琢磨会会報第76号



森 恕 『合気之術』

 相手に合気を掛ける技術である。
 免許皆伝時の重要な技法伝授項目のひとつである。
 具体的には、相手の身体、特に小手を武術的に刺激して、その反応として、相手の「無意識の動き又は動きの停止」を引き出す技術である。
 この技は、それを掛けられた相手の動きが異色である。
 合気の術を掛けられた相手は、こちらの力によって「他発的に」動かされているのではなく、無意識に、「自発的に」自分から動いているのである。このような動きをする原動力は、こちらが相手に加えた(小手を掴む・抑える・触れる・返す・手首や肘の関節を曲げる・展ばす・捻る等々の)武術的刺激に対する反応であり、相手の身体に生じた反射的反応又は本能的反応なのである。
 ここで言う本能とは、こちらが加えた武術的刺激から、相手が自分の身を守ろうとする防御本能あるいは防衛本能である。
 合気を掛けられた相手が動きを停止する場合もまったく同じ原理である。ただし、この場合には、禁忌(タブー)本能が刺激されている。
 合気の術のこのような術理は、大東流の技の中でもっとも次元が高く、それでいて、それがそのまま合気柔術すべての技の基幹的原理ともなっているものである。
 言い方を変えれば、大東流の技は、そのすべてに合気が掛かっているのである。
 大東流合気柔術は、その技術の根幹に「合気之術」を得たことによって、旧来の柔術諸流派とは次元を異にする、まことに神秘的でありながら、合理的先進的な一大柔術に進化を遂げることができたのである。
 このような合気の術は、大東流の小手技から生み出された。
 小手技とは、相手の身体を柔術的に操作・制御するために、その相手の小手を攻める技である。
 小手とは、上肢(腕)の肘から先、五指に至る部分を言うのであるが、大東流の技は、精緻精妙に、しかも、千変万化の方法で相手の小手を攻め、合気の術で相手の体幹を動かす、すなわち小手攻防の秘技で組み立てられており、大東流は、まさに小手技の集大成なのである。
 大東流合気柔術の技は、その手数が二千八百八十四手という膨大な数にのぼるのであるが、そのほとんどの技が小手技であり、それ以外の技はわずかである。
 小手は、人体の中で、武術的刺激に対して最も敏感な部分である。
 当流の祖はそこに着目をして、小手技を編み出し、その小手技が合気の術を生み出したものと思われる。
 小手技は、それだけで大東流の技の三大柱である関節技・急所技・合気技のすべての技を網羅しているのであるが、それらすべての技の基礎に「合気之術」があるのである。
 それならば、合気の術の「合気」とは何か、それは、大東流合気柔術の最高極意であると同時に、大東流のすべての技に技の源泉として、ひそかに埋め込まれている、いわば技の基幹原理とも言うべき術理そのものである。
 大東流の技は、すべてこの合気の原理・合気の術理の上に組み立てられているのである。
 しかし、「合気」そのものは、合気の技・合気の術の母体であり、すべての技の基幹原理ではあるが、それ自体は「力」でもないし、「技術」でもないのである。
 私は、大東流を学ぼうと志して、一九六二年に久師の門に入り、すでに四十七年の歳月を経た。久師の方針として、他の入門者と共に、初心者の段階から合気技の指導を受けたこともあって、早くから合気に関心を持ち、常に、合気の術理の習得を目標において稽古を重ねてきた。
 そのため、これまでに多数の合気の技・合気の術を体得することができたのであるが、合気とは何か、合気の術理とはどのようなものかということについては、なかなか理解ができなかった。
 武術は、具体的な技に加え、その技の術理が備わってはじめて完成する。
 しかし、大東流の合気技については、技は立派に存在しているのであるが、その術理は明らかにされていなかった。「技のみありき」という状態であった。
 「先師達は、こと合気については、あまりにも無口である」と評した人がいたが、私も同感である。  私はあるとき、久師に対し、植芝師や武田師はどのように言っておられたか、また久師ご自身はどのように考えておられるのかと伺ったことがある。入門後数年を経て、大東流の技に関する理解も、いささか深まったころであった。
 これに対する久師のお答えは、「両師ともに、技は厳しくご指導いただいたが、技法や術理については、一切、説明をされなかったし、質問もさせなかった。両師に限らず、昔の武道家はみんなそうだったのではないか。そういうことから、自分は、技の術理は稽古によって自得するほかは無いものだと思っている」ということであった。
 つまり、稽古によって自得せよという教えである。
 本稿で述べている合気の術理は、すべて、私が稽古から自得したものである。