鴬谷の地名は、この地にあった御隠殿の庭の鴬に由来すると言われている。御隠殿は寛永寺の門主が退位の後の住まいとして造られたものである。
 門主・輪王寺宮は京都の宮家から選ばれ、御隠殿の庭には京都で捕らえた鴬を多く放されたとのことである。
 江戸の鴬は訛りがあって聞き苦しいが、ここの鴬は皆、京生まれなので澄んだ声でさえずると言われていた。

 鴬駅を降り立って、とりあえずどこに行くか考えた。"入谷・鬼子母神"にするか"下谷・七福神めぐり"へ行ってみるか?
 以前から気になっていた「おそれ"入谷・鬼子母神"」という言葉がいつ頃から、何をキッカケに言われ始めたのか聞きたくて、"入谷・鬼子母神"へ向かった。

 入谷・鬼子母神に着いて、そこが"下谷・七福神"の"福禄寿"も祭っていることを知っていささか拍子抜けしてしまった。ここで何人かに、「おそれ"入谷・鬼子母神"」の謎を聞いてみたが…、誰も分からないとのことである。謎は解決できぬまま、そのまま"下谷・七福神めぐり"を歩いた。

 最後の元三島神社はラブホテル街の真ん中にある。昼間なので人通りも疎らであるが、途中で若いカップルとすれ違った。二人とも初々しい感じがした。特に女の子の方は純朴そうな可愛い子で、この場所にひどく場違いな感じを受けた。

 すれ違って、しばらくして、気になって振り返ると、あの女の子が男の子の手を引っ張るようにしてラブホテルに入る様子が見えた。

 「ん〜、"おそれ入谷・鬼子母神"」と呟いてしまった。


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