古くは、太田道灌が江戸を開いた際のこの地に出城を築いた日暮里の地であるが、当時は新堀(につぽり)と呼ばれていたそうである。江戸時代には、高台だった地形もあり、庶民の花見・富士見・行楽の地として名をはせ、「その日暮らしが楽しめる里」という意味も込められ"日暮里"と呼ばれるようになったとのことである。

 日暮里駅を降り、谷中の墓地の脇を歩いて谷中商店街へ行く途中に階段の坂道がある。その坂道に柵に囲まれた空き地がある。

 冬の日差しの中、猫が昼寝をしていた。撮影していると次から次に猫が横切る。その数にも驚かされたが…、彼らの面構えに戸惑いを感じた。冬の日差しの関係もあるのだろうが…、人には媚びない険しが感じられた。どの猫も太り、毛づやがいい分その表情はふてぶてしささえ感じられた。
 近所の人の話を聞くと、最初一匹の野良猫が住み着き、気のどくに思いエサを与える人が出始め、一匹また一匹と増え、それを見てここに猫を捨てる人もいて現在の状況になったそうである。

 猫達に毎日エサを与えている女性がいた。猫達がゾクゾクと集まり、17匹まで数えたが…、後はどれがどの猫かわからない程だった。
 エサを与えている最中に、女性に向かって、「エサを与えるから、野良猫が集まるだ」と注意する人がいた。彼女は「でも、エサをやらないとこの子達は死んじゃうよ」と答えていた。その話しぶりから、この会話は何度ともなく交わされている問答のように感じられた。
 猫を捨てる人、それを可哀想に思ってエサを与えつづける人、猫達の存在に眉をひそめる人、誰が一番無責任なのかと考えていると、「ちょっと、話しを聞いただけで、薄ぺらな倫理感で話すアンタみたいな人間が一番ムカックね…。」と黒猫に言われた。

「その日暮らしが楽しめる里」-日暮里の夕暮れだった。


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