渋谷はまさに山の手線のターミナル駅として急速に発展してきた。今でこそ若者文化の街といわれているが、開設当初は大山街道沿いの宮益坂と道玄坂にはさまれた寒村で、駅の脇には地名の由来になったと言われる渋谷川が流れ、そこには多くの水車が回っていたと言われている。

 その後、渋谷は東京の街の目覚ましい変遷をそのまま反映するように発展してきた。特に70年代からの若者文化を唱った西武と東急のデパート戦争は現在の若者の街-渋谷のイメージを決定づけてきた。

 そんな渋谷の東邦生命ビルのエントランスには92年26才の若さで死んだ尾崎豊の追悼のプレートが"17才の地図"の歌詞とともに埋め込まれ、多くのファンを集めている。
 彼の曲の多くは若さ故の孤独・周囲との葛藤を歌ったものが多く、今も多くの若者に支持されつづけている。その日もギターを携えた若者が、プレートの脇で彼の曲を歌いつづけていた。

 華やか街や人混みから離れた所に、人の目から隔離されたように渋谷川がその姿を見せる。立ち並ぶビルに背を向けられ、コンクリートの護岸に固められ去勢されたようなその姿を見ているうちに不意に尾崎豊の歌を思い出した。
 急速に発展した渋谷にあって、その起源となった渋谷川の今の姿の落差が彼の歌詞とダブり、しばらく見続けることになってしまった。


Next