当日、新大久保へ向かう山の手線電車は新大久保でのトラックとガードとの接触事故でしばらく足止めをくらった。何とも"…らしい"スタートとなった。駅に着いた時、多くの野次馬の見守る中、撤去作業の真最中であった。

 新大久保駅周辺は百人町と呼ばれている。これは江戸時代、伊賀鉄砲同心百人組の組屋敷があったことに由来する。
 江戸中期、商品経済が発展するにともない、屋敷の庭を利用した武家のつつじの栽培が広がり一大生産地に発展した。その繁栄ぶりは「遊暦雑記」に江戸一番の景観と紹介される程であった。

 大久保のつつじを求めて、路地を歩きまわったが、江戸を思わせるつつじを見つけることはできなかった。

 大久保には以前、仕事で度々足を運んだ会社があった。当時は派手なテレビコマーシャルが話題になっていたが…、その後、放漫経営が原因で経営陣が退陣したと聞いていた。

 その自社ビルは当時のまま存在していた。人の出入りはなく、完全に閉鎖されていたが…、荒廃している様子もなくかえってそれが不気味な感じをうけた。

 フッと目をやると玄関の植木ブロックに水枯れした状態でつつじが植えられ、僅かばかりであるが花も咲いていた。
 "ここでつつじを見るとはね…。"と考えていると、乾いた地面の上をカナヘビが顔を出し、迷惑そうな表情を残して、そそくさと去っていった。
 駅に戻ると、プラットホーム脇のポスターの張り替え最中で、新しいポスターが手際よく上から張られていた。ガードを見ると、何もなかったように車が走っていた。


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