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お祭りのお赤飯


お隣から「お赤飯」を頂いた。先月も裏隣の方からお赤飯を頂いたが、それはお孫さんのお宮参りのお祝いだったか。今日はなんやろ?「何かお祝い事ですか?」と聞いてみると明日がお祭りの日だから、、ということだった。そう言えば、地元の神社の祭礼だといって若い子達が寄付を頼みにきて花飾りをおいていったっけ、、お祭りにお赤飯、いいなぁ!ここはやっぱり田舎なんだなぁ、、ちょっと嬉しくなった。

子供の頃、お祝い事があるハレの日にはお赤飯を蒸す蒸篭(せいろ)が釜にのせられて、もち米の蒸される匂いが家中にただよっていた。女衆が忙しそうに小豆を炊いた汁を、蒸しているもち米のうえに何回もザッとまわしかけていた。車麩の煮物や鯛の焼き物がつけばその豪華さに、お祝い事の中身などはどうでもいい子供の心がホクホクと浮き立ったものだ。

祖母が祭ごとや仏事にうるさい人だったから、母は何か特別な日には赤飯やお寿司、おはぎなどをいつも作っていた。それを重箱に詰めたものを、本家や各分家に届けるのが子供の役目だった。自動車も自転車もない時代だったから、見栄えのいい下駄を選んで履いて、洗い立てのワンピースなどを着て、風呂敷に包んだかなり重い重箱を下げて、大手通りまで歩いていった。大通りを通るよりは搦め手の細い道を抜けた方が早いのもよくわかっていた。10才くらいの頃だった。

玄関で伝えるべき口上も毎度のことだから覚えている。本家の玄関は鬱蒼と繁った庭木に囲まれたアプローチをぬけた奥まったところにあった。少し湿っぽくて静かでシーンとしていた。願わくは、対応に出てくださる方が男衆さんではなくて、おババ様だといいがといつも思いながら歩いた。男衆は慣れた感じで、ハイハイという風に重箱を受け取り、マッチやツケギなどのお返しの包みを風呂敷にいれながら「宜しくお伝え下さい」と言うと、あとは黙っているから、それでは、サヨウナラ、と帰らねばならない。

おババ様はそうではない、ぺたりと玄関の間に座ってニコニコとねぎらって下さる。そして必ず「ようおつかいが出来てえらいのう、、大きゅうなって、、」と言いながら、オウツリとして飴玉やキャラメルなどを紙にくるんで下さるのだった。ペコンと頭を下げて玄関を出ると一目散に家に帰った。母は「ちゃんとお渡ししたか?」と聞くだけで、御苦労とも有難うとも言ったことはなかったけれど、なんとなくご機嫌が良かったような気がする。

重箱の赤飯を届ける習慣から遠くなったのはいつごろのことだろう。高校生になってからは記憶がないところをみると、その頃にはもう、なくなったのかもしれない。親類の家も多くは代が替わってしまい、昔ほどの近しい付き合いもなくなって、冠婚葬祭用の顔だけになってしまった。そしてそれすらも今は遠くなり始めている。

思いがけないお赤飯の到来に、そういえば子供の頃に何かがあると赤飯が炊いてあったなぁと言ったりしながら、おジジとおババはいっとき盛り上がった。実家のある田舎でも日枝神社の秋祭は今頃だった。お神輿は今も町中を練り歩くのだろうか。

台風の前触れに吹く湿った南風のせいで、今年の秋はまだだけれど、美味しいお赤飯はいっときの会話の喜びになった。     (2007.9.15.)
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