエスにとって人生の春でした。肉体も精神も最高に充実し、広い世界に飛び出す機会がやってきました。「三十にして立つ!」。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」との御声を洗礼の時に聞きました。神の子なら、父なる神の御名が尊ばれ、御意が行われる国をこの世に建設しようと欲(ねが)うのが当然です。いま、荒野で断食しつつ瞑想するイエスの中心的課題は伝道、即ち神の国の建設でした。お金も地位もコネも支持団体も持たないイエスは、どのようにしてその大事業を始めるのか? その時ひとつの想念がイエスの内心に浮かび上がってきました。
 「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探す」(コリント第一書1・22)。ギリシャ人は地上のあらゆるものを観察し思索して、哲学と科学と芸術を生み出しました。ユダヤ人は常に天を仰いで、天からのしるしを見張っていて、宗教を起こしました。徒手空拳のイエスにとって、それは大変に魅力的なアイディアでした。世界中から大勢の巡礼たちが集まる大祭の日に、神殿の屋根に立って、万人注視の中で、飛び下りて見せたらどうだろうか? 長年に渡るローマの圧政の下で、苦しみつつメシアの出現をひたすら待ち望んできたユダヤの民衆に対して、それは「百万人の福音」にならないだろうか? 私が本当に神の子ならば、それ位の奇跡は起こせるはずだ。聖書にも「主があなたのために天使たちに命じて、その手であなたを支え、石に足を打ちつけることのないようにする」(詩篇91・11)と書いてあるではないか?
 しかしそれは、うさん臭い道のようにも思われました。昔、チュダという魔術師が出て、自らを「偉大なる者」と称し、大勢の人々をヨルダン川へ連れて行き、剣の一撃でヨルダン川を二分して見せると約束した。彼のもくろみは結局、失敗した。またガリラヤ人ユダが人口調査の年(紀元6年)に現われ、愛国主義的運動を起こしてローマに対する反乱を呼びかけたが、これも又、粉砕されてしまった。そういう出来事の中にイエスは神の御意を探っておられましたが、決定打は、聖書の言葉にありました。「あなたの神、主を試みてはならない」(申命記6・16)。
 これは神の人モーセの言葉でした。モーセは「聞け(シェマアー)、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と教えました。イエスは幼い時から朝に夕に、このシェマアーの祈りを唱えていました。その祈りはユダヤ人の魂でした。その祈りの直ぐ後に来る教えとして、「あなた達がマッサにいた時にしたように、あなた達の神、主を試してはならない」という戒めがありました。
 エジプト脱出後、イスラエルの人々はモーセに率いられてシンの荒野に入り、レピデムに着いた時に、飲み水が切れました。民たちは「私たちに飲み水を与えよ」とモーセに要求し、「こんなに乾燥した荒れ地で飲み水を切らした我々は死んでしまう。本当に主は我らと一緒におられるのだろうか? 我らはモーセにだまされているのではないか?」と疑いました(出エジプト記17章)。
 イエスはその歴史的事件と教訓をとっさに思い起こし、今、自分が置かれている立場に適用し、モーセの言葉に力づけられて、悪魔の誘惑を退けました。この場合の、悪魔とイエスの聖書の読み方の相違が面白いのです。悪魔も又、熱心な聖書研究者です。悪魔は自分の目的を遂げるために聖書の言葉を利用します。「あと7年経つと、キリストの再臨があることを御存知ですか?」と言って人々の恐怖心をあおって効果的に伝道して歩いている宗教団体があります。イエスは、シェマアーの祈りのように、神への愛を中心に置いて聖書の言葉を理解されました。すると悪魔がイエスの破滅をもくろんで引用した詩篇91篇の言葉も「神の守護」という光を帯びて平安を与える力になるのです。
 救いの保証を神に強要する道は、悪魔の道です。静かに神に信頼し、神の導きに従う道が、イエスの道です。両者は、似て非なるものです。奇跡を見せて大勢の人々を従わせ、栄光に包まれて自分の目的を達成しようと考えるのか、又は、いかなる時にも神の御許に確りと止まり、黙々と十字架の道を歩むのか。これがその時、イエスの前に置かれた分れ道でした。
 「もし神の子なら、十字架から下りて来い…そうしたら信じてやろう」(マタイ福音書27・40)という悪魔の声を、イエスはもう一度聞くことになります。十字架上で死ぬことが、イエスにとって神の子として生きる道でした。
1990年4月1日 礼拝説教