巣鴨に降り立つとお年寄りが目立つ。有名な「とげぬき地蔵」の最寄り駅である。巣鴨駅からとげぬき地蔵のある高岩寺までの通りは「巣鴨地蔵通商店街」となっており、年輩の参拝者を相手にした商店が軒を並べ、さながら、ちょっとした門前町を形成している 。

 高岩寺が上野山内の屏風坂からここ巣鴨に移ってきたのは、1895年(明治28年)のことであるが、その信仰は江戸時代・七代将軍家継の頃に遡ることができる。
 小石川に住む田付某の妻が出産後、重い病に倒れた。いろいろな医者に診せ八方手を尽くしたが…、病は悪化の一途であった。そこで、夫は妻が日頃信仰する地蔵に祈願を続けたところ、夢に「地蔵の絵姿(御影)をうつして川に流せ」とのお告げがあり、それに従うと妻の病は回復したという言い伝えが残されている。
 「とげぬき」の名前の由来は、病に悩む者はこの地蔵の御影を飲むなり患部に貼ると、「とげをぬいた」ように治るといういわれからきている。

 境内のベンチには、多くの年配者が入れ替わり立ち替わり座り、新聞を読んだり、折り紙をしたり、その合間に近況を話し合っては満足したように立ち去っていく、ここを中心に"ゆっくり"としたコミュニティーが作られているようである。
 気づいたら、ここでは誰も携帯電話を使っていないし、呼び出し音もならない。

 巣鴨を後に、新宿に戻ると駅周辺には携帯電話を片手に歩く人々が目立った。われわれは知らぬ間に"便利な生活"の幻想の中で心に「とげ」を刺したまま生活しているかも知れないとフッと考えてしまった。


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