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想定外のこと


高速道路で車を走らせることが好きではないという人がいます、居眠り運転などのクルマが突っ込んで来ることを考えると、怖くて乗ってられないというのです。反対にそんなリスクはあるものの、自分に降りかかることの確率は小さいし、それより何より運転が好きという人もいます。どちらかと言えば動く物が好きで、幼い頃から無鉄砲で、じっとしていることが嫌いだったおババは後者なのです。

考えれば今までにクルマによって引き起こされる事柄は、良いことと悪いことと半々くらいの割合、、否、やはり悪いことが多かったように思います。しかし今回遭遇した事は、不運だったことは確実なのですが、決して悪いことではなかったように思うのです。

毎年気候の良い時期になると、田舎で96才ながら気丈に一人暮らしをしている父親の顔を見るのを楽しみに、好きそうな食べ物を車に積み、洋食を結構好む父親のために食材をクーラーボックスにいっぱいにして、新潟まで高速道路を使って旅をすることが年中行事のようになっていました。

今年の春は、東日本の大震災や原発の事故もあり、出かけることに踏ん切りがつかなかったのですが、薔薇の時期においで下さる方々のおもてなしも一段落しましたので、急遽でかけることにしました。一人旅ですから、自由気ままで好きなように走れます。東名を抜けて東海環状道路に入りました。新設されて間がない高速ですから、割合空いていて、綺麗な道です。新緑のグラデーションが美しく、雨オンナにしては天気が良いのが不思議でした。

良い気分で100Kを少し越える速度をキープしながらのんびりと走っていました。すると左後輪がバチッと何かを踏んだ感じです、アレッ?石でも蹴飛ばしたかナと思いながら走り、そのことすら忘れて走り続けていました。山が迫り、目の前にトンネルが見えてきました。すると、クルマが少し振動してきました。高速道ですから気安く停まるというわけにもいきません。アレッ?!もしかして、パンク!?、嫌な予感が頭をかすめました。家を出てからまだ2時間弱です。計器類には異常警告は出ていません。

トンネルに入ると、今度は確かな振動が来ました。ガタガタ、、と振られます、アカン!、、速度を落とし、左に寄せ、ハザードランプを点滅させながら、トンネルを抜けることばかり考えましたが、長いトンネルで一向に出口が見えて来ません。追い越し車線を猛烈なスピードで大型車が追い抜いて行きます。こんなところで停まったら命に関わる、、、と思いながらも、停めるところを必死になって考えました。すでにパニックに近い心境です。

高速道路のトンネル内には、非常時に待避する地帯が設けてあるはずなのですが、なかなかそこへ行き着きません。ガタガタはますます酷くなって、もうタイヤのドラムが地面に当たっていることがわかります。ヨコの壁の表示にはあと350mで出口とありますが、もう走れません。やっと待避線が見えてきました!待避地帯の先端まで行き、クルマを停めましたが、降りて後輪をみて愕然としました。

パンクなどという生やさしいことではなく、引き裂かれたように破けて、ぼろぼろになり、ゴムの部分が抜け落ちる寸前です、、どうしよう、、一瞬、頭が凍りつきました。そして最初に携帯電話をかけた所は、家にいるはずのジジです。しかし、何回呼び出しても出てくる気配もありません。はたと我に返りました。ここには自分しかいないのだ、自分で何とかしなくてはどうしようもないのだと、気がつきました。何とか自力でやるしかないのです。

昔の日本のクルマはとてもお粗末で、パンクなどは日常茶飯事でしたから、何回もパンクしたタイヤを交換した経験はありますが、バーストしてしまっているタイヤをみてその気は失せました。なにせ最近のクルマは丈夫に出来ていて、もう20年あまりタイヤ交換などしたことはなかったですし、こちらもいつのまにかおババになってしまい、あの頃とは違い、力もありません。
ダッシュボードから販売店の電話番号を探し携帯をかけました。JAFのレスキューの番号を聞き、また電話しますが、トンネルの中で薄暗く、他のクルマが猛スピードで地鳴りのような音で通り過ぎていきますから、聞き取ることも難儀です。

やっとのことでレスキューと話が繋がりました。すると非常電話が近くにあるからそこで地点の名前と番号をみて知らせるようにとのことです。緊急電話ボックスに入って探すのですが、慌てているから、どこに書いてあるのかさっぱり見えません。電話機の上の地点番号らしきものをようやくみけました。

「モシモシ、、えーっと、、サルナゲ(猿投げ)、、内回り17と書いてあります!」

「ああそうですか、それはサルナゲではありません、サナゲです」

サナゲ?!どっちでもいいやん!猿投げ山って書いてあるんやもん、、内心毒づきました。そして少し落ち着きました(笑)。

最寄りの町からロードサービスの人がきてくれることになりましたが、40分待ちとのことです。薄暗いトンネルの中で嫌やなぁ、、と思っていると、黄色の点滅ライトをきらめかせた道路管理のクルマがやってきました。「どうしました?」と言いながら二人のお兄さん達が降りてきて「お一人ですか?!」と聞くのです。お一人じゃアカンのですか?と言いたい気持ちを押さえながら、新潟までこれこれの用事で行くところだと話しましたら、タイヤを交換したら行けるでしょう、と言い、三角コーンを車の後ろに置いてくれました。危ないから車の中では待たないように、緊急電話ボックスの中で待ってくださいと言い残して去っていきました。(いかにも事務的なお言葉でした)

何か小さくて鋭利な物を踏んだにちがいないワ、、あんた方、しっかり道路管理やらなアカンやんか!などと思ったのですから、このあたりでいつものおババ根性が戻ってきたのは幸いでした(!)。

彼らのおかげなのでしょう、待避線地帯のクルマの真ん前には大きな「故障車あり」の字が点滅をし始めました。ヤレヤレ大変なことになってきた感じです。つくねんとボックスの中で携帯を握りしめて立っていました。トイレも行きたくなってきましたが我慢するしかありません。陽の光が差さないトンネルの中は空気が汚く寒いのです。少し辛くなってきた頃、救援の大きなクルマが後ろにぴたりと着きました。その後ろには危険回避用のクルマもついています。

降りてきたお兄さんが救世主に見えました。頭を下げて「ご迷惑をかけて、スミマセン」と言いました。ジャッキで車体を持ち提げたところを見た時、これは酷いと感じました。彼も同じだったと思います。破けたタイヤの破片で奥にあるショックアブゾーバのカバーが少し損傷し、泥よけの板がひん曲がってちぎれかけていました。グサグサになったタイヤが外されましたが、スペアタイヤの入っているトランクにはイッパイの荷物です。大急ぎでそれらを端の通路に取り出しした。

そしてタイヤはつけ替えられました。

「このまま走って大丈夫でしょうか?」

「はあ、、運転に慣れた男性ならばいいのですが、、、」

「運転は50年もやっています、どんなような心配があるのですか?」
おババの負けじ魂に火が点きました(笑)。

「まずスピードが出せません。それにハンドルが振られる場合もあり得ます」
「スペアタイヤが、ここに残っている板の切れ端で傷がつき、またパンクするおそれもないとは言えません、、」

「エーッ?!それなら、浜松へ帰るにも高速はつかえませんね?」

「そういうことになります、、豊田市の営業店へこのクルマを預けて、あとはタクシーでも、、、」

そんな!荷物がこんなにあるのに、、どないしょ、、
でもモタモタしている暇はありません、こんな所から一刻も早く出ないと危険です。考えていたところでどうなるものでもありません。

「じゃぁ豊田市まで運んでください、あとはレンタカーを借りて自分で帰ります」

「そうですか!!では後ろからボクがついていきますから、スピードを出さないでこのクルマを出して、次の最寄りのICで出てください」

指示に従うしかありません、のろのろとトンネルを出て走り始めました。さしたる不具合は感じません。次のICの出口を出て左に寄せました。後続の救援搬送トラックが前へ回り込みます。お兄さんはしきりに本部と電話しています。搬送は原則として50K圏内だけとなっているそうで、とても100Kも向こうにある浜松へは行けません。もう覚悟を決めました。とにかく町に出てこの車をおいてからレンタカーで戻ることにしました。浜松の方がここよりは都会だし、修理も簡単なのだけどと、内心思いました、、「浜松の販売店まではダメですよね?」

電話をしていた彼は、少し考えてから言いました。

「本当は出来ないのですが、いいです!浜松まで運びましょう!汚いシートですが、乗られますか?」

息子と同じくらいのトシのお兄さんがお釈迦様に見えました(笑)。
「本当ですか?良かった!!有難う!シートなんて、座れたらなんでもいいです!」

トラックの後部から二本の狭い橋が下げられました。ここには持ち主が車を乗せねばならない規則なのだそうです。おそるおそる発進し、橋からタイヤが外れないように気をつけながら緊張して登っていきました。彼も窓からハンドルをつかみ、腕の程が知れぬおババのミスに備えます。なんとかうまく車は鎮座しました。

彼は何回もシートが汚くてすまないと言いながら気の毒がってくれるので、こちらも申し訳ない気持ちで高い座席によじ登りました。こんなトシヨリおババを乗せようなどと思ってくれたことに感謝です。 つい大阪弁で冗談が出ました。

「救援要請があったとき、一人運転の女性、って聞かはったでしょう?どんなに美人かと思いはったでしょうに、、こんなおババが待っていたやなんて、、ゴメンね!」

「イエイエ、、トンデモナイです、、、」

ボクらは底辺の仕事ですから、と謙遜する彼に、人助けが出来て感謝される仕事でしょ、誇りのある仕事ですよ、などといいながら高速を戻ります。背の高い搬送トラックの助手席からの眺めはいつもの車とは違って視界が広く、面白くて、楽しめました。ついキョロキョロです。様々な話をしたり聞いたりしながら、2時間半余りがあっと言う間で、浜松へ戻りました。

生来、知らない人と狭い空間で黙っていることの圧迫感が嫌いなタチのおババは、思いつくままに、しょうもない話を次々とするのがクセなのでが、大笑いしながらそれを聞いて「勉強になりました」と言ってくれた彼は、きっと人間が出来ているのでしょう。

作業中も車の右側を常に気にかけ、監視し、立ち位置に注意を払ってくれていました。今時めずらしいほど真面目で神経が細やかな若者でした。子供を授かるのが夢だということでした。きっと良い家庭を築いていかれることと思っています。

「いまどきの若者」にたいする固定観念を少し改めるきっかけにもなりました。人は「一期一会」、良い印象を残せたら、それだけでいいと思っています。

同僚が高速道路の救援中に、暴走車や居眠り運転に突っ込まれて死亡したりすることが珍しくはないという職種なのだだそうです。驚きました。

彼に聞いてみました。
「あんな時、どのように車を停車させたらいいのでしょう?」と。

「今回の停車の仕方と場所は、最良でしたよ」、、(!?)

こんな人生終盤になってまだ初に体験することがあるということが、この世の面白いところです。想定外のことにうまく対応できたかどうかは疑問ですが、今後に備えてどうすればよりスムースに対処することが出来るかを考え、万全の準備をすることの大切さに気づくことが出来たとしたら、これも決して悪いことではなかったと思うのです。

全てが終って、販売店のソファで一服してから家にいるはずのジジに電話しました。
「これから家に帰ります」と。

「今どの辺やねん??エッ?!浜松?!パンク?!ハハハハハ、、」
「なんであんたばかりパンクするねん!」

「・・・パンクしたのはタイヤです!おババではありません!」

朝から待ちわびていた父親は淋しそうに「待っていたんだがナ、、、」

近いうちに又出かけます。今度はパンクなしで行きますね。

薄暗がりでも読めるように、保険業者と車販売店とレスキューの電話番号を携帯に登録しました。そして、大きな字で電話番号を大書した紙と、筆記用具と老眼鏡をダッシュボードに入れようと思っています。おババの危機管理第一歩です(笑)。
(2011.5.22.)
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