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2日間の停電
今年は台風の多い年です。24号が行ったばかりなのに25号がもう大きな円を描いて近づく気配です。爽秋などという言葉はもう死語なのでしょうか、、蒸し暑い台風からのべたっとした南風と、不意打ちのような低温の雨日の繰り返しで、あっという間に9月は終わりました。

東海地方では24号の直撃は免れそうと言うことでしたが、それでも雨戸をおろして早寝をすることにしました。台風は夜中に最接近するとTVが言っていましたが、その予報通りで、夜中の11時を過ぎる頃にはすさまじい風が吹き始めました。今までに無い風です。家がグラッとする感じがした途端、バシッと電気が切れました。浜松に住んで12年になりますが、初めての停電です。真っ暗になりました。それでも、まあ明日になれば電気はつくだろうと、そのまま寝てしまいました。翌朝、起きてシャッター雨戸を開けるべくボタンを押しましたが、何の反応もありません、、エッ?!まだ停電が続いてんの??

一階の雨戸3面も窓も全く反応が無く、薄暗いままです。晴れてきたようですが、なんだか嫌な感じです。お湯を沸かそうにもポットもダメ、洗濯機もダメ、トイレも水が流れません、ガス台も沈黙です。これは大変だ、、炊飯器も勿論、総ての電化製品がダウンです。さあ、、どうする?、、水は出るようですが、とりあえず前夜の風呂の残り湯はそのままにしておくことにします。もしものトイレ用です。

食べるものは何もありません。パンといったって冷凍庫の中ですから、それを焼くトースターは動きませんし、ご飯も炊けません。総てが落ちていますから、情報は何も入ってきません。途方に暮れてしまいました。夫ジジのために、とりあえずバナナとリンゴとヨーグルトと牛乳だけは用意しました。

外に出て近所を見回しました。お隣も同じようにシャッターは降りたままです。玄関には吹き寄せられた葉っぱやゴミが山のように溜まっています。庭の木々は昨夜の強い潮風に打ちひしがれて、茶色に変色し、シャッターには吹き付けられた木の葉がちぎれてベタベタと張り付いています。水やり用の栓を全開ストレートにしてぶっ掛けて海風の塩を落とさねばなりません、車も塩分がへばりついていますから強圧の水をかけます。昨日まで綺麗に花を咲かせていた花々はみんなちぎれたりして見る影もありません、しおたれて変色してぐんなりしています。

それからまる2日2晩、同じ状態におかれるとは、その時は想像もしていませんでした。停電は今までの経験で、すぐに復旧するものだと思っていました。あの東北地震のときの計画停電すら3時間だったのですから、まさかまさかの2日間でした。

一体どうなっているのかを知りたいのですが、スマホのニュースも一向に停電に触れませんし、電波の具合が悪いので、途切れとぎれです。災害用にと買っておいたラジオがあったことを思い出し、物置をひっくり返して探し出し、ハンドルを回して充電しながらNHKに合わせましたが、これから先の台風の予報ばかりで、停電のことは言いません。後から分かったことですが、この時点で静岡県で70万戸以上が停電し、浜松がその半分以上を占めていたのです。全市の8割が真っ暗になったのですから記録的な規模でした。

電気が無いと何も出来ません。炊事が出来ないのですから、ろくに食事も出来ません。本を読むことも、音楽を聴くことも、温かいお茶を飲むことも出来ないのです。常に電気があるのは当たり前になっていましたから、電気がダウンしたときのことなど考えたことも無かったために、何の心構えもなかった者にとって、このような事態は、どう表現したらいいのでしょう、言いようがありません。昼間は庭の掃除や片付けをしていれば気が紛れますが、陽が落ちて暗くなってからの夜の所在なさは、もう、、地獄です。真っ暗な中で闇をボーッと見つめているか、寝てしまうかしかないのですから、良いことなど考えられません、だんだん気分が落ち込んで陰鬱になってしまいます。

真っ暗な2晩が明けた朝、近くの地域には昨夜電気が来たと近所で聞きました。ここももうすぐ来るのかしらん、、優先順位があるのではないかとか、マンションが多い地域は早くなるとか、強力な議員がいないとアカン、、とか、風評が飛び始めます。まったく中部電力は何をしとんのかいな、不満は増すばかりです。

車を出して一回りしてみました。近くのコンビニやスーパー、大型雑貨スーパーなども真っ暗で買い物客が長い列を作って、買い物の順番を待っています、これはもう立派な被災者です。スーパーを覗いてみましたら、サンドイッチと菓子パンをお一人様5個まで、と言いながら電卓で計算をしていました。ウワーッこれは大変だ!長引きそうなら、食べ物を本気で心配しなければなりません。火を使わないで食べられるものなど、家には何もありません。

そして、冷蔵庫の中の温度も心配になりました。1日くらいなら、今の時期の気温ですからもつかも知れませんが、もう1日となると、冷凍した食品が溶けてしまいます。牛や豚やトリ肉、ダシ用の骨、魚の粕漬け、作り置きのコロッケ、スープストック等々、ダメになると思うと猛然と腹が立ってきましたが、どうしようもありません。一体何時まで待てばいいの?市役所は広報車を出してせめていつ頃までかかるかを知らせて欲しい。携帯の充電が出来る所とか、給水車が居る所とかを知らせて欲しい。

今夜も、また真っ暗な中で過ごすのか、、と不運を呪っていましたら、パッと周りが明るくなりました!来た!!「電気来たよ~!」大声で喚きながら夫ジジに知らせました。明るいということは何と素晴らしいのでしょう、顔がほころんできます、気分が上向きになります。洗濯機を回し、ご飯を炊き、お湯を沸かしてお茶を淹れ、冷凍庫で溶けかかっていた鰻の白焼きを取り出して蒲焼きにしました(笑)。

今回のことで、被災地は情報がまったく来ないことがよく分かりました、あの東北地震に遭われた方々はどんなに大変な思いをされたのかと、今更に同情の念を深くしました。本当にお気の毒だったのだと思いました。電気だけでは無くて水もなく、家も無く、おまけに家族も行方が分からないなんて、なんということなのかと今更に天を仰ぐ気持になりました。

ようやくついたテレビのニュースでは、まだ数万戸が停電中だと言っていいます。マンションなどは水をくみ上げるポンプが停電で動かず、水も無い生活が続いているのだそうです、何と気の毒な、、停電だけだったのはまだましだったのでしょう。

災害だらけの日本です、毎年大きくなる天災にどう立ち向かうかを本気で考えないといけません。役所は頼りにならないと覚悟し、自力で何とかすることを個人個人が自己責任でやれるようにしておかないといけないと、つくづく思いました。そう考える時間を今回は頂いたのだと思い、もっと勉強しないと、、と感じています。

物置の前で中華鍋にゴトクを重ねて、新聞紙とダンボール、それにため込んでいた不要の「割り箸の束」を使って火を燃やし、お湯を沸かして凌いだと、息子に停電災害の顛末をメールしました。

「大変でしたね」
「停電時にソーラー発電を自立モードに手動で切り替えると日中であれば非常用コンセントで1500ワット位まで使えます。
火を起こしただけでも大したモノです。」


返信メールに不覚にも涙がこぼれました。今夜はゆっくりと眠れそうです。

停電お見舞いのメールが3通入ってきました、若い頃の友人からでした。友達はホントに有り難いものです。(2018.10.4.) 

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