琢磨会会報第72号



森 恕 『手甲の合気』
小林清泰『脇町の稽古』

森 恕 『手甲の合気』

 相手の手甲に掛ける合気の術である。相手の手甲の上に、揃えて伸ばしたこちらの手の四指(人差指・中指・薬指・小指)を、そっと、触れるように載せることによって合気を掛ける。
 特別に強い刺激を与えたり力を加えるようなことは一切せず、ただ伸ばした四指を柔らかく手甲に載せるだけであるが、そのとき、心持、相手の手首の方に四指全体の重みをかけるようにするのがこの技のコツである。
 極めて単純で、しかも易しい技のようにみえるのであるが、しかし、この技の効果は劇的である。
 この技が効を奏すると、その瞬間、相手は浮き足立ちとなり、四指を手甲に載せられた相手の手は、その手甲を懸命に上に反らしてこちらの四指を受け止め、もう一方の手は、その手で体全体の均衡をとろうとでもしているかのように側方に伸ばされている。そして、相手の体全体は、不自然に硬直し、まるで運動機能がバラバラになったかのように不規則な状態で四肢を強張らせている。
    これは、強く合気が掛かったときの典型的な身体状況である。
 そしてその状況は、こちらが相手の手甲から四指を取り離すまで続けられるのである。
 技の途中で、試しに四指を手甲から離してみると、四指が離れた瞬間、相手は、まるで夢から醒めたかのように、ふっと体の緊張をやわらげ、自然な姿勢に戻るのである。
 こちらが、最後まで技を遂行するのであれば、相手の体に合気が掛かったのをみてとったうえで、相手がその反らした手甲で懸命に受け止めているこちらの四指で、相手の手甲を存分に引き回し、相手が、その手甲を追いかけるかのように、ギクシャクと小走りに動き、体を崩したところで、そのまま投げあるいは倒せばよいのである。
 終始、指先まですっきりと伸びている四指で、相手の手甲を捌き、技を掛けてゆくので、この技の外見はまことに流麗典雅である。
 私は今、この手甲の合気に強い関心をもっている。
 この技が、そこに合気ポイントがあるとは到底思われない手甲の上に、四指をそっと触れるように載せるだけで、大きな合気効果を生じさせているところに心を奪われているのである。
 この合気を研究し追求していったならば、四指を触れさせるだけで相手の体の力を抜いたり硬直させる、いわば窮極の触れ合気とでもいうべき技に到達できるのではないか。
 その段階に至った技は、綺麗に伸ばした四指を翻すように、そっと相手に触れさせるだけでその体を倒すことができるようになるのではあるまいか、などと思っているからである。
 この合気技は、総伝の三ヶ条深逆の稽古をしていて、全く偶然に出会い会得をすることができた。
 久師は、手首を内側に折る小手返しの逆を「内逆」、掌を外に向け手首を横に折るニヶ条の逆を「外逆」、更に深く、手首に捻りを加えて手甲側に折る三ヶ条の逆を「深逆」と称しておられた。
 その深逆の取り方(三方法がある)の中に、相手の指または手甲を、こちらの四指と拇指ではさみ持ちにして逆を取ってゆく技があり、その技の稽古をしているときに、不思議な現象に出会った。
 それは、拇指と四指で、きちんとはさみ持ちをして技を掛けてゆくと,最後に典型的な三ヶ条の逆技が完成するのであるが、途中で偶然拇指が離れたために、四指だけで技を掛ける形になった途端、その瞬間に、相手の体に合気が掛かり、技全体が、それまでとは質的に違う、かなり高級な合気技に、急に変質したと感じられたことである。
 何度も繰り返し試しているうちに分かったことは、この合気技にとって、大切なのは手甲に触れている四指であり、拇指はこの技の要素ではないこと、従って、最初から拇指を相手の手から完全に離し、手甲に触れている四指だけを使って、技を掛けようとすると、その瞬間に、相手の体にかなり強い合気が掛かるということである。
 合気の術は、相手の夢想の動き(本能的無意識の動き)を引き出す技術であるが。術を施すためには、相手を夢想状態(運動意識・運動神経が眠った状態)にしておかなければならない。
 相手の体を強く捉えるということは、その刺激によって相手を夢想状態から覚醒させ、運動神経・運動意識を目覚めさせることになり、合気が掛けられなくなるのであるが、それとは逆に、四指を柔らかく手甲に載せるというソフトな行為は、それだけで、相手を夢想状態に陥らせるという効果があったのである。
 私はここ暫く、この「手甲の合気」を見守り、もっとよく観察し、研究をしたいと思っている。

小林清泰『脇町の稽古』

 六月八日美馬市脇町武道館で恒例の四国と大阪の合同稽古が約六十余名集い行われた。今年は女性の姿がすくなかった様に思う。午前は千葉紹隆師範の指導、午後からは井沢将光師範の指導が行われた。皆さん稽古熱心で休憩する者はいなかった。何度も参加して、色々な先生習うと指導法も違い、目かから鱗ということもある。教わる立場、教える立場、それぞれに稔り多い稽古であった。今年参加されなかった方は、是非来年参加してみてください。
 この合同稽古は、琢磨会結成以前からおこなわれていた伝統行事である。参加する仲間たちが減る中で、久琢磨は四国と大阪の交流の場として稽古を指導しておられた。そのような意味でも私は、この行事を大切にしたいと考えている。
 沿革を説明すると、昭和四十八年に蒔田完一先生が久の門人になられたことで交流が始まった。昭和四十二年関西合気道倶楽部閉鎖後は、久は荻窪お住まいでしたが、徳島の南小松島の蒔田完一先生の道場まで出向かれて指導されました。小松島の方と旧関西合気道倶楽部の人たちと楽しい合同稽古をし、遅い昼食をとりながら歓談しました。蒔田先生が他界されるまでこのような合同稽古が十五年続きその後は、千葉紹隆、井沢将光両師範のもと、脇町カルチャーセンターで合宿が行なわれ現在に至っている。
 稽古は脇町カルチャーセンターの学習塾が終わってから、夜遅くに稽古が始まり夜明けまでで続いた。三年前からは脇町武道館で日帰りの合同稽古が行われている。久が指導されていた頃、夏は大阪朝日新聞社体育館で南小松島と関西の各支部が集い、日ごろの稽古成果の発表会を行っていた。昭和五十年久他界後は、今の形の演武大会に引き継がれている。金剛山の合宿がこのころ始まり、今は鳴尾の兵庫県立体育館での合宿へと続いている。これも今や伝統行事です。
 余談になりますが、美馬市脇町は吉野川に沿った「うだつ」で有名な街であり、昔藍染めで栄えた町の情調が残っている。合同稽古にこられたら是非立ち寄ってみてください。必見の価値はあります。また脇町は大塩平八郎の出所でも在り、脇町と大阪との縁は深い。

 今年、三好市池田町の千葉師範は「喜寿」、脇町カルチャーセンター館長大西正仁先生は「傘寿」を迎えられ、長寿を祝って有志が集まり穴吹のホテルで祝宴がもたれた。ご両先生ともお元気で現在も指導しておられます。琢磨会の歴史に残る素晴らしい師範方の指導を受けに脇町の合同稽古にご参加ください。両先生とも中津平三郎師範に師事され大東流を学ばれた。中津平三郎は久琢磨と兄弟弟子であり武田惣角の門人であります。中津は琢磨会に残っている総伝写真集にも載っています。色々な先生が大東流を研究しておられますが四国にも大東流が色濃く残っています。私は武田時宗宗家、鈴木新八郎師範、蒔田完一師範、有沢薫先生に教わりましたが、技を覚えるのが精一杯で技の意味を考える余裕はありませんでした。武田時宗先生より「一本捕りができたら色々な攻撃に対処できますよ」と教わりましたが、その時意味は全く解りませんでした。大東流を学び続けた現在では、私なりにその意味が少し理解出来たように感じています。四国に来て一か条が次の技、二か条、三か条へとつながっていく過程が何となく解って参りました。よく出来た技であることに今更ながら驚いています。三好雄一先生は「武道は先人が命を懸けて求め、見つけた、確立した文化である。だから一般に公開すべき性質のものではない」と言っておられます。私も同感です、大東流として固有の技を保持していかなければなりません。
 稽古を続けていると、初伝一か条の稽古が大切であるということがわかってきました。基本から応用、変化が出来るようになってこそ次の技へと繋がりがあり、単体で技が構成されていないことが理解出来ました。大東流は良く出来た柔術です。大東流が何を謂わんとしているのか技の組み立てを探求していると稽古が楽しく面白いです。
 技について、貴方は決めて・崩して・固めますか、それとも、崩して・決めて・固めますか。投げっ放し・倒したままだとまた攻撃してきませんか、当身は本当に相手の体に当っていますか、止めは相手に当っていますか。総伝集の技はすべて最後には捕り押えています。
 動きを止めて・・・動きながら・・・触れながら・・・相手の力を殺いで・・・合気は・・・などいろいろ考察してみてください。稽古は尽きることはありません・稽古は楽しいものです。