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三つ星という評価


三つ星レストランと聞けば、どんなにか美味しくて豪華絢爛な店かという思いがわきあがってくる。「三つ星」という言葉は、日本でもいろいろな物のランクづけに使われている。そして物見高いTVの番組などで「三つ星」という言葉は安易に使われ、妙な三つ星があふれている。

「イタダキマシタッ!星三ッツですぅ〜」

レストラン格付けで有名なフランスのミシュランから毎年発行されるミシュランガイド本は、1900年フランスを車で旅する人達に向けてのタイヤ屋さんのサービスとして始まったということはよく知られている。専任の覆面調査員によってレストランに対する厳しい審査が数回行われるということが知れわたり、信用のおける案内本としての地位を確立してきた。

しかし順風満帆だったわけではなく、近年「裏ミシュラン」なるきわものの本が出版されたり、元調査員によるいい加減な調査話がすっぱ抜かれたりして評価が落ち、うわさ話に尾ひれもついてミシュラン本の評価はそれなりに下がり始めた。そこで、食べ物には一家言を持ち、世界中のおいしい料理に関心を持つようになった贅沢好きの日本人に注目した彼らは、ガイド本を売り込む新たなターゲットとして東京に狙いをつけ、ミシュラン東京版を発行した。

新し物好きの日本人のことだから東京版は発売初日から飛ぶように売れ、わずか4日でガイド本は売り切れとなって、このミッションは成功した。時流に流されやすい日本人をうまく取り込んだと言えるのだろう。本来、料理の美味しさと共にシャトウ風の豪華な内装を施したレストランにしか与えなかった三つ星を、ビルの中にあり、僅かなカウンター席しかない寿司屋に与えたことが話題になった。そして2008年には大阪京都版が発行された。

そこには本来のミシュランガイドからは大きく転換した格付けの紹介がなされた。星をつけること以外には格付けの理由などを書いてこなかった伝統は放棄されて、店舗写真や星の理由まで載っているという日本特別グルメ版の安っぽいものになった。

しかし星の威力は大きいことも事実である、外れたら困るという料亭も出てくるのは当たり前だった。さる有名な料亭は評価の前に星を辞退したいと言った。理由として、フランス人に日本料理の神髄などは分からないだろうし、そのような所の評価は受けたくないというようなことだった。もし三つ星などいただいたぶんには予約が殺到し、本来のお得意様にご迷惑がかかるからなのだそうだ。庶民にはなんとも納得しがたい言い訳にも聞こえる。

京都には「一見さんお断り」のシニセがかなりあった。しかるべき紹介がなければお客様には致しませんという、まるでリゾートクラブのような規約である。しかし、一億総グルメ時代、景気が悪いにもかかわらず、伊勢エビやアワビなどをふんだんに使ったフランス料理などがテレビの画面を彩っている昨今、このような事を言っていては商売にならないと思う経営者が出てきて当たり前である。

フランス人シェフを招いて料亭の厨房でお互いに料理を作って食べ比べるといったイベントが行われるようになったりして、一見お断りはなしくずしに緩くなってきた。この意味では京都版の功績はあったと言えるのかも知れない。

老舗の奥深くで一子相伝とやらの伝達方法で作り方を仰々しく授けるなどは、もはや時代錯誤だろうし、自分のレシピを堂々と公開する世界の料理人達と勝負してこその「奥深い京都の味」だろうと思う。

前置きばかり長くなってしまったが、つい先日この京都版で三つ星に輝いたという料亭でお昼をいただく機会があった。なにせ三代続いた老舗中の老舗である。街ナカにあるサテライト店ではいただいたことがあるが、本店ははじめてであるから期待して出かけた。三つ星を得るということは、まず店構えや内装、居心地などが評価をされるはずだったが、通された座敷は汚れよけのうすべりが引かれ、座るでもなし、腰掛けるでもなしの経机のごとき食卓と低い椅子が並び、はなはだ座り心地が悪い、足のやり場がないのである。足の長い男性にはもっと大変で、出っ張ってきたお腹が圧迫されて、食べる気分を削ぐ。この店はこれだけで落第であった。

本来の日本式をおし通した純座敷にするか、掘りごたつ式に足を落とし込む形式にした方が客にとっては有り難い。座る生活から遠くなりつつある日本人に楽なようにと考えたにしてはあまりに考えが浅い。人間工学をきちんとふまえて考えればこういう中途半端なサイズの椅子は思い浮かばないはずだろうに、、

仰々しく運ばれてくる料理は献立がおざなりで目新しさがなかった。同じような味の物が並んでいて、季節感もメリハリもなく、味に変化と驚きが無い、これも無星。流石と思わせたのは「明石鯛の造り」だけだった。弟子に任せたと思われる昼食の献立は、三種もの汁物でお腹がダブダブするばかり、おしゃべりな仲居は店の伝統を自慢し、うるさくて品がない。ミシュランの調査員はどこを評価したのだろうか、まことに不思議だった。

たった一回だけで評価してはいけません、あと何回かは行ってみなくては、、ミシュランの調査規定に従えばばそうなるのだが、あと一回でも行くのは気が重いという「期待のお食事」でアリマシタ(笑)。

失望は有名料亭だけではなかった、古都京都の街もまるで魅力がなくなっていた。河原町周辺や三条通りの落ち着いたたたずまいの店舗はすっかり影を潜め、数も少なくなってしまっていた。高い相続税のために売り払われたのだろうか、多くの老舗がけばけばしい店にとって代わられ、下品な看板ばかりが目についた。

街全体が星ナシになり、輝きを失ってしまったように見えた。昔を知る者にとって、そんな今の京都は少し哀しく、そして侘びしかった
。2010.5.27.


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