大塚は今は山の手線でも目立たない駅になってしまったが、戦前は山の手一の繁華街であったといわれている。当時の名残は東京唯一の路面電車・都電荒川線のターミナル駅として窺い知ることができる。

 東京の路面電車は大正から昭和の高度経済成長期前まで、庶民の重要な移動手段として使われ、60年頃の最盛期には都内で40近くの路線が1日160万人以上の人を運んでいたが、東京オリンピックころから路面交通の主役は車・バスに替わった。そうなると路面電車は逆に交通渋滞の原因とされ、経営的な赤字も原因で次々に廃止され、1972年(昭和47年)荒川線を除いた全ての路面電車が廃止された。
 荒川線が都電で唯一残された理由として、線の90%が一般道路と切り離された専用軌道であり、代替バス路線の確保が困難だったことが上げられる。

 以前仕事の関係で東京外国語大学に行くことが度々あり、この荒川線を使った。路面電車に乗れるということを結構楽しみにしていた。その時から停車駅に"荒川遊園地"を見つけ、いつか機会があったなら…と考えていたことを思い出した。
 いつか…と思っていた"荒川遊園地"は梅雨の平日ということもあり、それほど広くない園内は悲しいくらい人影がまばらで、遊技施設は利用者がチケットを買って係り員に渡してはじめて動き出すほどだった。ここでしばらく平日の午後の一時を楽しむことができた。

 帰りも荒川線を使って大塚へ戻ったが、路線の脇の淡い色の紫陽花を見つけ、今さらながら梅雨の晴れ間を実感した。


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