甲賀町口郭門跡 こうかまちぐちかくもんあと  福島県会津若松市栄町4-49付近





郭門の石垣は、江戸時代に築かれた。会津若松市栄町にある。郭外より若松城の郭内に入る門の石垣、門の内側を侍の屋敷、外側を町民の住居としていた。郭内と郭外の間には土塁が築かれ、外濠があった。城下にこのような門が16ケ所あった。甲賀町口は大手門として他の郭門より厳重な構えだった。現存する唯一のもの。東西8.23メートル、南北19.16メートル、高さ5.2メートル。打込みはぎの手法で築かれている。南面に「蒲生源左衛門尉与力」とある。戊辰戦争の激戦地。

1933年、「甲賀町口郭門跡」「天寧寺町土塁」「三の丸堀跡」が国指定史跡若松城跡として追加指定を受けた。若松城跡は1934年に、国指定史跡に指定。「打込みはぎ」の手法について。城郭の石垣の古いものは,大割りした石をそのまま積み,石の大きさはふぞろいで、すき間が大きく こう配も緩い。これを「野面(のづら)」という。城郭の大規模化とともに,城壁の出隅のように構造・防御上の弱点となる部分より精密加工した石材が用いられた。石垣のこう配の形状も,野面の時期には直線であった  高さが高くなるにつれ,重量を垂直方向から水平方向へと伝えるため,弓状のたるみを持たせた。上部は防御のために垂直に近くした。  江戸時代初期,正面から見て石材相互の間にほとんどすき間のない石垣が作られた。すき間のない石垣の工法を「切込みはぎ」という。それに対し まだすき間のあるものを「打込みはぎ」という。