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メロン昔話


静岡県は活発な農業県といってもいいのだろう、地場の野菜や果物を地場消費することを熱心にPRしている。東海地方は、これから「メロン」の最盛期を迎える。

メロンは世界中に多くの品種がある。ミネラル豊富で、カリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、ナトリウム、鉄を含み、オレンジ色の果肉のものはカロチンが多く、果実の中でもその含有量は多いのだそうだ。又、メロンには水溶性の食物繊維であるペクチンが多く含まれ、それが滑らかな舌触りを感じさせてファンが多い。

連れ合いはこのメロンがことのほかの好物で、メロンという言葉だけで顔がほころぶというほどのメロン好きだ。スイカやウリといった水っぽい果物が好きではないおババは、もとはスイカと同種だったであろうメロンもあまり好きではない。しかし、カリフォルニアメロンはある事がきっかけで好きになった。安価な割には甘く、一個でたっぷりとおなかが大きくなる。勝手につけたカリフォルニアメロンと言う名前は勿論正式名ではない。多分ハネデュー(Honey dew )という種類の一種ではないかと思っている。大きな玉で、一個2kg 以上はあるだろう、大きくてつるっとした白っぽい緑色の薄い皮で、ねっとりとした甘みがある。

浜松に来て3年目、少し遠出をした帰り道、御前崎灯台から浜松方面へ向かうのに、ジジ運転手はどうも東名高速には戻らず、このまま国道を行くつもりらしかった。まあ時間はいっぱいあるおまけ人生の二人だから、どうでもいい話だけれど、ゆっくりと走りながらしきりに道端を気にするそぶりにいささかうんざりして聞いてみた。

「何を探してんねん?」

「ウン、、いや、別に、、」

こんな返事の時は絶対に何かを探している、しかしあまりおおっぴらに言いたくもない事なのだと承知しているから、しばらく様子を見ることにした。それにしてもかなりの脇見運転、気が短いおババは又聞いた。

「何を探してんねん?言ってくれれば私が探す!危なくて身が縮むし、、」

「メロン!メロンやねん、、」

「メロン?どうして道端ばかり見てんのん?」

「いや、、昔この辺でメロン買うたことがあるやん、、いっぱい出店があったやろ」

「えっ?いつのこと?」

それが40数年前のドライブ旅行の時のことだと気がつくのに多少の時間がかかった。もう半世紀にもなろうかというあんな昔のことを、、

「この時代にメロン小屋が出てるはずがないやん!何年前だと思ってはんのん?こんな車の多い国道の道端なんか、危のうて、店なんか出されへんよ」

「そうか、、そうやなぁ、、道端は危ないわなぁ、、でも一軒くらいメロン屋はありそうなもんや!」

その昔、まだ高速道路もない頃に、新婚旅行と言うのも憚るような、まるっきり予定のないドライブの旅をした。コンテッサ(伯爵夫人)というリアエンジンの車は、おババが嫁に来なければならなくなったきっかけを作った事故のために、修理後の調子もイマイチで、クーラーもなく、8月の終わりの猛暑に悲鳴を上げながらドタドタと走った。座席の白いシートカバーには、すぐに丸い汗じみが二つついた。名前の優雅さなんてどこにも感じられないバタバタのメタボ夫人だった(笑)。

東海地方をぬけて横浜から東京、そこから日光へ向かい、中禅寺湖周辺に出る予定だったが、その途中で静岡県を通過した。その時、道端に「メロン売ります」という板っきれの看板がひっきりなしに出てきた道があった。「メロン、300円」今の300円ではない、44年も昔のの300円だからそんなに安くもなかったのだろうが、「安い!」と感激して、二つも買い求めた。それを旅館の部屋で半割にして食べたのが、まことに美味しかったというのだ。買ったという事実だけはおぼろげに覚えてはいるが、その味なんて言われてもおババは覚えてなんかいない。

「ここらへんやったと思うねん、、、」

ジジはまだ諦めてはいなかった(笑)。

小屋がけの店なんて、もう出てるはずがないから、ひたすら大きな看板を探して、ようやくフルーツの店を見つけた。マスクメロンには少し時期が早いとかでハネデュメロンが出ていたが、それを見つけたジジは嬉しそうに抱えてきてもう離すはずもなかった(笑)。

「それ、ホンマのメロンじゃないよ〜」

「うん、でもエエねん、これもうまいよ〜!あの時も美味かったやんか!」

「あの時?そうか!カリフォルニアの時やね!」

「静岡道端メロン」から数年後、ツアーでカリフォルニアへ旅行した。この時はまだ飛行機の事情が悪く、アメリカ国内便で予約再確認の電話を忘れてしまった添乗員のおかげで、本来飛行機に乗るところを急遽ワゴン車で行くことになってしまったのだった。一日かけて延々と走り続ける車が休憩で停まった小さな農園に、そのメロンが山積みになっていた。夏休みの時期だったから、アメリカの西は乾燥して暑く、ノドがカラカラに乾いていた(ペットボトルの水なんてまだなかった)ので、そのメロンがジューシィでまことに甘露で美味しかったのだ。その時にそのメロンをどうしても持って帰ると言ったのがほかならぬジジだった(いやいや、当時はまだ40代の前半だった)。それも5個入りの箱を4個も!こんな美味しいメロンは日本にないから(今はスーパーでいっぱい売っている)、お土産にするというのだ。まだ若く、主婦経験の浅かったおババも、反対どころか大いに賛同して、持って帰る手続きに奔走した(今思えば、ほんまにアホやった)。

税関や検疫を通過する手続きもかなり手間がかかった(検疫では一個を割って調べられた)が、とにかく羽田空港で(当時は成田空港はなかった)4箱のメロンを受け取ることが出来た。乗り継ぎ便で伊丹空港(大阪空港)までこの箱を持って帰らなければならないことに、ここで初めて気がついた二人は愕然とした。

その日の羽田空港は、前日の台風で足止めをくらった乗客と、遅れて到着する帰国便から降りてくるお客とそれを出迎える人でごったがえし、正月の明治神宮の賽銭箱の前のようなありさまで、押し合いへし合い、立錐の余地もなかった。汗で鼻からずり落ちるサングラスを外してもバッグに入れることも出来ないほど空間が無かった、どこを探しても荷物用のカートなど一個だに残っていない。4箱のメロンは出口の隅っこのようやく確保した地べたに積んだままだった(よくぞ踏んづけられなかったものだと思う)。

航空会社にかけあおうにも、そこまでたどり着くこともできない、たどり着いたところでカートなどあるはずもない。どうしよう、、大阪行きの乗り継ぎカウンターに行く時間もせまってきているのに、、

ここでメロンの番をしていろと言い残して、行ったきり姿も見えない連れ合いにこちらの心配も極限に達した。何とかこの箱を積むものを探してこなくては、、、近くに座り込んでいたオバサンにメロンの箱を見ていてください、とお願いしてカウンターまで近づこうと人を掻き分ながら進んだ、向うからなにやら大声が聞こえる、みるとバカでかい荷物車を押して「どいて!どいて!」と怒鳴りながらノロノロ進んでくるジジが見えた。周りの人たちは迷惑顔ながらなんとか避けてくれている。ウワ〜!あんな大きな荷車、どこで手に入れたんやろ、、

当時の航空会社に少しコネクションがあったジジは、乗客の入れないところまで行って、この車を借り出してきたらしかった。人をかきわけ、汗びっしょりになりながらメロンを置いてあるところまで戻り、番を頼んだおばさんに一個を進呈して、今度は二人で「どいて!通ります!!危ないからどいて下さい!」と怒鳴りながら、乗り継ぎ場所に向かった。

何とか大阪行きの便に間に合い無事帰宅して、メロンをご近所に留守番のお礼としてお配りした。それはそれは大変なメロンだった。今同じことをするとしたら、とても体力的にできっこないし、それよりなにより、メロンを購入することをしなかっただろう、トシをとって少しは先のことを考えられるようになったからだ。これは、若いということの意味をいろいろに考えさせられる出来事として、ジジババの心に焼き付いている事件のひとつなのだ。バカだったなぁ〜、、と。

食べ物ほど手軽に人を嬉しがらせるものはないのではないかと思う。美味しいもの、好きなものの前では誰でも笑顔になり、幸せ顔になる。あの時はまだ若かったジジ(笑)は、キッチンで半割りならぬ小さく切ったカリフォルニアメロンの角切りがどっさり入った鉢を抱えて、嬉しそうにひたすら口にはこんでいる。もう少し経てば静岡メロンは旬を迎える。きっとまたあのメロン屋に行くと言い出すに違いない。

5月の遠州灘の風は微風、満開の薔薇に陽は暖かく笑いかけ、浜松は一番いい季節になった。(2008.5.26.)

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