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 浜松雑記帳  2013年 写真のページ


小国神社 (静岡県森町)





遠江国一宮

















(2013.12.02.)

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白倉峡 (浜松市天竜区)



2013年の夏は猛暑続きだったために、各地の紅葉はあまり期待できない感じでした。本当に綺麗な澄んだ色の紅葉は、もはやよほどの山奥へでも行かない限り見ることが出来なくなってきたのでしょう。関西、特に京都の南禅寺や東福寺の紅葉は圧倒的な人気ですが、昨今は観光客であふれかえり、入場制限されながら並んでの見物はまるで風情がありません。若い頃に訪れた時の印象が崩れる感じがして、見に行く気が失せていました。

移り住んだ静岡県は自然がいっぱい、夕方の地元のTVでは盛んに紅葉情報を流しています。耳慣れない土地名が耳に入りました、浜松北部の「白倉峡」です。天竜区にあり、ひなびた田舎の楚々とした紅葉が紹介されていました。

152号線を北へ、天竜川に沿って走りますと、一方通行だと思うほど狭い山道に入ります、そこから数キロ、時折降りてくる対向車とのすれ違いに肝を冷やしながら登っていきますと、それはそれは可憐な紅葉の道が見えてきました。山奥の時雨と冷たい空気にさらされて、洗い上げられたような清々しい透き通った木々の錦でした。(2013.11.20.)


細い山道、手前左がすれ違い用の場所です


細い山道に入ります(本当は歩くべき道ですが、、)





道端のドウダンツツジの赤が見事です





登山道の入り口に車を寄せて、写真を撮りました


山の中腹辺りから、道は極端に狭くなります


天竜川にある秋葉ダム(昭和33年完成 桜の名所でもあります)


倒木とドウダンツツジ (2013.11.20.)

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ガーデンパーク冬 (2013.12.06.)


川面に映る冬の木々


誰もいない冬の午後

来春は花博10周年記念博が行われます(2013.12.06.)

ガーデンパーク 遅い秋 (浜松市西区 2013.10.28.)



浜松に移ってきて一番幸運だったことは、家の近くにこのガーデンパークがあると言うことでした。

2004年4月8日から10月11日まで開催された浜名湖花博の会場として整備され、その後再整備されて、翌年には無料開放されました。面積 56ヘクタールという広大な自然公園です。庭の奥には「花の美術館」というモネ風の庭が造られていて、四季折々の花が植えられ、ボランテアの活躍でいつもキレイに保たれています。浜名湖に囲まれていて、自転車用の外周道路もあり、犬を連れての散歩も許可されています。展望塔からは晴れた日には富士山を望めます。

週に1度は散歩に出かけますが、たっぷり2時間は歩きます。冬場と夏場は足が遠のきますが、良い季節になれば出かけていき、帰りには地元の野菜や魚を買って帰ります。こんな日には、しみじみと「終の棲家」で与えられた幸運を感じるのです。

今年は酷暑でした。出かける気は萎えて、とんとご無沙汰、横を車で通りすぎる日ばかりでしたが、やっと秋晴れになった日、待ちかねて歩いてきました。来春には花博10周年、記念の花博も開かれます。会場はそろそろ準備にはいるのでしょうか、あちらこちらでスタッフが忙しそうに集まっていました。(2013.10.28.)


展望塔とコスモス


タイの館前の芝生、アート模様はまだグリーンです


花壇のダリア

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岐阜城からの眺望 (岐阜市金華山)



岐阜城は、岐阜県岐阜市の金華山(稲葉山)頂上にある山城です。元々は稲葉城と言いましたが、織田信長が、斎藤龍興から奪い取り、それまでの稲葉山城の縄張りを破棄し、新たに造営したものと言われています。城跡は岐阜城跡として国の史跡に指定され、岐阜公園とともに整備されています。

Wikipediaによれば、「信長公記」には、「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されているそうです。その後、1600年、関ヶ原の戦いの後、廃城となりました。

急峻な山の上に築かれた城は攻めることが難しかったことを思わせる造りですが、信長という名前から感じられる異形の凄さとか非情さは感じられませんでした。(2013.9.26.)


岐阜城天守閣


天守閣への道


岐阜城天守


天守閣から望む長良川と濃尾平野


金華山頂上の岐阜城と岐阜公園を繋ぐロープウエイ(2013.9.26.)

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日本平ホテルからの眺望 (静岡市清水区)



静岡市清水区にある日本平ホテルは、近年リニューアルオープンし、国際会議も開催出来る水準を持つホテルとなりました。客室80室の小規模ながら、富士山をのぞむ眺望を生かしたロビーの設計と、そのロビーからガーデンに向かって開いている「ザ・テラス」のお料理が評判をよんでいます。

台風18号が駆け抜けていった翌日は、素晴らしい晴天で、まさに爽秋という言葉そのものの日になりました。ロビーからの富士山は、あまりの見事な青空に飲み込まれたようで、輪郭はうっすらでしたが、穏やかな顔をしてそこにありました。(2013.9.18.)


ロビー正面から富士山が見えるように設計されています


ホテルテラスに出れば駿河湾が広がります


ホテル外庭から


富士山と駿河湾


清水港と駿河湾

(2013.9.18.)

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松本城 (長野県)



松本城は、安土桃山時代の末から江戸時代の初期に建造されたと言われています。天守閣は国宝に、城跡は国の史跡に指定されています。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)と言われたそうですが、その黒い色合いから、烏城(からすじょう)とも呼ばれています。松本城は、山城ではなく、平地に建てられた平城であり、現在、日本に残っている唯一の平城なのだそうです。

すさまじい豪雨を浴びたあとの城は、凜として美しく、信州の風を受けて静かに建っていました。(2013.7.27.)





松本城南面


松本市街と天守閣


お堀


太鼓門


巨石と城門


松本の空(驟雨の後


父をおくった夕方、里の落日(2013.7.25.)
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箱根関所跡と小田原城(神奈川県)



箱根関所跡
江戸幕府によって1619年元和5年から1869年明治2年まで、相模国足柄下郡箱根(現在の神奈川県箱根町箱根)の芦ノ湖の湖畔に設置された東海道の関所の跡です。
箱根関所というと、「入り鉄砲に出女」という言葉が有名ですが、主に武家が対象であったようです。江戸後期には厳しさが失われて、比較的取り締まりは緩やかになっていたということです。

車でいけば簡単に行けますが、深い山々や峠を越えて歩くのは、さぞかし難儀なことだったろうと思います。いくらでも抜け道や間道がありそうでいて、そうでもないといった場所でした。
(2013.7.01.)


箱根関所江戸口御門


関所大番所


京都口御門


箱根関所への道


芦ノ湖のほとりに建つ関所


お土産やさんも関所風


小田原城
北条氏の居城です。北条氏は日常の住まいを現在の天守の周辺に置き、背後にある八幡山を防御の拠点「詰の城」にしていました。3代当主北条氏康の時代には、難攻不落、無敵のお城といわれるようになり、上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えたのだそうです。江戸時代に改修されたものが、現在の小田原城址の主郭部分となっています。

この城は、豊臣軍に対抗するために作られた大きな外郭を持つのが特徴で、八幡山から海側に至る広大な範囲を土塁と空堀で取り囲んでいた遺構が、完全には撤去されずに残っています。風格のあるかなり大規模な城です。
(2013.7.01.)


小田原城天守閣


小田原城お堀


常磐木門
(敵がここまでたどり着くのは難しかった)

小田原城天守閣


銅門

一夜城趾
一夜城とは、豊臣秀吉が小田原の北条氏を海と陸から大群を率いて包囲した時の本陣です。「石垣山一夜城」または「太閤一夜城」と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中で、敵から見えないように城の骨組みを造り、一気に周囲の木を切り倒し、一夜にして城が出現したかのようにみせたということからきているのだそうです。実際には、お話のようにうまくいったかどうかは疑問です。しかし、石垣山からの相模湾の展望はなかなかのものでした。

東京から進出した有名パテシエの出店があり、都会的なお菓子のデザインは、女性客を引きつけているようでした。


一夜城ヨロイヅカファーム(左手下が相模湾)


地元産オレンジのブランマンジェ (2013.7.01.)

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 四条河原町界隈 (京都市)




四条大橋から北方面をのぞむ(出ばっている「床」で、狭く感じる河川敷)



木屋町交差点あたりのお店も、すっかり様変わり


烏丸通り(ビルだらけで、車の多さに唖然)


四条河原町交差点(突きあたりは祇園八坂神社)



夜の南座

四条大橋から河原町方面(老舗「東華菜館) 2013.6.04.

古い友人達との会合で久しぶりに京都へ出かけました。平日なのに、ひどい人出です。繁華街のアーケードの下は、まるで大阪の心斎橋筋かと思うほどの人であふれかえっています。車の乗り入れを規制しているはずなのですが、そんなことはお構いなしの激しい車の往来で、排気ガスの匂いが充満しています。「古都京都」にふさわしくない空気でした。

昔と比べるのがいけないのでしょうが、それにしても年々京都の街は荒んでいくように思います。経済最優先ですから仕方のないことなのでしょう。昔ながらの小さな老舗のお店は、そのほとんどがビルになり、名前も変わっています。淀んだ排気ガスに埋もれた京都の街は、なんだか憐れに見えました。歩きながら三脚もなしで撮った写真は、昔を懐かしんでか、ブレて揺れ揺れになってしまいます。


街に詳しい友人の紹介で訪れた店は、四条の鴨川沿いにあるロシア料理レストラン キエフ Kiev でした。ソ連時代だった1971年に、キエフ市と京都市が姉妹都市になったのをきっかけに始められたお店だそうで、あの伝説の歌手加藤登紀子さんの弟さんが経営し、彼女もときどきライブ公演を行なうのだそうです。京都では珍しく、本格的なロシア料理がいただけるお店です。

一緒に饗された「ロシアのシャンパン」と称するグルジアのスパークリングワインは、首都トビリシ(グルジアは旧ソビエト連邦の構成国のひとつで、首都はトビリシです。温暖な気候を利用したワイン生産が盛んな国なのだそうです)の名前がついた珍しいもので、ほの甘く軽めに出来上がっていて
、例えて言えば「花嫁さんのシャンパン」といった、風情のある柔らかい口あたりです。 かわいらしく繊細で、かのスターリンの出身地グルジアからやって来たということが意外な感じの味でした。(2013.6.04.)



Kiev キエフ店内(湯沸かし器サモワールが沢山ありました)


オールドトビリシ(グルジアのスパークリングワイン)


そば粉入り黒パン



横浜三渓園と霧笛楼 (神奈川県横浜市)




三渓園正門
三渓園は、明治時代に生糸の貿易や製糸産業で巨万の財を成した原富太郎(原三渓)が作った日本庭園です。日本各地から集められた歴史的建造物と日本庭園をメインにした広大な大庭園で、建築ミュージアムとのような感じです。当時の富豪が持っていた桁外れの財力を思わされます。2007年に国の名勝に指定され、一般に公開されています。


大池


旧燈明寺三重の塔(室町時代)


鶴翔閣(三渓が住まいとして建てた家)
大池に沿って歩くと、行く手に茅葺き屋根が見えてくるように設計されました


臨春閣(江戸時代)


TVドラマ「坂の上の雲」の撮影にも使われたという橋


御門(結婚式の写真撮影にも一役かっているようでした)


旧天瑞寺寿塔覆堂(桃山時代)


聴秋閣(江戸時代)
(2013.5.09.)



霧笛楼は、1981年に横浜に開店したフランス料理のお店です。明治の開港時代における元町から中華街に通じるあたりを舞台にして書かれた大佛次郎の小説「霧笛」が店名の由来なのだそうです。ロマンチックですね、、

港町横浜のおしゃれな雰囲気を残していて、家具調度品やお皿、カップなどに横浜のノスタルジックな歴史や文化が感じられます。どこか懐かしい雰囲気を持つレストランでした。


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8年目の薔薇(2013 年の庭)





昨年、2度の台風直撃を受け、塩害で花が小さい今年の薔薇です(2013.5.15.)


堀出前中央公園の船型滑り台(2013.6.23.)


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トヨタ博物館と豊田佐吉記念館


1989 年にオープンしたトヨタ博物館は、19 世紀末から20 世紀におけるガソリン自動車の歴史と発展を、アメリカやヨーロッパで製造された当時の自動車を展示することによって、来訪者の目に見える形でわかりやすく伝えています。

展示された自動車を見ていますと、アメリカや欧州の車に比べて、戦後すぐの日本で生産された車は、見かけも性能もひどく劣っていますから、今、日本の車が世界を席巻していることが信じられないような気がしてきます。

華麗という言葉がぴったりの欧州車は、その豪華さと美しさで目を引きます。王室や大富豪の桁外れの富を感じさせられます。そして、昔のアメリカのTVドラマ「サンセット77、ハワイアンアイ」などに登場した超大型の平たいアメリカ車は、力強さとサイズの大きさで見る者を圧倒します。燃費などを考えなくてもよかった時代の車でした。

「20世紀は車に恋した時代」と言われているのだそうです。本当にそうですね、そのおかげで、車は長足の進化発展をとげ、人の生活や環境を変え、考え方にまで深く関わるようになりました。そして時代は変わり、今は未来の為にいい環境を残す必要にせまられています。ガソリンに代わるエネルギーを探る課程で出来た画期的なハイブリッドの技術や、電気で動くエンジンなど、技術の国日本が、その開発の先頭を走ってほしいと願いながら、懐かしい想いで美しい昔の車たちを見て廻りました。(2013.4.25.)


愛知県長久手市


トヨタ最初のモデルAB (1936年製)
シックな色と型です、今から77年前に登場しました。


運転席、ベンチシートにフロアーシフト、懐かしい仕様です。


自動車の原型(すでに、走行に必要なものは揃っていました)


スタンレースチーマーモデルE2 (1909 年アメリカ)


フォード モデルT(1909年アメリカ)
後に流行するT型フォードの原型です。



ロールスロイス シルバーゴースト (1910 イギリス)
シルバーの試走車が、幽霊のように静かに走ったことから、この名前がついたという、ロールスロイス最大の傑作と言われている車だそうです。




イスパノイザ アルフォンソ]V(1912 年スペイン)
王妃からアルフォンソ王に贈られたもので、史上初の本格的スポーツカーと言われています。


ミネルバ モデル30 CV タイプAC (1925 年ベルギー)
世界の王室や富豪に愛用された名車です。


ベントレー4 1/2 リットル(1930 年イギリス)
ベントレーは1920年代にはル・マン24 時間レースで4連勝をはたし、高速で長距離走行が可能な車としてすでに有名でした。


メルセデスベンツ 500 K (1935年ドイツ)





フォード モデルGPW (ジープ・1943年アメリカ)
小型の四輪駆動車、米兵がガムをばらまいた車でしょうか、、



フォード サンダーバード (1955 年アメリカ)
V8エンジン、スポーテイで高級なパーソナルカーとして登場しました。


キャデラック エルドラド ピアリッツ(1959 年アメリカ)
V8の力強さと豪華さを誇った大型車で、1950 年代アメリカ車を代表する車です




ジャガー Eタイプ(1965 年イギリス)
ロングノーズ、ショートデッキは後のスポーツカーに大きな影響を与えました


フォード モデルT(1908年〜1927 年アメリカ)
(黒い車:センタードアセダン1915、緑色:クーペ1927)
大量生産され、1908年から1927年までに1500万台が生産されたといいます。ベストセラーカーで、今でも実際に運転出来る車です。

・写真はトヨタ博物館で撮影
・各車の説明は、博物館の展示解説より抜粋(2013.4.25.)

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豊田佐吉記念館(静岡県湖西市)



豊田佐吉記念館は、トヨタグループの創業者 豊田佐吉の生誕120年を記念して、生誕の地、静岡県湖西市に1988 年に開館されました。佐吉の生家を中心に、佐吉が発明した数々の織機やゆかりの品々を展示しています。発明に没頭した小屋のたたずまいや、当時の生活様式も見ることが出来ます。

明治23年(1890)日本初の木製人力織機を開発し、1897年には日本初の動力織機を完成させました。そして1926年に画期的な豊田式自動織機を完成します。その後、息子喜一郎が国産自動車の製作を開始し、技術大国日本のさきがけとなりました。(2013.4.28.)



記念館入り口


豊田佐吉生家


鉄と木で作られた最初の動力織機
(これが現在のトヨタ車につながったのですから、驚きます)

 ( 2013.4.28.)

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つつじ公園 (磐田市見付)



磐田市は2005年4月1日に町村合併で新しく誕生した市です。日本で有数のトンボ生息地でもあり、豊かな自然が残っている所として知られていますが、そればかりではなく、物作りの盛んな市でもあります。静岡県屈指の農業生産量を誇り、繊維産業、金属加工、自動車生産、楽器製造などでもトップクラスの業績をもっています。スポーツ熱もく、サッカーJリーグ、ジュビロ磐田の根拠地でもあり、元気のいい街です。

市内のツツジ公園が満開との報道で出かけてみましたら、想像を超える華やかさでした。園内には小径があちこちに作られていて、それに沿って植えられた3500株もの大木のツツジが妍を競い、色とりどりに咲き乱れる花は圧巻でした。(2013.4.22.)







(2013.4.22.)

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四月の富士山 (2013.4.05.)




由比パーキングから


新東名富士市付近


富士川楽市楽座パーキング展望台から 


河口湖畔


西湖岸辺

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太平洋ロングビーチ(愛知県田原市渥美半島)




遠州灘渥美半島)
風もなくて、波が穏やかでした

突然視界が開けます
浜松から国道42号線を南下して左折、狭い山道を海に向かって行くと、突然視界が開け、打ち寄せる 太平洋の荒波が目に入ってきます、太平洋ロングビーチです。たいそうな名前ですが、演出効果満点で、美しい海が見えてきます。

ここは全国屈指のサーフポイントで、多くのサーファーが集まる場所だそうです。遠州灘の荒波が打ち寄せて、サーファー憧れのビッグウェイブが満喫できる場所なのだそうです。2月末ということもあって、サーファーの姿はなかったのですが、多くのクルマが駐車していて、やっと訪れた春の気配を楽しんでいました。道路沿いにはひょろ長いノッポ椰子の木が並び、日本にいながら、ちょっとしたウェストコーストの雰囲気が感じられます。春光降り注ぐ穏やかな午後でした。(2013.2.28.)


(2013.2.28.)
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ガーデンパーク(浜松市西区)

遠州灘と浜名湖全景

4月のガーデンパーク (2013.4.18.)


青い花の川


噴水のある庭


満開の芝桜(2013.4.18.)

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寒冬のガーデンパーク


ガーデンパークから北方面を望む


ガーデンパーク東側、雄踏方面


もうすぐ春(2013.2.14.)

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浜松動物園のライオンと虎(浜松市西区舘山寺)








虎とライオンだけが元気に歩き回っていました(2013.3.04.)
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ガーデンパークのラントハンター達
プラントハンターとは、17世紀から20世紀中期にかけてヨーロッパで活躍した職業であり、食料、香料、薬、繊維等に利用される植物や、観賞用植物の新種を発見するために世界中を探検する人のことである(Wikipediaによる)

世界で初となる貴重な異国の植物を集める旅は、香料を求めたエジプトのファラオ、ハトシェプスト女王による紀元前15世紀の探検が最初だそうです。

江戸時代後期に長崎に滞在したドイツの医師シーボルトもその一人であり、花を好む日本人は、人間的なレベルが高いと、高く評価していたということです。

冬枯れのガーデンパークの枯れ枝の合間に、このハンター達の像が立っているのが見えました。それぞれの形で表現されていて、ある種の風格さえ感じました。スペインのラマンチャで見たドンキホーテの像に雰囲気がよく似ています、壊れかけた彼らの衣装から、異国での孤独な長い旅の、疲れと哀愁が立ちのぼっているような気がしました。(2013.1.07.)


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