どのような武術であっても、相手と対峙して勝負をつけようとするとき、或いは技をかけようとするときには、相手に対し、その武術の流派独特の構えをとる。
従って、その構えを見れば、どのような武術のどの流派であるか、おのずから分かる。
大東流は半身の構え、それも左半身が原則だと久師は言われた。
具体的にいうと次のとおりである。
左足を前正面に向けて出し、右足は、左足と踵の線を合わせてその半歩後ろに置き、ソの字形に、爪先を右斜め前に向けている。
従って、体全体も自然に右斜め前に向くのであるが、顔は正面に向ける。そして、左右の足の膝は少し曲げて、体の重心は、四分六に分け、その六分を前、四分を後ろに、しかも、それを、夫々の足の指の付け根に置くようにし、踵は何れも僅かに浮かせるようにする。両手は鼠径部に自然に置いて、前に出さない。
これが、久師からご説明を頂いた「半身の構え」であるが、要は、技をかけるために動き易くして、しかも、相手に対し、身体をできるだけ薄く構えるというとこが、大切なポイントである。
何故左半身かということは、相手が右手右足を前に出して攻撃をしてきたとき、こちらが左半身で、左手左足が前にある方が、攻撃を捌きやすいし、技もかけ易いからである。
このことは、大東流の各種の技を想起して見れば、殆どの技がそのようになっているところから、容易に理解できるはずである。
右手右足が前に出てくるのは、剣の操法の原則であるから、攻撃が右半身であるのはよく分かるのであるが、これに対するに、防御側が左半身をとることは、実際に攻撃を捌き、技をかけてみなければ納得がゆかないかも知れない。しかし、よく検討してみると、捌きと技かけのためには、この方が合理的な体勢であることが理解できるのである。
未だ詳しくは言いたくないが、久師から教えて頂いた「合気の太刀」は、面白いことに左半身に構えるのである。同じ理由からだと思われる。
刀の持ち方は右半身のときと同じであるから、そのまま左半身になると、当然に刀をもった左右の手は、体の前で交差した形となるのである。一見不自然な体勢に見えるのであるが、この方が、合気柔術の技を用いて相手の剣を捌き、同時に打ち込むという、この剣の型の目的によく叶っているのである。
勿論、柔術の世界では、左右何れの半身の構えでも自在にとれる必要があり、そのように稽古を積まなければならないのは当然のことである。
ところで、過日、植芝吉祥丸氏の著書「合気道」を読む機会があった。氏はその著書で「合気道の構えは半身である」「合気道の技法はすべて、いかに動こうとも半身の連続であり、静止したときにも半身に落ち着く。相手に対してつねに半身に構えるわけである」と述べておられる。
つまり、合気道では半身の構えが原則であると言われているのである。
そうしてみると、久師は、大東流を当初植芝盛平師から学ばれたのであるから、久師の説かれた「半身の構え」は、植芝盛平師の教えであったのかもしれない。
久師はまた、大東流は「無音・無声・無構え」だとも言っておられる。お言葉通りであれば、大東流には本来「構え」はないのだという意味にも取れるので、単純にこれを承った場合、多少混乱が起こしかねないところがある。
しかし、よくよく真意を伺えば、このお言葉は、心技共に、ある程度のレベルに達すれば、「構えを意識する必要がない」という意味であるようで、「無音・無声」と共に、かなり深遠な教えであると思われる。
宮本武蔵は、五輪書の兵法三十五箇条水の巻で、「有構無構のおしへのこと」として、構えはあって構えはない。構えに囚われるなと教えている。意味深い教えであって、私はこれを座右の銘にしている。
しかしながら、武蔵や久師の境地にはまだ程遠いので、稽古の時は意識をして、キチンと半身の構えをとるように努力をしているところである。