ホーム>エッセイ目次>佐藤愛子の生き方

1923 年生まれ、89才と知って驚きました。歩き方に弱々しささが無く、壇上に上がる階段もごく自然に踏み、すっと席に着いた姿勢は、自然で鮮やかでした 。90才ともなれば、いかに元気であっても、車いすを押してもらって登場したりする人 が多くなる、その先入観を見事にへし折られたような姿に、満場の聴衆は驚嘆してざわめきました 。

佐藤愛子、、年配の方々なら良く知っている名前です。近年は「血脈」という長大な自伝的小説を発表していますから、若い方々の知名度も高いかも知れません。自身の2度の結婚の失敗、特に2番目の夫の倒産と借金にまつわる話を、憤りをもって書き上げた「戦いすんで日が暮れて」が直木賞を受賞してから現在まで、数え切れないほど多くの小説を発表し「男に頼らないで生活すること」を実践してきた戦中派女性の一人です。父、佐藤紅緑から受け継いだ文才で、自身のやくざ的とも思える常識とモラルを満載した作品で喝采をあびてきました。

講演は「佐藤愛子の生き方」と題するもので、そのオトコ的とも言える話し方は、「竹を割ったような」、という古い言葉が一番当てはまる調子で、たちまち聴衆の心を掴みます。

曰く、今の時代は、人とまったく話をしなくても、無言で買い物ができ、生活が成り立っていく、年寄りが家庭で役に立つことがなくなって、核家族が当たり前になり、老後の孤独がまっているばかり、こんな世の中が普通となり、それが常識となってしまったら、日本の将来は変質していく、人に頼ることばかり考え、自分を鍛えないでいる日本人の生活はどうなっていくのか、、

エッセイに「フリコメ詐欺にかかる人はバカだ」「貧乏人が分不相応なことを望むから生活が破綻したりする」といった差別的と言える用語をあえて使ったところ、ネットで大いに叩かれ、抗議をうけていると友人が警告してくれた、しかし、「私はネットなどというものを全く見ないので、何の痛痒も感じない」とさらりと言ってのけました。とても心の強い人なのでしょう。年老いて知った人がいなくなり、非常に寂しく落ち込むことはないのかという質問に「寂しいのは毎日で、それは当たり前、考えたってしようがないデス」(笑)。

やりたいことは総てやれて、あとは「ああ楽しかった」といって死にたい、、、まさに理想です。そうありたいと思いつつ、そうはなれない人のなんと多いことか。彼女の恵まれた体力と気力、それを鍛え続けてきた精神の継続力に、おそれをなしてしまいました。

嫋々とした女性的な情念を廃し、世間的な常識を踏まえたうえで正悪をはっきりとさせる、そんな父親譲りの小説手法で大衆をつかんだ、ある意味、強運、幸運な作家なのだと思います。 戦争を体験し、あの過酷な混乱の戦後を生き抜いた人は、ただただ「強い」と痛感させられました。スゴイ老人です。(2013.1.18.)
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