B R I A N E N O
SOUND AND LIGHT JAPAN
JULY & AUGUST 1989
1・2
TENKAWADAI BENZAITENSHA 奈良県天川村 ………21JULY
SEED HALL 東 京 渋 谷…………29 JULY〜10 AUGUSUT
XEBEC HALL 神 戸……………………………19〜27 AUGUSUT
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TALKING ABOUT “ORIGINAL VISION”
ここ数年間に僕がやってきた仕事に至までの過程を皆さんに説明をしたい。ちょっと長ったらしく感じるかもしれないけど、僕自身はこの過程の段階を良く把握しているからとても良い例だと思う。いつもなら何かを作り上げる段階をあまり良く理解しないことが多い。何かを見て他のものと並べたりしていると誰かが“何か展示できるものはあるか”というと僕は“これはどうかな”と答える。直感的なプロセスだ。ここで述べるプロセスというのは僕がビデオに興味を抱き始めたプロセスであり、どういう段階を得て、ここまでに至ったかを僕ははっきり覚えている。以前から僕はビデオ・アートに対してかなり疑問を抱き、決して好きになれなかった。例外はあるが今でもあまり好きではない。どちらかというと気取りのあるテレビとしか思わないし、もともとテレビも好きではないから気取ったテレビといったら最低だと思っていた。だからいつもビデオを毛嫌いしていたが、回りの人達に“君はマルチ・メディアの人間だろう。何故ビデオをやらないのか”といわれてきた。とにかくビデオに対する興味など一切なかった。1979年のある日まではね。
あれは多分僕がレコーディング・スタジオにいたときフォリナーというバンドのローディーがやってきて後ろめたそうに振り返りながら“誰かビデオ・カメラ一式買わないか”といった(場内笑い声)。それがとても安かったので“僕が買う”といった。(場内爆笑)今売っているビデオ・カメラはオート・フォーカスで光の調節などすべて機械任せでとても便利で扱いやすいけれど僕があのとき買ったのはパナソニックの工業用カメラで、今と違ってそのカメラは、そういう便利なものがなく全部手動だった。それが逆に良かったのだと思う。とにかく急いでビデオを家に持ち帰り、箱から取り出し、説明書が入っていたけれどそれを捨て、カメラをセットした。三脚が必要だということも思いつかなかったし、カメラも結構大きかったし、底には出っ張ったものもあったので、カメラをきちんと立たせることができなかった。しかたなく窓辺に横に寝かせて置いた。もちろんテレビに映った映像も横になっていたので、RCAの古くて大きいテレビ・モニターも横に倒した。
モニターに映った映像はとても新鮮だった。あんなもの今までTVで見たことなかった。(笑い声)本当だよ、今までとは全く違ったものだった。まず第一に変化のない映像だった。これはテレビではあり得ないことだ。だってアメリカでもイギリスでもテレビ番組はパッパカパッパカ編集された映像だらけでしょう。でも僕の映した映像にはそれがない。当時僕はマンハッタンに住んでいた。ビデオ・カメラを窓辺に置いて、そこからマンハッタンのダウンタウンを映した。モニターに映し出された映像は、ツイン・タワー、ビルの屋上そしてゆっくり流れる雲。時には鳥が飛ぶのも写った。それを見た僕は“初めてこんなに美しいものをテレビで見た”と思った。カメラはまともに映像を映し出すことができず色合いが多少おかしかったが、それがかえって良いコントラスになりとてもドラマチックな映像になった。 だからその日から僕はビデオ・カメラとテレビ・モニターを正しい位置に置いて使うのを止めた。その理由は僕自身がわくわくできるからだった。テレビを見ているのにテレビを見ている気がしないという感覚がとてもエキサイティングだった。
そこで僕が何をしたかというと、窓越しから見える風景を1日2〜4時間ほどビデオ・カメラに収録した。そして夜になってその映像を再生したんだ。部屋の隅には雲とかその日に映した映像が流れる。時たま、ビルの向こう側にある美術学校を映したり、学校の窓から人々が勉強してる姿や、煙草を吸ったり、コーヒーを飲んでいる光景が見えたりするんだ。そういう映像を僕は真剣に見てみたり、他のことをしながら、例えば電話しながらとか音楽を聞きながら何となく見たりした。ただずっとそのビデオをつけっぱなしにしていたんだ。絵画、どちらかというと変化していく絵画を見ているような感覚でそれがとても面白いと思った。
そこで僕はそういった映像をテレビで見たいと思った。ドラマでもなく、動作やナレーションでもなく、絵画がみたいと思った。テレビが単なる物語を伝えるものではなく、また僕が編集など余計な手を加えず、ただ純粋なイメージを伝えるものという視点からテレビをとらえ始め、それから意識的にビデオ・ペインティングというアイデアを発展させていった。面白いことにテレビを通して世の中を見ると、その映像には手が加えられていないのに係わらずいつもとは違う視点から世の中を見てしまう。これはよく試してみるのだけれど、テレビを窓の外に向けて外の風景の映像を映すと、普段窓の外を眺めない人々が集まり座ってスクリーンを見るんだ。
画面に映る映像は相当違うものに見えるらしい。これはとても不思議なことで、僕も理由が全くわからない。それからずっとビデオ・ペインティングを続けていくうちに様々な形態を取り入れ、そして音楽を付け加えて、今度それをどこに配置するかも考え始めた。第一に僕はテレビ・モニターを元来のテレビ・モニターとして使っていないから全く別なところに置いてもいいんじゃないかと考え始めた。そこで僕はニューヨークのグランド・セントラル・ステーションとラ・グァーディア空港、または人々が見て喜んでくれそうな場所で個展を開いた。そして結果的にはとても好評で、大半の人が喜んでくれた。そして1983年にボストンICA(Institute of Contemporary Arts現代芸術協会)で個展を開いてみないかといわれた。
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