高田馬場を降り早稲田大学に向かって歩いた。早稲田大学から山吹町あたりかけて太田道灌の「山吹の里」の話しが伝えられている。

 武芸・策略に長けた名将・太田道灌はある日、江戸城を出て鷹狩りに出かけた。飛び去った鷹を追っていると急に激しい雨が降りだした。そこで近くの農家に箕笠を借りようと訪ねると、出てきた若い美しい女性は何も言わず、ただ山吹の一枝を差し出したそうである。
 意味も分からず帰城した道灌は家臣にこのことを話すと、家臣は「七重八重、花は咲けども山吹の実のひとつだに無きぞ悲しき。」という古い和歌にかけて、貧しいゆえ「箕ひとつも無い」と伝えたかったのでは…と教えた。
 自分の無教養を恥じた道灌は以後学問の道にも目覚めたという話しである。

 早稲田といえば、以前から訪ねてみたい場所があった。早稲田鶴巻町である。その日は今にも雨が降り出しそうな天気のなか、鶴巻幼稚園の運動会が開かれていた。
 園児100人に満たないと思われる小さな幼稚園の運動会はアンツーカーの運動場で淡々と進められていた。制服もないこの幼稚園は周囲に住む子供が少ないせいか…、話しに聞く父母の撮影場所取り合戦の様子もなく、あっけないほど簡単に全競技を午前中に終了してしまった。

 午後からもう一周りしょうと思い、その前に古い小さな喫茶店で食事をとった。会計を済ませ外へ出ようとすると、激しい雨がふりだした。店のおばさんが忘れ物の傘を持っていくように手渡してくれた。なんとも言えぬ「山吹の里」の経験だった。


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