Homeエッセイ集目次

椿の寺 本文へジャンプ
椿の寺、霊鑑寺(京都)の庭に立った。天然記念物に指定されているという「日光椿」(ジッコウツバキ)。中央の雄シベがちいさな花弁となって円くまとまり、何とも妙な形の花がこぼれんばかりに今を盛りと咲き誇っていた。

椿は昔から日本の庭園ではよく植えられていた木だけれど、武家はこの花を嫌い、身近には置かなかったという。大輪の花が、ひとひらひとひら散るのではなく、一気にポトンと落ちるさまが嫌われたということは、子供の頃に祖母の語りで知った。

庭園には30種をこえるといわれるさまざまな椿の花が咲いていた。赤、ピンク、白、大きいの、小さいの、いろいろだったが、みんな落ち方は一緒で、ポトポトと花全体が老化して落ちる。この寺の入り口近くには大きな老木があり、枝もしなうほどにピンクの大輪が目もくらむように小山をなし、それはそれは見事な咲きぶり、息を呑んでしばし見とれた。立ち去りがたく、腰をかけて眺めていると、その大きな花が果てる一瞬を見ることが出来た。

ピンク色の切れ端がひらりと目をかすめたと思った瞬間、花は一輪の形そのままに、艶やかな色とはまったく不釣り合いなイヤ〜な音をたてて黒い土の上に転がっていた。それは地べたに食い込むような音だった。「ポトン」などという生易しいものではない。「ボットン!、、」と鈍く響いて、花の落ちる音とは思えない生々しさがあった。ナルホド、、、こんな大きな音がするものなのだ、、もしこの木が自分の庭にあろうものなら、落花の季節には団体で斬首されているような気分がすることだろう。

武家に嫌われる花ということが納得できた。

生暖かい春の日に、咲きくたびれて、老い染み、生を終える大きな椿の花は、現世と来世のはざまに落ちる踏み花のように思えた。音の記憶が消えかかった頃に、又「ボットン!」と大きく重苦しい音をたてて花は落ちた。

春は生あるものにとって、吹き上がるような息吹きのエネルギーと、消耗の果ての落花とのせめぎあいの季節、そして時にはそのバランスが崩れる。やはりこの時期は「ものぐるい」が似つかわしいのかもしれない。(2011.3.07. 再)

 Home> 旅目次 エッセイ目次 花目次 浜松雑記帳目次 料理ワイン目次