マチュピチュ

マチュピチュの遺跡にまつわる諸説
マチュピチュ遺跡は、標高2300mところにある遺跡である。「マチュピチュ遺跡」と呼ばれているが、これはマチュピチュ山にあるので「マチュピチュ」と呼ばれているだけであって、本当の名前はわからない。1448円以降、人は住んでいない。遺跡はインカ第7代(1370〜)〜第9代皇帝の間に作られたと考えられている。遺跡は未完成のようで、主神殿など作り替えの部分があちこちにある。この遺跡は何のために作られたのかが謎である。遺跡にどんな人が住んでいたのかを物語るものとして遺跡から発見された遺体がある。遺体は、男の子、女性、老人の20数人の遺体が発見されているが、男性の遺体は発見されていない。太陽の処女が逃げたところという説があるが、梅毒で死んだ人の遺体が発見されているので、この説は正しくない。また儀式的な場所という説があり、老人の先生が若い男の子に儀式の方法を伝え、女性がその男の子たちの面倒をみたと考えられているが、拷問の部屋などがあり、この説もおかしい。遺体には男性のものがないが、これは当時チャンカイ文明が北からインカ帝国に侵入し、クスコ近くまで来たことがあり、その時にマチュピチュの男性が兵役にかり出されてしまったのかもしれなしし、遺跡のどこかほかの場所に男性用の墓地があるのかもしれない。
マチュピチュの街の人口に関しても、いろいろな説がある。畑で耕せる食料や水の量から推定して、人口は1500人だったという説がある。しかし奴隷を使って、下の川に水を汲ませにいかせたり、インカ道でクスコまで行って、食料を買いに行かせたかもしれない。建物の数から計算すると5000人くらいまでは住めるらしい。その建物のほとんどは貴族に屋敷からなっている。しかし、これもこれだけの人数が定住していたかどうかは定かではない。
またマチュピチュの遺跡は、1911年にハイラム・ビンカムがビトコスを探している途中に偶然にも発見したことになっているが、どうも19世紀のころから地元では遺跡の存在が知られており、ビンカムは、実際には、その地元にインディオに遺跡を案内してもらったらしい。その前にも、ピサガラが1894年と1901年に2回、マチュピチュの遺跡で宝物探しをしているらしい。

※ ビドコス = 第13代の王がスペイン人に捕らえられたあと、第14代の王が反乱を起こし、オリャインタンボへ逃げ込み、さらに奥に逃げ込んだ先が、「ビトコス」である。


マチュピチュへ
マチュピチュはクスコのサンタ・アナ駅からアウトバゴンに約3時間半(オリャインタンボ駅からなら1時間)乗ると遺跡にあるマチュピチュ駅(正式名称はプエンテ・ルイナス)に到着し、そこからバスに乗り換えて遺跡に向かう(。電車に乗っていると、左側にウルバンバ川が見える。窓の外をよくみえるとあちこちにインカ時代の遺跡を目にすることができる。
駅につくとたくさんの物売りがいてちょっとびっくり。おばさんから少年まで一生懸命、商売を励んでいる。
駅からは遺跡行のバスに乗り換えて、ハイラム・ビンカムロードで13回カーブして400mの標高を10分で登ると、そこに遺跡への入口がある。

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オリャインタンボ駅。駅前ではおちこちで編み物を売っている。

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マチピチュ遺跡の入口のところから見たウルバンバ川。
マチュピチュ駅も見える。


マチュピチュ市内へ
入場料を払い、ゲートをくぐり、段々畑を歩きながら少し登りインカ道に。そこから街の方向を歩いていくと、目の前に写真でよくみかけるマチュピチュ市街の全景が視界に飛び込んでくる。これを見るとインカの世界に来たんだなあって気分になる。そして葬儀の石のところを通り過ぎ、太陽の門をくぐりぬけて、マチュピチュ市内に入る。

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インカ道から見たマチュピチュ全景

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太陽の門。ここから市街に入る。

太陽の門を入ったところの一画は、2階建ての建物の跡が並んでいる。右手には段々畑が見え、手前右側には貴族の居住区が見える。住居区を過ぎると左側に石切り場があり、石を切り出した跡がある。インカ遺跡は石組の精密さで有名であるが、その石をどのように切り出したのかは諸説がある。ここではその1つの方法として、熱の膨張収縮を利用してうまく石を切り出せることを実験した跡がある。これは、@あらかじめ石に穴を空けて長い棒を突っ込む、A石を火で熱する、B水をかけて急激に冷やす、Cそのタイミングで棒を引っ張り、石にヒビを入れて割る、D砂で石を磨いて削る。これでうまく石を切り出すことが確認できたが、実際のところどのように石を切り出したのかはわかっておらず、もっと簡単な方法があったのかもしれない。

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市街のそばにある段々畑。

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2階建ての建物。

さらに大広場を左方向に進むと、「3つの窓の神殿」がある。この神殿をよく見ると、石を削る場所を示す線や削りかけの石があり、未完成であることがわかる。窓は実際には5つあるが、両端左右の窓2つがふさがれている。その近くには主神殿がある。主神殿は儀式を行う場所らしく、神殿の裏側には聖職者の待ち合い室のようなものもある。また主神殿の一部には、表が3枚で組まれているのに、裏側が4枚で組まれているという不思議な石組みがあり、内部に空間があるのではといわれている。
さらに奥へ歩いていくと、インティワタナ(日時計)とされている石がある。しかし実際のところはわかっていない。このインティワタナの近くには、マチュピチュ区域の模型らしき岩もある。

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3つの窓の神殿の<3つの窓>

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中央に見えるのがインティワタナ

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これがマチュピチュの模型といわれる岩


インティワタナから大広場の反対側に行くと貴族の居住区があり、3階建ての建物などがある。ここにはコンドルの神殿や牢獄、いけにえの台などがある。また丸い形の石臼がある。インカ文明では車輪は使われなかったが、この石臼から丸の存在は知っていたと思われ、山中で車輪を使う場所がなかったため、あえて使わなかったのではと推測されている。

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牢獄。へこんだところに座らせる。手を縛る穴がその両側に空いている。

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コンドルの神殿にある<コンドル>