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恐怖のさった峠


雨が降り続き、翌日は晴れた。もう11月になっていたのだったと気がつく。起きてから1時間ほどで、気圧が変化してきた。急に北西から強風が吹きだし、1日中荒れ狂う、洗濯物など干したら飛んで行きそうだ、いよいよ名物空っ風のおでましかと思ったらそうでもなかったらしく、次の日は風もやんで素晴らしい晴天になった。

浜松に住むにあたって唯一の不満は、静岡県なのに富士山が見えないということだった。近くのガーデンパークの見晴らし塔に登れば見えるというので何回も上がってみたが、良く晴れた日でも、あれがそうかな、という程度の見え方で、連れ合いは不服そうだった。晴天の日を見つけては高速道路を走ったが2度とも富士山にふられた。ブツブツ文句を言ったら、夏場はみえることが少なくて、冬場になって風が吹き、空気が澄んでくると良く見えると地元の人は教えてくれた。

昨日の強風で雲も吹っ飛び、ピーカンの晴天!今日は見えるだろうと、朝食もそこそこに富士山を見に浜松を出発した。東名高速を30分も走らないうちにもう白い初化粧をした富士山が当たり前のように見えてきた。「見えた!見えた!」と喜んでキャアキャァ言いながら由比の町まであっという間についた。

案内本を読み込んでいた連れ合いは「由比のサッタ峠」というところからの富士山が一番だからそこへ向かうと言う、道はどんどん狭くなり、小さな表示柱からはさらにきつい登りになっていて道幅もやけに狭い。一方通行ではないらしいから、下りてくる車があったらとてもすれ違いなどできそうにもない。

やめておこう、とても車で行ける道幅じゃないと、いくら言ってもとりあってくれないでずんずん上っていく、ハイカーらしい人が横によって車を避けてくれるのが気の毒でならない。山肌にへばりついたように切り込んである道で、海側は段々畑のようになってミカンの実がなっている。作業をしている農家の人の軽自動車が道の端に止まっているのをサイドミラーをたたみ込んで、なんとかよけて通りすぎたものの、恐ろしくてどうしようもない、久しぶりに、本気で怖かった。

片側から張り出している石の崖と反対側の坂、オマケに「崖崩れ警告」まである、、ここを転がり落ちたらそれこそ駿河湾まで落ちていくのではないかと思った。頂上にたどり着いた時には手首が痛くなっていた。おもわずドアの手すりにきつくしがみついていたのだろう。

猫の額ほどの見晴らし場所にはそれでも3台ほど車が止まっていたのにはまたまた驚いてしまった。どうやってすれ違うのだろう、、こんどは下りる時が心配になる。「さった峠」、その昔、安藤広重が東海道を旅をしていた時に、この峠を登り、描いたのがあの有名な富士山と駿河湾の絵なのだそうで、まったく構図がそっくりなのには感心してしまった。さすがに「広重ポイント」と言われるだけのことはある。でも帰りの「下り」が心配でならない。写真を撮るのもそこそこに下り始めた。

バイクが3台ほど登ってきたが、幸いなことに大きな車に出会うことなく下りきることができたのは幸運だった。しかしもう二度と絶対にここへは車では上がりたくない。歩いていくのが当たり前の登り道を、ハンドル操作とサイドブレーキ操作で強引に上がってしまう年寄りなど、聞いたことがない。本当に呆れた。広い道に出てから、「すれちがう車が来たら困るとこやったナ」なんて言う、、もう無鉄砲にもほどがあると腹が立ってきた。

帰ってから何人かの人に「さった峠」って知ってる?と聞いてみたがだれも知らない、聞いたことがあるような、、という人が一人いただけだった。静岡の人は富士山なんて身近すぎて、あまり意識してないそうな。地元というのはそんなものかもしれない。

「有名な富士山ビューポイントなのに、なんでみんな知らへんねん!」と連れ合いは不満そうだったが、説明書によれば、北陸日本海の「親知らず、子知らず」のような難所で、海の潮が引いたときに大急ぎで走り渡ることしか通行手段がなく、非常に危険だったので、親も子も自分を守ることが精一杯で、相手を思いやることすらできないような有様だったとか。そこで、この峠の崖を切り開き道をつけたと書いてあった。



帰り道で見つけた由比町の小さな魚屋さんで「秋取りの桜海老」を買い、だんだんかすんでいく夕方の富士山を振り向き、振り向き、しながら何とか無事に浜松へ帰ってきた。早速調理をした桜海老は、この上なく美味しかった!今までの海老の中でダントツの一番をやりたい味だった。「怖さもダントツだったものね」と、話し合いながら疲れた本音もついポロリの、老人二人の危険な(笑)日帰り旅だった。
(2006.11.11.

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