
interview 1997
僕はファッションデザイナーなんですが、ショーをする時にまず一枚一枚の布から服を作っていくわけです。それと同じように音楽も一つ一つの音から作られると思うんですが、今回の「The Drop」を作るにあたって、何かイメージ的なものやちょっとした出来事がその音作りの発端になったんでしょうか。
いや、そういうことを意識して作るわけじゃない。私の作品は自分がやってることの寄せ集めのようなもので、だからいろんなことをやっていられるわけだ。自分がやっていることのいくつかが互いに作用しはじめ、一つの同じ場所にあるようなものなんだよ。そのことがわかったら、それらを一緒にためておく。それから、いくつかのものをそういうふうに際立たせ、それ以外のものから一歩進ませることは、それからだ。つまり、それが私を惹きつける感情的な本質をより高められるようなところで、美しいと思うもの、今まで聴いたことがないものを耳にした時、それは別に素晴らしい作品でなくても、私が聴きたいもの、私が理解するものであれぱいい。そこにある世界が提示しているものを理解するために私は何度も繰り返してそれを聴きたいと思うわけだ。
じゃあ、いわゆる一つの曲っていうのは、無意識にある世界ということです?それとも、あなたの心の中にある世界が知らない内に何かを感じているというようなものなんですか?
私はどこにその世界が存在するのか探し出す方法として、音楽を利用しているのかもしれない。私がアーティストとしていつもやっていることは、私を惹きつける何か、私を前へ進ませる何かを作ろうとすること。それから、それがどんな世界に属するかを考える。この音楽はどんな世界に存在するのか?その音楽が提示するのはどんな世界なのか?なぜ私はその世界が好きなのだろうか?それは私の中にあるからなのか?その世界は私が存在したいと望む世界だろうか?こうして私は未来がどこに存在するのか見つけるために音楽を利用しているのだ。
新しいアルバムを聴いたんですが、とても力強いべースサウンドがフユーチャーされていて驚きました。「Third Uncle」でももちろん強いべースサウンドはありましたが、どれをとっても今回のあなたの新しいアブローチは「Third Uncle」とはまったく別のものだと感じました。こういうべースサウンドはどこからくるのですか?
私は声を除いては他のどの楽器よりもべースが好きなんだよ。私が最も好きなのは声。だが、べースは私が常に聴いている楽器なんだ。レコードをかける時はいつも歌詞を聴くということはない、誰が何を歌っていようと私には全く関係ないんだ。私が気にするのはべ−スプレイヤーがやっていること、私にとって楽器とはアフリカの音楽と我々がやっていることが強くリンクしているもののことをいうんだ。
数百年が経ち、人々がいまのこのロックの時代を振り返った時、ロックもアフリカの音楽の支流だということに気付くだろう。成長した木をひっこ抜いたら案はそれがアフリカ音楽と呼ばれる素晴らしい木だったということなんだ。それはハイブリツドで、結局アフリカからきたものなんだよ。そして本当に強くリンクしているのはドラムではなくて、べースの演奏だ。ドラムよりもべ−シストの方が、アフリカ音楽の調子に似ている。ロックミュージックがエキサイトなのはいつも感じるが、それはウエスタンと特に昔のイギリスやケルトの伝統的な歌にアフリカの伝統音楽がミックスされた、要するにクロスオーヴァーの音楽なんだ。それはとても強カなコンビネーションだ。アフリカ音楽は実際のところ世界を覆っている。例えばアラブ音楽もそうだ。アラブ音楽はアフリカ音楽に端を発し、ゴスペルヘと流れている。こういう音楽の系譜を知るのは実に面白い。
ということは、あなたの作品のサウンドはアフリカの…
まあ、そうなるんだろう。というのも、私は人生のほとんどをナイジェリアのボップミュージックを聴いて過ごしたからだ。ナイジェリアのポップミュージックは他の音楽にもかなりの影響を与えている。信じられないほど強カな音楽だよ。本当に素晴らしい。
僕にしてみれば、あなたの強いべ−スサウンドは骨組みのような構造をしているふうに感じます。アンビェントなメロディーラインは美しく一曲の中に繊細に流れています。そこでお聞きしたいのは、それぞれのサウンドにはそれらを一曲にまとめる時に、どういう意図があってのことなのでしよう。
あなたがデザイナーということなので、服を例にとって話しましょう。人々が生地というものに突然気付いたのは約8年前で、人々はイッセイミヤケが作る服のような服を作っていた。つまり生地のまったく違うもの、そして次はシースルー、その次はゴム素材のようなもの、というふうにね。私はその時代のデザインが好きだったし、非常に美しいと感じていた。
私がやっていることは、一着には一種類の生地だけ使用するというものではない。例えぱ、ドラムが一種類の生地だとしたら、他の素材としてべ−スが必要になる。また、別の系材をトップにもってきたいと思う。別れた世界にある音楽という服が一着の服に含まれる、こういう考え方を好む。そこには一つにまとまることのない、いくつかに別れた世界がある。それらの世界はお互いに刺激し合うわけだ。一つにまとまったりはしない。常に衝突しようとしている。いまのデザインにもこのようなお互いにぶつかり合うというエネルギーは充分にあると思う。私はつまり、こういうことをやっているというわけだ。
今回のアルバムを聴いたとき、積極的で非常に力強いものを感じたのですが、特にそれぞれのトラックのイントロ部にある、力強いメッセージにそれを感じました。
もしそれを衣服に置き換えていうなら、ラバーブーツにネグリジェを着るようなものだといえるだろう。いやレインブーツみたいなものだな。レインブーツと虹色のネグリジェ、そして下にはラバーブーツとコンドーム以外は何も身につけない…っていうのはいいアイディアだろ(笑)?
(笑)素晴らしいアイディアをありがとうございます。多くの人があなたの音楽を聴くと思うんですがリスナーとクリエイターとの間にある距離については、どう思って聴くと思うのですか。
いや、リスナーについては考えるよ。私にはリリースしていない作品がたくさんあるが、それは明らかにリスナーとの関係における私の考えの中で確かなものではないからだ。もちろん自分が一番最初のリスナーだ、だから、自分自身の音楽への関係を考えるわけだ。それに他の関係よりも真剣に考えている。理由の一つには、経験が自分は他人とそんなに違わないと教えてくれるからだ。幸運に自分は他人より少しだけ早いと言うことなんだ。
だから私がレコードを作るとき、何か音楽を作るとき、もしそれが本当に興味のあるものなら作るし、他人にも興味を持ってもらえると確信する。そのために一生懸命になりすぎる必要はない。しかし、いくつかは個人的な理由で私を駆り立てることがある。例えば、私は特定のリズムが興味があるのだが、そういうものに興味を持たない人もいるわけだ。だから、音楽を作るのにもっと充分な理由を見つけなければならない。それはつまり他の人々も同様に感じてもらうことだ。個人的な理由であってはならない。
どうして僕がそういう質問をしたかというと、日本では若い人たちが、特に家の中でTVゲームをしているんですね。つまり、人間同士のコミュニケーションがなくなってきています。すべての情報は雑誌やテレビのコマーシャルで得られるし、すべての音楽はCDで聞け、テレビゲームにも音楽が入っています。私はテレビやファッション、そしてこれらすべてのようその一つに加わって、音楽というのは人々とコミュニケーションができるものだと思うんです。
どうだろう。人々はそれぞれの感覚で音楽を聴き、我々はすっかり音楽への免疫ができてしまっている。例えばギャラリーに行き、絵を観、そこからその絵に感動するのだが、それはそこから音楽に対する免疫がないからなんだ。それはあらゆる場所で絵を観ることができないからだろう。しかし、音楽を聴くことに関しては違うと思う。その理由の一つにはクラブということがあげられる。クラブで音楽を聴く場合、それはある意味で他では聴くことができないわけだ。しかし、世界の中には音楽が溢れている。私は、音楽にも10年間の禁止令を出すべきだと思うよ。実際そうなったらみんなが持っているレコードの90%は、差し押さえられるだろうね。
INNATURAL97.10 interview TAKAO YAMASHITA さん。どうも。