■通史概説水辺とともに生きた東海村  東海村は那賀郡に属するが、久慈川下流や河口南岸が那賀郡の北の境界とされていた。
■古代 古来、河川による境界の地は、政治・経済の面だけでなく、宗教文化史の面からもきわめて重視されてきた。久慈川だけではなく、東海村の地にはかつて真崎浦という大きな入り海が存在していた。東海村の歴史の展開には、久慈川や真崎浦などの水辺環境が大きな役割りを果たしていた。東海村では現在、約160か所の遺跡が確認されている。
■旧石器詩代 東海村では、旧石器時代のものと確認できる遺跡は見つかっていない。隣接する、ひたちなか市や日立市で旧石器時代の遺跡が確認されいる。調査がが進めは、東海村でも発見される可能性が高い。 縄文時代 阿漕ヶ浦、真崎浦、細浦は入江で、内湾を形成し魚介類などの食糧確保場所だった。約60か所の遺跡が確認。久慈川右岸と真崎浦周辺で多<認められる。石神・御所内・平原の貝塚、須和間の弥生時代遺跡、権現山古墳・舟塚古墳群なが水辺環境と関係が深い。
■弥生時代  低湿地を中心に稲作が行われる。須和間遺跡からは、この時代の住居跡や方形周溝墓が発見されている。
■古墳時代   権現山古墳や舟塚古墳、別当山古墳、白方古墳など、数多くの古墳が造られている。
■中世  真崎城や石神城も、久慈川・真崎浦との関連で築かれた。村松虚空蔵堂や如意輸寺も、水辺環境との関連で建立された寺院。真崎浦の入り海の北側に村松虚空蔵堂、南側の高台に如意輪寺があって真崎浦を守護する形になっていた。須和間と外宿の住吉神社も水辺環境の守護と関係がある。須和間はもとは「洲浜」と呼ばれ、真崎浦の入り海に面した小さな港であった。住吉神社の祭神は底筒男・中筒男・表筒男の三神、海神の性格を持っており、港などに祀られることが多い。
■平安時代末期  東海村の辺りは吉田郡内に属していた。白方郷には吉田広幹の次男・興幹が土着して白方次郎と名のり、地頭として治めていた。興幹の館は、現在の豊受皇大神宮の境内にあったらしく、今でも社殿の周囲に、高さ3mの土塁が東西約60m、南北50mに わたって巡らされているのが認められる。
■室町時代から戦国時代  東海村の辺りを支配したのは、真崎氏と石神小野崎氏。[真崎氏] 佐竹氏の支族で白方郷に近い真崎の地に館を構え、地名を名字として名乗る。真崎浦に突き出した半島の先端に館を構え、入り海に出入する船を監視し沿岸の住民を支配した。[石神小野崎氏] 秀郷流藤原氏の遠祖で佐竹氏に仕え、石神に館を構えた。石神小野崎氏も太田城下の河合から石神までの久慈川流域を交配。石神城を拠点に久慈川の舟運を掌握。
■近世  中世末期から近世初期にかけて 真崎浦の入り海は、海が後退し、村松と照沼の開か陸地化した。1594年 豊臣秀吉の太閤検地で、竹瓦、亀下を除く久慈川以南の地域が那珂郡に属するようになる。1602年 佐竹氏が出羽秋田へ移封、水戸藩の領地となる。初代藩主は徳川頼房。第2代藩主は徳川光圀。江戸時代末期慢性的な農村の荒廃が続く。1842年 第9代藩主・徳川斉昭は、天保検地を実施。1833年〜11834年 徳川斉昭は、領内を巡視。領内の景勝地を「水戸八景]として選定、「村松晴嵐」もそのひとつに選ばれる。1856年 那珂湊の豪商・西野長次郎による、食糧の増産を図るため、真崎浦の干拓。しかし、水戸藩尊王攘夷派と幕府追討軍との激しい戦乱が繰り返され1864年に中断。
■近代  1871の廃藩置県により、水戸藩は水戸県となる。その後、名称も茨城県と変わる。1875年 現在の茨城県の県域が確定。 1888年 市制町村制が公布  1889年 村松・石神白方・石神豊岡・須和間・船場・照沼の6か村が統合合併して村松村となる。亀下・竹瓦・石神内宿・石神外宿・舟石川の5か村が統合合併して石神村となる。1897年 日本鉄道会社によって鉄道が敷かれる。 1933〜8年 真崎浦の開拓・完成。1918〜53年 村松海岸の防砂林植栽事業の実施と完成。1935年 結核の治療と研究の「村松晴嵐荘」(現・国立療養所晴嵐荘病院)創設。
■現代   1955/3/31 村松村と石神村が合併して東海村となる。1956年  東海村に(財)原子力研究所設置の決定。1959年   原子燃料公社東海製錬所(現・核燃料サイクル開発機構東海事業所)開所。1966年  日本原子力発電(株)東海発電所商業用発電として営業運転開始。1997年   動燃東海事業所のアスファルト固化施設で火災・爆発事故発生年  (株)ジェー・シー・オー東海.業所で国内初の臨界事故発生し世界の注目を浴びる。2000年  東海村にある原子力事業所は13を数える。
■おまけ  現在世界では、工業化に伴う自然破壊から、豊かな緑多い地球を取り戻そうという動きがなされている。一度失った自然は、簡単には取り戻せない。人間の自然に対する傲慢さに生じた結果だから大変だ。「水辺とともに、自然に生かされ、生きた東海村」にも同じことが云える。最近の人災とも思われる原子力関連事故に対しては全員で気を引き締めていかなくてはいけない。21世紀にむけ東海村の課題は多い。
(2000東海村村勢要覧・村の歴史と群像を参考に作成しました)