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ポルトガル
リスボン





 スペインポルトガルへの旅    

スペインはヨーロッパの西、イベリア半島にあり、8世紀から17世紀まではイスラム教とキリスト 教の覇権争いが続いていた。

15世紀末からの大航海時代には、ポルトガルと世界を二分する勢いを持つまでになったり、グラナダのアルハンブラやコルドバのモスクは、そのイスラム文化の大きな遺産である。

1992年にはバルセロナでオリンピックが開かれ、その後の近代化は目覚しいものがある。スペイン料理は米、魚貝類、海老などを使い、日本人に好まれる味つけで、特にパエリャやジャガイモのオムレツなど、おなじみの料理が多い。近年はイベリコ豚のブランド名が知れ渡り、生ハムなど、昔は輸入できなかったものが入ってくるようになった。

ポルトガルは1415年、モロッコ北端の要衝セウタを攻略後、エンリケ航海王子(1394年-1460年)を中心とした大航海時代の主役になり、世界の半分を領土としたといわれるほどの大国になり、金、香料などの貿易によって莫大な富を集積した。

「喜望峰」発見もエンリケの直系の援助によってなされ、インド洋航路を発見したバスコダガマもこの援助を受けてリスボンを出航した。

ザビエルの日本上陸を機に交流が始まり、言葉、食べ物などが日本に入り、多くのポルトガル語が日本語として残されている。又、ポルトガル料理は日本人になじみやすく、魚を多用していて穏やかな味できめ細かく美味しい。今回はマディラ酒でソースを作るのを楽しみにして本場のボトルを購入した。

両国ともに世界遺産が多く、主なものを見るだけでもたいへんな時間を要する。今回の旅でも点在する遺産を巡るために毎日400Kmを越えるバス移動を続けなければならなかった。



 写真目次(2008.10.7.〜10.17.)

  バルセロナ市内 (聖家族教会・グエル公園)
  バレンシア(タラゴナの水道橋・カテドラル・クエンカ宙吊りの家など)
  トレドへ (夜のトレド・アルフォンソホテル)
  マドリッドとトレド市内(スペイン広場・マドリッド市内・トレド大聖堂)
  ラ マンチャへ (雨の風車群) ・ドンキホーテの村
  コルドバへ (コルドバ歴史地区・メスキータ・花の小径)
  グラナダへ(フラメンコショウ・アルハンブラ宮殿・へネラリフェ離宮)
  ミハス (白い家の村)
  セビリア (セビリア市内・カテドラル)
  ポルトガル(エヴォラ歴史地区・ファドディナーショウ・シントラ離宮・市内)
  リスボン市内からロカ岬へ (最西端の岬)

★ バルセロナ


ビューポイントからの聖家族教会


聖家族教会裏側


教会内の作業現場
(あまり好きではない教会だったが、実物に圧倒された。スゴイとしか言えない)


グエル公園


公園の広場 タイルのはめ込まれたベンチがある


ガウディの作品群、グエル公園 
(理想の街づくりだったが、人気がなかったのだそうだ)
 

★ バレンシアへ

 

古代ローマ時代に築かれたタラゴナの水道橋(上を歩くことが出来る)


ファサード プエルタ デ ロス イエロス(バロック様式)


クエンカへ向かう道(ドンドン高く登っていく)


城塞都市クエンカの宙吊りの家、かつては貴族の別荘だった
(少し大袈裟な表現、崖から突き出ているだけ)


昼食を食べたクエンカの★ホテル、中は広い
静かなクエンカの道


広場前のカテドラル

★ 夕闇のトレドへ


夕闇迫る頃トレドに到着、ここで二泊 
(古いホテルの部屋は、ドアが軋んで気味が悪い)



アルフォンソホテルのダイニング入り口
(大袈裟な割にはごく当たり前の食事だった)

★ マドリッドとトレド


アユンタミエン広場のファサード(高い鐘楼がある)


あまりにも有名なセルバンテス像


マドリッドの象徴、ドンキホーテとサンチョパンサ
マドリッド市街(クルマが増えて、すっかり昔の面影を失っていて失望した)


遠くアルカサルを望む古都トレド

★ ラ マンチャへ


大雨の中、バスから降りたのは数人。風も強く、傘もさせない。
風車番人のおじいさんは残念そうだった。


大雨にけむる風車の珍しい風景、コノ後すぐに雨は小降りになった、あ〜ア、、
乾いた大地、カンポデクリプターナ 荒涼とした風の大地のはずだった、、、



ドンキホーテお出迎えのレストラン(定番の映像)ここで雨は止んだ。


ハイウエイのSP、お店の中を通らないとトイレに行けない構造になっている
(ここだけが衛生的だった)

★ コルドバへ

メスキータとはモスクのこと、ここコルドバの聖マリア大聖堂をさす場合が多いと。
イスラム教とキリスト教の融合が生んだ景観











教会の金力と権威を示すかのような贅沢な祭壇だった。


あまりに規模が小さく、人が多く、少しがっかりした
「花の小径」を見てからグラナダへ向かった。

★ グラナダ




洞窟レストランのフラメンコ(昔見たショウの方が格段上だった)

1492年、イベリア半島からイスラムが撤退するまで、グラナダは王国として繁栄していた。11世紀からのキリスト教との攻防によって衰退したイスラムの最後の砦だったグラナダ王国の遺産がアルハンブラ宮殿である。アルハンブラは城壁が紅色の粘土で作られていたことからアラビア語の「アルカラーアルハムラ」、「赤い城」と呼ばれてきた。砂漠の民が「水の魅力」を追求した結果、美しい噴水が取り入れられた中庭が造られ、各所に水が魅力的に使われている哀愁漂う悠久の宮殿である。


見物の順番が一番早く、朝早い出発となった。冷気が肌を刺す。


 サンタマリア教会


アルハンブラ宮殿アラヤネスの中庭(待合)


ライオンの中庭(噴水鉢を支えるライオンは修理中)





ライオンのパテイオと諸侯の間


精緻なアラベスク様式模様が素晴らしい


床から見上げる星空にみたてた天井の鍾乳石飾りの細工


ヘネラリフェ離宮へ

離宮ヘネラリフェのアセリチア(水路)の中庭

窓の向うには200人もの側室が住んだという、
同行の男性がポツリと一言「一人でももてあますのに200人とは、」



中央バルコニーよりアルハンブラ宮殿を望む
 

★ ミハス(白い村)


 白い村 ミハス(小さな可愛らしい村)


プリティな白い家


アーモンド砂糖炒りを売るおっちゃん


客待ちの馬車

★ セビリア


カテドラル(夜中の雨が早朝にはまだ上がりきっていなかった)


 早朝の王宮前広場


 カテドラル付近


 朝のセビリア市内

★ いよいよポルトガル


スペインからポルトガルへ、道路標識も何となくオシャレな感じ。


エヴォラ歴史地区
角を曲がると突然柱が現れたが感激するほどではなかった。



エヴォラ歴史地区
ローマ帝国時代からアレンテーショ地方の中心地


哀愁のファド

 

ファドのショウ
ポルトガルの演歌とでもいうのだろうか、哀愁をおびた歌い方だった
懐かしさとやるせなさ、胸を焦がす想い、歌声は流れた。 



広場
(多くの人が集まり去っていく場所、焼き栗売りもいて縁日のようだった)


仮装行列?


シントラ宮殿中庭
(暑さ嫌いの妃の為に建造された宮殿)から見たシントラの街



シントラ宮殿内部





宮殿内の厨房


シントラ宮内のアズレージョの壁画


銀細工の高級お土産品

★ リスボン市内からロカ岬へ


ジェロニモス修道院正面


ベレンの塔
(侵入者を見張るために1514年にマヌエル1世の命で造られた塔)


発見のモニュメント
(1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられた)



2人の飛行士がリオ・デ・ジャネイロまで飛んだ(1922年)飛行機のレプリカ

 
ロカ岬!!
ロカ岬( ユーラシア大陸最西端の岬、北緯38度47分、西経9度30分)


最西端に来たという証明書だそうだ。


「バルセロスの雄鶏」のお陰か、
信仰心の無い割りには無事平穏に旅は終わった。2008.11.1. 

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