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ご挨拶
大阪蜻蛉会
会長 原 正紀(高23回)
「大阪蜻蛉会は、なぜ大阪支部ではないのですか?」そんなご質問をよく受けます。大阪蜻蛉会のこれまでを少しお話したいと思います。
実は、1962年(昭和37年)の小野高等学校60周年の記念式典開催にあたり、その募金集めを本部蜻蛉会より依頼をうけ、世話人として旧制中学6回卒業の玉川琢治さん、河合悦三さんの大変なご苦労のもと、大阪大空襲の影響もまだ残るなか同窓生を一人ひとり捜して、1959年(昭和34年) 12月19日(土曜日) 13時 綿業会館にて、旧制中学同窓生21名が出席し、また本部蜻蛉会の岩城俊蔵(中5回)会長出席のもと、本部蜻蛉会と同等の組織として「大阪蜻蛉会」の設立総会が開催されました。それ以来、大阪支部ではなく「大阪蜻蛉会」となっています。
初代会長には、固辞される当時大阪副知事の高田氏に三顧の礼を持ってお願いしたと聞いております。その後、大阪在住・勤務の同窓生を中心に活動を続けて「大阪蜻蛉会ゴルフ会」の開催や、東大寺の清水公照老師による説教話やバスツアーも開催され、大変盛会だったそうです。私は、大阪蜻蛉会の活動をまったく知りませんでしたが、十数年前に会社の先輩の高原幸平さん(中43回)に、総会に無理やり連れていかれたのが始まりでした。総会の最後には、高校の校歌だけでなく、旧制中学の校歌も歌えるようになりました。そしていつのまにか幹事になり、ある日、井上都志弘会長のもと常任幹事会の時に出席されていた志方耕三郎(中33)大先輩が帰られたあとに井上会長から「原君、これ志方さんから」と空の箸袋をいただいたら、そこに「原君 会長に」と書かれてありました。それで大阪蜻蛉会の会長をお引き受けすることになりました。
それ以来、作家の玉岡かおるさん(高28回)や元タイガース選手であり虎風荘寮長でもあった山本晴三さん(高19回)の講演会など、皆さんのご協力を得て少しずつ参加者も増え、若返り、女性も増えてきました。
小野の学び舎から巣立っていった私たちですが、時を越えて大先輩と若者が、また世界に広がる同窓生の絆をひとつひとつ紡いでいくのがミッションだと思っています。これからも蜻蛉会が、また大阪蜻蛉会が盛会となるために「明・淨・直の小野高魂、住・勤・遊・通の大阪愛」にあふれた同窓生の皆さんの積極的なご参加をお待ちしています。
(H30.9.1記)
Kanehiro MATSUMOTO
平成30年9月1日