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雪の日の昔話


(宇布見マリーナ北側)2011.1.17.
温暖化であれば冬も暖かかろうという希望は簡単に裏切られて、2011年の1月は強風と波浪注意報が出っぱなしのような日々が続いています。静岡県は温暖な気候で羨ましいと、知り合いの方々はおっしゃって下さいますが、けっこう厳しい低温の冬です。

ここ浜松は、冬になると西の浜名湖と南の遠州灘から常に風が吹きます。その強い空っ風にさらされると体感温度が5度くらいは下がるような気がします。昨日は強風に乗って北から風花が飛んできたと思ったら、夕方には本格的な雪が横なぐりに吹きつけて、あたりは白くなっていく様子です。寒ぅ〜〜、早々に寝床に入りましたが、今朝目覚めてみると窓の外は一面雪景色です。ここへ来て5年目にして初めての積雪!跳ね起きて、雪が溶けないうちにと大慌てで写真を撮りました(バカですね)。

ベランダに積もった雪は、手にとって見ればパラパラとまるで粉糖のようにこぼれ落ちます。幼少期を過ごした新潟の内陸部の重たい雪とはまるで異質な雪でした。ここ浜松は、いつも風が吹き、乾燥した気候ですから、きっと雪も水分が少ないのでしょう。

幼い頃の雪はひと晩で1メートル近くも降り積もる重たい雪でした、毎日毎日灰色の雲から絶え間なく落ちてきました。来客のために、玄関から門までの前庭を踏み固めるのは子供の仕事でした。母親からせき立てられては弟と二人で、ふくれっ面をしながら雪を踏み固めました。落ち続ける大きな牡丹雪は見る間にまたその上に積もります。子供心に、もうやってられないという心境になったことを、今でも思い出します。

雪はタンボに恵みの水をもたらすものとされていましたし、大雪の年は害虫が少ないといことからも、地域ではそれなりに受け入れられてはいましたが、度を超した降雪は生活にも多くの不便をもたらしました。汽車は、遅れや運休が続き、外出などはよほどの用事がなければ出かけないほうがよかったのです。

昔々、京都で学生生活をしていた頃、お正月休みが終わって帰る時のことでした。まだ新幹線も特急列車も無い頃で、北陸線には急行列車2本(日本海と北国)が京都新潟間を走っていました。その年も、新津駅の線路には雪が積もっていましたが、除雪はされていましたから、深く考えもせずに乗車しました。直江津まで雪をラッセルしながら進んできた列車は、もうすぐ日本海が見えるあたりまで来ると、パタッと止まってしまいました(!!)窓の外は激しい吹雪です。機関車は時折「ピーッ!」という悲鳴のような警笛を鳴らすのですが、そのまま一向に動く気配がありません。

50年も前のことですから機関車も燃料は石炭です。暖房は程なく落ちてきて、寒くなってきます。同じ所に停車した列車はもう窓ガラス近くまで雪で埋まってきています。乗客はみんなオーバーをひっかぶり、飲まず食わず、ひたすら寝たふりの我慢でした。何時間停車していたのか分からないくらい時間が経ってから、前と後ろに機関車が連結され、やっとのことで動き出したのですが、結局30時間あまりもかかって、ようやく京都駅にたどり着くことが出来ました。顔は言うにおよばず、体中が煤煙でよごれてズズ黒くなっていて、明るい賑やかな街の市電に乗るのがとても恥ずかしかったことを思い出します。

雪が降って電車が止まったなどとTVニュースが流れるたびに、このことを思い出します。今日もひとしきりこの昔話をして、連れ合いを巻き込みました。「何回も聞いた!」と言わずに、毎度の面白くもない話を聞いてくれたのは、何故なんでしょうね(笑)。
(2011.1.17.
 
雪の朝の写真
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