ぼくの師

吉川英治さんの言葉「我以外皆我師」は私の座右の銘です。
ここは「我師中の我師」のページです。
Last Update 990214

Motoo Nakanishi 中西元男
 中西さんとは最初、彼の愛挺PASEAOSで会いました。船、ダイビングなど海好き、旅好き、収集好きな方で、日本型CIのパイオニアでもあります。最近は中国を中心にアジアのデザインに新しい息吹を吹き込もうとなさっています。僕にとっては色々な意味で「デザインとのかかわりの師」といった存在です。

Sigeharu Yatoh 矢頭成元
 40歳をすぎて、湘南の海で矢頭さんの愛挺Parumilaに初めて乗せていただいたときから、ぼくの何度目かの、また新しい「海に夢中状態」が始まりました。水平線と空しか無い、ただただダダッ広いだけの海の上に艇をとめて、漂いながら一服している時、「人生ってほんとうにフローだよなー」と語りかけるでもなく語りかけられて、「そうですよねー」なんてつぶやくように相槌をうったりしたあの時の海は、ぽかぽかと暖かく、何処までもボーっと広がっているような、薄く霞んだ、青い春色の浮遊空間でした。

Shozo Yamashita 山下正三
 「まず、その長髪を切って背広を着てみよう。ビジネスの世界ってところは、流れ矢がどこから飛んできてブスリってことになるか分からないからな。たかが背広だが、君にとっては戦場に出てゆく鎧ってとこかな。」20代後半で制作現場しか知らなかったぼくに、最初にビジネスの世界を覗かせて下さったのが山下さんでした。大きな仕事をこなしダンディで長身の山下さんは「将軍」と呼ばれていました。
Akira Tsuru 都留 晃
 「男の子の決めたことに何も言うことはないよ。がんばれよ。」.......... お願いして、お世話をかけて入れていただいて10年経って、やっと仕事も人並みになりそうになった頃に「会社を辞めようと考えているんですが。」という僕を、都留さんは爽やかな一言で後押ししてくれました。彼の後ろには世代を越えて沢山の元若者たちがいて、各人が<都留一家>を自負しています。
Ichimei Hasimoto 橋本一明
 一明さんはもともと次兄玲二の親友でした。僕が上京した19歳のころ、先生の家の書生として、多氏才々が集う世田谷代田の居間の片隅で当時の先端文化の片鱗に触れることができました。文学、映画、演劇、音楽、山登り、スキー、恋愛、社会、歴史と、湧き出る泉のように話題は尽きることがありませんでした。一明さんは42才の若さで亡くなりましたが、その純粋で深くてやさしい先生の見識は、いつも僕の考え方の中心にあります。