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  揺れる季節に思う


今年の夏は、変テコだった。肩身の狭い放蕩息子のごとく梅雨の雨に紛れてやってきて、豪雨のどさくさに乗って逃げていった。いきなりポンと置いて行かれた「秋」は、心構えの無いまま酷い熱風を吐いたり、間違って北風を吹かせたりしながら、やっと秋本来の体制を整えつつあるといったところだろうか。

天空には本格的に鰯雲が並び、空が高く、気温の高低差も大きくなってくる。そして良い季節はさっさと過ぎていき、いつの間にか灰色の雪雲が山際にへばりついて、冬に移っていくのだろう。吹きあぐねたような東風が西に変わり、強い北西風になるのもいつものことだ。こうして毎年季節は移っていく。

弟が平均寿命をこえることなく亡くなってから、やがて一年になる。柿の実る十月に生まれ、そして十月に逝った。成人してからは一緒に暮らした年月も少なく、縁の薄い姉弟だったが、何かにつけて思い出すことが多いことに自分でも不思議なとまどいを感じている。

「静岡県へなんかどうして引っ越すの?大地震が来るよ」
「年を取ってから引っ越しすると、病気になって死ぬよ」

、、、トシヨリになった私たち姉夫婦が大阪から浜松へ引っ越しをして老後を送ると言った時に彼が発した言葉だった。常に慎重であり、そして怖がりで、心根の優しい彼は、同じ姉弟でも性格がまったく違っていた。無鉄砲で早とちり、考えるより先に手と足が出る直感勝負の姉とは違い、周りの人のことばかり考えて、常に穏やかで常識的、そして人の好き嫌いを表に出さず、会社と家を守って堅実だった。

病気が発覚し、もう残りが少ないと知らされた時からしばらくして、電話があった。

「今月のHPの更新はまだだね?」

読んでくれていたのかとその時に知った。

「楽しみにしているよ、、」

言葉に張りがなく、声に衰弱が感じられた。彼の病気に対して何もしてやれることができないのだったら、せめてHPを出来るだけ更新して、読んだ彼が少しでも気が紛れるようにしよう、、そう思った。それからは何かしら主題を見つけては更新してきた。そして結局は彼への追悼の文章が毎月更新の最後の記事となった。

しかし「今月はまだだねぇ、、」という彼の言葉が常についてきているような気がして、それからも毎日の些細なことを記事にし続けていた。

「無理して書くことはないと思うよ」という息子の指摘で読み直してみると、文章には不備や稚拙さが目立っていた。シロウトの哀しさである。弟も気がついていたのだと思った。ようやくふんぎりがついた。自己満足の文章を次々と削除した。ついでに過去の文章も整理した。半分以下に減り、スッキリと少なくなったエッセイ目次を眺めながら、「己を知る」ということの難しさをつくづくと感じた。

振幅の大きい今年の気候は、彼の言う「地震」を引き起こして記録的な妙な夏になった。確かに地震はやってきた。次には彼の言う「老人の死」が待っているのは明らかなことなのだと思う。めっきりと暮れ足のはやくなった夕刻、薄闇の足下から聞こえてくる虫の声を止めないように、散歩の足音を忍ばせる。雲間からのぞく月の色も冴えて、もう一周忌が近くなった。( 2009.9.03.)


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