上野駅のほど近くに、広大な上野公園が広がっている。この上野公園の起源は、江戸時代・家康の頃、江戸城の鬼門にあたるこの上野の地に鎮護のため寛永寺を建立したことによりと言われている。

 京都御所の比叡山延暦寺になぞらえ、上野の山を比叡山に…、不忍池を琵琶湖にみたてての建立で、寛永寺は幕府の祈祷所として、また菩提寺として発展した。

 明治の初めには、官軍と幕軍との上野戦争の舞台となり、寛永寺の大部分はこの戦争で焼失した。焼失後の寛永寺跡地は新政府に没収され公園として整備され、庶民に開放されるようになった。

 明治時代、政府によって国家的行事の多くがこの上野公園で行われた。内国博覧会・憲法発布の記念式典・東京勧業博覧会などの一大イベントが数多く行われた。日本最初の上野動物園も、ウイーン万国博覧会のための動物陳列所をこの地に作ったことが起源となっている。

 今は、西洋美術館・東京国立博物館・東京都美術館・東京芸術大学など芸術・文化の施設が点在している。

 上野駅は長く東北方面から長距離電車のターミナル窓口としてその役割を担ってきたが…、東北新幹線の東京駅への延長にともないその役割を終え、駅舎の重厚な作りは東北からの窓口としての雰囲気を今も伝えている。


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