
interview 1991
グラスノスチ以降のソ連(現ロシア)ロック・シーンの仕掛け人、そして東京、パリ、ミラノなど、雑多なものが入り乱れる世界中の文化的スポットでパフォーマンスを行うビデオ・クリエイターなど、ポップ・スターという存在からはるかに遠ざかっていたブライアン・イーノだが、昨年発表されたジョン・ケイルとのコラボレーション・アルバム「ロング・ウェイ・アップ」で、久々にポップな側面を見せ、多くのフアンを喜ばせてくれた。アヴァンギャルド、アンビエンス、そしてポップと、形態が変わりこそすれ、彼の生み出すシンセサイザー・サウンドはいつの時代でも色あせることはない。イーノがシンセサイザーについてどう考え、どんなアプローチをしているのかを、ロンドンの彼のフラットで訊ねることができたので、ご紹介しよう。
テクニカルな革新性で広く知れ渡っているブライアン・イーノは最近「シンセサイザーはいろんなノイズを出しずぎる。少しばかり単純化してもいいはずだ」という驚くべき発言をした。これは彼が,スーツケースに入ったEMSという昔を懐かしがってるということなのだろうか?
確かにEMSをまだ持ってるけどね(笑)。そういうのを懐かしがってるだけじゃなく,自分の一部は今でもその時代に生きているんだ。あのコメントをもうちょっと詳しく言うとすれば,僕の好きなシンセサイザーというのは,スイッチを入れるとずぐに,何か面白くてすごいことができるようなやつなんだ。現在、ミュージシャンの活勧の多くは、ほんの些細な部分を変えたり、世界を救うようなサウンドを見つけることだ。目の前真っ暗いよ。自分の欲しいものを見つけたり,それを変えるために,まず20ページものマニュアルをめくらなくちゃいけなくて,そのあげく出てきたのが自分の求めているものじゃなかったりすると,また9ベージ前まで読み返したり……。とても原始的で哀れなものだ。もっと単純なシンセサイザーをという僕の提案は,優れたものをうっちゃってしまえということじゃない。僕がやりたいのは洗練されたレベルのものを違うやり方で提示ずるということなんだ。
例えばイーヴンタイドのハーモナイザーH3000みたいな素晴らしいオモチャは,とてもシンプルで,かつ,はっきりした成果を出してくれるレベルから扱える。ツマミを回せばディレイが長くなったり、短くなったりするとかね。そしてその他に“専門的”と呼ばれるレベルのものがあって,これはブログラムの構造全体が変わるから,理解するのが難しい。どこのシーケンスが鳴ると、何がなにをモジュレートする……という具合にね。
シンセサイザーの問題点は,全部をミックスしてしまったことにあると思う。もうジャングルみたいでガックリするよ。使うたぴにいつも,シンセサイザー全体の構造を相手にしていることがわかってくるんだ。例えば,DX7の音色を変えるっていうのは大仕事だよ。まるまる30分はかかってしまう。
ほとんどの人は楽器が出せる音,あるいは使いもしないブログラムから始めると彼は言う。しかし,イーノはDX7をよく使い、最近になってだんだんその面白さがわかってきたとも言っている。彼の最新ハードドウェアに対する消極性は,パイオニア精神で名高い人間とは相容れないように思えるが、それに対して弱々しく笑いながらこうつけ加えてくれた。
僕はいつも考えてるんだ,“神よ,私は何か別なものをものを使わなければならないのでしょうか!”今ではDX7はとても時代遅れなものなんだけど,僕はすっかりこれに親しんじゃってるんだ
親しむということは,彼の音楽作りの方法にはとても大事なことだが,それを象徴するように,彼は別の芸術形想を比喩に使って説明をする。
もし絵を描く人なら,2Bの鉛筆に対して2Hの鉛筆がどんなものかを知っている。つまり、ひとつの道具を使えば使うほど,その性質をよく理解すようになるんだ。僕はシンセサイザーを使ってるほとんどの人が陥っている--500種類もの音がありながら.そのほとんどが使えないという状況になっことがないんだ。曲を聴いている時に“あそこにぴったりの音があるぞ”という場所を見つけることあるんだ。それで僕は5つか6つくらい,似かよったウンドのブログラムをチェックして,その中からひとつ選ぶ。僕の音の整理の仕方がいい加減なんで,探すのにいつも手間取るんだけどね。しかしどうにか見つけ出して,それを曲にぴったりフィットするように改良するんだ。
道具,仕事。イーノがこんな率直な言葉を使うのを聞くと,彼の音楽や使用機材に対する姿勢のようなものが見えてくる。D×7と格闘した話は,彼が我々とかけ雛れた人間ではないことを示しているが、学んだり苦労をしたりといった我々の普段の活動を見ると,ミュージシャンのために機材があるのではなく,むしろその逆のような感じがずる。それが優れた機材ならなおさらだ。
そういえばヤマハの人が,メインテナンスのために戻ってきたシンセサイザーのうちの80%は,全然プリセットのプログラムをいじってなかったって言ってたな。それで僕は“その人たちのことをとやかく言えない。ミュージシャンはバカばかりじゃなくて、切れるやつは多いんだ!だけど,機材そのものがいじってみようとさせるほど刺激的なものじゃないとしたら,それは君たちの責任だよ。ユーザ ーの問題じゃなくて設計の問題さ”と言ってやったんだ。
つまり、彼の理想のシンセサイザー構想は.いろんなレベルのコントロールがあるということだ。より突っこんだ プログラミングをずる妨げにはならないが、,ごくベージックな一般的コントロールは独立することになる。彼は全体の仕組みを,ギターにあるトーン・コントロールと切り換え可能なピック・アッブ・ポジションにたとえている。どんな場合であれ、イーノにとってシンセサイザーは,マイキングとか部屋の音響のように 、ひとつの要素、サウンド・ブロセッサーを使った素材に週ぎない。私は彼に,古いシンセサイザーの楽しみの半分は,演奏の中でちょっと変えてみたり、どんな音が出るかちょっと試したりできたことにあったんじゃないかと水を向けてみたら,まったくその通りだと,きっばりと答えられた。彼によれば“まさに,再びそうなってほしい”のである。
本当にこれがイーノだろうか?という奇妙な感じがしてきた。あの先進性のチャンピオンは過去に向かって突進してるのだろう?では,サンブリングについて彼はどう感じているのだろう。サウンドを操って成功を収めたとされる伝説的人物にとってこれは大いなる誘惑であったはずだ。
ちょっと前にも友だちに言われたよ。“面白いな君は数年先を行ってると同時に数年遅れてもいるんだから”って(笑)。昔はサンプリングに対して否定的だった。その可能性に対してじゃなく、一般的な使われ方に対してね。僕が気に入らないのはその混乱具合……ある種,頭でっかちの音楽の作り方だ。例えばホーン……このホーンという言素で,ホーン
を使ったと思ってしまう。聴くこととは無関係。も聴いたならそれがホーンじゃないってわかるはずだ。それが何だかわからないけど,とにかくホーンではない!原音に対して忠実でもない。周波数帯が20kHzかどうかなんて誰が気にするってんだい?そういう問題じゃないんだ。実際に聴くようになリさえ すれば,“ホーン……それはこういったやつ。ストリングス……それはこういったやつ”っていう、マニュアル化したようなことはやらなくなるよ。そんなのはただの怠慢なんだ。
長く話をすればずるほど.だんだんはっきりしてくる。ブライアン・イーノが興味を持っているのは冷たい音楽制作の技術ではなく人間の活動であって、これがその好例だ。つまり,彼の見方はもっと高邁な立場に立っていて,流行にのって作られただけの不便で使いにくいものより、役に立つもの,将来的に我々の手段をより有効に生かすようなものを評価しているのだ。サンブリングについても同様。彼が拒否していのはサンブリングそのものではない。彼自身,サンプラーの持ってる多くの可能性に期待をかけていると言っている。しかし,それを使う人問の創造性の方があまりに限られているのだ。
僕はとても恐れているんだ。たくさんのミューシャンが苦境に陥ること,新しい機材をだらだらと時問をかけていじくりまわす割に,それについてのわずかな知識しか得られないっていうようなね。もちろんそのわずかな知臓が,次に何かやるための基礎になるってことはわかってるよ。しかし実際に起こってるのは,マニュアル地獄に陥り、“これはどうずればいいんだろう? だめだ……,まあいいか ”って感じなんじゃないかな。
“まあいいか”というフレーズはイーノが使うような単語ではない。彼は何か適当な使い方を見つけるまで諦めたりはしないだ。
もちろん,サンブラーを使って面白いことをやってる人は何人かいる。特にジョン・ハッセル(彼が音楽の“デジタル・スナッブショット”と呼んでいる世界の多くの素材を混ぜ含わせてまったく新しいものを作り出しているアメリカのトランベッター)はそうだ。彼はサンブリングの哲学的な意味合いを本当に理解している人間……我々が恩沢と他の物事の間係をどう考えているか,という見地からその意味することを理解している。僕もそのレベルて使えるようになったら,始めるだろうね。
彼自身の音楽作りの方法の哲学的な意味合いを探るにあたって,イーノは自分自身の傾向や手法を考えてしばらくの問沈黙した。もし彼がサンブリングなしでの仕事に満足しているとするならば.それはDX7で十分だからではなく,その不完全性が彼にとって利用価値のあるものだからである。彼は、わずかのしっかりした筆さばきの方が、雑然としたディテールを凝らすよりも雄弁であると、再び視覚芸術の立場からこれを説明した。
古いテクノロジーの考えは常に選択を広げて忠実度を上げ,レンジを広げる方向だった。しかしそれを減らすことも,すごくバワフルな仕事のやり方だ。彫刻のように贅肉をそぎ落としていくんだ。
もうひとつ,広く喧伝されているデジタル技術の特性に,音を正確に記録し再生産する能力がある。イーノはこれにも注意を払っていて.エフェク卜類をミックス・グウンの段階で加えるより、テーブに入れる方を好んでいる。
僕は“今いいサウンドなら,今それを捕まえておけ”という見方にすごく納得しちゃったんだよ。それを使うか,さもなければそれはやめて他を使う。同じことを何度も繰り返し試すのは精神的に消耗すると思うよ。
私は,1980年代を通してホーム・レコーディング機材が比較的容易に入手できるようになってきたことについてどう思うか.イーノに尋ねてみた。
いいことだと思うよ。たくさんの人がシーケンサーを批判しているよね。確かにシーケンサーは,すべてビートにきっちりとはまって退屈なワン・パターン音楽をたくさん作ってきた。しかし,たくさんの人に,他の方法では無理じゃないかと思えるようなやり方で考え,構造を作り,ワープロみたいにそれらを入れ換えたりする可能性を与えたことの方がもっと重要だ。これらの道具は素晴らしいブレゼントだよ。
イーノの返答は,テクノロジーとの関わりにおける人間的な部分を繰り返し強調している。興味,関係,楽しみ。彼がポッブ・ソングをやることを離れたのは、かつてほど音楽活勧がスリリングじゃなくなったと感じた時だつたが、12年のブランクの後,今またそこへ戻ってきた。ジョン・ケイルとの妥協のないバートナーシッブが契機となってケイル/イーノの新しいアルバム「ロング・ウェイ・アッブ」ができ上がり、それは紛れもないヴォーカル・アルバムだったのだ。「歌いたくなったからというのが大きな理由だね」とイーノは言う。
また,現在準備中の2枚のアンピエント・アルバムは,きらめくような音の風景を織りなしている。しかし,そこには同時に,新しい要素も見られるのだ。より自由で荒々しいリズミックな感覚が,私の聴いたインストウルメンタルの「Juju Space Jazz」のラフ・ミックスではっきりと認めることができた。そしてケイルとのコラボレーションでのイ−ノのヴォーカルは、以前には見られなかったようなリラックスしたヴィブラートを彼が見つけたことをものがたっていた。
SOUND&RECORDING MAGAZINE 91・2