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遅生まれ(おそうまれ) 

ようやく気温が春になり、いい季節が到来しそうな気がして、少し心がなごんだ誕生日、お祝いに頂いたメールに「ところで4月3日は早行きですか?」とあった。
「早行き」、、?!すぐに早生まれで「早上がり」のことと分かったが、この言葉は生まれて初めて聞く言葉だった。早速に関西人である連れ合いに聞いてみるが「知らない」と言う。「早行き」、、面白い言葉だ。今のトシを考えれば、あちらの世界への「早行き」もあり得る(笑)などと老夫婦は話し合い、ひとしきり楽しんで笑った。

そして、産んでくれた母親はもう生きてはいないけど、子供の頃によく語っていた事柄を思い出し、すっかり盛り上がった。

戦前には一家に子供は少なくても3、4人、多ければ8人とか10人とかもあったように記憶している。そして誕生日なんかお祝いして貰うなどと言う習慣もなかった。文句を言おうものなら「ウチは仏教です!」という返事しかかえってこなかった。誕生日の祝いなどはキリスト教の人だけのことと思わされていたような気がする。何かの折に子供達の生まれ月の話になると、母親は必ず恩着せがましく私に言ったものだった。

生まれた子供の生年月日を少しずらして、都合の良い日にしたり、祭日や記念日に当てはめて届け出をするのが当たり前だったから、4月3日に生まれても3月末日にして役場へ届ければ、学校へ上がるのが一年早くなる、そうすれば早く卒業出来て、女は早く嫁に行くことができる。しかし考えたら、4月3日は「神武天皇祭」で良い日だったからもったいないと思い、日にちを動かさずにそのままの生まれ日を届けたのだ、良い日だから幸せな運があるはずだよ、と。

だから生年月日であなたの性格を占ったら「早合点」他、、ナルホドと納得するでしょ!もし日にちをずらしたら、こんなにぴったりとは当たらないんだよ、、と。

そう言えば連れ合いは七五三が誕生日だ。きっとこれも動かしているような気がする、だって生年月日性格占いがまったく当たっていないモン、、(笑)。

昔は、お役所も鷹揚だというのか、いい加減だというのか、お役人も見て見ぬふりが上手だったようだ(昨今の役所は自分たちには鷹揚だけど、、)闇から闇のヤバイ事などもきっといっぱいあったのだろう。

ピンポーンと呼び鈴が鳴って、保険やさんが誕生日のお祝いにと、昭和13年の「思い出新聞」なるものを届けてくれた。

へ〜ぇこんなモンがあるんや、、読んでみるとこれがまた面白い、1938年、昭和13年と言えば、戦争の足音が高くなりつつあり、暗黒の時代に突入するイヤ〜な気配濃厚な時代だ。並んでいる出来事は、

「国家総動員法が成立」
「日本、東京オリンピックを返上」
「ドイツ、オーストリアを併合」

、、などと、戦争の時代に入る不気味な雰囲気が伝わってくる。

すでに「代用品」という言葉が生まれ、その品物が出回り始めていたのだそうだ、たとえば「竹製のスプーン」、、昭和13年にはもう金属が枯渇し、竹で代用とはなんということだ、これでは、あと7年もの戦乱に耐えうる物資など日本のどこを探してもあるはずがないではないか。それでも開戦に踏み切った日本の中枢は一体どんな勝算があったのだろう、、

流行った歌という欄には

「別れのブルース」「支那の夜」「旅の夜風」「満州娘」「雨のブルース」などが並んでいる。どの歌も何となく知っているような、、「マドヲアケレ〜バ〜ミナトガミエルゥ〜、、メリケ〜ンハトバノ〜」子供の頃に耳に入った歌はしっかり覚えているんだと妙に感心してしまった。傀儡国「満州」を作り中国侵略の足がかりにした時代を強く反映した流行歌ばっかりだった。

物価と言えば、コーヒー15銭、映画館入場料50銭、だったそうだ。1円の半分が50銭、、どうもピンとこない。これは連れ合いに聞くに限る、なんと言っても、うどん5銭を覚えているお人だから、、

戦前と戦後をはさんでの10年の差はものすごく大きい、貨幣価値の大変動があった時代だから仕方がないことだけれど、主のうどん5銭と、おババの銭湯25円の差は大きすぎる。今でもその「差」はあらゆる所にあって、埋まっていないような気がした。72才の誕生日は、かくしてズルズルと昔の思い出話で終わりになった。

そして、ひどい時代をすりぬけて生き続けさせてもらったことを親に感謝し、古い時代と新しい時代、それに超がつく新時代を見聞きする事が出来、つぶさにその変化を体験出来たことは、生まれ日をそのままに母が届けてくれた幸運のおかげかもしれないと思うことにしよう、そう思った。(2010.4.3.)
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