琢磨会会報第73号
森 恕 『一言放送』
今年の九月二日付けで、財団法人 日本武道館と日本古武道協会の連名で、琢磨会に対し、来年二月八日に、日本武道館において開催される「日本古武道協会設立三十周年記念演武大会」への出場依頼があった。
直ちに出場承諾の旨連絡をすると、演武者の全氏名を記載した出場承諾書・プログラム掲載用原稿・写真等を送るよう依頼があった。
例年のことであるが、暫くは、依頼された写真等の準備、書類等の作成送付、それらの到着の確認等に忙殺された。
このとき、日本武道館が作成送付を依頼してきた書類の中に、本稿表題の「一言放送」の原稿があった。
依頼自体は昔から毎年あったようであるが、これまでは、特に原稿を書こうという気持になれなかったので、申し訳ないが、武道館の依頼を事実上無視してきたのが実情である。
しかし、今年はなぜか、猛然と書かなければならないという気持が湧いてきて一気に書き上げて武道館に送付した。
その辺の私の心境変化と、私が武道館に送った原稿の内容をご紹介したい。
依頼文には次のようなことが書かれている。
「大会当日、演武に際し、貴流派の道統、歴史、特色などを、司会者が紹介致します。つきましては、観覧者に、古武道をより身近に感じ、民族財としての興味や意識、共感を促すためにも、下記の通り一言放送原稿を戴き、ご紹介致したく宜しくお願い申し上げます。」
そして、その下記の部分には、「原稿内容」として、「今大会で演武される技の特徴、観覧者に特に見て欲しいところ、演武するに当たっての気構え、異色の演武者、お使いになる武器や武具に関するエピソード等をお書きください。原稿はおよそ一○○字以内とさせて頂きます。」と記されており、更に、「ご提出戴かなかった場合は、これまでどおり当方で作成した原稿のみ紹介させて戴きます。」と付記されている。
従来放送されていた武道館作成の原稿は、合気の説明として、「合気とは相手の攻撃を無効にするものであります」という言葉で始まるもので、私はいつも、この言葉には違和感を覚えていた。
今回、私が提出した「一言放送」の原稿内容は次の通りである。
「合気とは、相手の夢想の動き(本能的・反射的無意識の動き)または動きの停止を引き出す技術であります。この技を掛けられた相手は、無意識に動き、また動きを止めます。この技を用いれば、相手がどのような攻撃をしてきても、こちらの体あるいは道着に触れ、力を入れた瞬間に、相手の体の力を抜いて倒すことができます。本日は、琢磨会の代表が、最後にこれを演じますので、どのようにしているのか、ご注目下さい。」
このような合気に関する説明は、現在一般的に行われている合気の解釈とはまったく異なるものであるが、しかし私は、私が会得し、私が現実に、自在に技を掛けている合気之術を説明するものとしては、最も適切であると確信している。
私は、今回の演武大会で、私が会得した合気之術のうち、「詰め合気」二手・(諸手捕り・後ろ抱きしめ)手甲の合気一手(三ヶ条から入る)究極の抜き合気四手(諸手捕り・片袖捕り・両襟捕り・三人捕り)を披露したいと思っている。そのどの技も、体術の常識にはないものであるから、観覧者が私の一言放送を聞かなければ、本当に、まったく理解ができないであろうと思っている。
私は、日本武道館が、私の一言放送の原稿を、そのまま放送してくれるよう真剣に祈っているところである。