巨大都市-東京というカオスの中で自己という存在を不安に思い、見つめ直すことがある。

 日常的な人々の雑踏の中で一人立ち止まり、フッと自分一人の存在のあやふさを不安に感じる。
 しかし、この自分とは関係のない早さで流れる雑踏の人たちからは、自分の存在理由を聞き出すことはできない。
 なのに、人々は満たされない不安感と限りない焦燥感を抱えたまま、なお深く雑踏の中へ入って行く、複雑なカオスの中で自分自身の存在価値を再確認しょうとするためであろうか?

 無言の問いかけは何ら問題解決の糸口にはなりえないのではないだろうか…。
 自己の存在意義は他の人との共有で初めて証明されるはずであり、有機的に共有された関係が初めてここカオスでの自己の座標軸となりえるのではないだろうか…。
 人々は漠然とそれを求めて、雑踏という流れに自己を手探りで探すために入って行くのであろう。


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