多摩ニュータウンの建設は昭和41年(1966年)から始まった。

 当時、日本の高度経済成長に伴い、東京-首都圏への人口集中が著しくなり、絶対的な住宅地供給不足が表面化してきた。
 多摩ニュータウンの建設は行政主導による大規模な住宅供給建設計画である。

 当時、ここら辺一帯はまだ開発の進んでいない巨大な手つかずの自然が残された丘陵地帯であった。地域的には薪炭林の供給地・蚕生産地であったが、エネルギー環境・産業構造の変化からその多くは低廉な未利用地であった。

 そこに、東西14Km、南北2〜4Km。面積3,014ヘクタール。計画人口375万人の大規模建設計画が進められた。

 丘陵の自然は人間の都合のいいように整地され、丘陵の起伏の基本線を残しながら、意匠の凝らした建物が次々と建てられ、都合のいいように緑が配置され、"豊かな自然環境"を謳い文句に販売され、今も開発・建設は現在進行中である。

 "豊かな自然環境"のすぐ隣では、今日もブルトゥザーが計画図に基づいて、丘陵地帯の自然を整地している。
 人間はもはや自然に対してそこに立ち入り、活動するだけで破壊というダメージを与える傲慢な存在になっているのかもしれない。

 人間は自分たちの都合のいい"豊かな自然環境"を求めて、さらに自然を整地し続けていくのだろうか。


Next