Homeエッセイ集目次>占いを信じますか

占いを信じますか?
占いを信じますか?こう言うだけで、そういう人なのかとハンコを押されそうな気がします。占いは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」、胡散臭さの代表選手のような感じだからです。そうは言っても、いにしえの昔から占星術、算命学による未来の予測は絶えることなく続き、連綿として今につながってきました。無視できません。どうしてなのでしょう、、

ピンからキリまで、世の中にはいろいろな占いが溢れています。未来のことは誰にもわかりません。次の瞬間の運命すら予想もつかないのですから、人は不安にかられ、まことしやかな占いにすがりたくなるのかもしれません。

賭け事やスポーツの勝敗など、統計学的に見ればある程度の予想が立てられるものもありましょうが、きょう一日の生活がどう転ぶかなどということは、まったく予測がたちませんから、何となく浮かない日などには、占いをちょこっと読んで納得することもあるような気がします。

新聞や雑誌などには必ず「今日の運勢占い」の欄があります。何気なくと言いながら、毎朝習慣的に読んでしまいます。その日は出かける予定がありました。少し時間があったので、星占いの欄を読みました。悪いことが書いてあったら気分が悪いから読まないで行こうか、、と思いつつも、自分の星を探しているのです。

「本日は清々しい晴天で、なんの曇りもない日です。ただ一点、小さな黒点が見えますから気をつけてください」

はぁ~ん?、、転んだり滑ったりしないように気をつけなあかんわ、そう思いながら家を出ました。年に何回もない新幹線での日帰りです。少し緊張です。車ばかり使い、電車を利用することはまれですから、切符売り場とか電車の乗り換えとかが、実に苦手なのです。乗り換え5分などと言われると、走ることはできても、目的のホームや電車をどうやって見つけるねん、、と思うと、後の電車にしようか、なんて、柄にもなく弱気になってしまうのです。行く先は長い年月住んでいた大阪ですから、土地勘もあり、何の不安もないのですが、集合時間がキチキチで遅れてはまずいのです。

新大阪駅から地下鉄の乗り場に行き、切符も無事に手に入れて、階段を上り始めました。「はて?、切符!どこへしまったっけ?」ふと不安になりました(困ったことに、何気なくした動作をすぐ忘れるようになりました)。切符などの小物を入れると決めているバッグのポケットを急いで探ってみましたが、見当たません、えーっ??その瞬間に頭に浮かんだのが、遠い昔、阪急梅田駅で入れた切符を取り忘れて、駅長室で叱られながら再度切符をもらったというイヤーな記憶でした。

その時同行していた娘は、母親の粗忽さに驚き、そしてひどく呆れたのでしょう、それ以降は一緒に出かけるたびに「ママ、ここは切符取るねんヨ!切符取った??」と、叱るように大声で聞くようになりました。トラウマとはこういうことを言うのでしょうか、「しまった!また取り忘れたんだ!」との思いが頭をかすめたとたん、慌て者のおババはもう改札口に戻り始めていました。

駅員さんは「切符は残っていませんけど」と言いながらも、「本当はもう一回払ってもらうんやけど、、」と、しぶしぶ証明書を書いてくれました。このトラブルで、ただでさえ少ない時間を8分も使ってしまいました。もうギリギリです。寒風の中を走りながら、「これが今日の黒点なんかなぁ」と思っていました。

会場に滑り込んでやれやれと、バッグを開けますと、さっきは見当たらなかった切符が、携帯の裏にペタリとへばりついているではありませんか、、なんという慌て者、アホか、と自分をののしってみてもどうしようもありません。占いがバッチリ当たったんだ、、そう思いながらも、まだお昼前だし、もう一点くらい黒点があるかもしれへんよと、自分によくよく言い聞かせたのです。

午後からはすべて順調で、何事もなく用が済み、帰途につきました。時間通りに迎えに来てくれた夫が「うまくいったん?」と聞いてくれますが、切符のドジなど言えるはずもありません。「ウン!うまくいけた!」

家に入るとすぐにバッグに残っていた切符をつまみ出し、粉々に破いて捨てました。パラパラパラパラ、、ゴミ箱に落ちていく裏の黒い地下鉄の切符は、散り散りの黒い点に見えました。占い、恐るべしデス。
(2015.2.04.)

エッセイ集目次へ
Home旅目次 エッセイ目次 花目次 浜松雑記帳目次 料理ワイン目次