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『運命』 2000年4月29日

 

  ジャジャジャジャァーン!

 クラシックを知らない人でもよく知っているこのフレーズ。ベートーヴェン、交響曲第五番「運命」第一楽章で繰り返し演奏されるフレーズである。

 これは、よく映画やお芝居でショッキングなシーン、悲運を表すテーマ、運命の無情さを表すテーマとして用いられることが多い。だから一般的に重いイメージのするフレーズでもある。

 昔、音楽の授業で、このフレーズは”運命の扉を叩く音”だと聞いた覚えがある。そう思って聴くと、私には前向きでパワーのあるエキサイティングなフレーズに聴こえてならない。今、実際、聴きながら文章を書いているのだが、このフレーズの後に、静かなフレーズが続いたり、激しいフレーズが続いたりしているのを聴くと、運命の扉の向こうに、いろいろな物事が待っているというのを表現しているのではないだろうかと思える。

 私はクラシックとかには詳しくないので、この解釈が正しいかどうかは解らないけど”運命の扉を叩く音”というキーワードを元にこの曲を聴くと”運命の扉を思いっきり叩いて、その向こうにある何かを手に入れよう!”というような、行動的で力強い印象を受けずにはいられない。

 ベートーヴェンは若い頃、耳の聴力がなくなるという、作曲家としては致命的な病気に冒された。

 そんな皮肉な運命に対して、彼は作曲家としての道を諦めず、運命に対して挑んでいった。その挑戦が、悲劇的な運命に打ち勝ち、耳が聞こえなくてもすばらしい曲を生み出す事が出来たという、新たな運命を得る事となった。そんな彼の運命というものに対する想いがこの曲には秘められているのだろう。

 見方を変えてみれば、聴覚を失われるという悲運が、このすばらしい曲を残したということにもなるのかもしれない。もし彼がその悲運に出会わず、運命というものは何かを考えなければ、この曲は世に生まれ得なかった。そう考えると不思議なものである。

 この曲は、悲惨な運命、神がかり的な、決まり切った物事という意味での運命というのではなく、運命とは、自らその扉を叩き、切り開いていくものであるということを表現した曲なのだ。

 私たちはとかく”運命”と言う言葉を、”最初から決まっていてどうにもならないもの””人の力ではどうにもならない悲劇””避けられない事実”など、消極的で受け身的な意味で使っている。このフレーズが悲劇的シーンなどでよく使われるのもそういった”運命”という言葉のイメージからくるのであろう。

 そして、時にそれを逃げ口実に使ってしまう。「運命だから仕方がない」っていう言葉だ。しかし、人間に決まった運命とは「いつか死ぬ」ということだけだと誰かが言っていた。つまり人間にとっては、死ぬという事以外に絶対的な運命というのは存在しないのだ。

 歳をとって死ぬときに、自分の人生の全体を思い返して、ああ、あれが運命だったんだなと思い返すことはあっても、現状や明日の事柄に対して、さらには近い過去の事に対して、これは運命だ、あれは運命だった、運命に違いないと決めてかかるのは間違いだ。

 過去の過ちから学ぼうとしないとき、現状に対して自分を慰めるとき、予想できる未来に対して、行動を起こさない言い訳として、運命という言葉を使う。つまり、私たちは運命という言葉を使うときには、それを逃げ口実として使っている場合が多いのだ。

 しかし、運命という意味はなにも悪い意味ばかりではない。幸運とは幸せな運命と書くように、いい運命というのもあるのだ。だから、どうせ同じ運命という言葉を使うなら、悪い意味で逃げ口実で使うよりも、いい意味で使いたいもの。過去の辛い出来事も、現在の悪い状況も、未来の幸運に対する前置きに過ぎない。ベートーヴェンの耳の病のように、新たな運命の複線に過ぎないと考えることもできるし、未来に関しては自分の都合のよい運命を考えることもできる。

 運命という言葉のあとに”諦め”とか”決まり切ったこと”という言葉を続けてはいけない。昔の偉人が言ったように「運命とは自分で切り開くものだ」という心構えで、積極的に運命という言葉を使おう。
 そう、運命というのはその人の行動によって導かれるものなのだ。最初からすべて決まり切った運命というものはない。決まり切ったと思う事で、自分の運命を自ら固定しているにすぎないのだ。

 私たちがこの瞬間、やっていること、考えていることが、全体的な運命の流れを決めているのだ。その事を意識して生活を送れば、もう運命というのは怖くない。
 悲しい現実も、つらい物事も、あなたの運命ということに対する解釈によってどうとでも変わる。

 自らを運命という言葉で縛って、動けなくなる前に、私たちは私たちの中に運命というものを変える力を持っていることに気づかなくてはならない。そして本当の意味での運命とは死ぬときにしか解らないという考えをしっかりもって、運命という言葉にもてあそばれないようにしなければならない。

 さあ、私たちも自ら運命の扉を叩き、その向こうにあるすばらしき運命、エキサイティングな世界へと足を踏み入れようではないか。その先にあるのは幸運か悲運かはわからないけど、思い切って運命の扉を叩き、新たな運命へ挑んでみようではないか。