"Lucky Dragon"とは1954年ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸の英語表記名である。

 第五福竜丸は敗戦の2年後の47年にカツオ釣漁船「第七事代丸」として産声を上げた。53年焼津に移りマグロ漁船に改造され第五福竜丸と改名された。当時は戦後の食糧確保の時代の中、遠洋漁業が行われ、第五福竜丸も遠く赤道までマグロ漁に就いていた。
 1954年3月1日、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被爆、「死の灰」を浴びた。アメリカの指定した危険水域の外で操業中のことであった。乗組員達は体の不調を訴え、急ぎ寄港したが、乗組員全員重度の急性放射能症と診断された。
 必死の治療も空しく、9月には一人が亡くなり、人類史上最初の水爆犠牲者となってしまった。乗組員の多くのが急性放射能症で亡くなり、生存されている人も何らかの障害で今も悩まされているという。

 一方、第五福竜丸は国によって買い上げられ、東京水産大学の練習船として改造され、名前も「はやぶさ丸」と改名された。67年老朽化を理由に廃船となり民間スクラップ業者に引き取られた。
 エンジンは転売され別の貨物船に積み替えられたが、船体は当時のゴミの島と呼ばれたゴミ埋め立て地で埋め立てられるを待つ状態だったという。
 市民による「平和・反核のシンボル」としての保存運動が生まれ、76年東京都による保存・展示施設「第五福竜丸展示館」が作られ現在に至っている。

 第五福竜丸のエンジンを積んだ船は68年三重県御浜町沖で濃霧のなか座礁、エンジンも海底に眠っていたが、96年地元市民団体の手によって引き上げられ東京都に寄贈され、現在「第五福竜丸展示館」前に展示されている。実に30年ぶりの再会が実現した。
 何とも数奇な船としての歴史である。それ故か、展示されているエンジンのシリンダー部分が何かしらを訴える顔に見えてくる。

 辞書で調べたら、"Dragon"には"厳格な監視人"という意味がある。Lucky Dragon"幸運で厳格な監視人"とは何とも因縁めいたネーミングとなっていると苦笑いしてしまった。


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