2004/01 鎌倉
鎌倉駅

鶴岡八幡宮 
1063年 源頼義は、奥州の出兵にあたり、京都・石清水八幡宮にて祈願。 
勝利を収め、その戦勝記念として八幡宮の分霊を祀った神社を鶴岡に創建。 
1191年 頼朝は社殿を建て直し、現在の鶴岡八幡宮となった。武門のシンボルとして豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けた。
駅から歩いてくると参道が続き鳥居もいくつかでてくる

太鼓橋

舞殿(まいでん)
本宮への石段の前に建つ建物 吉野山で捕らえられた静御前が、義経をしのびながら舞ったところ。
「よしの山みねの白雪ふみ分けて入りにし人のあとぞ恋しき」 「しづやしづしづのだまきくり返し昔を今になすよしもがな」
頼朝の怒りをかい、義経の子と、自らの命を失うことになった。
舞殿

本宮(上宮)
八幡宮の中心となる社殿。たびたびの火災で消失、1828年 徳川家斉が再建。
石段と本宮

本宮(上宮)  朱塗りの楼門  

宝物殿
本宮左横にあり 武具 工芸品等が陳列されている。
宝物殿入場券

本宮(上宮)から舞殿を見る 右の大きい樹は大イチョウ

大イチョウ 樹齢1,000年以上 高さ30m、周囲7m。 
1219年 3代将軍、実朝は、イチョウの陰に潜んでいた頼家の子、公暁に「父の仇」といわれ殺害された。「隠れ銀杏」といわれる。
若宮(下宮) 国重要文化財 若宮(下宮)?

鎌倉国宝館 国宝や重要文化財に指定されている仏像などが展示されている。
鎌倉国宝館入口

頼朝の墓
1199年に世を去った頼朝が眠る墓。
鶴岡八幡宮から狭い道路を歩いて行くと墓につく ちょっと道が複雑。
道案内の看板の見方を間違い探すのに時間がかかった。石段上がり口の近くは普通の住宅。
墓所は白旗神社横の階段を上がった所にある

白旗神社の看板と「源頼朝会」の旗

墓所
墓所は質素。 周囲には木々が生い茂っている。木にリスがいた 層塔は高さ2mくらい。
1779年頼朝の子孫 薩摩藩主 島津重豪によって再建された。

墓所より階段の方を見る

白旗神社
頼朝は、観音堂として持仏堂を建て、観音像を安置し信仰した。
頼朝の死後は法華堂と呼び、毎年頼朝の命日には将軍が参拝していた。明治維新に白旗神社と改められた。

鎌倉幕府を開設・移設した人
鎌倉幕府は 3度?鎌倉のなかで場所を移している。
現在の鎌倉にその跡がどこにあるのか時間もなくわからなかった。
1回目の幕府 大蔵幕府跡(おおくら) 
1180〜1225年 頼朝が開設。 東西約270m,南北約220mの屋敷。
頼朝が政権を得てから政治をおこなった。 46年間、鎌倉幕府の中心となる。
2回目の幕府 宇都宮辻子幕府跡(うつのみやずし)
 
1225〜1236年 北条泰時が移設。 北、南約180mの庁舎。
北条泰時はこの庁舎の北側に隣接して北条の屋敷をつくる。 12年で、若宮大路に幕府を移転。
3回目の幕府 若宮大路幕府跡(わかみやおおじ) 
1236〜1333年 北条泰時が移設。 鎌倉幕府が滅びるまで 97年間、国政がとられた。
源頼朝について
武士の府・鎌倉の街の礎を固め「鎌倉殿」として武家政権の基礎を築く。
1147年 源義朝の第3子として京都で生まれる。  
1159年 平治の乱で、平頼盛に捕まる。 平清盛の継母により助かる。伊豆へ流罪 20年の歳月を過ごす。
1180年 平家打倒に立ち上がる。 石橋山の合戦に大敗。 安房国へのがれる。
多くの武将とともに相模から鎌倉へ入る。 鶴岡八幡宮を源家の氏神とし鎌倉の街造りを進める。
1185年 壇ノ浦に平氏を滅ぼす。
1192年 征夷大将軍になる。
1199年 頼朝逝去53歳。 死因は 落馬による怪我が原因とも 病によるものともいわれる。
鎌倉大  高徳院 鎌倉大佛は阿弥陀如来像 高徳院の本尊
高徳院入口

大佛 高さ台座共12.38m 総重量 121トン 青銅身11.32m 鎌倉大佛

大佛は民間に資金を勧進してつくられた。最初は木造。
1238年 大と大殿の建立開始。
1243年 大の開眼式。
1247年 台風で仏像も殿舎も破壊される。
1252年 青銅大の鋳造に着工 数年で完成 完成当初は全身金箔だった。
1369年 水害で殿舎が流される。
1495年 水害で殿舎が流される。 現在の露座の大となる。
鎌倉大佛 大佛の中に入ることができる。