四国村 しこくむら 2003/10/18  香川県高松市屋島中町91  四国各地から移築された民家が、屋島ケーブルカー乗り場の近くの「四国村」にある。
民家33棟、当時のままの姿で 山の中に点在している。 丁寧に見ようとすると数時間必要に感じた。午後4時近くに行ったので 全部を見るにはちょっと時間がきびしかった。 (カタログより)

屋島ケーブルカー乗り場の近くに四国村はある。 小豆島からの帰りにいってみる。浜田の泊屋 (カタログより)

かずら橋

小豆島歌舞伎舞台  江戸時代末期と推定。寄棟造茅葺。舞台の間口 約12m 回り舞台 4.7m。上手には義太夫の座とお囃し座が2段にある。(説明看板より)
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小豆島  猪垣 山畑の農作物がイノシシや、シカに食い荒らされないように、畑の周辺を囲う垣根。粘土に松葉を入れてつくってある。(説明看板より)

旧山下家住宅 (カタログより)

江戸時代の東讃岐の古風な山村農家。寄棟造茅葺11坪。下屋まで茅を葺き降ろしている。棟の中央に「煙出し」がある。(説明看板より)

旧河野家住宅 愛媛県の南、小田町の深い谷脇の奥まった急斜面に建っていた。主屋は、入母屋造茅葺の屋根を下屋まで葺き降ろしてある。18世紀前半ごろの建築と推定。土間脇にチャノマ、その奥にザシキ。部屋の床は、竹を敷き、各部屋にイロリが切られている。(説明看板より)



砂糖しめ小屋

屋根のつくり

砂糖しめ小屋  江戸時代、砂糖は讃岐の特産品。1865年頃建てられた小屋。

中央に3個並べた石臼の腕木を牛が引いてまわす。 石臼に砂糖きびを差込んで汁をしぼった。(説明看板より)

牛の円運動を動力とするため、円形につくられている。(説明看板より)

釜屋

猪垣 山林にあったもの。小石を積み上げている。(説明看板より)  美術館

茶堂 四国の古い道路にはあちこちにあった堂。正面に仏様、三方は吹き抜け。(説明看板より)

カンカン石  石をたたくと金属音の澄んだ音がする。高松市国分台に産出する「サヌカイト」とよばれる石。(説明看板より) 竹林道

旧大久野島燈台  退息所の由来 灯台守の住居。洋式燈台の初点燈は、1869年。1950年代より次々と無人化され、退息所は、その役割を終えてきた。(説明看板より)



旧江埼燈台退息所 江埼燈台は、淡路島の北端にあった。1871年。 石造り。屋根は桟瓦葺。

旧鍋島燈台退息所 鍋島燈台は、坂出市沖合いにあった。1872年。退息所は、1955年まで使用。石造り。屋根は桟瓦葺。様式燈台の黎明期の建物。(説明看板より)
 
旧クダコ島燈台退息所 1902年。クダコ島燈台は、松山市沖にある。燈台の無人化により不要となり四国村にある。レンガ造り、外壁はモルタル、屋根は桟瓦葺。明治後期の建築。(説明看板より)



ケナフ

「アンネのバラ」の誕生 アンネが過ごしたかくれ家の庭にあった野バラ。「アンネの日記」を読んで感動したあるベルギー人が、その野バラを持ち帰り、高配を重ねてできた「アンネのバラ」として  アンネの父親に贈ったもの。(説明看板より)

楮(こうぞ)蒸し小屋 和紙づくりのため、楮や三椏(みつまた)を釜の上に積み込んで蒸すための小屋。寄棟造茅葺。間口3間、奥行2間。(説明看板より)



旧下木家住宅  木地師は、欅や樫などの豊富な土地を転々と移住し生活していた。やがてその木地師たちが定着し造った村が「木地屋」。1781年の棟札がある。(説明看板より)



添水唐臼(そうずからうす)小屋    穀類を精白するために臼に入れて杵でつく、水が少ないところ。個人または共同利用した水車。(説明看板より)



久米通賢先生旧宅 塩の生産に寄与した。(カタログより) 

旧中石家住宅  平家落人村の祖谷(いや)の民家。主屋、隠居屋、納屋が一列に並んで建っている。主屋18坪、隠居屋13.5坪、納屋8坪。(説明看板より)

隠居屋 
出入りが楽なように、床を低く作ってある。

旧丸亀藩御用蔵 
丸亀藩の米蔵。江戸時代後期。

アーチ型橋 1901年。

旧福井家の石蔵(カタログより)  
 
こんぴら街道沿いにあった。明治中期。(説明看板より)三崎の義倉 1819年。義倉とは平時に稲や麦を貯蔵して、飢饉の際に種籾や食料の補助として支給する制度。
 
醤油蔵・麹室  醤油蔵2棟と麹室は、醸造家で永年使用されてきたもの。(カタログより)

小豆島の石蔵 1915年。 

旧前田家土蔵 明治時代。間口3間、奥行2間、壁に7寸の厚さに土を塗り、その上を漆喰で仕上げている。屋根は鞘屋根といって二重になっている。(カタログより)

旧丸亀藩斥侯番所 香川と愛媛の県境にある箕浦の港に面して建てられた。地元民の詰めていた番所。18世紀末頃。(カタログより)

旧吉野家住宅(漁師の家) 伊座利地区は、太平洋に面し、断崖の下に孤立した集落。漁師の家。軸組みなどは手斧で削られ梁と大黒柱は特に頑丈につくられている。

異人館ワサ・ダウン住宅

わら屋(うどん)(カタログより)

四国村に隣接する屋島?神社からみる夜景

繕われた足袋 滝田吉一 四国村内の説明看板より  おもとさんの家を訪ねた。 5年ぶりにもなるだろうか。 ご主人を亡くしてからすでに15年程になる。たしか、すでに80歳をいくつか過ぎているはずだ。 年令を思わせぬ若さで、ひっそりと、ひとり暮らしを送っている。何か軟らかいものが良いだろうと、途中で、特に油を抜いて貰った 「うなぎ」の出前を頼んだ。突然訪ねた私におもとさんはびっくりして、そして相好をくずして迎えてくれた。おもとさんは、たくさんの足袋の繕いの最中であった。話をしながらも、おもとさんは、セッセッと足袋の繕いを止めない。ずい分と繕いを重ねた古い足袋ばかりだ。 こんなに繕った足袋では、もう穿けないのではと、私が言うと、おもとさんは、いきなり声を立てて笑い 「オホホ・・・これはもういくら私でも穿けません。ただ長い間お世話になった足袋ばかりです。使えなくなったからと言って、汚れたまま、破れたままで捨てるのが、申訳ない様な気がしましてね、こうして繕ってから捨てるのです。」 しばらくして届いた「うなぎ」を、おもとさんと一緒にたべた。久しぶりのご馳走で大変おいしゅうございましたと言ってくれた。おもとさんは、熱いソバ湯をとき 「うなぎ」に付いて来た粉サンショを振り込み、脂の口がさっぱりいたします、と言って出してくれた。 湯気の中にサンショの香りが爽やかだった。陽溜りの片隅に、ひっそりと水仙が咲いていた。