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時の交差 夏目房之介氏講演(浜松市)

夏目漱石といえば近代日本きっての文豪であり教養人でありますが、その「お孫さん」マンガコラムニスト夏目房之介の講演を聞く機会がありました。なにせあの漱石がおじいさんであるのですから、そのプレッシャーは並ではないでしょう、それを越えるにはかなりの時間がかかったとのことでした。

高校生くらいまではイヤでたまらなかったのでマンガばかり読んで暮らしていたが、中学校の多感な時期に同級生の女の子から「漱石はハンサムなのにネェ、、」と言われて、ますますがっくりと落ち込んだと笑わせながら小柄な体をあちこちと移動させて語られました

印税もスゴイでしょうねといろいろ聞かれるけれど、49歳で他界した漱石の著作権はもうとっくに切れていて、一銭も恩恵には浴しておりません、浴したのは遊び暮らした父親ですと、これまたさらりとお笑いで流したところは流石でした。

就職するのに、「夏目房之介」という名前を試験官が注目し「あの漱石と何か関係でも?」と聞かれたので、受かりたい一心で「孫です」と答えて、その恩恵を生まれて始めて利用して合格したのだけれど、その出版社もすぐに倒産して、その後もいろんなご苦労があったということでした。漱石関連のグッズもみんな寄贈して今は何も残っていないと、サバサバした語り口でした。

TVの仕事も多く、最近は漱石関係の仕事で海外に行くことも増えてきて、漱石の孫というプレッシャーからはもう抜けてしまっているのだそうです。

しかし、漱石が滞在したロンドンでの下宿を取材する番組に参加し、狭いその部屋に入った時に、部屋の小さな窓から寒い時期にもかかわらず細い一本の桜の木にピンクの花がチラホラと咲いているのが見えたのだそうです。それを見た途端に、いいしれぬ大きな感動が急に湧き上がってきて、その瞬間に思わずこみ上げるものを感じて涙しそうになったと語られました。

現実のはずはないけれど、その時、ロンドンのその部屋で祖父と出会い、お互いが交差したのだと確信したと思う、「お前もここへやってきたか、、、」と祖父が自分に言ったとはっきりと実感したのだそうです。

肉親との関係は、浅いか深いかに関係なく、いつの日にか必然をもってお互いの想いが交差する「時」があるのかもしれない、その話を聞いた時に思ったことでした。

母親が亡くなった際、急な事態に気が動転し、押し寄せる雑事に嘆くヒマもないほどに忙殺された葬式がすみ、一旦は家に戻った後、四十九日の法要に再び田舎に帰った時のことでした。北陸自動車道を降りて間もなく、田舎の町に向かう峠の道にさしかかった時、急に何の前触れもなく涙がドッと溢れてきたのでした、自分でも驚くほど唐突に、、そして泣きながら「ゴメンナサイネ、、」としきりに謝っている自分に驚いたのでした。峠の杉林にさしかかる前の、ほんの500メートルほどの道での僅かな時間でした。そこを過ぎたら、嘘のように涙が引っ込み、何事もなく運転が出来たのでした。

きっと、母があの峠まで出迎えに出てくれたのだと思うことで自分では納得していたのでしたが、この講演を聞き、あそこで母親と私が交差したのだと、再確認した気持ちになりました。反発したり、嫌ったりしている時期があっても、血のつながった肉親は何かの糸がつながっていて、それを思い知る事柄が必ず訪れるのだと強く思いました。この世界には、まだまだ人の知識では追いついていけない「何か」がいっぱい存在するのでしょう。そんなことを思った講演でした。   (2008.3.09.)

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