目白駅を降り、目白通りを東に歩くと、雑司ヶ谷・鬼子母神参道にぶつかる。
 鬼子母神は夜叉神(ヤシャジン)の娘であり、嫁いで多くの子供を生んだ。しかし、その性格は大変暴虐で、母親でありながら近隣の幼児をとって食べるほどで、人々からは恐れ憎まれていた。
 このことを聞いた釈迦は、その過ちから帝母を救おうと、彼女の末の子供を隠してしまった。彼女は深い悲しみに突き落とされた。釈迦は彼女に「千人のうち一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を喰らう時、その父母の嘆きやいかん。」と戒めた。
 彼女は今までの過ちを悟り、仏に帰依し、安産・子育ての神になることを誓ったそうである。

 雑司ヶ谷の鬼子母神は鬼形ではなく、幼児を抱いた菩薩形の美しい姿をしているため、鬼子母神の鬼の字はツノ部分を削った字で表されている。

 母親同士も親しく付き合っていたはずが、「心のぶつかりあり」から子供をトイレで殺した事件の現場はここから歩いていける距離であった。
 母親の自首した日ということもあって、現場の幼稚園には報道クルーが多数おしかけていた。結果的には自分も野次馬の中に飲み込まれる形のなった。そんな脇で、二匹の猫がすざましい剣幕でにらみ合いのケンカをしていた。なにもこんなところでケンカをしなくても…という感じだった。
 現場のトイレの前には、多くの花が手向けられていた。冬のきつい斜光のなかで白い花がその悲しみを表しているかのように感じられた。

 なにも鬼子母神のこんな近くで…、


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