琢磨会会報第70号



森 恕 『見えない技』
小林清泰『技の見方・考え方』

森 恕 『見えない技』

 現在、琢磨会で行われる合同稽古では、私は必ず総伝技を教えることにしている。
 大東流中興の祖武田惣角師から、「大東流の技は、このままの形で遺してくれよ」と、皆伝時に言われたという琢磨会の祖久琢磨師のお話を受けて、総務長としての使命感をもって行っていることである。
 箕面で総伝研究会を行っているのも、神戸の西代で直伝会を行っていることも、更には、昇段試験のために、「惟神之武道」掲載写真集の中から、六技を選び、その指導を行っているのも、みんなそのためである。
 しかし、色々指導をしていると、いつも、稽古生が戸惑ったり、立ち往生をしたりする技があることに気がついた。
 それは、大体において、技の外形は単純であるが、技を行うについて、微妙なコツがある技に鍵って見られる現象である。
 その微妙なコツというのは、こちらの手刀が、相手の体,特に相手の小手に触れる場所と、その触れ方に関することであることが多いようである。
 合気の技はほとんどの技が、手刀の技であるから、当然、このようなコツが要求される技は合気技に多い。
 合気技では,技掛けに際して手刀が触れるべき場所は、ピンポイントの正確性を要求されるし、触れ方は、短く小さく、しかも、柔らかなものでなければならない。
 このような技掛けの要領は、いくら注視していても目で捉えることは至難の技である。
 つまり、技は、肝心のところが全く見えず、見えない技になっているのである。
 稽古生が、戸惑い、立ち往生をしているのは、技が見えないためである。
 剣技の場合、相手よりも速く剣が相手の体に届けば勝負が決まるため、剣の動き、或いは太刀ゆきには、神速が要求され、技が見えないというときは、大抵、剣の動きが速すぎて,正確な動きを目で捉えることができないときである。
 徒手技である柔技、特に人体操作術である大東流の柔技の場合は、手刀の微妙な動き、微妙な触れ方が要求されるため、技が見えないというときは、手刀の動き,或いは触れ方が、遅く且つ微妙の極致にあるために、それを触覚で感知することも目で捉えることもできないからである。
 剣技と柔技、この表裏をなす武術の技において、技が見えなくなる原因が、遅速の両極にあることは興味深いことである。


小林清泰『技の見方・考え方』

 会員の皆さん、日々稽古に練成にも励んでおられることでしょう。皆さんのお陰をもちまして今日琢磨会は大きく発展を遂げました。有段者が増えることにより、個々の技は向上し、琢磨会全体が底上げされ技術も向上してきました。
 技について指導部の先生を差し置いてお話するのは、僭越ではありますが、一番長く琢磨会に籍を置く者として、私なりの技の見方、考え方を書かせていただきます。ぜひ参考にしてください。
 支部長には久琢磨の指導を受けた者、武田時宗の教えを受けた者、有沢勲先生に指導受けた者、蒔田完一の指導を受けた者、千葉隆紹、井沢将光先生に指導を受けた者がいて、微妙に技が違っています。同じ技なのに先生によっても、習う側のレベルで指導が違い、習う方のとらえ方にも差があります。ところが組織が大きくなるにつれ、指導者、支部長が一堂に会する機会は少なくなり、技の摺り合わせの機会も段々と減ってきました。
 有段者の多い支部と新設の支部とでは支部間レベルの多少の差は止むを得ないと思いますが、基本技については支部間の差はさほどでもないと感じます。
 技のばらつきを縮めるには『支部長・指導者の稽古会を持つ』そして話し合いにより、形を決めるのがいいのではないでしょうか。自由に議論をやって頂いたらよいかと思います。名称通りの技をどこまでやるかです。極めまでするのか、投げっ放しなのか、別法でもいいのか、裏技でもいいのか。柔術的、合気柔術的、合気的に、又受け手の攻撃の仕方によっても異なります。大事なのは『次の上級技に結びつくような指導』をしていただく事ではないでしょうか。今琢磨会は自由な発想や、色々な方法で技を行いますが、いずれは落ち着くところに落ち着くのではないかと思っています。
 現在、技の法形化を唱える人もおります。法形化することで、審査もしやすいというメリットはありますが、技を改訂しようとした時、指示が末端まで届かず、混乱を招く事態が起きるのではないかと危惧します。
 技はその人の武歴、体格によっても違うもので、自分の身の丈にあった技でよいのではないでしょうか。しかし、先人が伝えようとした技は何なのかを見極める力を養っていかねばなりません。基本技として名称通りの技が無理なく出来ればいいと考えます。私は五級の人の一本捕と初段の人の一本捕り、三段の人の一本捕は違って当然だと思います。より洗練され、無駄な動きが無くなり、小さな力で相手とぶつかることなく,また抵抗反撃されることなく捕り押さえればいいと考えています。それには足の運び、体の向き、姿勢、体重のかけ方、手の使い方、相手の崩し方、投げる方向、取り押さえ方(極め)、などを意識して稽古しなければなりません。そうすれば、理にかなった良い技が淘汰され残っていくのではないでしょうか。
 久琢磨が教えていた頃は、審査会などはなく、稽古を見ていて段を出しておられました。組織、会員が多くなると、標準となる技は必要ですから、琢磨会の審査は今まで通りの方法で行えばいいのではないでしょうか。技についてはビデオ撮り、写真撮りして研究するのも良いと思いますが、実際に手を取りあって稽古しないと分からない部分も多くあります。
 私は宗家にも習い、蒔田先生にも初伝百十八条を習いました。昭和五十五年朝日カルチャセンター講師を引き受けた折、指導に当ってはこの初伝百十八条を指導していて、その後審査級段の技を決め、統一を図る為稽古手帳を発行しました。当初は武器捕りもありましたが、天井の低い道場もあって現在審査には入っていません。それ以外はほとんど変わった点はありません。
 初伝基本百十八条には一ケ条、二ケ条、三ケ条、四ケ条、五ケ条、多人数捕、得物捕、十手捕、短剣捕、太刀捕、傘捕で構成されています。現在久琢磨が残した「総伝写真集の技を研究する会」ももたれています。一か条から五か条の技には名称が付けられていますので稽古するには覚え易く重宝です。久琢磨先生に名称についてお尋ねしたのですが、「武田惣角先生に習ったときは名称など無かったよ」と言っておられました。名称については武田時宗先生(惣角のご子息)の大東館道場に掲げてあった事から、武田時宗先生が名付けられたのではないかと思っています。久琢磨先生は小手返、四方投といった名称を使って指導しておられました。植芝盛平について指導をうけた名残で、おなじ技で呼称しています、現在合気会は一教あるいは腕押さえと呼んでいますが、琢磨会と養神館道場は同じ名称の使い方です。(塩田剛三は植芝盛平の内弟子として大阪朝日新聞社に来阪しておられ今も一本捕りを一か条と呼んでいますし、久と同じく腕の練成は準備体操に組み込まれています)琢磨会では宗家武田時宗先生よりご指導を頂いた名称を使用しています。久先生は総伝集に名称を所々鉛筆で書き加えておられました。技に呼称があるお陰で稽古はし易くなったのは事実です。久先生の稽古ではどちらかというと、正面打を何通りも、四方投を何通りも、突を何通りもの技を指導しておられました。今思うと基本的な動きも高度な技も何もかも混ぜこぜにして習いました。網走で稽古していたおり武田時宗が私に言うには、大阪朝日新聞社時代、父惣角に「基本の技から指導なさったら如何ですか」と訊ねたら「教授代理の植芝盛平が教えたのだからそれでよい」といって次の技に進み指導されたそうです。惣角は門外不出の技を上級者に教えるとき、息子〔時宗〕をも「外に出とれ」と道場から追い出したそうです。時宗は後に来阪されたとき久に「父は何を教えたでしょうか」と尋ねておられたそうです。そのように厳しい制限のもとに伝授された技が「総伝写真集」になって残っています。