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 冬とあかり、そして夜景


37階からの夜景

関西は晩秋から冬がいい。風があるために空の汚れが払われるから空気が澄んで深い青色になる。温暖化で日常の気温が高めになっても、冬の空は高く晴れて、硬く冷える。関西の冬の寒さが私は好きだ。

道行く人々が寒そうに背中を縮めて歩いている朝は、よけい景色の輪郭が際立つ、柿の枝に残った数枚の葉っぱが木枯らしに持ちこたえることが出来ず、今朝はみんな散り果て、枯れ葉色の音をカサコソとたてながら風に舞っていた。

クリスマスのイルミネーション飾りを玄関に飾り付けている家が増えて、夜の街は昔とはおもむきがすっかり変わってきた。仄かな一灯であろうとギンギンの電飾であろうと、灯りの色は何故か人を引き付ける。暗闇を恐れる本能からだろうか、オレンジ色の灯りを見るとほっとする。暗い山道で出会うたった一つのかすかな灯から、絢爛豪華な都会の夜景まで「あかり」は夫々に眩しく、人の気を引く。

どんな夜景でも、夜の光は煌いて魅力的。過日、大阪の中之島に住まいされる方の高層マンションからの夜景を見せていただく機会に恵まれた。夕暮れから夜へと、刻々にうつりゆく空の色は微妙に変化していき、それに呼応するように灯りが増え、彩りを増していく、そして縦横に走る高速道のオレンジ色の帯は機能美の極致、昼はあまりきれいではないコンクリートの橋桁も、夜の灯りでお化粧をすれば、まばゆい舞台装置となる。

寒空を気にせずに指差していただいた方向には、さまざまな形のビルが真っ赤な航空灯のブローチをきらめかせてケンを競っている。不思議な調和感、そこは色が漂う海だった。
多彩な夜の景色に酔ったかして、その晩はみんな饒舌になった。夜景好きは、これでさらに加速したように思える。
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冬は夕方の風がおさまったと思う間もなくあたりが薄暗くなり、はかない夕闇は急速にその闇の色を濃くしてゆく。暑さでのぼせ上がったような湿気を含み、生暖かい水蒸気でくぐもった夏の闇とは違い、冬の夜は漆の黒、乾かしては塗り上げ、そしてまた乾かした黒、深くてそのくせぬめりのある蒼みの黒、その黒ゆえに、ちりばめられた色模様や螺鈿の輝きが際立ち、魅力を増す。幼い頃の田舎の夜はこんな黒だった。

最初の記憶が電柱の灯だった。3才の頃、父方に不幸があり、東京から新潟へ、夜行列車に乗って窓を眺めていた時の記憶、ただ何にもない真っ暗闇の中を自分と一緒になっては後ろへ走り去っていく光、それが始めての記憶だった。

戦前、上越線の汽車は10時間近くもかかって山を越えて雪国に入っていった。なんにもない平野にはところどころに電柱が立ち、橙色の電球が点いていた、それが一つまた一つと窓をかすめて次々と後方の闇に飛びすさっていった。

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そしてもう一つ、忘れられない夜景の記憶は、もう40数年も昔の、ある冬の夜に飛行機から見た「港神戸」の圧倒的な「あかり」だった。港に沿って華やかに広がる細長いテーブルクロスのドレープのような光の束は、波打って夢のように豪奢で、暖かさとハイカラな豊かさが感じられて、乗務の楽しみだった。巡航速度で400Kくらいしかでない高翼の小型プロペラ機の乗客は、天候が良くて条件がよければ、上空からしばし夜景を見物できた。

その夜景も冬が一番鮮明で、一つ一つの光が形になっていて美しかった。しかし夜間飛行の最終便は当時8時くらいまでに伊丹空港に着陸しなければならなかったから、コックピットの操縦士はこのあたりまでに速度を速め、一目散に空港に向かうのが常だった。神戸はあっという間に後ろに下がっていった。それが残念でならなかった。

ある晩のことI機長からコールが入った、、

「今夜は晴れて神戸がキレイだ!1000メートルまで高度を落とす、方角を変えてゆっくり行くぞ!」

瞬間に飛行機はぐんと高度を下げ、機内の明かりが消された。手を伸ばせば掴み取れそうなところに神戸が瞬いていた。光の花束、、ただひたすら美しかった。数え切れない灯かりが手を広げてきらめき踊っていた。これ以上の綺麗なものに巡り合ったことはないと感じた。角度も高度も最高だったからだと思っている。あまり高すぎても夜景は美しくない、この高さが一番、と自信をもって高度を下げていくI機長の気持ちがよくわかった。

夜の低空飛行は勿論危険であり、海岸線を飛ぶことで少しはそれを回避していたが、正規の航空路を外れることでもあり、今ならば懲罰は免れまい。I機長の「クビ」は、確実に飛んだことだろう。旧日本軍の軽爆撃機の生き残りであったI機長は、豪胆で、そんなことを気にする人ではなかった。乗客が喜ぶならば少しの違反は平気でやったし、時代もよかった。腕に自信もあったのだろう。(操縦桿もよく握らせてもらった)この夜の航行違反は他言無用だった。

乗客は窓にへばりついて、誰も言葉を発しなかった。六甲の漆黒を背景にして煌く港は、光のベールを被って緩やかに動いていた。素晴らしさに心が震えた。涙の溢れるような「光の神戸」だった。声も出ないくらい美しい夜景だった。

あれ以来、心に響くような灯りをみることは長い間なかった。37階からの夜景に接し、久しぶりに驚くほどまばゆい光の海に再会した。大阪の夜はお店の下品なネオンや過度の明るさで美しいとは言えないと思ってきたが、高層のバルコニーから見ると、この細かい煩雑な光が消えてしまっていて、夜空に溶け込み、黒のカンバスには大きなビルのシルエットと照度の高い赤い光が程よく彩りを散らしていて見飽きることがなかった。

連なる多彩な灯かり達は、勝手気ままな女達の首飾りのように意匠を凝らして輝き、競い、己を主張するかのように強く瞬いていた。

後ろに飛び退って行く田んぼの古ぼけた電球の光に驚いた幼い頃の記憶と、超近代的な都会の人工的な光の連なりが、自分の中で違和感なく融和していく気がしていた。

これからも冬好き、夜景好きはかわることはないのだろう。     (2005.12.13.)


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